第41話 エピローグ

 長いようで短かった春休みも終わり、今日からまた学校が始まる。私はいつもより早くに家を出て、猫屋敷に向かった。チャイムを鳴らすと人の足音が玄関まで近づいてきて、扉がちょっとだけ開かれた。顔は見えないが誰かは考えるまでもない。


「おはよう、ネル。一緒に学校へ行こうよ」


「それがダメなのにゃ。耳と尻尾はなんとか隠せたけど、猫語が染みついて人の言葉が話せないのにゃ。だから学校は休むにゃ……」


「そのぐらいどうってことないよ。私が黙ってても大丈夫だったんだから、喉の調子が悪いって言っておけば大丈夫。さあ、学校に行こう」


「にぅ……。ミアは強くなってしまったのにゃ……」


 根気よく説得し、ママニャに会うためには休んではいられないと言うと、ようやく彼女は屋敷から出てきた。

 私の影に隠れるようにして歩くネルと学校へ出発する。ある立派な家の前に差しかかったとき、すらりとした男性が中から現れ、すれ違いざまに会釈をしていった。


「今の人、誰だろう……。ここ、ガートルードちゃんの家だ。もしかしてアーヴィン?」


 人間社会にとけこんだインキュバスが出社する場面に出くわしたようだ。さまになった後ろ姿を見送っていると、扉の開く音がした。

 振り返ると、見覚えのある少女が後ろ向きに飛び出してきて、尻もちをついた。その胸元に鞄が投げ込まれ、扉は音をたてて閉まる。彼女は即座に立ち上がり、扉を激しくたたいた。


「開けてママ! 学校なんて行きたくありませんわ! 誰かに見られる前に、早く!」


 すると家の中から、怒気のこもった女性の声が聞こえてくる。


「私はもう、お前を甘やかさないと心に誓ったのです。いいからおとなしく学校にいきなさい! さもないと今日はおやつ抜きですわよ!」


「いやあー! ママ! ママ! 開けてよ、ママー!」


 私はネルと顔を見合わせ、彼女のもとへ近づいてみることにした。


「が、ガートルードちゃん、おはよう。一緒に学校へ行こうよ」


「あっ!? あなたはミアさん! それにネルまで……!」


「おはよーにゃん」


 ケット・シーの女王が無愛想な挨拶をすると、カンビオンの少女は顔を背ける。居心地が悪そうにうつむきながら、小さな声で尋ねてきた。


「夢での出来事、忘れたわけではないのでしょう? どうぞ、わたくしに構うことなく、学校へ行ってくださいませ。あんなにひどいことをしたのですから……」


 私は相手に伝わるように、はっきりと言葉を返す。


「もちろん覚えてるよ。でも、夢で起きたことは夢のこと。ここではいつも、ずっと私を助けてくれていたじゃない。それに私、ガートルードちゃんのお陰で弱い自分を捨てることができたんだよ。こうやってお話できるようになれた。だから、とても感謝しているの」


 ガートルードは顔を上げて「ミアさん……」とつぶやく。


「ほら、立って。いつものように、また一緒に学校へ行こう」


 彼女は「でも、あなたは……」と言って、今度はネルのほうをちらりと見た。


「あたしはべつに気にしてないにゃん。こっちで何かあったわけでもないし、引きずるつもりはにゃい。ケンカしたのはお互い様にゃ」


「ほら、そう言ってるんだから気にしないで、ね? 切磋琢磨って言葉があるじゃない。ふたりはお互い高め合ってるんだよ」


「……うん。ありがとう」


 はにかんだ顔を上げたガートルードは、私を挟んでネルの反対側に立った。ほとんどしゃべらないふたりに話しかけながら、横に並んで学校へ向かった。



       * * *



 例の苦手な文学の授業が始まる。ほかの先生は私に遠慮してくれるけれど、あの人だけは容赦してくれない。でも誰かになにか言われたのか、今日に限っては私を避けているようだった。


「──次、ケイスネス、読みなさい」


「にゃ……!」


「にゃ?」


「げほっ、げほっ……! すみません、喉の調子が……」


「なんだ、風邪のひきはじめか? なら座ってよし。周りにうつさないよう気をつけなさい。それじゃあグッドフェロー、読んで」


「ごほっ、ごほっ……」


「どうした、お前もか? いやだな、変な風邪が流行っているのか。それじゃあ次……」


 そう言って教室を見まわした先生と、私は目が合ってしまった。全生徒の視線を感じてか、彼は控えめに尋ねる。


「トラヴァーズ、読めるか? まあ、無理はしないでもいいが……」


「はい」


 私が返事をして立ち上がると、相手は目を丸くした。

 部屋全体の空気が張りつめる。少女たちは石像のように硬直し、物音ひとつ聞こえなくなった。

 私はゆっくりと深呼吸する。

 怖がる必要はない。夢でナイトメアを倒したように、悪夢のような授業も片づけてしまおう。私ならできる。この髪飾りが勇気をくれる。

 覚悟を決めて、猫の鳴く程度の声で朗読を始めた。


「空にかかる虹を見れば、わが心はおどる。幼きころがそうだった。大人となった今もそうだ。老いたるときもそうでありたい。さもなくば死を与えたまえ! 子供は大人への礎となる。願わくば、わが日常が内なる徳と結ばれますように」


 しんと静まり返る教室。

 ……聞こえたのだろうか?

