交換ごっこ

あさの

交換ごっこ

1 交換ごっこ

 あるところに、とよとこの森という大きな森と、その周辺の村がありました。そこでは動物たちがめいめい自分の仕事を持って暮らしていました。

とよとこの森の村で暮らす、きつねとうさぎのお話です。

きつねとうさぎは、それぞれの大切なものを交換することにしました。そのきっかけはある朝のことでした。

 きつねは植物を育てるのが好きなので、毎朝自分の植木鉢に水をやっています。そこへ通りかかったうさぎが言いました。

「きつね君、そんな地味な仕事楽しいのかい」

 きつねは自分が楽しくてやっているのですから、腹が立ちました。

「ああ、楽しいとも」

 そしてじょうろをうさぎに押し付けました。

「やってみろよ、楽しいぞ」

 うさぎはじょうろを受け取って水やりの続きをしました。何が楽しいのか、ちっともわかりません。

「なあ、申し訳ないがさっぱりなんだ。何が楽しいのか、教えてくれよ」

「いいとも」

 きつねは植木鉢の前にしゃがみ込みました。

「ここにキンギョソウがいるだろう。なんて美しいんだ。僕はこの花を見ているだけで幸せなんだよ。この花が開いて、しぼんで。そういう毎日の変化を見るのが幸せなのさ」

 わかったかね、ときつねは鼻を膨らませて言いました。

 うさぎは困っている様子です。この、何が楽しいのでしょう?



