第36話 メア

 横一列になって空を飛ぶ。わたしの右にネル、左にオンドレア、その奥にはニーナさん。猫の女王といえど少女の姿をとるときは、ホウキにまたがって飛ぶらしい。

 目的地のはげ山はひどく殺風景なところのようで、なぜそこが最後にふさわしいのかは、尋ねても教えてもらえなかった。


 本当にいろいろな出来事があった。自身の明晰夢に一定の成長はみられたものの、彼女たちと比べれば実力はまだまだ。それでも、わたしには到底思いつかない空想の世界には、十二分に楽しませてもらった。

 またいつかシンクロすることを約束し、ちょっぴり切なさを感じながら、最後までこの夢を堪能しようとする。

 そんなとき、わたしはとくにヘマをしたわけでもないのに、みんなから遅れてしまった。慌てて速度を上げようとしても、その差はどんどん開くばかり。


「みんな、待ってよ〜! 置いていかないで!」


 大きな声で呼びかけるも三人は気づいてくれず、とうとう豆粒ほどの大きさになってしまった。何かがおかしい。


「ミア、後ろ!」


 頭上の黒猫が叫んだ。何事かと振り返ると、わたしの後方にブラックホールのような巨大な黒渦がある。


「何あれ……」


「止まっちゃダメ! 全速力で逃げるニャ!」


 白猫の言葉にハッとして飛行に集中するも、ぐんぐんと吸い込まれていく。どんなに前進しても下がる一方。

 わたしは逆らうのを諦め、せめて猫たちと離れ離れにならぬよう、帽子を押さえて二匹にしがみつくよう指示する。直後、あっという間に渦の中へ呑み込まれてしまった。

 何度も上下逆さまになりながらも必死にホウキへすがりつき、なんとか水平を取り戻す。固くつむっていた目を見開くと同時に、目の前から少女の声がした。


「よお、また会ったな。逃げられると思ったか? 残念、ここは俺のフィールドだ」


 待ち構えていたのは案の定、ガブリエラだった。何もない暗黒の空間に平然と浮かび、いかにも見下した目をこちらに向けている。はるか遠くには、紫色の雷がひっきりなしに瞬いていた。

 猫たちを仲間にして勇気づけられたわたしは、彼女をキッとにらみつける。


「あなたいったい何者なの? わたしのナイトメアだけ、みんなと何かが違うわ」


「前も言っただろう。俺はお前に潜む強いお前さ。自己否定によって生まれた、完全なる上位互換なんだ。お前だっていつまでも弱いままなのはイヤだろ? だからさ、早くその体をくれないか。うまくいかないお前の人生、俺がなんでも成功にしておいてやるから」


「ウソよ。あなたはわたしとは完全なる別人格だわ。だってわたし、マイマイカブリなんて生き物は初めて聞いたもの。ガートルードたちとは違って、実体をもたない夢魔なのね? そうなんでしょう!」


「……チッ。馬鹿のくせに気づいちまったか。そうさ、俺さまは夢魔の一種、メアだ。人間どもが雌馬めうまのメアとの言葉遊びで生み出したのが、あのナイトメアだ。ちなみにガブリエラは俺がお前に言わせた。そのままそう呼んでくれて構わないぜ」


 そう言うと彼女はまたも己の姿を変えた。少女だが、わたしとは違う顔だ。虎のような髪の毛と不遜な態度は以前と変わらないが、耳が長くとがっている。顔立ちは整っていても、邪悪さは隠しきれていなかった。


「肉体を失って幾星霜。俺は夢のなかをさまよい、都合のいい器をもった娘を探し求めていた。美少女ってだけで人生イージーモードだからな。お前もったいないぜ。俺が使ってやるから、ここで消えてくれねえか」


「お断りよ。ここで襲うなら、どうしてあのとき去っていったの?」


「それが俺にもわかんねーんだ。でも今、お前の間抜けヅラ見て気づいたぜ。これだ。お前から奪ったこの髪飾りが悪さしてたみてえだ。ただのお守りチャームだと思ったら、護符アミュレットだったらしい。いらねえや、こんなもん」


