後編


 私と古角は、学校からそれなりに離れた大きな川に投げ捨てられた。

 冷たい水が私たちの身体をもみくちゃにし、どんどん押し流していく。何とか藻掻いて近くの岩に手をかけ、ついでに流れてきた古角をキャッチする。川の流れは速く波もある。岸まで泳ぐには心もとない。


「おい! 古角! 起きろ! 重いなお前! お前を抱えながらだといつか私も沈むぞ!」


 古角は白目をむいたまままだ伸びている。本当に生きてるのかこれ。……あ、呼吸はしてる。


 そんな私たちの元へ、黒い流星が降り立つ。

 空を駆け抜けて現れた流星は、岸の土を巻き上げて、針のような足で高い金属音を響かせて着地した。私たちとの距離はおおよそ5、6mだろうか。

 そしてベンデは私たちを見て、冷たい声でぼやいた。恋焦がれた人を見つけた時のような声で。


「ああ、居た」


 その針の如き足で水面を滑るようにベンデは歩いてくる。川の波が、まるで彼女を避けるように部分的に静かになる。

 そうして私たちの傍まで来て、見下ろしながら、絞り出すようにして私を問いただした。


「あなたでしょう?」


 何が? 何の話?

 解らずに居る私に、ベンデは続ける。


「大輔を誘惑したのは! あんたなんでしょ! 知ってるのよ!! 私の!! 私のなんだから!!」


 え……これはもしや……


「最近彼が私に冷たいのも、別の女の臭いをさせてる時があるのも、私と一緒にいる時間を減らし始めてるのも、私以外の女で発散するようになったのも、全部全部お前のせいだ!! そうなんだろ、女狐め!!」


 次第にベンデの声は大きくなり、頭を抱えて吼える。

 その音が耳の奥まで頭を殴りつけて、捕まっている岩を手放しそうになる。

 痴情の、もつれ……? 巻き込まれた?

 もちろん、私は古角とはそんな間柄じゃない。というか流石に無い。

 まさかそんな理由で、今私は命に危機に瀕している?


「だって、LINE、既読無視しないでほしいんだもの」

「……んな」


 私の中でふつふつと怒りが湧き出て、思わず口を突いて出てきた。


「ふざけんな! そんな理由で、巻き込まれてたまるか!!」


 ベンデは私が岩に捕まっている手をその剣のような左手で刺した。激痛が走り、思わず岩から手を放しそうになる。

 ベンデが怒鳴る。


「そんな理由!? そんな理由ってなによ!! ふざけてるのはそっちでしょ!!」

「というか状況を見ろ! 私が手を離したら、お前の愛しの彼もいっしょに流れるんだぞ!?」


 ベンデの表情の読めない顔が古角を見る。

 そして、ベンデは古角の脇を右手で刺し貫き、持ち上げる。流石にこれには古角が痛みに悶えながら起きたが、状況は彼の理解の範疇を超えている。


「あ、ああ!? なん、なんだこりゃ! 痛え!! いやだ! 助けてくれ!! 誰か!!」


 そして、岸まで古角を放り投げて私に向き直る。


「これで良いわ」

「良くないだろ!? 脇刺されて、あれ死ぬぞ!?」


 ベンデに明らかに動揺が見て取れた。視線の先には、脇から血を流し続けて悶える古角が居る。

 交渉、説得できるだろうか?


「恋人が、好きな人が冷たかったんでしょ? ねえ、話し合ったの? すれ違ってるだけなんじゃない?」

「うるさい……」


 ベンデは私の言葉に静かに答える。


「そういうことをされたら嫌だって、恋人に好きだって伝えたのか? 言わなきゃ解らないでしょ! あんたらスーパー地球人は意思疎通に言葉が要らないのかもしれないけどさ」

「スーパー地球人??」


 僅かに、私の手を刺す力が緩む。痛みに耐えながら、なんとか状況の打開を図る。


「古角、あのままだと死ぬぞ。出血多量で! 死んだら話もできないだろ!?」

「死んだら……」


 ベンデの身体の震えが、私にも伝わる。死を恐怖しているのだろうか。

 だが、直後ベンデは叫び出した。


「あああああああ!! うるさい!! うるさい!! おまえ、うるさい!!」


 ベンデは、私の手を一度強く抉ってから私を振り払った。

 だが、私の身体は水流に呑まれなかった。誰かが私を抱きとめている。私の身体を抱きとめるその白い存在を、私は見上げる。葵は川の流れをものともせず、古角の傍へ私を下ろした。

