kissから始まる

真朱マロ

kissから始まる

「僕とキスしない?」


 突然言われて、私は目を見開いてしまった。

 付き合ってもいないのに、真田君とキス、なんて。


 からかっているだけだよね?

 問い直したかったけれど、喉に声が張り付いてしまう。


「どうして?」


 しんとした教室に染み込むのは、クスクスと響く真田君の笑い声だけ。

 必要以上に意識してしまって、指先が震えて文字が書けない。

 日誌を提出したら日直の仕事も終わるのに、動揺して記載する手が止まってしまう。

 放課後の教室には私たちの他に誰もいないから、二人でいることに息がつまりそうだった。


 真田君と私はクラスメートだ。

 挨拶はするし、三年間にわたって、なぜか同じクラスだった。

 だけど、特別な会話はしたことがない。


 明るくてとても目立つタイプの華のある真田君と、不器用にコツコツと隅っこで作業する縁の下が似合う私は、はっきり言って別世界の住人だ。

 だから、ずっと同じ教室にいるのに会話なんてしない。

 挨拶はするけど、こうやって日直が重なる日もほとんどないのに。


 キス。

 思わず左手の人差し指で、自分の唇にふれてしまう。


 いつかは誰かとしてみたいと思っていた。

 小説を読んだり、映画を見たり、夢見る気持ちで、いつか私も恋をして……それは本当にふわふわした憧れで。

 希望みたいな淡いときめきだったから。


「私、好きな人としか、キスしない」


 別に宣言なんてしなくていいのに、つい、そう言ってしまった。

 いたずらみたいに軽く誘われるなんて、思ってもみなかったので声も固くなる。

 だけど、真田君はふわっと花がほころぶように笑った。


「なら、いいよね。いつも目が合うの、気づいてる?」


 僕のこと好きでしょ? なんて当然のように言われて、否定しようとしたけど。

 脳裏を駆け抜けたたくさんの真田君の姿に、息が止まってしまう。


 毎日、毎日。

 その横顔も、後ろ姿も。

 確かに私は、真田君を見ていた。


 ちょっとだけ眠そうな登校直後の寝癖を気にしている姿も。

 数式を解くときの眉間にしわを寄せた自習時間の表情も。

 人の輪の中でキラキラした笑顔で輝いている姿も。


 チラチラと目を向けたほんの一瞬一瞬がまるでモザイク画のように集まって、たくさんの真田君が私の中できらめいている。

 正面から顔を見ることはなくても、遠くから見てふわりと光が差す気持ちになるぐらい。

 いつの間にか心のファインダーに焼きつけてしまっていた事に、ひどく動揺してしまった。

 これが、好きってこと?


「教室の中にいても、グラウンドに出ていても、ふとした瞬間に視線がぶつかるからさ。気付いてなさそうだなって思ってたけど」


 気付いてなかった。

 真田君に指摘されるまで自分自身の行動すら自覚していなかったから、急速に輪郭がクッキリ浮き上がる自分が怖い。

 それにそこまで真田君を気にしてるなんて、気持ち悪いと思われそうで、どうしていいかわからない。

 目で姿を追いかけていたことさえ気づいていなかったから、私の気持ちが迷子になる。

 明らかに挙動不審になった私に、真田くんは笑顔を消して真顔になった。


「園田のこと、好きだから」


 好きって言った。

 私のことが好きだって。


 唐突な告白は、衝撃だった。

 真田君の言葉が頭の中をクルクルと踊りはじめる。

 私自身ですら自覚なかった気持ちを勝手に想像しながら、真田君の気持ちがある好きを投げてくるなんて。

 やっぱり、どうしていいかわからない。


 ううん、本当はわかってる。

 真田君の「好き」を受け取ればいいだけなのだ。


 だけど、返事のしかたがわからない。

 思わずうつむいてしまう。


 真田君の大きな手が、私の頬にふれた。

 こぼれ落ちてきた私の髪の毛を後ろにすくい上げ、そっと耳にかける。

 指先は離れずに頬をたどり、そのままあごを上向かせるぬくもりに戸惑った。

 真田君、と呼びかける声を思わず飲み込んでしまう。


「嫌なら逃げていいよ」


 そんなこと言われたら、目を閉じることしかできない。

 真田君はすぅっと顔を近づけてきた。


 吐息が、頬にかかる。

 反射的に身を引きかけたけど、あごに添えられた手が許してくれなかった。


 触れる唇。

 お互いに、震えていた。


 ああ、真田君も戸惑ってるんだ。

 そう思うぐらい触れ合うだけで、でも離れがたくて。


 もう少しだけちゃんと触れたい。


 もどかしさを残して、ぬくもりが離れたので目を開ける。

 横を向いた真田君は不自然に耳まで赤くなっていた。


「ねぇ」と顔を覗き込もうとしたら、そのまま背中を向けてしまう。

 照れているのがはっきりわかる耳の赤さに、私は思わず笑ってしまった。

 自分からぐいぐい攻めてきたくせに、実行したら挙動不審になるなんて。


 どうして? と思うよりも可愛い。

 ツン、と指先で背中をつついた。


「私も、真田君、好きよ」


「知ってる」と返ってきた声が裏返っていた。


 照れたり、恥ずかしがったり、なんだか意外だけど。

 今まで知らなかった真田君の姿で、胸がいっぱいになる。


 きっとこれが愛おしいという気持ち。


 私の恋は、キスから始まる。

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