第40話 目覚め

「ミア!」

「ミアちゃん!」


 ぱちっと目を開けると、必死な表情の顔がふたつ見える。窓からはまぶしい太陽の光が、部屋いっぱいに差し込んでいた。


「おはよう、ネル、ニーナさん」


 身を起こして朝の挨拶をすると、ふたりは脱力したようにため息をつき、私の頭をなでてきた。


「ああ、もう。心配かけといてのんきだにゃぁ……」


「まったくよ。ひとりだけなかなか起きないんだもの。このお寝坊さん」


 清々しく伸びをしたわたしは、彼女たちの様子に思わず笑ってしまった。謝ると同時に、遅れた理由を説明する。


「ごめんなさい。帰りにレヌスさまへ挨拶してきたの。行きにも会ったんだけど、名前を忘れててね。オンドレアに教えてもらったことで、ぜんぶ思い出せたみたい」


「レヌスさまって誰にゃん? あの子、意外と物知りなのにゃ」


「近ごろお祈りしていたケルトの神ね。ずいぶんとすごいお方に会ってきたのね」


「戦士の格好をした癒し手で、半裸なのにちょっぴりシャイな神さまなの。どう考えても助けてくれているのに、自分の影響はないみたいな言い方をするのよ」


 私は頬をつついて、これが現実であるとあらためて確認すると、今の会話にすこし違和感を覚えた。


「ところでその口ぶり……。やっぱり夢のシンクロには成功できたってことだよね? ニーナさんとエレーナさんは同一人物で、夢で会ったオンドレアもやっぱりみんなと一緒にいたんだ。怖いナイトメアと戦って、最後は全員でフラミンゴを見て終わった。一生忘れることのない大冒険になった。だけど、ネル……」


「どうかしたにゃん? とっても楽しい夢だったのにゃ。これもみんな、ミアが誘ってくれたお陰なのにゃ。よく頑張ったにゃ~ん」


「こっちに戻ってきたのに、猫のままでいいの?」


「にゃにゃ??」


 ヒト型の少女は自らの耳と尻尾を確認するや、慌てて洗面所の方へすっ飛んでいった。しばらくすると頭にタオルを巻いて戻ってきて、半泣きで嘆く。


「にゃーん! 変な癖がついちゃって、うまく変身できないにゃあ! 言葉も元に戻らないし、いったいどうすればいいのにゃー!」


 夢で知ったネルの正体──滅亡した猫の王国・ケイスネスの再興を掲げる女王であることも、本当に本当だったのだ。

 現実世界で実際に猫耳少女を目の当たりして、明晰夢の高揚感が再びふくらんでくる。しかし誰かさんのお腹がぐ〜と鳴ってしまったので、私たちはひとまず顔を洗って着替え、朝ご飯を食べることにした。


 今日はこの研究所での生活の最終日。朝から晩まで一緒だった生活もひとまずこれで終わりとなる。夢での出来事を三人で語り合い、楽しい話は尽きなかった。私たちの付き合いは、むしろこれが始まりであり、すぐに次の計画を立てることになる。


 ニーナさんの提案はすこし恐ろしいものだった。夢でのちからを増幅するために、彼女が行き来するアルト・クルートで魔術を学ぶという、一見とても魅力的な話だ。しかしオンドレアが語っていたとおり、しばらく現実に戻れなくなる代償があるようだ。すぐに決断を下すことはできないが、私は前向きに検討すると約束をした。

 夢占い師にして夢博士は最後に、これまでの報酬として金一封と約束の髪飾りをくれた。念願だった実物のそれは、まじないで見ていたものよりも若干いびつで、彼女が自らの手で形見を模して作ったものであるらしかった。それはそれで心がこもっていて、私にはかえってうれしかった。


「ありがとうございます、ニーナさん。わたしもっと強くなって、いつかあなたのお役に立ちたいです。向こうで実際のオンドレアに会ってみたいし、猫たちに本当の王国を取り戻してあげたい。でもその前に、私は現実での決着をつけないといけません」


「ええ、その時が来たら、あらためて迎えに参りましょう。それまで私は、ここであなたを待っているわ」


 こうして、明晰夢科学研究所での最初の手伝いは終わった。またいつでも会えるので、大したお別れをしたわけではない。ネルは暗くなるのを待ってから帰ると言い、私はある買い物をしてから自宅に向かった。



       * * *



 懐かしいアパートが見えてくると、なぜかそわそわと同じ場所を歩きまわるドリーの姿があった。私は不思議に思い、尋ねる。


「お姉ちゃん、ただいま。どうして表に出ているの?」


「ああ、おかえり、ミア……。今日はあなたが帰ってくるから、ここで待っていたのよ。本当は研究所まで行きたかったけど、怒られそうだから我慢したの。あら、その髪飾りとてもすてきね」


「えへ、良いでしょう。頑張ったご褒美に貰ったの。そうそう、あとで渡そうと思っていたけど、今ここであげるね。これ、頂いたお金で買ってきたの。大好きなお姉ちゃんへのプレゼントだよ。いつもありがとう」


 小さな包みを手渡すと、ドリーはきょとんとした。


「まあ……ありがとう。赤い花の髪留めね。あとでさっそく着けようかな。でも、自分の好きなものに使えばよかったのに」


「うん、だからそうしたんだよ。いつも貰ってばかりだから、何かお礼がしたかったの」


「……ミア、なんだか大きくなったみたい」


「身長伸びた? えへへ、寝てばかりいたからかなぁ」


 なんだか照れくさくて笑みをこぼす。ドリーはいつもならすぐ私の頭をなでたり、頬をつついたり、抱きしめたりするのに、今日はしなかった。どうやら作戦は成功のようだ。


 その日の夕方、私とドリーはとても久しぶりに一緒のお風呂に入った。さすがに狭く感じたし、ためらいもあったが、どうしてもここで話したいことがあった。

 夢で起きた出来事──きっと空想に聞こえたであろうが──を語り、体に刻まれた紋様の秘密について教えたのだ。落としたくて風呂場で何度もこすっていた模様が、いつしか誇らしいものへと変わったのである。

 ドリーはその話の出来栄えに感心するとともに、それならば自分も猫魔女になれるだろうと言い出した。私は、それよりも人形遣いが向いているだろうとアドバイスした。


 すっかり体も暖まり、そろそろ上がろうということになったとき、私は核心について切り出した。


「お姉ちゃん、私、妹を卒業するから、安心して結婚してね……」


 するとドリーは目を丸くして尋ね返した。


「うん? 結婚っていったいなんのこと??」


「え? だってお母さんが……」


 ドリーはしばらく手で顔を覆って考え、やがて合点したように話し始める。


「まったく、お母さんったらミアに変なこと吹き込んで。私が男の人の話をしたから勘違いしたんだわ。人形に興味のあるお客さんが、どうしてもうちのビスク・ドールを見せてくれってしつこくてね。あれを作った私たちのお婆ちゃんは、界隈ではとても有名な人なのよ」


「そ、そうだったんだ……」


「その人は人形と結婚しているような人なの。ああ、ミアちゃん。私はどこにも行かないから安心して。だから妹を卒業するなんて言わないで、お願い。お姉ちゃん泣いちゃう……」


「ちょ、ちょっと、泣かないでお姉ちゃん!」


「泣いてないよ、ミアちゃんぎゅー!」


「く、苦しいよ、お姉ちゃん……」


 私は頑張って姉離れをしようとしたけれど、姉の愛は重かった。ドリーが妹離れをするのはまだまだ先のようだ。

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