かすみ
深雪 了
かすみ
僕の知る彼女はいつだって笑顔だった。
日差しで溢れる野原を満面の笑みで駆け回るその様は、とても不治の病を抱えている身とは思えなかった。
陽気にはしゃいだかと思えば、急にあ、と何かに気づいて緑色の地面にしゃがみ込む。
「四つ葉のクローバー見つけたよ、これは絶対良いことあるね!」
と破顔しながら僕の方を向き、とても病人とは思えない発言をする。
とにかく彼女はいつも明るかった。
病院からの外出許可が出ると、彼女はいつもこの野原に来たがった。
そこで彼女は草花を愛でたり、緑の上に座って僕と他愛もない話をすることが常だった。
病の話題に触れることはほとんど無かった。彼女があまりにも明るすぎて僕の方が困惑するくらいだった。
彼女の病室で、辛くないのか、無理してるんじゃないかと尋ねてみたことがある。
すると半身を起こした彼女は穏やかな表情でううん、と言った。
「だって、咲人君が一緒に居てくれるなかで死ねるんだもん。それって最高の状態で死ねるってことでしょ?だから全然辛くないよ」
それが本心であるのかどうか、その時の僕には分からなかった。
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「これ」
いつものように野原に来ると、彼女から小さな紙袋を突き付けられた。
目を凝らして見てみるとどうやらそれは花の種のようで、パッケージには太く大きな字で「かすみ草」と書いてあった。そのゴシック体の下には写真があり、小さくて白い花がその中で咲き乱れていた。
これがどうしたの?と尋ねると、「植えたいの」と彼女はいつもの笑顔で言った。「二人で、植えたいの」
「良いけど、突然どうしたの」
困惑しながらパッケージと彼女を見比べると、「いつも植物を見てるだけだから、たまには自分で植えたくなった」と横顔を見せながら彼女は靴で野草を弄んだ。
風が穏やかに吹く中で、僕達は野原に種を植え始めた。僕の隣で作業をしている彼女はやはり楽しそうだったけど、僕は何か違和感を覚えていた。
彼女の長くて茶色い髪が時折強く吹く風になびいた。
「これ、いつ頃咲くんだろうね?」
ひととおり作業を終えると、僕は種を植えたあたり一帯を見渡した。
「来年の春頃みたいだよ」
風に吹かれる髪が彼女の横顔を隠していた。
「じゃあその頃が楽しみだね」
「・・・うん」
風は強く吹き続けていた。
一度だけ彼女が泣くのを見たことがある。
種を蒔いてから一週間程経った頃だったと思う。
僕が見舞いに行くと彼女はいつも嬉しそうに出迎えるのに、その日はベッドで上体を起こして窓の外の雨を眺めていた。
「大丈夫?調子良くないの?」
僕がベッド脇の椅子に腰を下ろすと、彼女は外に視線をやったまま呟いた。
「消えちゃうの」
「え?」
彼女は僕に向き直った。
「私は必ず、そう遠くないうちに消えちゃうの。この世界から。
いなくなっちゃうの。咲人君を置いて」
彼女は布団の上で組んだ手を握りしめた。
「本音を言えば、もっと咲人君と過ごしたかった。一緒に生きていきたかった。でも・・・、駄目なの。どうしようもない。本当は・・・、怖いの。いつもは、自分でも気づかないふりをしてるけど、本当はこわくて仕方がないの・・・!」
かすれるような声を震わせながら、彼女はそれらの言葉を発していた。吐き出し終わる頃には大粒の涙を流しその顔を手で覆っていた。
僕は彼女を抱き締めることしかできなかった。彼女がいつも明るいのは、僕を心配させない為だけではなかった。悲しみや不安で押し潰されそうな自分の心を、明るさで取り繕っていたのだ。明るさで自分自身を騙していたのだ。
翌年の春、僕はいつもの野原で降り注ぐ日の光を仰いでいた。
彼女と種を植えた場所には鮮やかな白い花を付けたかすみ草が
それらは陽光を浴びて光を反射し、彼女の笑顔のように輝いていた。
その白の前に僕はしゃがみ込むと、彼女が走り回るさまを思い出しながら小さな花弁を弄んだ。
そして、手にしていた花に涙が一滴落ちた。
四ヶ月後、僕はまたあの野原にやってきた。
手にはかすみ草の種が入った袋を持っている。
病気の彼女を支えているようで、支えられていたのは僕の方かもしれなかった。
恋人をいつか必ず失うという絶望の中、彼女の放つ光に支えられていたように思う。
土を掘り返し、種を一つ一つ
僕の心の空洞が埋まるまで、毎年この行為を続けるのだろう。
彼女が愛したこの土地で、彼女が生きた証に同じ名前の花を僕は植え続ける。
——かすみ。
咲き誇るその花はまるで白いワンピースを着た彼女が跳ねているようだった。
この花が咲いている限り、僕はずっと彼女を見ていることができる。
僕は満開の白であふれる光景を、目に焼き付けるように眺めた。
そしてもう一度その名前を呟き、微笑んだあと静かに立ち上がった。
かすみ 深雪 了 @ryo_naoi
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