040譚 Epilogue


 ケルバンは、西門を出て下った森林の中を歩いていた。

 

 王城は、静けさを取り戻していた。ネヴァンティの部屋へ来る前に、兄弟子のエイルビーが何とかしてくれていたのだろう。そのおかげか、人の出入りもすっかり潜められ、周囲に人影はない。ケルバンは目を覆う包帯を外し、冷たい外気へその黄金の眼をさらした。

 そこは真銀ましろな空間だ。降雪は止み、木々も草花も、そしてあの血の痕もすべて白く染め上げている。空は相変わらずの曇天だ。

 

(殺す。殺さねばならない)

 

 心の内で、ケルバンは何度もその言葉を唱えた。そうまるで、己を戒めるように。ケルバンはそっとその黄金を伏せ、あの日ことを、あの日命拾いしてことを思い起こす。


(あの日、ネヴァンティに拾われたのは実に運がよかった)


 目が覚めれば、自分はティスカールにいた。ネヴァンティが密かに運ばせたのである。彼女にはすでに数人の「協力者」がいたので、そいつに運ばせたのである。その時には既にエイルビーへの説得も終えていたらしい。


 エイルビーは責めた。 

「なんでお前が生きて、ビルギットが死んだんだ」


 同感だ、と思った。

 きっと彼女は途中で、自分の心臓を抉り取るのを諦めたのだろう。そして、彼女の心臓だけを捧げた。何を願って捧げたのか。自分ひとりだけをやり直したい、なんて考えをする女でないことだけは確かだ。

 

(俺だけを。俺だけをやり直し――生かそうなんて、馬鹿だ)

 

 家族のような者たちの命を。

 愛する者を生かしたいという願いを。

 あの黒服の男は、白夜はくや常闇とこやみの神官は踏み躙った。

 

(殺してやる。殺さなくてはいけないんだ)

 熱や悪夢にうなされたのち、体よくもこの体は成長した。背が一気に伸び、声変わりもした。

 このいやに目立つ金色の目元を隠し、髪を染めれば、よほどの知り合った者――それこそ聖騎士のような者たち――でなければ、自分を裏切り者だとは思わない。

 人相書きが出回っているからと言って、その特徴は成長するよりも前のものだから、やはり目と髪を隠せば事足りる。


(あの物知りの老夫も知らなかった)

 家出娘のアラニスを探すべく、立ち寄った小さな村。そこに住む、「物知り爺さん」へ、去り際に尋ねたのだ。白夜と常闇の神を知っているか、と。

 だが知らなかった。

 あのロッカという名の男は伏せていたが――各地を巡る元行商だ。それは事前の調べで知っていた。各地の珍しい物を収拾し、それらを売り歩く。その都度、目新しい情報を片端から見聞きする。そうやって生きてきた男だ。

 だが知らなかった。


(時の操作なんて目立つ力を使う神が、ひとりを除いて何も知られないなんてこと、あるはずがない)


 自分以外にも数は少ないと言えど、神の声を聞くことのできる者はいる。それらすべてをすり抜けてしまうなんてこと、あるだろうか。


(必ず、裏があるはずだ。その裏に、あいつを殺す術が隠されているはずだ)


 必ず暴いて、殺す。そうしなければならない。自分は「失敗」した。してしまったのだから。


 

「ケルバン!」


 己を呼ぶ声に、ケルバンは振り返った。

 赤銅色の肌に翡翠の目をした娘が、長い黒髪をはためかせて走り寄っている。途中で解いたのか解かれたのか、後ろで編んで下ろしておらず、豊かなその濡羽は小さく波打って広がっている。

 

「なんだ」

 

 ケルバンは短く答える。

 それはいつも通りの、感情を感じさせない声。少し歩いて、落ち着きを取り戻したのだ。いつもこうだ。急に感情が昂ぶって訳が分からなって。暫くするとすっとその様相がかき消される。

