第058回「漢中王劉備」

 ――なんともはや、歯ごたえのない敵であることよ。

 彭羕は、見上げるように巨大な白馬に跨ると、この日のために成都で誂えた美々しい甲冑に身を包み、城門をくぐって堂々と上庸城に乗り込んだ。実際には、房陵をあっという間に落とした孟達が上庸に迫っていると聞き、両者の挟み撃ちによる絶対的な不利を悟った部分も大きい。


 ――見よ、我が偉業を。

 彭羕は意気揚々と降伏した申耽と申儀の兄弟を呼び寄せると、並み居る諸将の前で聞いた。


「どうだ。曹丕と我ら蜀軍はどちらが強い」

 申耽は拝跪したまま表情を変えずに応じた。無論のこと、蜀軍のほうが力は優勢であるかと存じます、と。


 仮にも申耽は上庸一帯で相当に名を売った男で、彭羕の劉備の威を借りた増上慢の問いかけに、内心、腸が煮える思いであったろうが、それを面に出さぬ精神的修養を持っていた。彭羕は申耽が消え入りそうな声で答えるのを、敗者の気弱さと断じ、一顧だにしなかった。


 これには、遅れて上庸に到着した孟達が地元の豪族たちから聞かされ、肺腑に刃物を刺し入れられたかのように冷たいものが駆け巡った。


 ――なんという愚かな。我は永年を見誤っていたか。

 孟達は、密かに申耽の元へと人を遣った。あくまで孟達は劉備に仕える曹丕の敵である。表立って申耽に彭羕の無礼な態度を詫びることはできなかったが、それでも最低限の心遣いは必要であるはずだと、敗戦で懐が厳しい申耽へと絹や金穀などを融通した。


 後日、上庸の混乱が収まり、孟達と顔を合わせた彭羕は

「見ていろよ、子度。我はここを根拠地として軍を養い、許都まで一気に攻め上ってくれるわ。そのときの、あの髭どのの悔しがる顔が目に浮かぶようだ」

 と言い放った。


 孟達は、周囲を力自慢の騎士たちに囲まれ城内を我が物顔で闊歩する彭羕に対して、強烈な違和感と危険を感じ、即座に諸葛亮に対して書を送った。


 絶頂であった彭羕は孟達と共に、上庸と房陵の二郡を落とした事実を成都に戻っていた劉備に自慢顔で送った。


「孔明。子度と永年が上庸を無事落としたそうだ」

 子度は孟達の字、永年は彭羕の字である。劉備は血色のよい肌艶で卓の上にある戦略地図に、白い木製の駒を進めた。


 これで、名実ともに荊州と益州は無事、劉備の支配下に入った。諸葛亮は羽扇を使いながら、対面に立っている法正の顔を見た。この稀代の戦略家は、目を閉じたままずっとなにごとかに思い耽っている。


 孟達の手紙は読んだ。諸葛亮は、彭羕の増上慢が今回の戦功でそこまで肥大化していることに、わずかな不安を覚えたが、むしろ成都の中枢に置いておくよりかはマシであろう、と心の中で割り切った。孟達には引き続き彭羕の様子を注意深く観察するようにと書に書き綴り、早馬で送った。


「孔明。私は孟達と彭羕それぞれを、上庸と房陵を治めさせようと思うのだが、どうだろうか」

 諸葛亮はやわらかに微笑むと、劉備を仰ぎ見て言った。


「よろしいかと存じます。それにしても、さすがは主が選んだ二将。これで、また漢朝復興に一歩近づきましたな」


「これもすべて、そなたたちのおかげだ。さて、次なる手はどうするべきか――」

「それよりも、なによりも我が主にはお考えにならなければならぬことが控えております」


「また、その話か……」

 劉備はいつになく憂いを帯びた顔で諸葛亮の視線をさけた。

 これには理由があった。


 秋口には漢中諸郡の平定もいよいよ完了し、成都の群臣には当然であろうとある気運が高まり、それらは日々を過ぎるごとに、大きく、やがては形を成した。


 ――王国の建設である。

 当然ながら、いまや、荊州と益州ふたつの州を治める劉備を漢中王に昇らせるという一大事業である。


「我が主は齢五十を過ぎ、その威徳は四海に鳴り響き、遮る者はおりませぬ。いまや東西の両川が無限に広がる地に君臨成されて、従う将士は十数万を超えております。これは、若き日より、主が西に東に転戦して、天の刻が至ったことによる天意なのでございます。我が主は、天からの授かりものである理に応じて、王位にお即きあるべきかと存じます」


「孔明、きみのような人間ですらそのように不敬なことを言うか。確かに、私は漢室に連なる者であることは間違いないが、いまの帝は許昌におわす。ここで自儘に王位を僭称などしてみよ、我らが唾棄すべき曹丕のような輩と同じような位置に立つことと変わらぬではないか。私は、臣としてとてもそのようなことはできない」


「お言葉ですが、主よ。帝位ではなく漢中王を名乗ることには、許都におわす帝も喜びさえすれ、お認めにならないなど絶対にありえません。考えてみてください。南には呉に孫権が覇を唱え、北方では中原にいまだ居座る曹丕が存在する限り、都の帝も一日たりとて心休まる日は存在しません。さらに言えば、主が王位に即くことを躊躇いあおさばせば、未来に望みをかけて戦ってきた三軍の将士たちは、櫛の歯が欠けるように次々と、この益州から魏や呉に去ってゆくでしょう」