 そして葵は私の手を取って握る。次第に手は温かみを帯び、傷は痛みを感じなくなった。古角の脇腹にも触れ、うめく古角の息が少し落ち着きを取り戻した。

 葵はベンデに、静かに、だが力強く言う。


「ベンデ、お前は僕の琴線に触れた。許すことは無い」

「ああ、ラヴァ。お前も同じだ。必ず私と同じ所へ来るんだ! そうだろう!? 私たちは、人じゃないんだから!!」


 ベンデが叫び、川が見たこともない濁流を伴って襲い来る。ベンデの狙いは端から私たちだ。

 ラヴァ、葵が私たちを庇うように川上に立ち、流れて来る土石流を焼き払っていく。そうして動けないラヴァの脇腹をベンデが刺し貫く。何度も刺す。

 思わず葵を助けようとするが、土石流も相まって立ち上がることすらできそうにない。

 ベンデが慟哭する。


「私は、知りたくなかった! 心など、感情など、危険なことだ! 人類はやはり滅ぼすべきなんだ! こんな、こんな苦しみ、誰も学ぶべきじゃない!!」


 ベンデはある程度ラヴァを刺した後、その脇をすり抜けて古角を抱きかかえて呟く。


「ああ、大輔。力を頂戴……」


 途端、古角が悲鳴を上げた。

 ベンデの口が、古角の胸元から何かを吸い上げている。


「う、うわああああ!! なんだ、なにが! 俺から何を吸ってるんだ!? やめろ!! やめてくれ!!」


 ラヴァが炎でベンデを振り払おうとするが、明らかに弱弱しい炎しか出ず、土石流から身の安全を確保できる場所もどんどん少なくなる。

 ベンデは叫び続ける古角を抱えて土石流の流れをものともせずにその流れの外へ消えていく。

 気のせいでなければ……


「ね、ねえ、川の流れ、速くなってない!?」


 気のせいではない。先ほど、ベンデが古角から何かを吸い上げた時から、川の流れ、土石流の勢いは増している。

 ラヴァは膝をついて、苦痛に耐えながら答える。


「クロスレイだ。スーパー地球人は一定の条件を満たした地球人からエネルギーを吸うことで強化されるんだ……くそ、古角くん連れてきたの、失敗だったかな。でも、あのままじゃ殺されてたろうし」


 などと葵がぼやくのを聞いて、私は葵に提案した。


「その、クロスなんとか? っての、私とはできないの?」

「え?」


 葵の声が裏返る。


「ほら、スーパー地球人は地球人を吸ってパワーアップできるんだろ? だったら……」

「いや、でも、あの……」

「つべこべ言ってる場合か! どっちにしろこのままじゃ危ないでしょうが!!」


 葵は、表情のない顔でも解るぐらいに動揺し、何か迷うように視線を泳がせた後、深く息をついて頷いた。


「華ちゃんが、良いのなら」

「良し、来い!」


 そう言って私は制服の胸元を破くように開ける。


「ああっ! ちょ、やめてよ! 恥ずかしいな!」

「なんで葵が恥ずかしがるんだよ。恥ずかしいのは私だぞ!?」

「……恥ずかしい? 僕が、その……」

「いいから、時間がないんだろうが」

「もう少し情緒が……」


 そうぼやきながら、葵は私の胸元に顔をうずめる。

 途端に何かが葵に吸い出されていく。だが、古角が騒いでいたような恐怖は感じない。むしろ……


「陽だまりみたい」


 私が思ったことを、葵がつぶやいた。


 直後、土石流は蒸発し、流木が一瞬で消し炭に変わる。かき消えた土砂が、むしろラヴァの味方をするように足場を形成する。幾何学模様を描いて練り上がり、新しい地面を作り上げていく。そこに作られた小さな球状の小部屋に、私はいつの間にか入れられていた。小部屋には窓があり、ラヴァの様子が見える。おそらく、私を守るための部屋なのだろう。

 ラヴァはまるで太陽のような輝きで周囲を照らし出す。


「ベンデ、受け入れて欲しいんだ」

「なによ……その女狐、あんたのなの? はは、とんだクソ女じゃないの!!」


 ベンデが叫ぶが、その音、衝撃波がラヴァに届くことは無い。音すら極光の前に蒸発する。

 続けてベンデがラヴァに飛び掛かり斬りつけようとするが、ラヴァが手をかざすだけでベンデの手が溶け、ラヴァには届かない。それを見て、ベンデが頭突きをするのを、ラヴァが受け止める。

 ベンデの慟哭が痛々しく響く。


「あの女を、大輔を許せって言うの!? そんなの……そんなの!!」


 ベンデの口からまた衝撃波が放たれる。


「どうして私を優先してくれないの!! 違うのよ!! 私はこんな感情を持ちたくないのに!! 私を、私を否定しないで!! 私を独りにしないで!! 誰か、私を殺してよ!! 息を止めて、おねがい……」


 一際大きな衝撃はが周囲を襲い、あらゆるものを薙ぎ払う。家屋も木々も空すらもなぎ倒す衝撃波が、嘆きが、響き渡る。私を守る小部屋も壊れていく。その最中、ラヴァはそれを受けて揺るぎもせずに居る。

