第38話 旅の終わり
眠りこけている猫たちの首根っこをつかんで帽子の中に入れていると、空からネルたちの声が聞こえてきた。
降り立った三人に事の
「とても心配したのにゃ」
「みんな無事でよかったよ~」
「ミアちゃんもとうとう、己のナイトメアに打ち勝ったのね」
「それがどうも、わたしの体を乗っ取ろうとした夢魔だったみたいなんです。ひょっとしたらケイスネスを滅ぼした古い存在かもしれなくて。猫たちが頑張ってくれて、最後はビッグ・イヤーが……。わたし、いつも誰かに守られてばかり。本当に情けない……」
「それは違うにゃ。ミアに守る価値があったから、みんなは命を懸けたのにゃ」
「うんうん。そんな古代の夢魔を倒せたなんてすごいよ」
「本当にお疲れさま。猫ちゃんたちもね」
みんなと出会えて本当によかった。親しくなってからまださほど時間が経っていないのに、遠い昔からの友人のように感じられた。
「それじゃ、あらためて例の場所へ案内するよ。もうすぐ夜が明けるみたいだから、ちょっと急ごう」
オンドレアを先頭にして、わたしとネルが並んで続き、ニーナさんが最後尾となる。心なしか前よりも距離を詰めて、何がなんでも守ろうとしてくれているようだ。さすがにもう恐怖や不安は吹き飛んで、ひた隠しにされた目的にばかり意識が向かう。
眼下に広がっていた緑豊かな自然は段々と寂しくなっていき、やがて赤茶けた広大な大地へと変化した。まるで火星のように殺風景だが、不思議と寂しさは感じない。未知の惑星を探索する宇宙旅行者も、このような気分を味わうのだろうか。
前方にはげ山が見えてきた。歩いて登るのは不可能なほどの断崖絶壁だが、ホウキにまたがるわたしたちに大した苦労はない。ぐんぐん高度を上げて、あっという間に頂上へ到着した。
巨大なロック鳥の卵でもあるのかと思いきや、何もない。遠くに湖が見える以外、目ぼしいものはとくに存在しなかった。何が目当てなのか皆目見当もつかず、ニコニコと体育座りをした少女に尋ねる。
「ねえ、オンドレア。そろそろここへ来た理由を教えてよ」
「まあまあ。キミも座って、その時を待っているといいよ。絶対に後悔はさせないから、安心したまえ」
「いったい何を企んでいるのにゃ?」
「こんな場所、私も初めて来たわ。まったく予想がつかないわね」
どうやらふたりも同じ気持ちのようだ。オンドレアがあまりにも自信満々なので、わたしたちも素直に従うことにした。
猫たちはまだ誰も目を覚さないので、みんな帽子に入っている。ひょっとしたらもう現実で目覚めてしまったのかもしれない。
夢の時間はおそらく夕方だった。三人はそれぞれの座り方で、地平線に浮かぶ真っ赤な太陽を静かに見つめている。わたしもぺたん座りをして、これまでの旅路を振り返った。
ふと髪飾りのことを思い出し、取り返したものを手のひらに乗せて見つめる。名前も知らない白い花。ニーナさんのかけたおまじないは、わたしに勇気を与えてくれた。約束どおり現実で本物を受け取れば、なんでもできる気がしてくる。
わたしがそれを髪に着け、顔を上げた瞬間だった。
羽ばたく音とともに何かがやってくる。
フラミンゴだ。
それも一羽や二羽ではない。とんでもない数のピンク色の鳥たちが左から現れ、右に向かって飛んでいく。
わたしは思わず立ち上がり、この幻想的な光景に目を奪われた。
「なんてすごい……。これはいったい、何を意味しているの……?」
無粋かもしれない。しかし日課である夢解釈をする余裕ができたわたしは、なぜこの場面が夢となって現れたのか知りたくなった。
ここへ導いたオンドレアは言う。
「恋愛成就かなあ」
たしかにこの色ならば、恋に関する連想は真っ先に指摘されるだろう。どう捉えるかは個人の自由だが、わたしにはもっと大きな意味があるように思えた。
