足を賭けて走れ

森羅秋

足を賭けて走れ

「よし」

 

 現在、深夜二十三時五十ハ分。短パンにシャツという軽装で、路沿いにある細い小道にひびきは立っている。彼は男子高校生だ。深夜にこっそりと家を抜け出してここに来ている。

 気合を込めてガッツポーズを行い、古びた地蔵が祀られている場所から少し後ろに立つ。

 横に一文字に消えかけた白線があった。ここがスタートラインである。

 響はゴール場所をみる。暗くてもう見えないが、100m向こうに首のない地蔵が置かれているのは確認済だ。きっと今日はだ。

 

 時計の秒針を確認してから、白線の手前で両手を地面に置くと両足を前後に開き、ドッジボール一個分くらいの空間をあける。ブロックがないので後ろ足は地面にぺたりとつけた。


 耳を澄ませると、カンカンカンと遠くから踏切の音がして、ガタンゴトンと電車が近づいてくる音がする。

 響は口の中でカウントダウンを数える。


「……3・2・1!」


 地面についた後ろ足を蹴りこんで、飛び出すようにスタートダッシュを行った。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン……ガタン……ゴト……



 響が走っているすぐ横を抜けようとした電車の速度が急に遅くなり、車窓の明かりが消えていく。

 起こった結果だ、気にしないようにして暗闇を恐れずに一歩踏み出す、飛ぶように二歩、踏み出す。


 ゾワっと背中に悪寒が走った。


 三歩、四歩、と歩を進めている最中だったが、後方から何かの気配を感じて、ちらりと、振り返ってしまった。

 そしてすぐに後悔する。


 暗闇に六人分の腰から足が浮かび上がり、響に追いつこうと走っていた。

 二人三脚のようにそれぞれ足首をロープで結び、肩を寄せ合うような恰好で六人分の腕が浮かんでいる。顔と思われる位置に輪郭はないが六人分の眼球が浮かんでいた。真っ白に濁った瞳孔が響を見つめている。


 何かが出ると覚悟はしていたが、いざそれを目撃すると、響は恐怖のあまり悲鳴を上げそうになった。



 学校を中心にある噂が流れていた。

 仏滅日、深夜零時、電車の時刻、雨上がりなどいくつかの条件を揃えて、踏切の横にある真っすぐな小道、二体の地蔵の間を走り抜けると足が速くなる、というものだ。

 記録に伸び悩んだ陸上部の誰かが、半信半疑で走り抜けたらあとから、立て続けに最短記録を更新して陸上選手として活躍している。とまことしやかに囁かれている。

 

 全員が全員、効果を得るわけではないが、成功したという人物が時折現れてはやり方を言いふらす。お地蔵様に挟まれた100メートル距離を全速力で走り切ること。これができたら成功だそうだ。


 響の学年にも二人ほど興味本位でやった者がいる。一人は何もなく、一人は怪我をした。

 どうやら途中で転倒したり、大勢の足に抜かされたら儀式失敗となり、対価を払わなければならない。

 対価は足。失敗すると足に大怪我を負って歩けなくなってしまう。


 この噂は古くからあり、興味本位でやらないことと大人が口を酸っぱくして言い聞かせている。それが更に噂の信ぴょう性が増していた。

 今も昔もこの道は怪異スポットで夏には大賑わいである。



 そこまで思い出すと、響は息を飲んですぐに前方を凝視した。心臓の鼓動がいつも以上に響く。

 最初から存在について知っていたおかげで、悲鳴を上げて恐怖に固まることなく、すぐに立ち直ることができた。

 フォームが乱れなくてよかったと思いながら、一心不乱に足を動かす。

 

<はぁああ。はぁああ>


 必死に走っていても、男の荒い息遣いとバタバタと足音が後方から迫ってくる。

 後ろに気を取られそうになり、振り向きたい衝動に駆られる。しかし振り向けばバランスが崩れてスピードを殺してしまう。

 極力気にしないようにして、自分のフォームに集中した。


 この道はアスファルトで固められているが劣化が激しくデコボコしている。手のひらサイズの石も落ちていたりする。足元が見えないので足首をひねらないようにしなければいけない。


