朝日向火乃香と義理の父親②
「――
裸を見た
ビクリ、とわたしは身体を震わせ瞼を塞いだ。
朝日向さんは肩を掴んだまま膝を折って、わたしの顔を見上げるように目の高さを合わせた。
「女の子がそんなことを言うものじゃない。君の心も体も、お母さんがくれた君の宝物なんだから。もっと自分を大事にしてほしい」
悲しそうな顔で説教する朝日向さんに、わたしは何と答えて良いか分からずその場から逃げた。
わたしは近くの公園で一人、呆然と声も出さずにベンチに座っていた。
悲しみなのか怒りなのかは分からない感情が胸に渦を巻いていた。
朝日向さんを憎む気持ちはこれっぽっちも無かった。ただ初めての経験に、わたしの心が追いついていなかった。
「こんな時間に、なにしてるの?」
項垂れる頭の向こうから、男の人の声が響いた。顔を上げると目の前に男の警察官が立っていた。
「いま一人? お父さんやお母さんは?」
張り付けたような笑顔で、警察官はわたしに質問を重ねた。だけどその笑顔が怖くて、わたしは一目散に逃げだした。捕まったらお母さんに怒られると思った。
警察官は一瞬遅れてわたしの後を追いかけた。でもわたしの方が早く公園の出口を抜けて歩道に飛び出した。
近くには横断歩道があったけど、そこまで行くと捕まってしまう。わたしは車道に飛び出した。
あともう少しで反対側の道に渡れる、その時だった。左折車が横切るわたし目掛けて突っ込んできた。ビームライトに照らされて、頭の中が真っ白になった。
「危ない!」
その声が響いたと同時、わたしは強く腕を引かれた。気付けばわたしは、強く柔らかい感触に包まれていた。
夜の空に響くクラクションの音で、私はようやくと我に返った。
わたしは胸に抱かれていた。倒れる朝日向さんの胸に、強く抱きしめられていた。
朝日向さんが轢かれそうになるわたしの腕を引いて助けてくれたのだ。
後にも先にも、この時以上に『危機一髪』という言葉を体感したことは無かった。
「ほ……火乃香ちゃん、怪我はない?」
顔に擦り傷を作りながらも、朝日向さんは真っ先にわたしを気遣ってくれた。わたしが首を横に振ると、朝日向さんは「良かった」と笑ってくれた。
追いかけてきた警察官に朝日向さんはすごく怒られていた。わたしのせいなのに、朝日向さんは「すみません」と平謝りするばかりだった。
「ちょっと、買い食いでもしちゃおうか」
警察が去った後、朝日向さんが笑って言った。家とは反対方向に歩き出した。
「お待たせ、火乃香ちゃん」
朝日向さんはコンビニでドーナツと紅茶を買った。近くのベンチに座ると、わたしにそれを渡してくれた。
甘かった。
美味しかった。
嬉しかった。
言葉に出来ない感情が胸の奥に湧き上がった。
甘いはずのドーナツが、何故か少しだけ塩っぱく感じた。
朝日向さんは、何を言うこともなくわたしが食べ終わるのを待ってくれた。
「そろそろ行こうか」
わたしが食べ終わったのを見計らい、朝日向さんは静かに立ち上がった。
並んで家に向かう途中、朝日向さんの大きな手が何度もわたしの視界に入った。
だけどわたしは手を触れなかった。甘えてはいけないと思った。朝日向さんに触れてはいけないのだと思った。
家に帰ると母は相変わらずお酒を飲んで、朝日向さんに『子供じゃないんだから、放っとけば帰ってくるのに』と無関心だった。
そんな母も3年の歳月を経るに連れて少しずつ変わっていった。声と性格が明るくなって、以前より笑うようになった。
これも朝日向さんの影響だろう。
もしかすると、いつかわたしも普通の家族みたいな生活が出来るのだろうか。そんな似合わない妄想をしていた矢先。
旅先で二人は事故に遭い、亡くなった。
遅ればせの新婚旅行だった。朝日向さんの提案で、わたしの高校受験が終わるまで出発を見送っていたらしい。
涙は、出なかった。
やっぱりわたしは焚き火だった。揺らめくだけのただの炎は、他人のために流す涙なんて持ち合わせてないのだ。
それから間もなくして、わたしは朝日向さんの息子と……
その日、わたしはただの炎でなくなった。
彼との出会いが、この『火乃香』という名前の本当の意味を教えてくれたから。
-------【TIPS:朝日向火乃香の一口メモ】-------
朝日向火乃香です。このたびは拙作をご覧いただき、ありがとうございます。こちらのお話は『最近できたクールな義妹が可愛すぎて俺は今日も誘惑に負けそうです』というお話の外伝(前日譚)です。
義兄と出会った後のお話は以下のリンクから御覧いただけます。こちらの外伝みたいに重い雰囲気のお話ではないですが、良ければ御覧になって下さると嬉しいです。
改めまして、最後まで御覧くださりありがとうございました。
またお会いできると嬉しいです。
最近できたクールな義妹が可愛すぎて俺は今日も誘惑に負けそうです【前日譚】~朝日向火乃香と義理の父親~ 火野陽登《ヒノハル》 @hino-haruto
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