第5話
息を止めると自分の鼓動が聞こえた。
うるさいな、と思う。静かにして、と叱る。
窓を閉めておけばよかった。時折過ぎ去る車の走行音や通行人の話し声がやけに耳に響く。いつもは何も気にならないのに。
テーブルの中央に置いたスマホをじっと見つめた。
明るさを最大に設定した画面には大草原が広がっており、中央に橙色のニンジンが置かれている。私は瞬きも止めてそれを見張る。
少し経つと、画面の端からひょっこりと真っ白なウサギが顔を出した。そして辺りを警戒するようにきょろきょろと辺りを見回してから、一目散にニンジンへと駆けていく。
私は動いた。
音を立てないようにそっと、しかし力強く弓を引き絞る。矢尻をニンジンに夢中になっている標的へと向け狙いを定めた。
絶対当てる。
胸の内でそう呟いた。
――新しい恋を射止めて、昔の恋を撃ち抜いてやる。
私は静かに指を離した。
解き放たれた弦に運ばれた矢が弧を描きながら飛んでいく。
『おめでとうございます! マッチングが成立しました!』
色鮮やかな画面を確認して、私はようやく息を吐いた。
やった。ついにやった。
私はついにウサギを捕まえたのよ。
喜びのあまり麻奈美に連絡しようとスマホを触ると、見知らぬポップアップが表示された。『IT』からの通知だ。
――メッセージが届いています。
胸の奥がどきりと動いた。
画面をタップし、おそるおそるメッセージ画面を開く。
『はじめまして。マッチングありがとうございます。よろしくお願いします』
写真でしか見たことのない彼からのありふれた初対面の定型文。それを読んで私は少し笑ってしまう。
そうだよね。ウサギを捕まえて終わりじゃない。
むしろ、ここからだ。
『はじめまして。こちらこそよろしくお願いします』
可も不可もない挨拶文を打ち込む。
……でも、これでいいのかな。ちょっと変わった挨拶のほうが彼の印象に残るかも? いやでもまずは無難なほうが好印象かしら。
書いては、消す。
消しては、書く。
ラブレターでも書いてるみたい、と可笑しくなってまた笑った。
開けっぱなしの窓から風がそよぐ。前髪が揺れて額をくすぐる。送信ボタンはまだ押せない。
その風は、薄っすらと緑の香りがした。
(了)
射止めて撃ち抜く家ウサギ 池田春哉 @ikedaharukana
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます