時間差で知る危機一髪

こなひじきβ

時間差で知る危機一髪

「おい」

「は、はい?」


 何気なく歩いていた俺は、すれ違いざまに中年の男に話しかけられた。顔を見ると毛玉が目立つ黒いコートに無地のズボン、ボサボサの髪や無精髭からあまり清潔ではないという印象を受ける。

 けれど、街中で良く見かけるような普通のおじさんだなという顔立ちをしていた。俺がそんな感想を持った所で、おじさんはとある建物を指さした。


「そこのアパートに田丸って苗字はあるか?」

「はあ。田丸……ですか?」

「ああ」


 田丸、と聞いて俺は数秒考えた後に一つ、記憶の隅にその苗字があったことを思い出した。


「えっと……あ、はい。あります」

「何号室だ?」

「え?」


 〇〇アパートに住んでいる田丸さんとは、昔に少しだけ面識があった。しかしここ数年会っていなかったために記憶が曖昧だった。間違った情報を教えるのも気が引けたので、確実な方法を提案してみることにした。


「郵便受けには」

「掠れていて見えねえ」


 それはもう既に確かめたのだろうか、食い気味に否定された。アパートはそこそこ古い建物なので名前も部屋番号もほとんど怪しい状態だったようだ。こうなってしまっては俺の記憶が頼みの綱なのかもしれないと思い、何とか絞り出した。


「あー、確か……二〇二、だった気が」

「わかった」


 おじさんは納得したようで、すぐに俺に背を向けてアパートのほうへ去っていった。


(何だったんだ? 知り合いの家に来た、とかか?)


 それにしても無愛想な人だった。あんな感じのおじさんはこの辺りじゃ見かけなかったが、田丸さんに用事があったのだろうか。


(にしても田丸さんか……娘さんと歳が近かったから時々遊んだ事があったけど、両親が離婚したとかで会わなくなっちゃったんだよな。あれからもう数年経ったけど、元気してるのかな)


 当時の記憶を少しだけ遡ったが、これ以上はほとんど覚えていない。まあいいか、と俺は真っすぐ帰ることにした。




 あの時の俺の行動が何を意味していたのか、翌日の朝に突然知らされる事となった。


「え……は?」


 それは毎朝習慣として見ているニュース番組を見ていた時だった。今流れているニュースの内容は、近所で起きたある事件だ。


『――三日前に脱獄した被告人が〇〇アパートの二〇二号室に刃物を持って押しかけていた所を隣の部屋の住民が通報し、そのまま逮捕されました』


 逮捕された容疑者が映し出される。連行されている場所も、その顔にも見覚えがあった。


「こ、この人……昨日会ったおじさんじゃないか……」


 昨日、俺に田丸さんの部屋番号を聞いてきた男がハッキリと映っていた。


『――逮捕された××容疑者は元妻と娘の部屋に押し入り、殺害する事を計画していたと容疑を認めています。なお、幸い容疑者が押し行った部屋は空き室だったため、被害者は出ませんでした』


 昨日会ったおじさんが、刃物を持って田丸さんの部屋に押し入ろうとしていた。けれどニュースでは、空き部屋に入っていったと言っている。ここで一つ、自分が勘違いをしていたことに気が付いた。


「あれ? そっか……田丸さんって二〇三号室……だった、っけ」


 手に持っていたリモコンが落ちる。既にニュース内容は切り替わっているのに、俺はテレビ画面に目を向けたまましばらく動けなかった。俺の頭の中で、実際には起きなかった惨劇が繰り広げられる。


 もしもあの時、。冷や汗が止まらず、恐ろしさに上手く呼吸が出来ない。


「き、危機……一髪……ってやつ? よ、良かった、けど……わ、笑えねぇ」


 偶然にも人を助けることができたとはいえ、気分は最悪だった。もうあんな思いはしたくないと心から願うのであった。

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