 じっと考えて、きつねは何か思いついたようにぱっと立ち上がりました。

「そうだ。植物は毎日の違いを見るのが楽しいんだから、一日やってみるだけじゃあわからないさ」

 そこでだ、と、きつねは指をぴんと立てて言いました。

「僕の楽しいこととうさぎ君の楽しいことを交換しよう。期限はそうだなあ、一か月がいい。一月もしたら僕の植物の美しさが分かるはずさ」

「一か月も! それでは僕の趣味の絵を君が描くというのかい」

「そうさ」

 うさぎは驚いて飛び跳ねました。

「僕の絵はとっても精密なんだ。最近は川なんかを描いているけれどね、自分の見た通りに描けたらとっても嬉しいものさ。その絵を君が続きを描くというの?」

「そうさ」

 うさぎは、嫌だなあと思いました。

 自分の大切にしているものには誰にも触れてほしくないものなのです。うさぎにとっては。でも、きつねの考えは違うようでした。

「僕の育てている植物の美しさを君にも分かってほしいんだ。これは僕のわがままだね」

 きつねは腕を組んで首をかしげました。これはきつねが困っているときのしぐさです。

「分かった、分かったよ」

 観念してうさぎが言いました。

「君の仕事を引き受けよう。僕の絵を、頼んだよ」

「そうこなくちゃ」

 きつねはとても嬉しそうに言いました。

「でも僕の条件を一つのんでくれるかい?」

「なんだい」

「一か月育てた植物を、ひとつ僕にくれよ。僕はいま描いている川の絵がある。その続きを君に託すよ。一か月描き続けた絵は君のものにしていい。どうだい」

「そうかあ……」

 きつねは思い悩んでいる様子でした。

「わかったよ。僕も本気で君の好きなことを引き継ぐよ」

「よしきた」

 うさぎは嬉しくなりました。このくらいの心づもりがないと、大切なものは渡せません。



 これで、交換の約束が決まりましたね。

 きつねは息巻いています。

「まず、僕の仕事を教えよう」

 きつねが言いました。

「僕の仕事は、毎朝この植木鉢に水をやることさ」

 植木鉢は二つあり、ペチュニアとキンギョソウがそれぞれ植わっていました。

「水をやって、昨日と花の違いを見るのさ」

 依然、楽しさが分からないままですが、言われた通りにうさぎは水やりの続きをしました。

「雨が降りそうになったら、鉢を室内に入れてやるんだ。雨にやられたり、風で鉢が倒されたりしたらいけないからね。これで僕の仕事の説明はおしまい」

と言って、きつねはぱんぱんと手のひらをはたいて汚れを落としました。

 うさぎもそうしました。

「では、次は僕の仕事を説明しよう」

 と言って、うさぎは自分のアトリエに向かって歩き出しました。

「まっておくれ、鉢を一つ持ってよ」

 きつねは、鉢を二つ抱えていました。

「ああ、そうだった、そうだった」

 きつねがキンギョソウを、うさぎがペチュニアを抱えて歩き出しました。



 うさぎのアトリエはアパートの二階にあります。自分の部屋がアトリエなのです。

「ここで僕は絵を描いている。これがいま描いている川の絵だよ」

 うさぎは川の絵を見せました。それは二人の良く知っている近所の川でした。絵は全体的に色が薄く塗ってあり、中央を水色の線が横切っていました。

「この写真を見て描いているんだよ」

 うさぎは一枚の写真を手に取りました。そこには、春の川の様子が写ってありました。ふきのとうとアカツメクサが咲いていて、土の匂いが立ち込めてきそうでした。

「この写真は一か月前に撮ったものでさ。すごく天気のいい日でね。そうだ、コーヒーでもいれよう」

 ありがとう、ときつねは言いました。うさぎは話し続けます。

「次の絵のモチーフを探して散歩してたんだ。カメラを持って。きつねくん、ミルクは?」

「入れてほしいな」

「オーケー。それでさっきも言ったけれど、天気が良くてさ。いつもの川が違って見えるくらい。これは描かなくちゃって思ったね」

 やかんがしゅうしゅういっています。

「描かなくちゃって?」

「そうさ」

 うさぎはコンロの火を止めました。インスタントコーヒーをいれます。コーヒーのいい匂いがしました。

「どうぞ」

 うさぎがきつねにコーヒーを渡しました。

「どうも。ああ、おいしい」

「そうだろう」

 うさぎは少し居直って、

「描かなくちゃって思ったね。気に入った景色があると描かずにはいられないんだ」

 と言いました。

「画家だね」

「それ以上の誉め言葉はないよ」

 うさぎは照れて頭を搔きました。

「続きを描いてくれ。僕のお気に入りの景色だ。頼んだよ」

「責任が重大だ」

「今さら気づいたのかい」

 二人は静かにコーヒーを飲みました。二人とも、自分の大切なものに心でお別れを言っていました。



「それではこの写真と絵を持って行ってくれ。画材も貸すよ。リュックを使うといい」

 きつねは小柄なので、リュックサックの重さに負けてしまいそうです。

「ありがとう」

 きつねは一つお礼を言って部屋を出ました。そうして、暗くなってきた道を一人で引き返しました。



2 きつねの夜

 きつねは、自分の部屋に荷物を運び入れ、ぼうっと窓の外を見ていました。外はもう暗くなり、月や星がめいめい自分の仕事をしています。

「僕はなんてことをしてしまったのだろう……」

 きつねは、自分の部屋へ戻ると寝るまでの間、ペチュニアやキンギョソウに話しかけることが日課でした。話しかける人のいなくなったきつねは途方にくれました。

「僕はね、ただ、花の美しさを分かってもらいたかったんだ……」

 ぽつりと独り言を言います。すると、青白く輝く星が話しかけました。

「ねえ坊や。きっと寂しいのね。私が話し相手になりましょう」

 きつねはびっくりして窓から乗り出しました。初夏の空にひときわ輝く星が見えます。その星はおとめ座のスピカ、真珠星でした。

「お星さま。僕はきつねの子です。お兄ちゃんと二人で暮らしているきつねです。僕は、意地を張って、うさぎくんに僕の植物たちを渡してしまったんです。僕は、寂しくて、寂しくて……。特に、キンギョソウが好きなんです。可愛くてかわいくて仕方がなくて。今日もつぼみを付けたんです。でも、一月もしたら花の時期が終わってしまう……。ああ、僕は一体どうしたらいいんでしょう」

 きつねはおいおい泣き出してしまいました。真珠星はそのうつくしい衣を揺らし、きつねにぐいと近づきました。まぶしい光が部屋いっぱいに満ちました。

「ねえ、あたしの星は麦の穂先のところなの。だから、植物を大事にする人はだいすきよ。それにしても、泣きすぎじゃあない? まあいいわ、お仕事、交換することにしたんでしょう? それじゃあ、頑張らなくちゃ。そうね、こういうのはどうかしら?」

 真珠星は可憐なきつねの少女の姿になってきつねに耳打ちしました。

 きつねは、大きな耳を一層大きくして、聞いていました。

「それは、本当に?」

 真珠星は頷きました。

「私は嘘はつかないわ。地上の皆さんと違ってね」

 さようならとウインクして真珠星は去っていきました。窓辺には星のかけらがいくつか落ちていました。

 夜空には、夏の星座と春の星座が一緒になって、それはダイヤモンドのように輝いています。真珠星は、その中でもひときわまぶしく輝く星でした。

きつねは張り切って腕をぶんぶんまわしてから、一階に降りてお水をごくごく飲みました。そして、ナイトキャップを耳までしっかりかぶり、明日に備えて眠ったのです。

 真珠星は、何をきつねに約束したのでしょう?