殺風景な山頂という場所を思えば、鬱屈していた精神からの解放。死んでいた自分のよみがえり。どのような意味であれ、最大級の幸夢であることに異を唱える者などいないだろう。
「かわいい男の子と女の子にセットで巡り会えますように……」
つぶやきに振り向けば、エナレスの少女は手を合わせてお祈りしていた。
「ちょっと、何をお願いしてるのよ、オンドレア」
「王国を再建して、立派な女王になれますように。あと、ママニャに戻ってきてほしいにゃん」
「ネルまで!」
「えー、それじゃあ私も。ミアちゃんが弟子になって、クーリスへ一緒に来てくれますように……」
「ニーナさんは直球すぎです……」
皆で一緒に笑い合う。もはや、いつまた夢で再会できるかなど気にする必要はない。わたしたちの絆があれば、明日にだって会えるだろう。彼女たちの笑顔を眺めながら、わたしは心のなかで、現実でも人前でしゃべれるようにとこっそり願った。
フラミンゴの大群はとうとう途切れ、ゆっくり遠ざかっていく。三人はそれを追うように、崖のそばまで歩みを進める。楽しそうに語り合い、次なる予定に想いを馳せているようだ。
明るく和やかな雰囲気を後ろから見つめながら、ふとガートルードの顔が脳裏をよぎった。自分があともうすこし強ければ、あの子にもこの光景を見せられたのに。
しかし、この世界では安易な想像をするべきではない。それがこの明晰夢の旅で得た教訓であったはずだ。わたしはすぐに、今の思いを後悔した。
「──このまま終わってたまるものですか。ネル、お前だけは絶対に許さない。ミアはわたくしのものです……」
声に振り向けば、そこにガートルードがいた。大剣を杖代わりにし、苦しそうに前かがみのまま前進する。
「ネル後ろ!!」
わたしは叫ぶ。だが楽しそうに会話する彼女は、呼びかけに気づいてはくれない。相手は剣を構えた。ダメだ、間に合わない──
「ぐはっ……!」
次の瞬間、自分の胸から波打った切先が突き出していた。
振り向いた三人の目の前で、わたしはひざから崩れ落ちる。
『ミア……?』
ネルとオンドレアが目を丸くする。
と同時に、甲高いカンビオンの絶叫がこだました。
「いや……。そんな、わたくしのミアが……。いやあああああ!!」
ガートルードが力任せにフランベルジュを引き抜くと、わたしは魂が削り取られるのを感じた。
彼女は剣を捨てると崖の方へとよろめいて、真っ逆さまに落ちていく。
胸からきらめく光の粒子があふれ出て、わたしは後ろ向きに倒れる。意識は白濁し、視界がぼやけていく。ネルとオンドレアが体を抱き起こし、涙するのがわかった。
「ミア、どうしてこんなことを……」
「やだぁ、死んじゃいやだよ、ミア……」
残された時間は少ない。わたしは異世界の少女に首を傾け、ピンク色の髪をそっとなでた。
「また会おうね、オンドレア。これは決して悪夢なんかじゃない。強くなるには、弱いわたしは死ぬ必要があるの。そうでしょう、ニーナさん……」
こちらの顔を
──命を落とす悪夢は、必ずしも悪いことを暗示しているわけではない。変わりたい想いが引き起こす成長の証である。
初めて出会ったときに教わった解釈だ。わたしはこれをずっと繰り返し考えていた。
「いつも誰かに守られて生きてきた。そんな自分に別れを告げて、わたしは新しく生まれ変わる……。ありがとう、みんな。わたしは先に起きるね……──」
指先から消えていく。
もう何も見えない、聞こえない。
愛しい人たちに囲まれて、わたしは夢の終わりを受け入れた。
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