 中間地点に差し掛かる。響の全身から汗が吹き出し、呼吸が乱れてくる。足と尻の筋肉が疲れてきた。

 最初のスピードがなくなり、ゆっくりとだが減速している。少し足がもつれて、響はヒヤッとした。


<はああああ。はぁあああ。はぁあああ>


 もつれた瞬間に、後ろとの距離が一気に近づいた気がした。

 真後ろについていないが、手を伸ばせば届きそうな距離に大勢の何かがいる。

 振り切ろうと全力で走るが、暗闇の中ではどのくらいスピードがでているかわからない。十数秒が永遠に感じた。

 平衡感覚がゆっくりと狂っていく感覚になるが、踏み込むたびに足裏に当たる地面の感触が響を正気に戻す。


おおお、いいいいついいいいい、おおおいいい、つううういいいい。


 荒い息遣いの中に紛れ込む大勢の男女の声。

 お化け屋敷で脅かし役の声を十倍ほど詰めたような音が、響の真後ろで聞こえた。

 もうすぐ追いつくぞ。と歯をむき出して笑っている人間を想像してしまい、響の心臓がビクッと跳ね上がる。

 耐えかねて斜め下に視線を向けると、古びて草臥れた血まみれのスニーカーの先端がちらちらと見えていた。

 びちゃびちゃ、と赤い色の液体をまき散らしている。注目しろよといわんばかりに色が浮き上がっていた。


 くそったれ。と毒づいて、響は歯を食いしばって走る。


 響は陸上部に所属しており、日頃から走っている。一応、種目は短距離走だが、100mを走り切るのに14秒かかってしまうため部員のなかでも遅い部類だった。大会の補欠にも入らない。とはいえ、親に言われて嫌々やっているだけなのでレギュラーになる必要ないと考えていた。


 そんな彼がこの噂を信じて縋ったのには理由がある。友人のためだ。そのために半信半疑でチャレンジして、見事引き当ててしまったのだ。


 走り抜けるだけだ。ここで諦めてたまるかと、喝を入れて走り続ける。

 息が上がり、熱と恐怖による汗が後方に散っていく。

 必死の形相のまま前方を見続けた響の目が輝いた。


「!」


 やっと首のない地蔵が見えてきた。暗闇だというのにシルエットがはっきりしている。

 長かった。もう少しだ。と希望を抱き始めた響きの目が、もう一度曇った。

 地蔵の首の上に、ぬらっとした妙な人間がしゃがみ込んでいた。性別は分からないが小さい目に大きな口。ボロボロの着物を来て手足は細い。

 棒のような長いモノを持って、こちらを見てニタニタと笑っているのが遠目でもわかる。


 話に出てきていない。あれは未知の存在だ。

 響は少しパニックを起こす。このまま走っていいのだろうか。あれに捕まったらマズイのではと恐怖を覚え、足を止めかけた。


 ザッと背後の気配が存在感を増す。

 ちらっと横を見ると、スニーカーの先が彼のスニーカーと横並びになっていた。


「くっそおおおおおお!」


 響は大きく腕を振り、力強く足を地面につけて反発を利用して、大勢の足よりも更に数歩、前に出た。


「負けるかあああああ!」


 後のことは後考えよう。今は走り切る方が先だ。

 覚悟を決めた響きはここ一番の走りをみせた。 

 失速を最小限に抑え、勢いに乗ったまま地蔵の横を通り過ぎる。


 走り切った!


 そう強く思った瞬間、パッと、彼を照らすように電車が通過していった。


 ガタンゴトン、ガタンゴトン……ガタンゴトン……


 音が戻ってきたと同時に電車が通過していく風を感じる。周囲を見渡すと、星の明かりが漆黒を否定した。


 響きはゆっくりと立ち止まって、ぐったりとその場に座り込んだ。沢山の汗を地面に落としながら荒い呼吸を整える。

 

 呼吸が整って余裕ができてくると、後ろから視線を感じる。恐る恐る振り返ると、首のない地蔵の横に、あのニタニタしたモノが座っていた。


 勝利の余韻がある響きは、恐れることなくソレの前に立ち止まると、すぐに土下座した。


「俺が勝ったから、つよしの足を返してやってくれ! 早く走れなくてもいいから、あいつに歩く足を戻してくれ!」


 ニタニタしたモノは不思議そうに少し首を傾げた。

 響は友人の名を言いながら事の経緯を話す。


 四日前に、この噂に挑戦したが失敗したと強から聞いていた。

 最初は信じていない響だがその次の日、強は交通事故に遭い両足首が千切れかけた。なんとか縫い付けたものの傷口から感染症が発生し、切り落とすかもしれない状況に陥っていた。

