第6話
気が付くと、僕は椅子に座っていた。
見慣れた部室。そこで聞き慣れた音を聞いていた。キーボードを叩く音だ。
音が止まり、くるりと椅子を回転させて彼女がこちらを向いた。
「待ちくたびれたよ、助手」
白衣姿で眼鏡をかけた幾多千世がそこにいた。
「……帰ってきたのか?」
「ああ、ここは世界線0229。私たちの世界だ」
辺りを見回す。
本当に元の世界なのか。扉を開けてからの記憶がないから証明しようがない。
目の前の彼女は、本当に僕の知る幾多千世なんだろうか。
「疑ってるのかい?」
千世は僕の心を覗き込むように丸眼鏡の奥の瞳をこちらへ向けた。
「まあ仕方のないことだ。では証拠を見せようか」
「証拠?」
そう言ってから彼女は机から小さな紙を拾い上げ、僕に差し出す。
それは冷凍食品80円引きクーポンのついたレシートだった。
「え、なんでこれを」
「私の落ちた場所が偶然『クーポン券を捨てなかった世界線』だったからね。そこにいた助手に頼んで譲ってもらったんだ」
「譲って、って。そっちの僕も渋っただろ」
「いやむしろ喜んでたよ?」
怪しいな。こいつのことだ。どうせろくな頼み方してないだろうし。
そう考えながら、僕は小さく苦笑する。
どうやらどこの世界の僕もこいつの頼みは断れないらしい。
「さて、証明も済んだし発明に戻ろうか。今のマシンじゃ意識の移動しかできなくてね。今度は身体ごと指定した世界線に移動できるように……ああでもその前に」
「ん?」
何を思ったか、パソコンへと向き直った千世は再びくるりと椅子を回転させて立ち上がる。
そしてゆっくりと僕の方へと歩み寄り、右手を差し出した。
「おかえり、助手」
彼女の細くしなやかな指先を見つめてから、目を合わせる。
「こういうやり取りは嫌いなんじゃないか。時間の無駄だ、って」
「ああそうだ。今まさに刻一刻と過ぎていく時間が気になって仕方ない」
言葉とは裏腹にその顔は嬉しそうに微笑んでいる。
まるで再会を喜ぶ、普通の女子高生のように。
「けど、こういうやり取りは嫌いじゃない」
僕はゆっくりと立ち上がる。
ありふれた凡人である僕にはタイムマシンの作り方もパラレルワールドの仕組みもよくわからない。彼女の助けになれる日がいつ来るかなんて見当もつきやしない。
でも、今やるべきことくらいはわかってるつもりだ。
「ただいま、部長」
途切れた線を繋ぎ直すように、僕は彼女の右手を握り返した。
(了)
パラレルワールド・ランデブー 池田春哉 @ikedaharukana
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