最後の柿
大田康湖
最後の柿
2023年の敬老の日、たまたま父方の祖父母の家周辺を見たくなってGoogleマップでストリートビューを見ていたところ、祖父母の家に『売物件』という看板が掛かっており驚いた。マップの更新日は今年だったので最近売り出したらしい。
早速不動産サイトで祖父母の家の地域の売り出し物件を調べてみると、見覚えのある家が引っかかった。サイトには家の内部の写真もある。
祖父母の家の周辺には墓参り等で行っていたが、家には何十年も行ってなかった。お中元やお歳暮は毎年贈っていたが、後を継いだ伯父夫婦が数年前に亡くなったこともあり、現在では交流はない。いとこにあたる伯父の息子は近所に住んでいるので、現在は無人である。そういえば父が「実家を処分したい」と言っていたような気もする。
何はともあれ、不動産サイトに載せられた家の内部の写真を見て回った。懐かしい記憶が次々思い出される。
広い
左隣の部屋は帰省時の私たち一家の寝室として使われていた。布団を島に見立てて同い年のいとこと遭難ごっこをしたのもこの部屋だ。鶴の細工が施された欄間も映っている。この欄間を木に見立てて果物をとる真似をしたものだ。
その左隣は仏間兼伯父の息子の部屋で、後に建てた納屋の上の部屋に引っ越した後は、寝たきりになった祖母のベッドが置かれていた。
仏間の入口にはお盆になると大きな提灯を2つぶら下げ、仏壇の横にぼんぼりを二灯並べていた。仏間には私の生まれる前に亡くなった親戚の遺影もあり、はばかられる雰囲気があった。
祖母がまだ元気な頃、この家の建つ土地の由来を話してもらったことがあった。ここは殿様のお狩り場だったのだそうだ。ネット時代になり、城跡巡りをしている方のブログで、かつてこの場所に戦国時代の平城があったことが分かった。平城の主と目される人物の名字と祖父母の名字は同じだが、直系の子孫かどうかは不明だ。祖父母の家や一族の墓地は、この平城跡のそばに建てられている。
祖母についてはもう一つ思い出がある。私のいとこにあたる孫に子どもが生まれたとき、当時流行っていたドラマ「おしん」から「しん」を付けた名前にしたかったが通らなかったとぼやいていたのだ。
玄関から左側には廊下に続くドアがあり、回廊のように部屋を取り囲んでいた。廊下奥のトイレの写真もあり、和式便器の上にプラスチックのカバーを覆って洋式にしてある。これも私が子どもの時に変更していた。トイレの手前にはかなり古そうな桐箪笥が置いてあった。
玄関の右側からは土足で入れる小さな部屋があり、正月に餅を作った時はここで乾かしていた。その横を通ると土間になっている台所に行けるが、どうやら木の床にリフォームしたらしいことが写真で分かった。これは私が見たことがない姿だ。
客間の奥は台所に続く居間となっており、振り子時計やテレビ、掘りごたつが置かれていた。祖父のたばこ盆も置かれており、「エコー」を吸っていたと記憶している。この居間の右には回廊となった廊下へ続くドアがあり、入るのがはばかられた祖父母の寝室や、結婚して家を出た伯父の娘の部屋があった。
居間の奥には洗面所や風呂場に続く廊下があり、冬場は寒かった。
家具はほとんど運び出してあるが、洗濯機やクーラーは残されている。家が建てられたのは私が生まれたのと同じ1970年だということも分かった。納屋も現存しており、二階にある伯父の息子の部屋で本を読みながら過ごしたことを懐かしく思い出す。
家のそばには大きな柿の木があった。畑やビニールハウスのあった土地を含めるとかなりの広さだ。
今は引退したが、子ども時代の祖父母の家は農業をしており、キュウリのビニールハウスが立ち並んでいた。ビニールハウスに入ると青臭くてムッとする空間にたくさんキュウリがなっており、伯父が収穫をしていることもあった。
不動産サイトの注釈によると、祖父母の家は「再建築不可物件」であると注記されている。これは現在の建築基準では隣接した道路の幅が足りず、解体しても同じ土地に家を建てることは出来ないというものだ。確かに我が家が帰省する時にもかなり苦労して敷地に入っていた。祖父母の家の敷地のそばには建築後に出来た県道があり、繋がる土地を確保できれば活用できるが、かなり困難だと注記されている。
一週間ほどして再度確認しようとしたところ、すでに不動産サイトから祖父母の家の記事は削除されていた。買い手が付いたのだとしたら喜ばしいが、正直寂しい気持ちだった。
11月初め、私は中学校の同窓会に出席するため、コロナ禍以来久々に実家に帰省した。いい機会だと思い、私は父に祖父母の家が売りに出されていたことを話した。するとやはり、いとこが土地を相続せず手放したのだと聞かされた。相続税を払うのも大変だろうし仕方がないことだと思った。
昼食時、デザートに出されたのは柿だった。母が「祖父母の家で採れた最後の柿だから食べなさい」と言って勧めるので、私は柿を一切れ食べた。正月に祖父母の家に行くと、この柿が干し柿になっていたのを思い出した。
12月初め、実家の母からお歳暮が届いたと電話がかかってきた。もう一つ話があるということで、父が代わって電話に出た。
「本籍をうちの住所に変更したから」
言われて思い出した。私の本籍は売却された祖父母の家だったのだ。私に直接影響があるのは免許証に登録してある本籍を変更しなくてはいけないという点だ。しかし、いつか父や母の相続手続きをするときが来たら、戸籍を取り寄せて一族の系図を見るのを密かに楽しみにしていた私は残念だった。
2024年の正月、実家に帰省した私の夕食の席で、デザートに干し柿が出た。まだ祖父母の家の柿が残っていたのかと思った私に母が言った。
「これはうちの柿。今年は豊作だったから干し柿にしたの」
私は干し柿を口に含み、中に入っていた種を取り出した。この柿もいつか食べられなくなる日が来るのだろう。
最後の柿 大田康湖 @ootayasuko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます