海竜は、海を見る

初美陽一

――海を見る――

『『今こそ、にっくき隣国を滅ぼしてくれる!!』』


 長年に渡り、互いを憎み、争い続けてきた、東西に分かれた二つの国。


 それぞれ競い合うように長ったらしい名前を足し続け、正式名称が100文字にもなろうとした頃、バカバカしくなったのか、誰もがそれぞれの国をこう呼び合った。


 ―――【東国】と【西国】―――


 だが、積もりに積もった怨嗟は、ついに大戦争へと発展し。


 東西、どちらの国も、異様に目をギラつかせて――

 その手に、武器を携え、誰もが待ち侘びていた。


 互いに万を数える軍を率い、開戦の時を前にして、どちらの国の将軍も似たようなことを叫んでいた。


「さあ、今こそ目障りな西の国を滅ぼす時が来た! 兵たちよ、存分に剣を振るえ、槍を突け! 奴らのはらわたを抉り出してやるのだ! さあ、突撃――」


『にっ……逃げろっ! 皆、今すぐ逃げろぉぉぉぉ!』


「っ! おのれ臆病風に吹かれたか! 味方だろうと関係ない、今すぐ首をね」


『りゅっ……竜が来たあぁぁぁぁぁぁ!!!』


「てや………………は?」


 その時、今にも突撃しようとしていた両軍の、そのに。


 流れる川のように長大で、見上げれば山のように巨大な。




 ――――、と――――




 ◆ ◆ ◆


 大地に長大な線を引くように、両軍の――いや東西の国を真ん中から分かつように横たわる、大蛇のような海竜は、微動だにせず。


 の方まで様子を見に行こうとした伝令が、息切れしながら馬を降りて軍全体に報告する。


「ぜえ、ぜえ……だ、ダメです……頭の方は険しい山岳地帯まで伸びているようで、迂回は不可能……まして武装した軍では、とても越えられそうにもなく……」


「むう……かといって海竜の、あの縦に見ても小高い山のように巨大で、蛇のような鱗の表面、乗り越えてもいけまい……ツルッツルだぞ。超ツルッツルだぞ」


「ぜえ、はあ……で、ですねぇ……」


 伝令も息を整えつつ返事し、軍内の兵士たちにも困惑が伝染する。


『……お、おい、これから俺達、どうすりゃいいんだ?』

『戦争……つっても、戦う敵は向こう側に……コイツがどっかいかないとさ』

『この蛇? 竜? ……全く微動だにしねぇんだけど、いつ動くんだ?』


「……どうすりゃええっちゅうんじゃい」


 隊長とおぼしき人物が、もはや諦観しつつ、陽光を反射して煌めく海竜の胴体を見上げていると――そこへ、戦場に似つかわしくない甲高い声が。


「―――ほら男共、どいたどいた! あらまっ、大ババ様の言ってた通りだねぇ! 見なよ皆、海竜様の体にくっついて、貝やら魚やらがたっくさん!」


「あら本当だわ! 取り放題じゃない!」

「当分、海産物には困らないわね~」

「ホントホント、さっ、始めましょ。ちゃんと平等に山分けよ!」


 急に現れて、勝手に収集を始める逞しい女たちに、隊長が苦言をていし――


「むう、何をしておる、お主ら! 戦場に、女子供がしゃしゃり出るな――」


「―――うっせぇわね戦場ったって敵はどこいんのよ敵は! アンタらこそボーっと突っ立ってるだけなら、とっととバカ男共ッッッ!!」


「は、はい、すみませんでした」


 逆に怒鳴りつけられ、縮こまって謝ってしまう、そんな隊長を見て。


『………なんか、バカバカしくなってきたな』


 一人の兵士が、出来の悪い木造の槍を投げ捨てたのが、皮切りとなり。


『帰ろ、帰ろ』

『なんか急に、娘の顔が見たくなってきた』

『酒でも飲んで、寝てたほうがマシだな』


 解散、とばかりに武器を放り捨て、軍はもはやていさず、兵士たちはそれぞれの帰途へ着く。


 それは、東西に分かたれた両国で、等しく起こった。


 ◆ ◆ ◆


 豪奢ごうしゃ甲冑かっちゅうを身につけた、将軍たる壮年の男が、海竜の先に憎き隣国を睨みつけ、口の端をゆがめて笑っていた。


「くっくっく……海竜の邪魔がなんだ、どんなにバカデカかろうと、所詮は知恵なき動物、いつまでも此処ここに居座っておる訳でもあるまい。コイツが去った瞬間、ワシは隣国の人間らの喉首に、王より賜りしこの宝剣を突き立ててやるわ。昔日せきじつよりの執念、そう易々としずまると思うな!」


「―――将軍閣下、お喜びください! 軍内の騎士にして歴史学者たる者が、海竜が立ち去るの時間を解き明かしました!」


「おお、でかした! 褒めてつかわすぞ!」


 ニヤリ、邪悪ですらある笑みを湛えながら、異様な鋭い目つきで将軍は叫ぶ。



「見ておれ、のにっくき国の者どもよ! このたぎる戦意、

 何年でも、十年でも、いやいや二十年だろうと――絶やさず燃やし続けるぞ!!

