第37話 怪物

「おんやぁ? 完全に隔離には成功したのに、まだ猫が紛れ込んでいたか。それもこんなに」


 ガブリエラは手を離し、わたしは地面に落とされた。

 隔離? こんなに? ああ、声はネルじゃなかった。どうして出てきてしまったの。隠れていれば助かったものを。


「ミアどの、いまお助けしますぞ」


「みんな、猫魔女を守るのにゃ」


 女王補佐官たちの声だ。それを聞いたガブリエラは高らかに哄笑した。


「ハーハッハッハッハ! ばっかじゃねーの。どんなに群れても雑魚は雑魚。お前ら全員、足が震えてるじゃねーか」


「……みんな、戦っちゃダメ。守るべきはネルであって、わたしじゃない」


「うるせえ、お前は黙ってろ」


「ぐえっ」


 今度は背中を力強く踏まれた。その重みはどんどんと重くなっていく。猫たちが恐怖におびえて泣き叫ぶのが聞こえる。


「かわいい、かわいい、かわいいねぇ。泣かせるじゃないか。いや、ぜんぜん泣けねぇけど。かわいすぎて食べちゃいたいぐらいだ! 全部おでが食べちゃおう!」


 狂気に満ちた少女の声は次第に野太くなっていった。これはモークルの声だ。まるでシェイプシフターのように、メアは変幻自在に姿を変える。

 突然、背中が軽くなった。怪物と化したガブリエラが駆け出すと同時に、ケット・シーたちは一斉に襲いかかる。

 だが、その戦いは一方的であった。耳をつんざく悲鳴とともに、モークルは猫を一匹また一匹と丸呑みにしていく。


 わたしは立ち上がると、ネルの得物であるレイピアを想像してみた。夢であるのにずしりと重い感覚が伝わってくる。

 こんなものは生まれて初めて持った。それでもわたしは戦わねばならなかった。たとえ負けるとわかっていても、このままでは申し訳がたたない。

 無我夢中で切先を敵の背に突き刺す。だがそれはポッキリと根本から折れ、わたしは毛むくじゃらの剛腕に吹き飛ばされた。


「がはっ……。みんなごめん、ごめんね……。ああ……」


 わたしに駆け寄ってきた最後の一匹がつかまれる。呆然と見上げる目の前で、小さなメイドは怪物に呑み込まれていった。

 悪夢だ。こんな悪夢は一刻も早く終わってほしい。どんなに強く願っても、この夢は終わらない。なぜならこれは、夢魔にとっての現実であるから。わたしはとうに、メアの生み出した世界に入り込んでいたのだ。


「げっぷ。ふう、喰った喰った。全部で二十九? いや三十か。おっと、そこの小さいのも残さず食べておかないとな。殺してお残しはマナー違反だぜ」


 モークルはすべての猫を平らげると地面にどっかり座りこみ、ぽっこりとしたお腹をさする。


「こんなに猫を喰ったのは久しぶりだ。いやあ、満足満足。しばらく動けそうにねえや。お前はちょっと待っててくれ。ガハハハハッ!」


 わたしのなかで、何かのタガが外れる音がした。

 胸が焼けるように熱い。見れば、逆さ三日月にV字の紋様が、服越しにまばゆく金色に輝いていた。

 もはや痛みは感じない。ゆらめく炎のように立ち上がり、化け物を見据える。


「貴様、よくもわたしの猫たちを……」


「おやおや、とうとう怒ったか? おお、怖い怖い」


「ケイスネスを滅ぼしたのも貴様だな?」


「何の話だ? あれはクー・シーがやったことだ。なんで知ってるんだろうなあ。ガハハハハ!」


「今ならばわかる。なぜ貴様が、『大きな耳』を意味するモール・クルエスという名を与えられたのかが。滅亡を知ったわが先祖は、復讐を誓い、子孫に託したのだ」


「託したぁ? 何をだ」


「タガルム! 条件は揃った。四日四晩かかる儀式を、貴様はたった数刻で終わらせてくれた」


「たがるむぅ? 何だそりゃ」


 モークルの間抜け面を見据えて眼前に手をかざし、唱える。


「トゥ・トゥ・トゥ! ガルム・ガルム・ガルム! タガルム・ナン・カート! 暗き精霊よ、わが声を聴け! 三十二の猫の魂よ、ここへ集え! 肉を貫き身を焼いて、おのが炎を呼び覚ませ! 目覚めよ、ビッグ・イヤー! 汝、邪悪なる猫の怪異よ! 敵のはらわた喰い破って現れろ!」