3 お昼の学校

 次の日の朝です。きつねは、キラキラした優しい光で目を覚ましました。それはよく見ると、昨日のほしのかけらでした。きつねは星のかけらを集めてマグカップに入れて、ラップをしました。そのマグカップを大事にカーテンの裏に隠して、一階に下りました。

 一階ではお兄さんが朝食の準備をしていました。おにぎりとお味噌汁です。

「兄ちゃん、おはよう」

「おはようルタ。今日は早いなあ」

「僕昨日いい夢を見たんだよ」

 きつねはお星さまが部屋に来たこと、彼女と秘密の約束をしたこと、星のかけらをマグカップに入れたことを話しました。きつねの本当の名前はルタといいます。お兄さんの名前はユーゴです。きつねたちの暮らす、とよとこの森では、家族以外の人には名前を言わないものなのです。

 お兄さんはふうん、と頭を掻きました。

「それはお前、いとこの子じゃあないか? あいつは化かすのが上手いから、からかわれたんだよ」

 そうかなあときつねは眠たい頭で考えました。

「僕、見てくる」

 と言って、階段を駆け上がりました。カーテンの裏に、たしかに星のかけらを隠したのです。

 果たして、マグカップの中を見ると、赤や黄色の金平糖が入っていました。きつねは、へなへなと座り込みます。

 部屋の入り口に、心配してきたお兄さんがいました。

「ルタ」

 ぽんと頭に手を置かれました。

「お前、うさぎの子に植物を渡したんだろう。悲しいんだったら、返してもらえ、な?」

 きつねの涙が一粒、落ちて金平糖に当たりました。

「ううん、僕、頑張ることにしたんだ」

 そうして涙をぬぐい、朝ご飯を食べて、きつねは学校へ出かけました。

 そのころ雲の上では、真珠星がお昼寝をしていました。きつねとの約束でたくさん力を使ったので、ぐうぐう眠っています。そして、星のかけらは、昼間は金平糖になるのです。

どうやら、きつねのルタは、頑張ることにしたようですよ。



 きつねは、川沿いを歩いています。

 吹く風は涼しくて、アカツメクサやタンポポやアザミなんかが、くすくす、くすくす噂話をしているようです。

「お星さまが……」

「きつねの坊ちゃん……」

「星のかけらを……」

「約束って……」

 そのどれもが、自分の噂のようできつねはしきりに足をとめたり、ぶんぶん頭を振ったりしました。

 きつねは、心もとない感情のまま、てくてく歩いてゆきました。

 川沿いにある小さな学校の門が、開いていました。きつねの通っている学校です。学校は、玄関と、ホールと、部屋が二つあります。きつねはそこで縫物と、陶芸を習っていました。

 クラスメイトに挨拶をしますが、きつねは人見知りの性格のため、まだ学校では友達ができていません。いつも、一人でホールに座り、朝の会が始まるのを待っています。

 おもむろに、ぶたの子が隣へ座ってきて、きつねに話しかけました。

「きつね君、昨日、変な光を見なかったかい? 君の家の方かと思ったんだけれど」

「ううん、僕知らない」

「そうかあ」

 ぶたの子は椅子を戻してほかの子たちとお喋りに行きました。

 きつねは、やっぱり、昨日の真珠星は本物だと思いました。

 朝の会が始まりました。みんな、一人ずつ名指しされて、昨日あったことを話します。

 さっきのぶたの子は、

「昨日、うちのキュウリがなりました。お母さんと一緒に食べました。おわりです」

 と言いました。きつねは、

「昨日は……お花に水やりしました。終わりです」

 と言いました。

 それからめいめい、自分の勉強をします。国語をやりたい子はホールで漢字の書き取り、体育の子は外で鬼ごっこ、音楽の子は第一室で歌を、そして、美術の子は第二室で陶芸をするのでした。

 きつねはいつもの通り、一人で移動しようとしたのですが、にわとりの子が話しかけてきました。

「ねえ、きつねくん。君はいつも何の本を読んでいるの?」

 きつねは、一人でいる時間、いつも本を開いているので、それだろうと思いました。実際は、お兄さんの本棚から適当な本を選んで、広げているだけなので、読んではいないのですが。