 何も考えず、目的のためだけに動く。そうすれば、何と呼ぶのかも判らない感情で振り回されることもない。この、何も感じない状態が一番落ち着く。

 そばまで辿り着いたアラニスはゼエゼエと荒い息を溢して、ついと翡翠を向けて言う。

「ひとりでどこかへ行こうとしちゃうから。つい、追いかけたんです」

「……訳が分からない」

 ケルバンはわずかに眉根を寄せる。この娘は時々、よく解らない理由でよく解らない行動を起こす。脅しても脅しても、食らいついてその手を離してはくれない。

 アラニスはへらりと破顔した。

「へへ、そうかもです」

 やはり、十人並みの顔だ。双子の姉と全然違う。初めて人相書きを渡され、「わたしの妹が家出したらしい」と言われた時は、本当にこれが妹かと疑った。とにかく、似てない。目の色は同じだが、そもそも海の国の人間は緑の目の人間が多いので、参考にならない。

 

 ケルバンは小さく嘆息すると、また同じ問いを投げかける。

 

「で、何の用事ようだ」

白夜はくや常闇とこやみの神について、調べに行くんですか」

「そうだ」

「……また、いつもの調子なんですね」

 なぜかむっとするアラニス。何に不満を感じているのかちっとも理解できない。アラニスは呆れたようにため息をつくと、

「わたしの周りって不器用な人ばっかり」

 ケルバンは怪訝な面持ちになる。何をもって不器用と言われるのか。アラニスはぶらぶらと雪の中を歩き、のんびりと声を鳴らす。 

「皆違うけれど。姉さんは勝手にひとりで部族の責任を背負い込んで、相談しないで突っ走りますし。エイルビーさんは素直に弟弟子さんを心配しない。でも、あなたは一番不器用かもですね。そんな気がします」

「何が言いたい」

「きっと、解らないから考えないようにして。でも、きっと優しいから心の奥底で悩んで悩んで。それできっと、爆発しちゃうんです」

「訳のわからないことを」

 

 分からない。判らない。彼女が何を言っているのか、まったく解らない。

 

 すると、アラニスはにっこりと、どこか悪戯っ子のような顔をして笑う。

「わたし、外国人なので難しい単語解りません。箱入り娘なので難しい話は解りません」

「……あんたまたそうやって。困ったらすぐそれだ」

「それでいいんです」

 きっぱりと言い切る。

 アラニスは少し離れた位置まで歩くと、くるりとケルバンの方へ向き直る。

 

白夜はくや常闇とこやみの神官へ復讐なさるんですか」

 

 それが、生きる意味だ。

 家族のような存在だった者たちを、根こそぎ奪ったあの男。顔も素性も知れない、憎きかたき

 

 ケルバンの黄金に、わずかに昏い火が灯る。ゆらゆら、ゆらゆらと。その燃え盛る場所をひっそりと待ち受けて。ケルバンは低く、言い放つ。

「――殺す。俺が殺さねばならない」

 ケルバンは下ろした手を強く、堅く握った。アラニスは一瞬だけ、そんな彼へ哀れむ目を向けた。だがすぐにいつもの、くりくりと愛らしい様子に戻す。

「今はそれでいいですよ。――わたし、ここに残ります。わたしも混ぜてください」

 その申し出にケルバンは思わず、「は?」と言う。グルネの街の「雇いたい」という発言もそうだったが、彼女の発言はとにかく突拍子もなさすぎる。アラニスは大きな翡翠で上目遣いでケルバンを見上げ、言葉を続ける。

「姉さんの手伝いもしたいですし。いいでしょう?」

 面倒くさい。だが、ネヴァンティの手伝いと言われてしまうと、断る理由もない。ケルバンは眉間を親指で押さえ、深々と嘆息すると、静かに言い捨てた。

 

「……勝手にしろ」

 

 気が付けば、鈍色の厚い雲の間が切れて、地平から黎明の光が溢れ出している。目映い、白い、白い光だ。それはどこまでも覆い、照らす。

 

 ケルバンはその垣間見える朝焼けの空を見上げると、静かにまた、歩き始める。

 本格的な冬は、すぐそばまで迫って来ていた。





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ここまで読んでくださり、本当に、本当にありがとうございます。スライディング土下座で感謝申し上げます。一章完結でございます。

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※花野井の都合により、二章以降をいったん非公開にしております。私生活が落ち着き次第、再開といたします。申し訳ございません。

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転生に失敗した聖者は愚者の道を行進する 花野井あす @asu_hana

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