真昼の星の子

九十九 千尋

前編


「定期報告、第3650回……個体名『ラヴァ』よりコミュニティへ定期報告……人類の生存に賛成します」


 満天の星空を見上げながら、彼はそうつぶやいた。確かにそうつぶやいた。街の裏山の頂上には私たち以外に人がいる用には見えない。

 10歳の誕生日にもかかわらず、家を抜け出した幼馴染が気になって私は彼の後を付けた。密かに後を付いて来ていた私に気付いないようで、なおも何か知らない単語を呟いている。私はその言葉の詳細が知りたくて近寄ろうとして……枝を踏んでしまった。

 直後、視界が光に包まれ、気が付けば私は自宅のベッドで寝ていた。あの経験があってから、私は幼馴染を宇宙人なのではないかと疑っている。



 のだが……


日向ひなたぁ! パン買ってこい!」


 あの裏山での不思議な光景(を夢でないなら見たと思われる日)から6年。

 高校の二階からばら撒かれる小銭を、その幼馴染は拾っている。これからクラスメイトの男子グループの昼のパンを買うパシリをさせられるのだ。いつもの見慣れた光景ではあるのだが……

 私は幼馴染の日向ひなた あおいが笑顔で散らばった小銭を拾うのを、あきれながら手伝う。


「葵、あんたまたパシられてんの? もう、断りなさいよ!」


 葵は私に笑みをこぼしながら、ぼさぼさの長めの髪を照れくさそうに掻いた。


「あ、はるちゃん。小銭、ありがとう!」

「ありがとう、じゃない。もう、男なんだからいっそガツンと……」


 葵は分厚い瓶底眼鏡の位置を直しながらはにかんだ笑顔を浮かべる。


「いやぁ、暴力とか苦手だし、みんなパン買ってくと喜んでもらえるし」

「いいように扱われてるのよ! ああもう、他クラスの問題だけど乗り込んでやろうかしら」

「え!? だ、だめだよ。華ちゃん、素行不良でこの間も生徒指導室に呼ばれてたでしょ?」


 そうだった。私、春先はるさき はなはつい手を出してしまう癖があり、気に入らないスケバン? だかを拳で黙らせた結果、なんだか周囲から一目置かれ、不良である気は無いのだが勉強が得意でないことも相まって、勝手に不良のヘッドだと教師陣からは思われている。

 そんな私と相反するように、ぼさぼさ頭で瓶底眼鏡、絵にかいたようないじめられっ子、挙句自分が酷い目に合っててもへらへら笑っている幼馴染。彼のために何度か密かに裏で男子生徒を締めたこともあったので……ま、まぁ、確かに不良と見られても仕方がない。

 そんな私の心を読んだかのように、葵は微笑んで両手を受け皿のようにして差し出して来る。

 私はその両手になんとなく自身の両手を乗せる。が、葵は笑ってそれを否定する。


「違う違う。小銭、拾ってくれたんでしょ?」

「え? あ、そう! そうだった! ……じゃない、パシリを止めなさいっていってんのよ! どうせ古角こかどとかでしょ、パシリ命じてるの。あの番長気取りめ」


 恥ずかしさから両手を引っ込めつつ、葵にパシリを止めることを説得しようとする。

 すると葵はきょとんとした表情で素っ頓狂すっとんきょうな声を上げてとやかく言い始めた。が、そもそもよく見ると葵のクラスの連中がばら撒いた小銭がどう考えても足りない。見るからに一円玉や十円玉ばかりだ。


「ねえ、お金足りなくない?」

「え? ……えーっと」


 眉間にしわが寄っていく私から葵が顔を逸らしていく。


「もしかして、足りない分は自腹で払ってんじゃないでしょうね?」


 葵は口を真一文字に結んだまま、そのまま背を向けて私から逃げようとした。




 私は勢いよく葵のクラスの扉を開けて乗り込んだ。葵の首根っこを掴みながら。


「古角ぉ! カツアゲとは太ぇことしてんじゃねぇぞゴラァ!!」


 葵のクラスの不良である古角こかど 大輔だいすけは椅子ではなく机に座りふんぞり返っている。ツンツンに固めた金髪に着崩した制服。傍には彼の彼女である保知縁ほちぶち 加羅からの肩を抱き寄せるようにしながら、私のことを鼻で笑う。


