天使に繋がる公衆電話
石田徹弥
天使に繋がる公衆電話
『0123456789』の後ろに『自分の生年月日』を押したら、天使に繋がる。
必要なのは、公衆電話からかけることだ。そう学校で噂になった。
いわゆる都市伝説だろう。だからこそ面白可笑しく話せるし、実際に試してみる人間はそこまでいない。
やるのは好奇心に背中を押された暇人だけだ。
僕は番号を順番に入れたあと、『自分の生年月日』を入力した。
数が減ったとはいえ、都内にはまだまだ公衆電話は存在していた。
三回コールが鳴った後、カランと硬貨が中に落ちる音がした。
ツーっと高い音が続く。
それ以外には何も聞こえない。
やっぱりただの馬鹿げた噂だったと思い、僕は受話器を戻した。
狭い電話ボックスから出ると、街の電気が全て消えていた。明かりが灯っているのは僕がいるボックスの中だけだった。
停電だろう。そうに違いない。
ひた。
音がした。
背中に悪寒が走り、急激に恐怖が体を駆け巡った。
僕はゆっくりと音のしたほうへ顔を向ける。
……何も聞こえない。
耳を澄ませても、僕の鼓動音しか聞こえない。気のせいか。
ひた。
いや、確かに聞こえる。それだけではない。
暗闇の中に、何かがいる。
ひた、ひた……ぐちゃり。
恐怖で呼吸が浅くなった。喉が渇く。
暗闇の中から、顔が浮かぶようにして現れた。
血の気の無い、美しい女性の顔。
そしてその後ろには蠢くナニカ。
肉。
肉だ。
肉が詰まった、袋。学校のプールに、水の代わりに皮を剥いだ肉体を入れ、空中に浮かべたような、肉の袋。その先端に、女の顔は生えていた。
「私になにをしてほしいの?」
顔が微笑むと、僕は恐怖で腰を抜かし、地面に倒れた。
ぞり、ずるり、と肉の袋が顔を連れて僕に近寄った。
「ごようはなあに?」
血と臓物の匂い。同時に、女の化粧のような甘ったるい香り。
女の顔は優しそうな微笑みを浮かべている。しかし、それにわずかながらも暖かみを感じることはできない。
微笑んだまま引きはがした女の顔を、そのまま乗せているだけのような。
「あ、あの……あの」
言葉が出ない。
だが「いたずらだったんです」などと言えば、死ぬより恐ろしい目に合う。それだけはどうしてかすぐさまに脳が理解した。
「テストで、一番になりたい……」
自然と口から出た。それは本当のことだった。
来週には期末テストが始まる。だが、親はもう僕に期待はしていない。これが息子の実力。そう諦めた顔をしたのは、一度や二度では無かった。
だからこそ、今の僕にとっての心からの望みだった。
「いいよお」
顔はさらに微笑んだ。口の端が、耳まで裂けたように引き上がる。
ゴボゴボと便を流したような音がした。見ると、顔の後ろにある肉達が蠢いた。
血管が、肉が、骨が、掻きまわしたシチューのように肉の中を泳ぐ。
「一つだけ、条件があるの」
顔は言った。
「お父さんとお母さん、どちらがいい?」
「……え?」
「どちらがいい?」
有無を言わさない。
「じゃあ、お……お父さん」
顔は何か少し思案するように止まったあと、ゆっくりと頷いた。
すると肉の袋からいくつもの金色に光る羽根が不揃いに生え、羽ばたいた。同時に、肉の袋が弾けた。
中から吐しゃ物のように肉と骨が溢れ、僕を飲み込んだ。胃液のような、はたまた糞便のような臭いに包まれた。
肉と骨に包まれ、流される僕は空を見た。
そこには大きな光輪が浮かんでいた。
光輪は回転し、光を強め、そしてパっと割れるようにして消えた。
気が付くと、僕は公衆電話を見つめていた。
ハッとしてあたりを見回すと、先ほど入っていた電話ボックスだった。何も不思議なことはない。
外に足を踏み出すと、街には何事もなく明かりは灯っていた。
幻覚だったのだろうか。
しかし、公衆電話に入れた硬貨は戻ってこなかった。
翌週の期末テストで、なぜか僕は満点を取り学年一位となった。
テスト自体は、答えがわかるようなこともなく、いつものように悩んで悩んで解いた。
それが全て正解していたのだ。
僕はあの時のことを思い出した。僕があの顔のある肉の袋に差し出したのは「お父さん」だった。
だが、僕には父はいない。
僕が小学生の時に事故で亡くなっている。
帰宅して、母にテストの事を伝えると、「やったね」と頭を撫でてくれた。
こんなに優しく褒めてくれたのはいつぶりだろうか。
夕食は僕の好きなから揚げだった。だが不安が残る僕は、あまり食欲がなかった。
「どうしたの? お腹痛い?」
僕は首を横に振って、笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ」
「ほら、冷めちゃうから」
僕は頷いてから揚げを頬張った。いつもの味だ。しみ込んだ味が油とともに口の中に広がった。食欲が戻ってきた。
あれは幻覚だったのだ。テストも、山勘が当たった。それだけのことだ。
僕は二つ目のから揚げを口に入れた。
玄関が開いた音がした。
僕はから揚げを口に入れたまま、固まった。
「あら、今日は早いわね」
母が立ち上がった。
「お父さんも、きっと喜んでくれわよ」
母は微笑んだ。
台所の扉が開いた。
入ってきたのは、見知らぬ男だった。母と同じくらいの年齢で、スーツを着ている。
顔は……どうしてか認識できない。特徴があるようなのだが、それが何なのか脳に入っていかないのだ。
男は母から話しかけられると、僕の前に立った。
「山からそこで柿を述べたのは興味?」
僕は何も答えられない。男の言葉が理解できない。
「紫ガニと公園は狂った!」
男は続けた。
母は恐怖で動けない僕を見て笑っている。
「一位なんて取ったから、自分でもびっくりしてるんでしょ。ねぇ?」
男が母にも何か話かけた。理解できない言葉を。
しかし母はちゃんと理解したように、頷いた。
そして僕に向かって言った。
「天使様に嘘をついた」
僕はびっくりして立ち上がった。
二人が僕を見つめた。
二人から表情が消えていた。
二人が口を大きく開くと、その中から公衆電話のベルが鳴り始めた。
そして二人はゆっくりと、口から音を鳴らしたまま歩み寄ってきた。
僕は二人を押しのけて駆け出すと、靴も履かずに家を飛び出した。
外に出ると、住んでいるマンションだけではない、視界に入る街全ての電灯が一斉に消えた。
エレベーターが到着する音が響いた。
僕はゆっくりとそちらを見る。
真っ暗だ。
何も見えない。
音が、した。
ひた、
天使に繋がる公衆電話 石田徹弥 @tetsuyaishida
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