 して副官、この海竜はいなくなる!?」


「はい! ざっと百年後くらいだそうですっ!!」


「やってられっかクソがッッッ!!!」



 将軍は、騎士勲章付きの宝剣を、勢いよくその場に叩き付けた。



 ◆ ◆ ◆



「―――だった、と思うのよ」



 不意にそんなことを言い出したのは、兄である下級騎士の慎ましい一軒家に住まい、料理をしている年頃の妹。


「もし、あのまま戦争が始まっていたら、どうなっていたかしら。今度の戦争は、いつもの小競り合いじゃない、だったんでしょ。きっと、たくさん人が死んだわ。勝っても、負けても、きっと、大勢が命を落としたはずよ」


「……ルルカ。滅多なことを言うものじゃないよ。僕は騎士で……」


「騎士だから、何よ。兄さんは剣を構えるより、歴史の本を読んで目を輝かせているほうが、よほど似合うわ。馬に下手に乗るより、人を相手に笑って商売するほうが、よっぽど上手じゃないの」


「……それでも、僕は国のために――」


「そんなの、どうだっていいわっ!!」


 ばん、と料理台を叩いて、妹は兄を睨むようにして見つめ。



「私は……兄さんが、生きて帰ってくれてっ……うれしかった……!」


「………ルルカ」


「う。……う、うっ……う、えぇ~ん……」


 兄の胸に飛び込み、まるで、幼子のように泣き声を上げる妹を――

 兄は、ずっと、あやすように、撫で続けていた。



 ――今頃、酒場で酒をかっくらっている将軍も。

 ――城で拗ねたように不貞腐れている王侯貴族も。

 知るよしも、あるまい。



 両国の、どちらでも、どこでも、等しく。

 ルルカの叫んだことと似たようなことを、多くの人間たちが、思っていた。


 ああ、大切な人が、生きて帰ってくれて、良かった――と。



 ◆ ◆ ◆


 ―――約、


 時折、皮膚の日に当たる部分を変えるためにしか動かなかった海竜が、徐々にその巨体を海へと引き下げていく。


「……準備はいいか、お前ら……」

「ああ……待ち侘びたぞ、この時を……!」

の連中め……見ていろよ……!」


 東西、どちらの国も、異様に目をギラつかせて――

 その手に、それぞれのを携え、待ち侘びていた。


 徐々に、徐々に。


 海竜が、焦らすように引き下がり、そして。


 東と西の国の、大勢の人間達が――両者の姿を目視し、相対した瞬間――!



「―――さあさあ、こいつぁ東の国でしか取れない最上級の岩塩を詰め合わせたお得な袋だ! 祝いに大安売りだよ、持ってけ西国のドロボーッ!」


「なぁに負けてられっかい! 西の豊かな草原地帯で育った、最高の羊肉だ! 今日の記念に一頭サービスで振る舞ってやっから、ひとまず一口、食ってきな!」


「東の山岳地帯の猪は、イイモン食ってっから肉が柔らかくてウメェぞぉ~!?」

「こいつぁ西の温暖な気候でしか育たねぇ、甘~い芋で――!」


「メシばっか見てんなよ、東の工芸品は昔っから出来が良いって有名で――」

「西の装飾は常に最先端、衣服なら当店を今後ともご贔屓に~♪」


「いてっ、何か錆びた鉄の棒みたいなの踏んだ! 誰だよこんなトコに捨てたの!」

「なんか昔の騎士勲章みたいなの付いてね? ボロボロだけど」



 ――その手に持っている武器は、今や鉄や鋼の刃ではない。


 百年もの間、もはや争う相手は海竜によってへだたれ、ならず者や賊徒ぞくとへの対処にしか使われなくなった剣や槍は、必要最低限にしか扱われず。


 今やどちらの国も、自分達の武器、その主戦場は――生活のための物資、商品、食料品、に――移り変わっていた。


 戦場に流れるのも、両者の血や涙ではなく。


 行きかう商品に対して、対価として流れていく、金銭だった。


 ◆ ◆ ◆


 と、戦うように大騒ぎする両国の人間達から遠ざかるように、海竜の顔が海へと程近くなっていくと。


 まるでのように、両国それぞれの彩り豊かな食料が、波打ち際に積み重なっている。


 そして、遠巻きに眺める人間達の中から――のかは分からないが、一人の幼い少女が飛び出してきて。


 少女の目的は、ただ一つ――だった曾祖母から頼まれていた、海竜への伝言を、伝えるために。


 大きく頭を下げながら、一言。



「海竜さま―――のところ、ありがとーございましたっ!」


「こっ、こら、、なにしてるの! こっちへきなさいっ!」



 理解しているのかなど分かるべくもない、が。

 海竜の、巨岩のような目が、ぎょろりと動き――次の瞬間。


 長く大きな舌で―――積み上げられていた食料の山を、ぺろりと呑み込んでしまった――!


 これにはさすがに「ぴゃっ!」と少女も驚き、母親と思しき人物と共に、木陰こかげへと逃げ込むが。


 海竜は、巨大なまぶたをゆっくりと閉じ、目を細めるようにしてから――



 ――海へと、帰っていった――



 ――こうして、東西両国の争いは、終結を迎え。



 そして――――数えられぬほどの、長い長い、年月が過ぎ。



 ◆ ◆ ◆



『『今こそ、にっくき隣国を滅ぼしてくれる!!』』


 長年に渡り、互いを憎み、争い続けてきた、東西に分かれた二つの国。


 だが、積もりに積もった怨嗟は、ついに大戦争へと発展し。


 東西、どちらの国も、異様に目をギラつかせて――

 その手に、武器を携え、誰もが待ち侘びていた。


 ――――――



 ◆ ◆ ◆


 海面から、ざぶ、と巨岩のような瞳が、浮かび上がってきて。


 陸にある、を眺めながら、思う。


〝ああ、なんだかたくさんして、キレイだなぁ〟


〝なんだか、わいわい、にぎやかで、楽しそうだなぁ〟


 陽光を反射して輝くらに、引き寄せられるように、長細く大きなからだを、うごめかせて。


〝そろそろ、でもしに、いこうかしら〟


 そんなことを、考えると。


 大きな大きな、その目を、ゆっくりと細めて。




 海竜は――――を見る――――




   ―― Fin ――

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