夢追い人のビター&スイート
坂本 光陽
夢追い人のビター&スイート
「アスカ、俺たちって今、迷走してるよな」
「ま、それ以外の何物でもないよ。ケージ」
ケージは漫画原作者の卵、アスカは漫画家の卵。二人とも業界のスタートラインに立ったばかりである。
場所は、毎度おなじみのファミレスだ。世話になっている出版社の近くにあるため、編集者との打ち合わせに使うことが多い。場合によっては半日居座ることもある。
今日も昼すぎから編集者の鳥飼と丁々発止を展開し、打ち合わせは夕方に終わったのだが、そのまま二人だけの話し合いに突入した。入店から既に、6時間が経過している。
ケージは苛立たしさを隠しもせず、
「
「そう言うなよ」と、アスカはたしなめる。「僕たちのネームが面白けりゃ、それで済んだ話だろ。こっちは編集さんを選べない。文句ばかり並べていないで、もっと生産的に考えよう」
「俺はアスカほど達観できないね」
「だったら、どうする。これまでやってきたことを放り出すのか?」
「いいや、せっかく、ここまでネームを仕上げたんだ。他所の編集部に持っていこうぜ」
ケージがきっぱり言い切ると、アスカは目を丸くした。
「本気かよ。鳥飼さんを裏切るのか? 新人賞をとらせてくれた恩人なのに」
「この際、そういったことは棚に上げておく。鳥飼さんは給料をもらってるからいいが、俺たちは収入ゼロでやってんだ。図太くやっていかねぇと、てっぺんはとれねぇ。腐れ縁はここで切って、とっとと次のステージに行こうぜ」
「声を抑えろ。誰かに聞かれたらどうする」
「大丈夫だろ。ここ、ガラガラじゃねぇか」
「コーヒーのお代わりは、いかがですか?」
絶妙のタイミングでウエイトレスが声をかけてきたので、二人はそれぞれのカップを差し出した。しばし居心地の悪さを味わう。
ウエイトレスが立ち去ると、アスカが先に口を開いた。
「とにかく、もう一度、鳥飼さんに見てもらおう。それでも、まだ直しを言ってくるようなら、提出先を再検討。それで、どうかな」
「本音を言うと、原作はこれ以上いじるのは気が進まん。よくなる気がしないんだ。あちこちいじり過ぎて、前半と後半で別のストーリーになってる。結局、初稿が一番よかったんじゃねぇかな」
「そういうことは僕じゃなくて、鳥飼さんに直接いってくれないかな」
「言えるかよ、そんなこと。そもそも、聞く耳もたないぜ。鼻で笑われるのがオチだ。はっきり言うけどさ、俺、鳥飼さん、苦手なんだよ」
「ケージ、そのしわ寄せが、どこにいくか、わかっているよね。ネームに仕上げる僕に、みんな覆いかぶさってくるんだよ」
「仕様がないじゃねぇか。鳥飼さんが、朝令暮改なんだから。すべて場当たり的で、ちっとも前に進まないんだから」
この数時間で何度、このやりとりを繰り返しただろう。徒労感にさいなまされ、二人は黙り込んでしまった。他の編集部に持ち込むのは、ケージなりに考えたブレイクスルーだったのだが、アスカは思いのほか乗り気ではなさそうだ。ケージとしては、頭を抱えるしかない。そして結局、いつものようにアスカが妥協案を提示するのだ。
「わかった、ケージ。原作の修正はいいよ。僕一人でネームを直す。ガラッと変えてしまうかもだけど、そこは認めてもらえるかな」
「変えるんなら、必ず、原作より面白くしろ。あと、キャラクターを根本的に変えるのは厳禁だ。俺のまとめた設定案に準じてくれ」
アスカは少し考えこみ、
「了解。とりあえず、持ち帰って練り上げてみるよ。出来上がったらメールで送るから、意見を聞かせてくれ」
ケージは冷えたコーヒーで喉を潤し、
「俺は新しい原作を書く。鳥飼さんに見せるにしろ、他に持っていくにしろ、オプションは多い方がいいだろ」
「お互い、前向きになれたところで、お開きとしますか」
アスカはウエイトレスを呼んで、支払いを済ませた。
二人が外に出ると、ビル街は漆黒の闇に沈んでいた。無言のまま、トボトボと最寄り駅に向かう。
「お客さま、ちょっとすいません」
背後から声をかけてきたのは、ウエイトレスだった。
「ああ、すいません。僕たち、何か忘れ物をしていましたか?」と、アスカ。
「いえいえ、そうじゃなくて、あのう、サインをお願いできませんか」と、開いたノートとボールペンを差し出してきた。
アスカは
「きみ、僕たちのこと知ってるの?」
「先々週のヤンマンを見ました。『ビター&スイート』のアスカケージ先生ですよね。作画担当のアスカさん、原作担当のケージさん、お二人で一つのペンネームとは知りませんでした。あ、すいません、打ち合わせ中のやりとりが耳に入っちゃって……。別に、盗み聞きをしたわけじゃなくて」
しどろもどろになるウエイトレスに微笑みながら、ケージもサインを書き加える。
「サインをするのは初めてだから、きっと将来、値打ち物になるよ」
ウエイトレスはノートを胸に抱き、
「ありがとうございます。お二人とも頑張ってください。あのう、私の弟たちも漫画家志望なんです。あつかましいんですが、お二人から何か、アドバイスをいただけませんか?」
二人は顔を見合わせた。
「決して、あきらめないこと」と、ケージ。
「とにかく、描き続けること」と、アスカ。
その言葉はそのまま、二人に跳ね返ってきた。自分の言葉に勇気づけられたのは初めてだ。読者という存在。後から追いかけてくる未来の仲間たち。その両方を実感できたのも初めてである。
帰り道の足取りが軽くなったことは言うまでもない。
鳥飼と編集部のGOサインが出て、新作読み切りの掲載が決まったのは、二ヵ月後のことである。
男性ピアニストを主人公にしたラブコメであり、タイトルは、『スタインウェイでコンサート』。後の大ヒット作の原型とされており、ファンの間では敬意を込めて、『スタート』と呼ばれることになる。
了
夢追い人のビター&スイート 坂本 光陽 @GLSFLS23
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