答え合わせ
前日前夜の冷え込みが嘘の様な、温かな昼下がり。
教会の応接室には、対面して座るシスターブロンシュとヴィクトーの姿があった。
二人は、終始穏やかな雰囲気で言葉を交わす。
「では、私どもがお邪魔した日も、いつもの様に、信者の方々のお悩み相談を受けていたのですね?」
「その様な大それたことでは。ちょっとした雑談です」
ヴィクトーは、持参した鞄から写真を取り出し、机に置いた。
「この方とも、お話しされましたか? あの時、礼拝堂にいらっしゃったので」
「ええと。……ええ。確か、不眠で悩まれていた方かしら?」
「不眠で……なるほど。その他に、何かおかしな言動はありませんでしたか?」
「いえ、全く。眠れないのならと、確か……」
「こちらの本を、お譲りになったのでは?
ええ。彼女の書棚を調べたのですが、この本だけ、他のものと毛色が違いましてね?」
写真の横に置かれた小説を見て、シスターは柔らかく微笑んだ。
「そうだったかもしれません」
「その時、彼女に何か、お話しなさいましたか?」
「ええ。貴女にも神のお導きがあります様に、と」
シスターブロンシュは、花のように微笑む。
ヴィクトーは、目を細めて小さく頷き、立ち上がった。
「……お時間を頂き、有難うございました。
いずれまた。シスター ブロンシュ」
「ええ。道には気をつけてお帰り下さい」
◆
「鑑識によると、昨晩惨殺された女性の殺傷痕は、連続殺人の被害者のものと同様で、テオ=モローの受けた傷跡とは一致しませんでした。
また、テオの鞄からこの女性の血液が付着したコート、手袋、凶器のナイフが出たことから、これまでの連続殺人は、テオの犯行と見て間違いないでしょう。
ロラ=マテューは、夫が殺人犯と知り無理心中をはかったもの、と言う見解で宜しいですかね」
「被疑者死亡での幕引き。後味の悪いことですね」
ため息を吐きつつ応じる上司に、ニコラは苦笑いを浮かべる。
「それは、まぁ。
でも、これ以上被害が増えないのは、喜ばしいですよ」
「そうでしょうかね。
私は気に入りませんが、仕方なしに調書をまとめるとしましょう」
「うへぇ。それが一番大変だ」
悶絶するニコラに机の上に、ヴィクトーは持って来ていたファイルを並べ始めた。
「はぁ。ところで、この事件に教会は、あまり関係なかったわけですけど、シスターに会いに行った理由は、結局ただの注意喚起だったわけですよね?
大した情報も取れなかったし、また、取る気もなかったようですし?
確かに魅力的な女性とは思いますが、仕事中にわざわざ。職権濫用も良いところだ。ねぇ?係長」
「だから君は、考えが浅いと言われるのでは?」
「はぁっ?」
「これは、ロラ=マテューの枕元に置かれていた小説で、事件の数日前、シスターブロンシュが彼女に譲ったものです。
ニコラ君は、読書は好きですか?」
「好きでは無いですね」
「でしょうね。
君が小説を読んでいる姿は、想像できません。
ああ、一方的に君を侮辱するつもりはないですよ。かく言う私も、恋愛小説に興味はないので。
参考までに、課の女性に聞いたところ、巷ではハッピーエンドが好まれるそうです」
「は? 何の話です?」
「まぁ、最後の章だけで良いですから、それを読んでご覧なさい」
ニコラは渋々本を手に取ると、最後の章を読み始め、数分後眉を顰めた。
「え……これ」
「見た目上バッドエンド。但し、他の人には理解出来なくとも、二人だけは幸せでした。
メリーバッドエンドと呼ばれる終わり方だそうですよ。
まぁ。実際の事件において、殺害された側が真に幸せだったのかは、闇の中ですけどね」
「こんな……いや。でも、まさか、これがきっかけで?」
「まず、教会に行った時点で、ロラは夫が連続殺人の犯人であると気づき、悩んでいたと仮定します。
彼女は、元々信心深く、思い込んだら一直線な人だと、彼女の上司が仰っていました。
その彼女が、このような精神的に追い詰められた状態で、信頼できる相手から『これが救いだ』と差し出されたら、どうでしょう」
「それで、作品に沿って犯行に及んだと? 」
「但し、シスターは本を譲っただけ。
運任せな部分も有りますし、殺す様に命じたわけではないですから、教唆を主張しても、まぁ、こちらが負けますね」
「いやいや! 流石に飛躍しすぎっていうか。
第一、ロラに夫を殺させて、シスターに何の得が?」
「単純に得で考えるならば、教会の運営資金が、信者の寄付で賄われていることが挙げられますが、それが直接的な理由ではないと、私は考えます。
思い出してみて下さい。我々が教会に行った時のことを。
我々が帰ったあと、シスターは、礼拝堂にいた人々の悩み相談に応じていました。
あの時、礼拝堂に居たのは、ロラの他は、連続婦女殺人事件の被害者遺族だけです。
彼女の信じる神は、果たしてどちらの味方をしたのでしょう? 」
「う。でも、偶然ってことも……」
「それが、この一回きりなら、『偶然が重なった不幸な事件』なのでしょうが……何れにせよ、今回は私の力不足です」
ヴィクトーはため息を落とす。
「そう言った理由で、私は彼女を見張っているのです。こういうきな臭い事件の時は、欠かさずに。
なかなか尻尾を掴ませてくれませんがね。
君は純粋ですから、間違っても彼女に近づかない方が良いですよ」
ヴィクトーは、窓から見える丘の上の教会を仰ぎ見た。
そのシスターは丘の上の教会にいる 丸山 令 @Raym
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます