エンドレス・スタート(『霧向こうのキリヤ君』①)

喜楽寛々斎

エンドレス・スタート

 鈴ヶ嶺すずがみね霧彌きりやは新年早々途方に暮れて、神社の石段に座り込んでいた。


 地平の向こうから顔を出し、鮮やかに世界を色付かせていくのは、それは見事な初日の出だ。


 まだ真っ暗な中を相棒の白杖を手に家を出たのは、常に霧彌の周りにただよう普通の人には見えないをものともせず、まばゆく差し込んでくる力強い朝日を感じたかったからである。


 その甲斐あって今こうして、煌々こうこうとあたりを照らす、一年の始まりにふさわしいご来光に包まれていた。


 とはいえ、さすがに十度目ともなると感動は薄れてきている。そう、これで十回目なのだ。


 いや、十年続けて早朝参拝しているとか、そういうまっとうなことではない。そうだったらまだよかったのだが、霧彌はこの一晩———この場合、一晩という表現が正しいのかはよくわからないが———で、もう十度も二〇二四年の初日の出を目にしていた。


 太陽は繰り返し昇り、霧彌はそれから逃れることができないでいる。


 にわかには信じがたいことだが、まるで世界の気が触れてしまったかのように、一年がスタートしてスタートしてスタートし続けているのだ。


 なぜこんなことになったのか、わけがわからなかった。神社に非礼を働いた覚えもない。むしろどこからか風で境内に飛ばされてきた菓子のゴミを拾って、ポケットに入れたくらいだ。


 澄み切った空気の中で本殿に参拝し、熱を帯びた素晴らしいご来光を感じられた霧彌は、早起きしてきた甲斐があったと喜び、


 ———さぁ、新しい年のスタートだ。


 と、珍しく高揚しながら石段を降り始めた。


 右足、左足、右足、左足。同時にコン、コン、コン、コン、と白杖が軽く鳴る。そして一番下の段に足を乗せた瞬間、どういうわけか日の出直前の境内に戻ってしまうという珍事が起こった。それを繰り返すこと、十回。


 さすがに疲れてしまったため、霧彌は小休憩とばかりに石段に腰を下ろして町を見下ろしていた。


 この町の中心部にはかなり大きな神社があり、正月に参拝する習慣がある者は大抵そちらに行く。町の神社にはありがたい授与品や多種多様なおみくじが山と用意され、正月限定の祈祷用専用ブースが設けられ、多少の屋台も出て大賑わいする。


 とはいえ、こちらのごく小さな山の中腹にある神社も小ぶりではあるが古くからのものだった。授与所などはないタイプだが、手入れは行き届いている。だから最初は他にも間違いなく参拝者がいたはずなのに、気づけば霧彌は縁起の良い太陽を独り占めしていた。


 贅沢な話ではあったが、このままでは清々しいどころか、延々と昇り続ける初日の出に精神をやられかねない。少なくとも、神社のあるこの小山から降りれないと家にも帰れないのだ。


「どうしたものかなぁ……」


 霧彌は幼い頃から時折不思議なことに巻き込まれるたちではあったが、こういうのは初めてだった。両親は息子のこの難儀な体質を承知しているので、きっと帰って来ないとなれば正月を返上して必死で探し回ってくれるだろう。


 しかし仕事の関係で年末年始が忙しい二人には、二日から始まる正月休みくらいはせめてゆっくりしてもらいたいのだ。なんとしても無事に家に帰らなくてはならない。


 もう一度気力を奮い立たせた霧彌は、十一回目の石段をえっちらおっちら降り、そして———またもや朱塗りの二の鳥居の内側、境内の中へと戻ってきた。


「……」


 再び日が昇ってくる。


 初日の出も物事の始まりも、その時一度きりだからこそ美しいのかもしれない。


 そんなことを思っていた霧彌は、ふいに参道の入り口で上品な老女に言われたことを思い出した。日の出前から竹箒で道を掃いていた彼女は、


「帰りの石段には気をつけてお帰りなさい」


 そう声をかけてくれたのだ。


 あの時は、霧彌が視覚障害があることを示す白杖をもっているから、心配して声をかけてくれたのかと思っていた。


 しかし思い返してみれば彼女は、帰りの、と限定していたのだ。まるで、霧彌が帰りがけに困ったことになるのを、わかっていたかのように。


 ———石段……


 霧彌はふいに違和感に気づく。


 ———……ここの石段って……こんなに本殿の真正面にあったっけ……前に来た時には、こんな位置じゃなかったような……


「あ、ほら、あそこ!少しだけ雲が切れてきたわ」


 不意にすぐ横で人の声がして、霧彌は驚いて飛び上がりそうになった。


「ああ本当だ。少しだけど、ご来光が見えるね」


 ドキドキしながら境内を見回すと、いつものように霧がかった視界の中には、突然湧いたように人の姿がいくつもある。


 ———ああ、やっぱりそうだ……


 石段は記憶にある、いつもの場所におさまっていた。そう、この神社の石段は本来なら境内の脇の辺りに繋がっているのだ。そしてその繋ぎ目のあたりにある二の鳥居は、今さらのように思い出せば朱塗りではなく木造りだった。


「残念ねぇ、今日はだいぶ曇っちゃってるから」

「うん、でもまぁ少しは見えたし。こういうのはきっと気の持ちようだよ」


 すぐ隣に立っている夫婦が、そんなことを話している。


「……」


 一応ご来光は出ているようだが、少なくとも霧彌の周りの霧を突き抜けてくるほどの、あの清々しい熱は感じなかった。


 しばらく狐につままれたような気分でぼんやりと立ち尽くした後、霧彌はコン、コン、コン、コン、と石段を降り始める。


 まばゆく暖かいあの鮮烈な初日の出は、夢だったのだろうか。


 そして何度も降りた、あのありえない位置にある石段はなんだったのだろう。


 しかしうたた寝で見た夢と済ませるには、あまりにも感覚的に鮮明すぎた。


 ———もし、あのまま石段の違いに気づかなかったら、僕はどうなったんだろう……


 認識こそが、世界を決定し形作る。それは、まじな霧彌自身のあり様が物語っていることでもあった。


 なにかに気づいて認識した瞬間に、世界の見え方は変わる。石段の違和に気づいた途端、もうひとつの境内が現れたように。まるで迷い子を導く鈴の音のような、あの時老婆がくれた言葉がなければ、もしかしたら戻って来ることができなかったかもしれない。


 今度こそ無事に石段を降りきり、参道の入り口まで戻ってきた霧彌は辺りを見回したが、竹箒を持ったあの人はもういなかった。


 一年の計は元旦にありという。


 もしかしたらこの一年は、少し不思議が多い年になるのかもしれない。そんなことを思いながら、霧彌は一の鳥居を出て家へと向かった。

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エンドレス・スタート(『霧向こうのキリヤ君』①) 喜楽寛々斎 @kankansai

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