「おお、華じゃねぇか! やっぱ葵をいじってりゃ来ると思ったぜ!」


 古角は保知縁をその場に残して机から立ち上がろうとするが、保知縁がその手を引き留めようとする。古角は保知縁が睨みつけるのも振り払い、私に近づいてくる。


「華さあ、話、あんだよね」

「なんだ? カツアゲもパシリもしなくなったら聞いてやるぞ」


 正確には、葵にカツアゲをせず、葵をパシリにすることもやめたら、だが。


「俺の彼女に成んねぇ?」


 そう言って古角は私の顔を掴み、ヤニ臭い口を近づけてくる。

 思わずそれを払いのけ、ニヤ付いたその顔を殴ろうとするが古角はそれを難なく受け止めた。


「いいねぇ、今俺、お前みたいなボーイッシュな女? ってのにハマってんだよね」

「お前、保知縁さんが居るだろ」


 面識のほとんどない女子ではあるが、状況から思わず呼称を付ける。

 脇目で見れば、保知縁は私を何時殺しに来てもおかしくないような、赤い目をしている。


 いや、本当に目が、瞳が赤い!


 突然、保知縁が叫ぶように言った。


「緊急報告! 傾聴あれ! 個体名『ベンデ』より緊急報告! 人類は生存に値せず! 繰り返す! 人類は生存に値せぬと『ベンデ』は報告する!」


 あれ? この感じ、どこかで……?


 保知縁の身体がみるみるうちに黒く変色し、形が流線形鳴れど禍々しい人型の何かに変化する。手は剣のように、足は針のように、顔はのっぺりとしつつも口があり、胴は複雑で緻密な模様の鎧のような、人ではないそれに変化していく。

 そして、まるで憎たらしい物を噛みちぎろうかというように口と思わしき部位をめい一杯開いた。

 直後、保知縁を中心に耳をつんざくような音が響き、衝撃波が周囲を薙ぐ。学校中のガラスが音を立てて割れ、保知縁に近かった生徒は耳と目から血を流して倒れて動かなくなる。他の生徒たち、古角も私も思わず耳を抑えて叫び声をあげる。


 耳が、聞こえない。ずっと甲高い音が耳栓をしてるかのように、外の音をシャットアウトしている。何が起きたのか、目の前にいる黒い人型の何かは……何かは、何?


 だが、それ以上に私が気になったのは、葵がその黒い存在へ歩み寄りながら何かを話している事だ。頭痛と耳鳴りが、葵と保知縁だったモノとの会話を聞くのを邪魔してくる。おそらく、口論していることだけは何とか聞けたが……

 保知縁だったモノがまた叫び声をあげる。そして、凄まじい速度で葵の傍を通り抜け、私の眼前に、保知縁だった黒いモノの剣のようにとがった手が迫る。

 しかし、私に届くことは無かった。


「ベンデ! いい加減にしろ!」


 どうやら徐々に耳が聞こえるようになってきたらしい。いつになく怒気を含んだ葵の声が聞こえる。

 葵の両手から、いや、彼の指先が蔓のように変化し、彼がベンデと読んだ保知縁だった存在を縛るように引き留めた。

 ベンデが振り払いながらも葵に向き直って応える。


「止めるな、ラヴァ! 私はもううんざりなんだ! だから! お前は人類の味方をするつもりか!?」


 ラヴァ? ラヴァ、そうだ。葵は、葵も6年前に……

 葵はベンデに首を振って訴える。


「違う! 僕はどっちの味方でもない。むしろ君だって、本当は人類の消去なんて望んでないだろ! なんだろ!?」

「うるさい! うるさいうるさい!! だ!! なんだ!!」


 そして、泣くようにベンデは言葉を零した。


「私は、知りたくなかった。……苦しいんだ。お前もだろう、ラヴァ」


 葵はまるで肉親の死を目撃したかのように、その目に涙をためて、誰かに、天井に、その向こうの空へ向けて叫んだ。


「緊急報告! 照覧あれ! 個体名『ラヴァ』は優先順位の緊急変更を行う! 人類生存を優先順位最上位へ! 近づく同輩は全て敵個体と認識する! コミュニティより……離脱を宣言する!!」


 葵が眼鏡を外し、涙を袖で拭う。その姿が青白い炎に呑まれ、ベンデとは違って白い人型の、しかしてベンデと同じくのっぺりとした顔をした、だがベンデより人の姿に近い人、だがハッキリと人ではないモノへ変化する。