 入院してふさぎ込んでいる強を見るに見かねて、なんとか力になりたいと考えた。

 怪異が原因なら、勝ったあとに事情を話して返して貰えばいいのでは、と思いあたったのである。


「だからどうか!」


 ニタニタしたソレは首が取れるほど傾げた後、ポンと手を叩いて、響の肩に手を置いた。ソレが更に笑みを強めてニヤニヤと笑いながら、一組のスニーカーを差し出す。

 響はそれを見た瞬間、強の靴によく似ていると思った。


「これは……もしかして」


 響が受け取ると、ソレは立ち上がった。


<はかせてあげるといい>


 だみ声で言い残してスッと姿を消した。



 翌日、響は強の病室にやってきた。両足がギブスで固定されている。今日も彼は泣き崩れていた。

 響は誰もいないのを見計らって強の足にスニーカーを履かせようとした。


「何をするんだ!」

「ギブスが邪魔だな」


 厚いギブスが邪魔をして上手く履かせられなかった。足先にちょこんと乗せてしまう形になる。


「当然だろ! 何考えてるんだよ……スニーカーだなんてもう」


 強はがっくりと肩を落とす。


「こうじゃなかったか。退院後にしようかな」


 響が諦めて脱がそうとしたが、その前にスニーカーがスゥっと消えてしまった。


「え?」

「え?」


 響も強も驚いて無言になり、互いを見つめる。今みた? とアイコンタクトで会話をしてから、響は反対の足にもスニーカーをかぶせてみる。しばらくして消えた。


「……なんだこれ、目の錯覚?」


 強が目をこすりながら聞き返すと


「いやー。昨日さぁ」


 響が昨晩の話をする。案の定、強は信じなかった。


「本当なんだけど」


「俺の足が治ったら信じてやるよ。でもありがとな」


 その日から強の足に異変が起こった。

 即座に感染症は落ち着き、骨はすぐにくっつき、みるみるうちに傷が治った。

 医者が目をむくほどきれいに元通りになったことで、強は二か月ほどで退院。長く走れないが、普通に生活するうえで全く問題はなかった。



「いやー。お前の話を信じるー。すっごいなー」


「俺もびっくりだ」


 今日は学校が午前で終わったので、その足で例の小道に置かれている地蔵を見に行った。今日は二体とも頭がある。

 やっていいのかどうかわからないが、饅頭をお供えした。感謝の意を伝えるのならば祟らないはずだ。


 お供えを終えて小道を歩く。実は通学によく使う馴染の道でもある。

 強が小石を蹴った。スムーズに動いている。


「治るなんて夢のようだ。陸上できないのは残念だけどこうやって歩けるからいいや。また一からスタートすればいいし」

 

 強は退部届を出した。激しいスポーツはできないので、足に負担があまりないスポーツを探すようだ。運動が好きなので体は動かしておきたいらしい。


「それにしても、いきなり響の記録が凄く伸びてるのびっくりだ。案外足速かったんだな」


 響は少し照れたように頬を掻いた。現在、100mのタイムが12秒を切りそうなのだ。


「まー。なんっていうか……あんな目にあって逃げ足早くなったような感じだけども。でもなぁ。嬉しくないんだよ」


 時々、寝ているときにあの時の悪夢を見る。睡眠学習かもしれないが、あまりいい気分ではない。


「じゃぁ。響が悪夢みないような怪異でも探してみる?」


 強がニヤリと笑う横で、


「もう怪異巡りはやめておけよ。次はしない」


 念を押しながら響が苦笑すると、強は素直に「そうする」と頷いた。


 噂を真にする条件は強が調べたことだ。地蔵の首がない日の深夜23時59分に地蔵の正面に出る線からスタートすると怪異と繋がる。スタートから近い場所でリタイアすれば軽症。ゴールに近づくほど重症を負い、クリアすれば足が速くなるという。


「響クリアしたんだし、選手選ばれたりしてね」


 何気ない強の言葉に「まぁさかー」と否定するが、その通りになった。

 このあと響は人生初の地区大会に出場した。

 惜しくも入賞することはできなかったが、早く走れるのも悪くないなと満足することはできた。


 でも時折、走っていると背後に気配があり悪寒がする。頻繁にみるあの時の悪夢。

 これはヤバいと、二年の終わりに陸上部をやめた。それ以来、悪夢もみることなく、背後に気配を感じることもない。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

足を賭けて走れ 森羅秋 @akitokei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画