第39話 癒しの神

 長いようで短かった明晰夢の旅は終わった。わたしは目覚め、ネルとニーナさんが起きるのを待って、おはようを言うつもりだった。それなのに──。


「現実に戻ってこれたと思ったのに、ここはどこなの。もしかしてわたし、本当に死んじゃったのかな……」


 優しい赤色の照明が映し出す品々をぐるりと見まわす。室内には、古びた甲冑、修繕された陶器、遺跡の模型、解説パネルなどが置かれ、ガラスケースには目を見張るような装飾が並んでいる。どうやらここは、閉館後の博物館のようだ。

 ふと思い出して頬をつつくと、感触がない。やはりまだ夢のなからしい。

 もしや永遠に夢の世界に閉じ込められた?

 まさか。起きる前にちょっぴり寄り道しただけ。そうだ、そうに決まってる。


 不安をいだいて右往左往。仕切りに従って流されるまま奥へ行くと、白亜の彫像がいくつも展示された場所へ出た。色のない瞳は、人形の今にも動き出しそうな怖さとは異なり、石化してしまったような哀れみを感じた。

 邪眼の怪物メデューサを退治したギリシア神話の英雄ペルセウスの気分を味わいながら歩みを進めると、やがて怪物の代わりに、見覚えのあるひとりの人物がたたずんでいた。

 トサカのついた兜をかぶる半裸の戦士。右手に槍を携え、盾に左手を置いている。あれは夢の始まりに出会った自称神さまだ。

 前回はぶしつけな態度をとってしまったけれど、今は明晰夢が上達し、相手が何者かわかっているから、すこし敬意をはらってご挨拶する。


「またお会いしましたね、お久しぶりです。ここはまだ夢のなかですよね? 死後の世界ではないですよね?」


「そなたか。人の子と余は、夢でしか邂逅かいこうはできない」


「ふふ、相変わらずレヌスさまの言い方は遠回しね」


 わたしがほほ笑むと、彼はわずかに姿勢を正した。


「ほう。ついに意識の深層から記憶を引き出したか。いかにも、わが名はレヌス。癒しを司る神のひと柱なり」


「わたしたち、この夢の始まりが初めての出会いじゃなかったんですね。子供のころ博物館で迷子になり、あなたの像のそばで泣いていたのを思い出しました。その日の夜、わたしは不思議な夢をみました。内容は覚えていないけど、心が穏やかになった記憶があります」


「ほほう、そのような事があったのだな」


「ふふ、照れちゃって。クジラの夢もフラミンゴの夢も、全部あなたがみせてくださったんでしょう? あんな場面が現れるなんて、それしか考えられないもの」


「余の権能は治療。戦場で傷ついた者を癒すのがわが役目である。夢は汝が思い描いたにすぎない」


「戦場……。今ならわかります。わたし、教室で傷ついていたんですね」


「おぬし、気づいてはおらなんだ? 満身創痍ではないか」


「えへへ。単に弱いんだと思ってた。オンドレアはわたしよりキズが深かったわ。どうかあの子の心が癒えますように」


「他者をいたわる余裕ができたのならば、もう心配はいらぬな」


「はい、ありがとうございます。ネルの王国を再興するお手伝いをしたいし、ニーナさんが目指すクーリスのお供もしたい。それに、日ごろお世話になっているガートルードちゃんにも感謝しなきゃいけません」


「いつの世も、敵と戦場は姿を変えて、人の子を蝕む。また傷つき疲れたら、余の名を呼ぶがよい」


 神さまは満足そうにほほ笑んだように見えた。

 その時、どこからか女性の声が聞こえてきた。


「ミアー! どこにいるの? ミアちゃん、お願いだから出てきて!」


「あ、お姉ちゃんだ。わたしのことを呼んでいるみたい。もう行かなくっちゃ──」


 そう言って振り返ると、癒しの神は真紅の像になっていた。おそらくこれが本来の姿であり、夢の種であったのだ。


「ばいばい、レヌスさま。楽しい夢をみせてくれて、ありがとう……」


 心が温かくなると同時に、とうとう物理的な暖かさが全身に降り注いできた。

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