 わたしはモークルの膨らんだ腹にまじないをかけた。

 すると、グツグツと煮えたぎる音が聞こえ始める。

 異変に気づいた怪物は腹部を抱えて苦しそうにもがき苦しむ。大きな口を開けてのたうちまわり、喉元からまがまがしい蒸気がもくもくとあふれ出してきた。


「グアアアアアッ!? 何をした、貴様ァー!! おでの腹の中で何が起きている!? ぐるじい、ぐるじいいいっ!!」


 モークルの腹が見る間に膨張してパンパンになり、ドカンとはじけ飛んだ。

 と同時に、中から巨大な影が飛び出してくる。

 耳をつんざくおたけび。わたしの眼前で四足獣が大きく伸びをする。

 ビッグ・イヤー──それはおぞましいほどに邪悪な猫の怪物。光沢のある黒毛は光を乱反射して虹色にも見える。ねじられた二本角と下に飛び出た犬歯をもち、深紅の眼球は炎を宿すようにらんらんと輝く。

 巨大な黒猫はただちに敵へと向き直り、毛むくじゃらの頭にかぶりついた。


「ぎゃあああああ!! いだい、いだい!! やめろ、やめてくれえええええ!!」


 巨大なあぎとが頭蓋骨を砕くにぶい音がする。モークルはじたばたと暴れまわるが、ビッグ・イヤーはその力を緩めることはない。

 とうとう耐えきれなくなったメアは変身が解けて、怪物から少女の姿へと見る間に戻っていく。泣き叫ぶ金切り声。しかし化け猫は口に力を込め続ける。

 やがて、暴れまわっていた手足がだらりと下がり、ガブリエラは生命の活動を停止した。あぎとに挟まれたまま体がどす黒い煙となり、ゆっくりと霧散していく。

 さまざま姿に化けてわたしを苦しめ続けたナイトメアは、死んだ。


 ビッグ・イヤーは黒い汚れの付いた顔をこちらに向けると、一歩ずつ近づいてくる。わたしは糸が切れたように、地面に崩れ落ちた。

 化け猫は手前で腰を下ろすと、はっきりとした人の言葉で問うた。


「我を呼び出したのはお前か」


「ひっ……」


 記憶はある。しかし先ほどまで、自分が自分ではないように手足と口が動いていた。相手の問いに答えることもできず、わたしは巨大なあぎとに恐怖する。


「ミア・トラヴァーズ。お前の願い事は何だ?」


「ね、願い……?」


「そうだ。願いがあって我を呼び出したのだろう? 多大な犠牲を払って」


「わたしはモークルを──今のメアを倒そうと思って……」


「うん? そいつは勢い余って、我がもう殺してしまった。さあ、何でも叶えてやるから申してみよ」


「ええ……??」


 自分に化けていた夢魔を噛み殺した牙を眺め、わたしは今にも気を失いかける。頭のなかは真っ白で、とても考えられそうにない。


「無いのか? それならばなぜ呼び出した。用がないなら我は行くぞ」


「ま、待って……! 行かないで」


 ひとつ思いついた。こんな願いを叶えるためにビッグ・イヤーを呼び出した者は、いまだかつていないだろう。しかしほかに望みなど、存在するはずもなかった。


「お願い。あなたを呼び出すために犠牲になった猫たちを全員、生き返らせてほしいの」


「何だって!?」


 相手は当然、巨大な目を丸くした。信じられないと言うように、大きなお手手で天を仰ぐ。


「そんな! たった今、夢とはいえ体を得たというのに!」


「ごめんなさい。あなたには申し訳ないけど、これがわたしの願いなの。あの子たちはわたしの大切なお友達。どうかお願い、何でも叶えるって言ったよね……?」


 両手を握り、ずるい言い方をしてみる。ビッグ・イヤーは嘆くようにかぶりを振って答えた。


「我は召喚主には逆らえぬ。ましてやそれが、猫を司る者とあらば……。なるほど、猫を殺したのはお前ではないのだな。ぐぬぬ……。よいか、こんな願いはもう二度としてくれるなよ」


「それじゃあ……!」


「ああ、その望み、叶えてやろう。猫魔女ミア、お前の名前は覚えたぞ、畜生め。では、さらばだ!」


 ビッグ・イヤーがニタリと笑うと同時に、目の前で白い煙が爆発した。わたしは悲鳴をあげて手をかざすも、巻き込まれて視界が閉ざされる。せめてもの仕返しをされたようだ。

 そして充満した煙が晴れたとき、三十二匹の猫たちはすべて地面に横たわっていた。


「みんな!」


 わたしはすかさず駆け寄った。二匹の仔猫を抱き上げると、彼女たちはすやすやと寝息をたてている。ネルの配下たちもゆっくりと呼吸をしているのが見てとれた。


「よかった……本当によかった……。ビッグ・イヤー、ごめんね。ありがとう……」


 どこか遠くで、豪快な笑い声が聞こえた気がした。

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