「む、それは」

「これは致し方のないことで、人の心や仁義云々の話ではないのです。人間の願いや望みは、たとえるならば市場と同じようなことで、買い物に出かけて品がなければ人は去ってゆくのは当然のことなのです。関羽や張飛、趙雲のように数十年間と主につき従ってきた忠勇の士はともかくとして、私ですら主に仕えてわずか三年でございます。ほかの者はいかがでしょうか。


 短すぎる時間の流れによる薄い絆では、人は繋ぎ留められません。将士がいなくては天下に大義を唱えてもどうにもならないことは、主が一番よく知っていると思います。よろしく、いま、ある盛運に乗って天地の理を受け止めて、御心をひろく持ち、なにとぞ王位に昇ることを御再考くださいませ」


 諸葛亮がそれだけ言うと劉備は眉間にシワを寄せて、強烈に葛藤し出した。が、これは本心とは違う、と諸葛亮は知っていた。劉備は仁義を旗印にし、尊王を掲げて曹操と戦ってきたが、実際は現実主義者である。


 ただ、即座に王位に手を伸ばせないのは、それをやればおのれの半生を否定するに等しいがゆえに、正直になるのが難しいのだ。


「確かに孔明の言うとおりだ。義だけで大事を成すことはできぬ」


 ついに劉備も諸葛亮の進言を聞き入れ、漢中王に即位することを決めた。だが、このことも許都にいる献帝に詔を得なければならない。


 これはかつて劉璋の臣であり、いまや劉備に仕える文官の譙周が表を作った。

 

 譙周は字を允南といい、巴西郡西充国出身の人である。譙周は幼くして父を失い、母や兄と一緒に暮らし、成長した後は、古代への愛好心が強く、学問に精を出した。家は貧しかったが、一度も暮らし向きについて問題にしたことはなく、書物を朗唱しては、ひとりで朗らかに笑い、寝食も忘れるほど六経を精細に研究し、天文に通じていた。


 譙周は天文に関しては興味がなく、ほとんど注意を払わなかった。身長は八尺で、風貌は素朴、性格は誠実で飾り気がなかった。


 不意の質問に答えるような弁論の才はなかったが、見識を内に秘め、明敏な頭脳を有していた。


 つまり、このような表を作ることは譙周にとってはもっとも向いていたといえよう。


 漢の建安十六年(二一一)秋――。

 劉備の群臣で主だった者が、献帝に上表した。


 軍事や行政の百二十人の代表として、以下の者が名を連ねた。


 平西将軍都亭侯の臣馬超、

 左将軍領長史鎮軍将軍の臣許靖、

 営司馬の臣龐羲、

 議曹従事中郎軍議中郎将の臣射援、

 軍師将軍の臣諸葛亮、

 盪寇将軍漢寿亭侯の臣関羽、

 征虜将軍新亭侯の臣張飛、

 征西将軍の臣黃忠、

 鎮遠将軍の臣賴恭、

 揚武将軍の臣法正、

 興業将軍の臣李厳などである。


 かくて、劉備は沔陽に壇上を設え、兵を整列させて群臣が陪席して、上表文を読み上げた。


「――いま、曹賊は直きを憎み正しきを嫌い、まことに多くの仲間を集め、仇なす心を包み隠しているものの、簒奪の意図はすでに顕かであります。すでに皇室は力弱く、皇族も官位についておりませんのでいにしえの法式を考えあわせ、外に出れば適宜の処置を許されるという制度に沿って、わたしを大司馬漢中王に推挙いたしました。臣は伏して我が身を三省いたしまして、国家の厚恩を受け、一地方の任を担いながら」


 諸葛亮は劉備が読み上げる上表文を聞きながら、胸を熱くした。

 ようやく。

 ようやく、ここまでたどり着いたのだ、と。


「――仰いで、この爵号を思いますれば、位は高く寵愛は厚く、伏して恩徳に報いることを考えますれば、憂いは深く責任は重大で驚き恐れ息を詰まらせ、まるで深谷に挑むような気持ちであります。


 力を尽くし、誠意を捧げ、六軍を奮い立たせ、正義の士を統御し、天の意思に応え時運に従い、逆賊を撲滅して国家を安寧に導き、万分の一でもご恩に報いる所存でございます、つつしんで上奏し奉ります」


 劉備が読み終わる。

 諸葛亮は深く息を吐き出した。その面にびっしりと汗が浮き、顔色は蒼ざめていた。精力を残らず使い果たしたような疲れ具合だった。


 劉備は王の冠を頭にかぶり、漢中王に即位した。

 ときに、劉備五十一歳である。

 諸葛亮が見る限りに、劉備の髪は未だ黒々とし、経験と知識と人生でもっとも脂が乗っている時期である。


 ――これならば、必ず我が主と大事は成せる。

 諸葛亮三十一歳。

 世間的にはまだ卵の殻をかぶったヒヨコ程度であるが、中身は蜀一国を背負い、十万を超える兵力を用いて五度の北伐を行った大政治家である。


 劉備は、まず新参である魏延を都督として抜擢し、漢中を守らせた。群臣の誰もが、漢中を守護するのは劉備の義弟であり最古参の張飛であると思っていたので、これは驚きだった。

 

 もっとも、これには諸葛亮が動いている。性格的には合わなかった魏延であるが、その指揮能力や戦術眼は完成の域に至れば、関羽や張飛などをはるかに凌ぐだろうと思っている。


 ――私も精進せねばな。

 考えれば、魏延は劉備が生存時には忠義篤く、裏切りの兆しすらみせなかった。諸葛亮は、漢中王に至った劉備を目にし、自らもさらなる成長を遂げ、国家の安定に尽くすための努力がいま以上に必要であるとおのれを戒めるのだった。

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転生諸葛亮戦記 三島千廣 @mkshimachihiro

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