 次の瞬間には、葵は私と古角をその両肩に担ぎ、教室の窓から外へ飛び出していた。そして、そのまま止まることなく、風を切って周囲の景色を置いてきぼりにしながら何一つ変わらぬ町中を、家々の屋根を飛び移りながら駆け抜ける。

 私はその白いモノへ、恐る恐る声をかける。


「あ、葵? なんだよね? 今何が?」

「話は後……にしたいけど。というか、華ちゃん、僕のこの姿にひかないの?」


 なんとなく幼馴染が宇宙人じゃないかなぁ、と思ってたから、と言ったら傷つくだろうか。

 移動しながら葵は答えてくれる。


「いいや、古角くんは気絶してるみたいだし……移動しながらで悪いんだけど、応えられる範囲で……もう華ちゃんも当事者だ」


 確かに、葵の左肩に担がれている私からでも、力なくだらりとして右肩に担がれている古角が見える。というか白目剥いてる。生きてるのか?

 葵は一から説明しよう、と語り始める。


「この地球には多くの知的生命体が居ることは知ってるでしょう? 人に限らず、そもそも炭素生命体が電気信号で感情を……ああ、もう少しかみ砕くとね、この星に居る人を、僕らは監視しに来たんだ。そして同時に、君たちに学びに来た」

「やっぱり、宇宙人!?」


 思わず口をはさんだ私に葵は笑いながら答える。


「いやいや、高次元の、別次元の別地球から……あーんー、宇宙人じゃないけど宇宙人みたいなもんかなぁ。その方が解りやすい? OK、話をつづけるよ。僕らは高次の存在へ至るための幼体、子供みたいなもので、君たちの居るこの地球へは勉強に来たんだ。人という存在を学ぶために。あるいは、感情という物を知るために」

「感情? え? 葵は感情あるでしょ?」

「もちろん。僕は父さんと母さんに恵まれたからね。それに、幼馴染にも恵まれた。だから、僕は人類の生存を望んでいたんだ」

「え? 待って、話が見えなくなってきた」


 何? 人類の生存?


「僕らが元々居た高次の地球……とりかえず、スーパー地球とでも呼んどこうか。そこでは、自分たちと隣り合わせの次元の地球が良いモノでなければ滅ぼして来た過去があるんだ」

「スーパー地球って、すごいネーミングセンス……じゃなくて、地球を滅ぼして来たって、そもそも私たちの地球って一つじゃないの?」

「そこからかぁ。そうだね。次元は、世界は一つじゃない。それを認識していない地球、つまり君たちの地球と僕らのスーパー地球は似て非なる物だよ。なにせ、スーパー地球の人は“感情を持たない”んだ」


 私は葵の次の言葉を待った。


「それでね、『コミュニティ』と呼ばれるスーパー地球での集合的無意識にアクセスする権利を持った魂を、この地球に転生させて生活させ、『感情がどういう物か』、『この地球は隣人としてふさわしいか』を検査、コミュニティに学ばせる計画……リライト計画が実行されたんだ。僕らはその計画のエージェントだよ」

「なんか、壮大な? 計画?」

「そうだね。魂に刻まれた厄介な計画だよ」

「それで、葵は、ラヴァっていうのが本当の名前なの?」


 葵はそれを笑って否定する。


「半分正解かな。スーパー地球ではラヴァだけど、ここでは僕は向日 葵だよ。定期的に宇宙と交信してる、痛いオタクな一般人だよ。父さんも母さんも、僕は変わった子ぐらいにしか思ってないし、年頃男子特有に幼馴染に……いや、なんでもない」

「え? 私のこと? なに? なに!? 気になるとこで切らないでよ!」

「やだ! プライベート、えーっと、スーパーなプライベートなので!」

「なんだそれは」


 そして、僅かに聞こえるか聞こえないかぐらいの声で葵は零す。


「そうだなぁ、葵の人生を生きたかったな……」


 葵が急に方向転換し、私と古角を放り投げる。

 落ちて行く私の視界には、青白い炎が黒い人型の影たちと戦う光景。青い炎は爆ぜ、虹色の光を放って周囲を切り裂いていく。

 青白い光は、黒い影たちを次々に薙ぎ払い切り刻むが、どこか悲し気だと私は感じた。

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