 私はやり切ったはずだ。願わくば、皆に声が届いていてほしい。

 さもなくば──


 一拍おいて、誰かが手を打ち合わせた。

 するとほかの少女たちも真似をし始め、気づけば私以外の全員が手をたたいていた。


 拍手喝采!


 何事かと、隣のクラスの生徒たちがのぞきに来た。

 草いじりが趣味の校長先生まで現れた。

 視線を落とせば、見覚えのある猫の姿まである。


 先生は言った。


「すばらしい、すばらしい! うむ、とても良い声だ。トラヴァーズ、そのまま次も読んでくれたまえ!」


 私は教科書で顔を隠しながら、勇気を出したのをほんのちょっぴり後悔した。



       * * *



 明くる日、私はドリーに髪の毛を結ってもらいながら、昨日の出来事について語っていた。


「結局、授業が終わるまで、私ひとりで読まされたの。新手のいじめだよ」


「まあまあ、みんなあなたの声が聞きたかったのよ。許してあげて」


 ちゃんと冗談だと伝わったようで、笑いが返ってくる。

 それからネルやガートルードの話をした。ドリーのことも積極的に尋ねて、人形マニアのお客さんについてもいろいろ聞き出した。 

 髪が結い終わると、彼女はいつものように「完成」とは言わず、「終わったよ」と軽く肩をたたいた。妹を卒業できなくとも、人形は卒業できたのかもしれない。

 私は最後に、言い出しにくかった話を切りだすことにする。


「そういえば、ぬいぐるみのモークルって、まだどこかにある?」


「ええ、もちろんあるわよ。汚れないよう大切にしまってあるの。見たい?」


「ううん! 逆だよ、逆。私、あの人形きらい。子供のころにいやな思いをしてから、いつも悪夢に現れてつらかったの。だから……」


「そうね。私もミアを見習って、思い出は卒業しなくちゃいけないわね。ふふ、あの人にあげちゃおうかな。すぐそこに入ってるの……」


「あ! 出さないでいいよ、お姉ちゃん!」


 しかしドリーは、すぐに押し入れから毛むくじゃらの人形を出してきてまった。


「ほら、これこれ。懐かしいなあ。小さいころは、この子を召使いにしたり悪役したりして遊んでいたっけ」


 私にとっては恐怖でも、ドリーにとっては大切な宝物のようだ。ちょっと可哀そうに思い、ふと気になってチラリとのぞき見る。

 その瞬間、モークルの首がはじけ、こちらに向かって飛んできた。


「きゃあああああ!!」


「ご、ごめんね、ミア! 早く捨てちゃいましょ、こんな気味の悪い人形! 今日はちょうどゴミの日だし、今からお別れしてきましょう」


 ドリーが信用できないわけではないが、きちんと最後を見届けるため、一緒にゴミ捨て場まで付いて行くことにした。

 慌ただしい朝の時間。ご近所さんの姿は周囲に見当たらない。

 ドリーは、首を元に戻したモークルをゴミの一番上に座らせ、「バイバイ」と声をかける。私も心のなかでさよならをした。


 これで終わりだ、一件落着。人形に罪はないけれど、人は前に進まなければならない。 私たちはきびすを返し、自宅に戻り始める。

 とそこへ、どこからか小さな鳴き声が聞こえてきた気がした。


「何だろう、この声? もしかして……。あっ!」


 思わず私は駆け出した。

 アパートの近くに段ボールが置いてある。さっきまで無かったはずなのに、いつの間に?

 息を切らしてのぞき込むと、そこには、白と黒、二匹の仔猫が入っていた。こちらを見上げ、なにかを訴えるように鳴く。目は開いており、体の具合も良さそうだ。私が両手でそれぞれの頭をなでると、甘えるように体をこすり付けてきた。


「まあ、捨て猫? こんな所に置いていくなんてひどいわね」


 慌ただしくやってきたドリーが憤りを見せる。私は二匹の優しくつかんで持ち上げると、左右で頬ずりして、これが現実であるとはっきり確かめた。


「お姉ちゃん、この子たちだよ! 私、夢でお婆ちゃんからこの二匹を貰ったの。どっちも女の子だもん、間違いないよ。ああ、やっと会えたね。ついに私もキャット・ディストリビュレーション・システムに認められたんだ。今ならその資格があるって。だから私、この子たちを飼う!」


「ええ? なんですって! まったくミアったら、強くなった途端にこれだもの。お母さんがなんて言うかしら……──」


 こうして私は、夢を通じてひととしゃべれるようになり、一番望んでいたを叶えることができた。一連の出来事以降、つらかった現実的な悪夢をみることもなくなった。

 これもすべては、あの夢占い師と出会ったお陰である。だから今度は、私が彼女の夢を叶える手伝いをしなくてはならない。猫占い師としての支度が整ったのだから。

 二匹が人の言葉を理解できたかどうかは……今はまだ、秘密にしておこう。




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夢幻のオネイロス かぐろば衽 @kaguroba

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