 ラヴァは、ベンデを引き寄せてあやす様にその肩を抱きしめた。


「違うよ。受け入れるのは、君自身のことだよ。」


 嘆きの衝撃波はなおも響き渡るが、次第にか細く、弱弱しく、微かなすすり泣きへと変わっていく。

 そこには、人の姿をした保知縁を優しくあやす、同じく人の姿に戻った葵が居た。


 不思議なことに、保知縁の身体にも葵の身体にも怪我の様子はない。しかし、先ほどまでのことが嘘でなかったことを、他の全てが証明している。

 葵が驚いたように叫ぶ。


「ああ!! 眼鏡!! 溶けてるぅ……どうしよう。母さんに叱られちゃう」


 そう言いながら、ぐしゃぐしゃになった眼鏡を私に見せるために駆け寄って来る見慣れた幼馴染の姿に、何処か私は気が抜けてしまった。

 とか思ってると、葵が私の方を見なくなる。見れば耳が赤い。そういえば胸元は涼しい……


「そういえば、説明、まだな気がしたけど?」

「え? あ、その、ツインクロスって言うのはヤラシイことじゃなくてその……」

「いや、そっちじゃなくて、人類の生存がどうとか……」

「あ、そっち? あ、う、うん、そうだよね」


 なんでちょっと残念そうなの?

 などと思っていると、空から閃光が差して来る。いつか見た気がする光は、私たちを包んだ後、何事も無いかのように消えていった。

 光が去った後、川は穏やかに戻り、周囲への被害も嘘のように消えていた。

 私は思わず葵に聞く。


「ねえ! 今の、何!? え、何もかもなかったことに……は、なってないのね」


 私は自身の手に残った血の跡や胸元からはじけ飛んでいったボタンを確認する。だが、周囲は先ほどまでの超能力決戦の跡など欠片も残っていない。

 葵は穏やかな笑みで応える。


「今のは……まあ、僕らの上司みたいな? すんごい力で、今回の一件を無かったことにしたんだってさ。でも、僕らの状態はそのままにしたって……」


 そう言って葵は、衝撃波で吹き飛ばされて今一度気絶した古角に寄り添う保知縁を見る。


「僕ら四人には、今回の一件は記憶しておくべきだって……同時に、ベンデ、保知縁さんの緊急報告も、僕の離反も不問だそうだよ」

「へぇ、気前いいじゃん、その上司。何か上司の機嫌取るようなことしてたの?」

「それは、珍しい感情を知れたからで……」


 みるみるうちに葵の顔が赤くなっていく。

 それを誤魔化す様に、葵は口を開いた。


「と、とにかく、説明しなきゃいけないことがあるよね!」

「すごい誤魔化された」


 葵は咳払いをして説明をする。


「僕らが別次元の地球から来たことは説明したでしょう? ……そもそも、僕らは君たちに否定的だったんだ。この地球の人類は危険です、って。だから、ベンデの緊急報告で、この地球は強制終了されそうになったんだけど……」

「なんだか許されちゃった、と」

「うん……数は少ないけど、僕みたいに人類の生存に賛成する個体も少なくなかったしね。僕は頑として守りたかったから」

「おお、まるで正義の味方」

「え? そ、そうかな。恥ずかしいな」


 そうして葵は照れ笑いをする。

 そんな葵に私は質問する。


「で、この地球は合格? 許された?」


 葵は少し寂しそうに首を振る。


「残念だけど、まだ査定は始まったばかりだよ。これからなんだ。だからその……」

「その?」


 葵は顔を赤くしながらもじもじして、私にお願いがあるんだけど、と告げる。


「ツインクロスは、一度決めるとそう相手を変えることができないので……」

「OK、私としては幼馴染の正体も知れて、昔知りたかったことも知れて大満足! なので全面的に協力しましょう!!」

「え、即決! いや、身の危険もあるんだよ!?」

「でも、葵には、地球のためにも、私が必要なんでしょ?」

「いや、地球のためって言うかその……」


 葵は今一度咳ばらいをしつつ、私に手を差し伸べる。


「歩きながら話そう。多分、学校じゃ昼の授業が普通に始まってる。勝手に僕らが居なくなったことになってるはずだから」


 私は葵の手を取って歩き始める。

 その意味も解らないまま……







 とかいうとまるで物語の始まりっぽいけど。



 ところで、ツインクロスって……

 保知縁が古角に対してやってたのを考えるに、もしかして“そういう感情”が無いとできないとかそういう……?

 そういうことですか、葵クン??

 と言いますか、古角と違って私が嫌な感じがしなかったのは……

 そういうことですか、私!?




 何か、涼しげなはずの私の胸元に、熱い何かが始まった気がした。


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真昼の星の子 九十九 千尋 @tsukuhi

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