更新日時 3時間前

 ゆっくりゆっくり、割れそうで割れない小さな水泡が深海から吐き出されるように、僕は目を覚ました。

 まるで覆いつくさんとするかのように、目元を真っ赤にして泣きはらした母と、厳しい渋面ながらどこかほっとした表情の父が両脇にいた。僕の名前や早口で何かを告げているようだが、まるで分厚い壁を隔てているかのように上手く聞き取れない。


(……あれ、ここは……)


 いつも通り身体を起こそうとするも、指先すら動かないのに気が付いた。そして、よくよく周りを見てみると、ゴミと煤とガムテープまみれの彼女の部屋ではなく、明るく真っ白で清潔な病室。

 まるで重病人のように呼吸器をつけながら、僕は死んだようにベッドへ横たわっていた。


「わたしが……わたしが全然この子に構ってあげなかったから……」


「……お前だけのせいじゃない。俺も仕事ばかりで、家庭を顧みなかったから……」


 耳障りな電子音と共に、両親のさめざめとした声が聞こえてくる。


「……で、自殺なんて」


 その母の言葉に、僕の心臓がドクンと嫌な音を立てて跳ね上がった。

 少しずつ動くようになった右手を持ち上げ、母に伸ばす。


「……彼女……彼女は? 僕の……」


 言葉に詰まる。どうしてか、名前が出て来ない。

 一挙手一投足、姿はありありと思いだせるのに。声も、会話も、何もかも覚えているのに。

 必死の形相で母にせがみ、僕のスマホを返してもらう。そしてツブヤッターを起動し、彼女との思い出履歴をタップした。

 アカウント名、本文の彼女の名前が全て『#あの世希望』になっていた。

 その瞬間、昼間なのにカーテンを閉め切り、充満してゆく薄煙、床に散らばる市販薬の箱。息苦しさと、まともな思考が出来ない中、わらう彼女との最後の会話を思い出した。


『なんだ、君はあたしの願い、叶えてくれないんだ。ホント退屈で、つまらないね、君』


 鮮明になる記憶と共に、僕は絶叫しながら腕に刺さる点滴の針を抜き取り、自らの首に突き刺そうとした。

 すんでのところで両親に抑えられ、本能のまま暴れて叫ぶ僕は、気付けばベッドに縛り付けられていた。


 ――ああ、どうしてあの時、迷ってしまったのか。嫌だ、彼女を誰にも渡したくない。ごめん、もう一度、次はうまくやるから。

 

 自らの手で終わることが出来ない永遠の中、僕は声にならない声で『死にたい』と叫び続けた。

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