 ガブリエラが無造作に放り投げる。わたしはホウキを走らせ、それをぎりぎりでキャッチした。

 ニーナさんがくれたのはただの髪飾りではなくて、対象を守る強力なまじないだったらしい。わたしは懐にしまい込むと、そのまま飛んで逃げることにした。

 だが、ここへ引きずり込んだ渦が見当たらない。かくなる上は、行き先を想像してワープするしかない。今のわたしなら不可能ではないはずだ。


「ハハハッ! この期に及んでまだ逃げれると思っているのか。ほれ、こうしてやろう」


 すでに相手は遠ざかっているのに、声が耳まで直接届く。するとホウキが直立し、制御が効かなくなった。振り返れば柄がどんどん伸びて、穂が遠ざかっていく。先端のわたしはぐんぐん天へ。


「何これ何これ何これー!? きゃあああああ、倒れるー!!」


 恐ろしい高さで止まったかと思えば、前のめりに傾き始めた。見る間に地面が近づいてくる。

 どうすれば? そうだ、別のものに乗り換えよう。

 激突する直前で、わたしは風船を呼び出した。うつ伏せでそれにしがみつき、ふわふわと上へ昇っていく。

 ほっとしたのも束の間、今度はカラスが現れて、風船をつつきだした。


「やめてやめてやめてー!!」


 バンッと大きな音がしてはじけた。手をバタつかせながら真っ逆さま。

 そうだ、なにも空を飛ぶのに道具なんて要らない。

 両手を羽のように広げ、ブレを調整してバランスをとる。ドレスがひらひらとはためいて、空気をうまいことつかんでいる。


「ふふん、これならもう怖くないわ!」


「それはどうかな? ほうれ、ぐるぐるぐる」


 突然、暴風が発生した。竜巻だ。あっという間に呑み込まれ、目がぐるんぐるんと回る。


「きゃあああああ! もう、ダメ……」


 三半規管が狂ったわけでもないのに、一瞬で気持ちが悪くなった。竜巻は消え去り、またもや落下し始める。完全に酔ったわたしはパラシュートを呼び出すのがやっとだった。


「うぅ……」


 虚無の大地に降り立つと、そのまま地面に突っ伏する。自慢の帽子は頭から転げ落ち、ひっくり返ってしまった。

 完敗だ。そもそも戦わずに逃げていただけなのだから、勝負にすらなっていなかった。

 ガブリエラの足音が近づいてくる。まさか夢のなかで本当に命を奪われるとは思ってもいなかった。

 悪夢で死ぬといっても、これはやがて現実で目を覚ますナイトメアではない。眠りに落ちたまま夢をみ続けるバッド・ドリームだ。


「夢みがち少女の想像力も大したことはなかったね。残念だけどここで終了。安心してくれ、お前の家族ともうまくやっとくから。いやむしろ、俺こそが本当のミアだったんだ。悩みの種であるお荷物が消えて、みんなハッピーさ」


「ミアに近づくニャ!」


「噛みつくぞ、このやろう!」


 白猫と黒猫が服の下からはい出てきた。どうやらガブリエラの前に立ちはだかっているようだ。


「出てきちゃダメ……」


「ハハッ! なんだこいつら。金魚のフンがなんか言ってらあ。仔猫ちゃ〜ん、かわいいでちゅねぇ。お前らも俺と一緒にくるか〜い? それともここで死ぬ? いってえ! こいつ、やりやがったな!」


 小さな悲鳴が聞こえた。うっすらと瞳を開けると、二匹が転がっているのが見えた。


「なんてことを……。あなた、いったい何を……」


 手を伸ばそうとすると、その手を踏んづけられた。


「きゃあああああ! 痛い、痛い、やめてえっ!」


「わめくな! あのチビどもを殺したのはお前の弱さだ」


「ころ……した? あああああ!」


 かかとでぐりぐりと力を入れられる。夢世界の住人にとってはこちらが現実。感触を通り越して脳に直接、激しい痛みが響き渡る。

 ネルもニーナさんもオンドレアも、助けてくれる味方はもういない。わたしが弱いばっかりに、小さな仔猫を巻き添えにしてしまった。

 息がつまる。これはただの感情ではない。首根っこをつかまれて、ずるずると後ろに引きずられていた。


「わくわくするぞ! 久しぶりの肉体を得られるんだ。俺を殺した人間どもにとうとう仕返しができる! ふふふ、あっちに溶岩を用意しておいたからねぇ。お前はそこでドロドロに溶けちゃえ」


 こいつはいったい何者なんだ。わたしはとんでもない夢魔に出遭ってしまったのかもしれない。

 想像したくもない未来が脳裏をよぎる。ダメだ、そんなことを考えては。いつだって、どんなときも、あの子は助けてくれた。弱いわたしを許して。助けて、ネル──


「そこまでにゃ!」


 聞き覚えのある声が聞こえた。

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