 きつねは、最後に読んだ本のタイトルを思い出しました。

「『さよならの花』が好き。あとは、植物の図鑑が好きだね」

 ああ、そうかあとにわとりの子は言いました。

「いや、僕も本を読もうと思っていたから。君のおすすめなら間違いないよ。うん。それじゃあ」

 またね、とにわとりは言い、歌の組に行きました。きつねもまたねと言いました。

「なんだかよく話しかけられる日だなあ」

 きつねの独り言は、あわただしく移動するみんなに紛れて消えました。



4 約束

 夕方、家に帰ったきつねはマグカップを覗いてハッとしました。そこには、たしかに光り輝く星のかけらがあったのです。きつねは空に呼びかけました。

「真珠星さん、出てきておくれよ」

 すると、星のかけらがたくさん降って真珠星の声がしました。

「なあに、まだ眠いのよ」

 そして、昨日と同じきつねの少女の姿になり、窓辺に肘をつきました。

「何か御用?」

 真珠星は機嫌が悪いようです。

「昨日の約束は本当?」

「本当よ。それだけ?」

 それだけ、ときつねは言いました。

「いい? あなたが一か月頑張らないと、それに加えて私との約束を誰かに話したらおまじないはなくなっちゃうのよ。わかった?」

 わかった、ときつねはうなずきました。

「じゃあ今晩はもう起こさないで頂戴。私は眠いんだから」

 そうして真珠星は星のかけらを残して去りました。きつねはそれを集めてマグカップに入れました。



5 六月の終わり

 きつねは一か月絵を描き続けました。それは、あのうさぎもきつねの熱中ぶりを心配するほどでした。

 毎日、学校へ行って帰って、画材を持って川沿いに行き、描き続けました。

 たまに、にわとりがリコーダーを持ってきて隣で吹いたり、うさぎが来て絵の技法を教えてくれたりしました。

 そしてごくまれに、真珠星がきつねの女の子の姿になって、隣で昼寝をしに来ることもありました。

 とうとう、絵の完成の日。

 きつねは、納得のいく絵が描けたと思いました。それは、拙いけれど、丁寧で、草の息吹が感じられるような絵でした。

 きつねはその日、真珠星に見えるように絵を立てかけて眠りました。

 その次の日のことです。

一体、何が起こるのでしょう。



きつねはその日も学校がありました。学校から帰ってきて、自分の部屋でぼんやり窓の外を見ていると、川辺に、見たことのないきつねの女の子がいました。

 きつねは、ハッとして立ち上がり、その子のもとへ走りました。

 そのきつねの女の子は、誰かを探しているようでした。木の影を見たり、遠くを眺めたりしています。

「こんにちは。もしかして、君が探しているのは、僕?」

 きつねの女の子はしっかりとルタを見ました。

 そうして、きつく抱きつきました。

 とつぜんのことにルタは驚きましたが、きつく、抱き返しました。

「私はチュシ。あなたの金魚草よ」

「僕はルタ。寂しい思いをさせて悪かった」

「いいの。あなたに会えたから」

 空の上では真珠星が二人を見守っています。

 真珠星とした約束はこうでした。

「一か月で絵を完成させなさい。そうしたらキンギョソウをきつねの女の子にしてあげる」

 ルタは、きつくきつくキンギョソウを抱きしめました。そうして、二度と離さないことを胸に誓いました。

 六月の終わりのお話です。



6 家族

 きつねの家に、新しい家族が増えました。

 この不思議な事態に、お兄さんは柔軟に対応しました。チュシの服を買い、お茶碗を買い、三人分の食事を作りました。

「チュシ、美味しい?」

「おいしい。ナポリタンっていうのね」

「そう。ナポリタン」

「気に入ったみたいでよかったよ」

「明日は、学校に見学に行くんだろ?」

「そうだよ。うさぎの女の子も一緒にね」

 真珠星は、うさぎとも、約束をしていたようで、ペチュニアは、かわいらしいうさぎの女の子になりました。

「楽しみだね、チュシ」

「うん。楽しみ」

 この幸せをどうしよう。きつねのルタは、いつまでもいつまでもチュシを大切にするでしょう。

 これで、交換ごっこはおしまいです。きつねの描いた絵は、大切に部屋に飾られているようですよ。

 おしまい。

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交換ごっこ あさの @asanopanfuwa

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