それでもあなたは自分が私の父親だと言う

馬永

第1話(完結)

序章

 小春日和の午後、運動場から見える北側の2階建て校舎の背には雲一つない青空が広がっている。日はまだ高い。

 校舎中央の生徒用の入口から、子どもたちがわらわらと出てきた。みんな、背負っているランドセルがまだまだ大きい。小学1年生の下校時間になっていた。歓声を上げる子たち、ニコニコして話に夢中な子たち、正門に向かって運動場を駆けだす子も少なくない。


 しばらくして、ピンクのランドセルの女の子が出てきた。他の子と比べると体がやや大きいが、一人ぼっちだ。入口近くの花壇で揺れる薄桃色の秋桜には目もくれずに女の子は早足のまま、運動場を横切っていく。派手な黄色のワンピースとは裏腹に、その表情は今にも泣きそうだ。

 女の子が正門に差し掛かろうとした時、

 「待って。ちょっと待ちなさい。」

 一人の女性が女の子を追ってきた。淡いグリーンのスーツにはまったく不似合いな茶色いサンダルで走ってくる。

 「もういい。もういいの。」

 女の子は女性から逃げるように、正門を抜けようと駆けだした。

 「もういいの。来ないで。」

 駆けるといっても、女の子の歩幅は小さく、すぐに女性に追いつかれた。後ろから手をつかまれ、そのまま女性の方に振り向く形となった。

 「お願いだから…、お願いだから、話を聞いて。」

 女性はかがんで、視線を女の子と同じ高さにした。まだ肩で息をしている。

 「ルカちゃん、やっぱり足、速いねー。先生、追いつけないかも、って、思っちゃった、よ…。」

 女性、先生は息を整えながら、笑いかけた。

 ルカちゃんと呼ばれた女の子は先生を見つめた。先ほどの表情とは違って笑顔になっていた。それでも、大きな瞳に涙が溜まっている。

 「大丈夫。先生がお弁当、作ってあげるから。遠足の日もいつもどおり学校に来ていいんだよ。大丈夫だから。」

 ルカは大きくかぶりを振った。先生は続ける。

 「大丈夫。お母さんには何も言わなくていいから。先生も何も言わない。安心して。1年2組のみーんなで、一緒に遠足に行こう。」

 「もういいの。」

 ルカはさっきと同じ言葉を繰り返す。

 先生はルカをそっと抱きしめた。

 「ごめんね、ごめんね。」

 -何で先生が謝るの?悪いのは私だよ。



第一章 

 最近、しばしばルカの家に泊まりにくるようになった俊介は

 「いったいどんな食生活をしてきたん?」

 と口癖のようにつぶやく。もはや質問ではなく独り言レベルだ。それを横耳に挟みながらルカはいつも思う。

 -昔のことはあんまり覚えてないしなぁ。

 

 同じ会社の社員同士で、職場、支局の違う関俊介(せきしゅんすけ)との距離が近くなったきっかけは動物園だった。

 それまでも都内支局の営業担当者会議とその後の飲み会で何度か一緒になったことはあったのだが、その日はたまたま解散後に電車も一緒になった。その際、何かのきっかけで「動物園に行ったことがない」という話になったのだ。

 「えぇっ!動物園に行ったことがないの?」

 「はい。記憶にはないです。」

 「普通、家族で行かない?家族が無理でも、学校の遠足で行きそうなもんだけど。」

 「あぁ、遠足自体、行ったことがないんです。」

 「へ?」

 「すみません。多分、遠足には行ったことないと思います。あんまり子どもの頃の記憶がないんですよ。」

 「…」

 「変ですかね?」

 「行ってみません?人生初の動物園に。」

 という流れから、二人で動物園に行くことになった。

 「せっかくここまで温めたんだし、都内に住んでいるし、人生初動物園は上野動物園しかあり得ないでしょ!」

 という俊介の主張により、5月のGWの一日を利用して、上野動物園に行くことにした。俊介とは仕事以外、土日に本社がねじ込んでくる社員勉強会以外で、休日に会うのはこれが初めてだった。

 待ち合わせ、上野駅に時間通りにやってきた俊介はジーンズにグレーのパーカーで、黒のリュックを背負っていた。どんな格好したらよいか迷ったルカは、グレーのパーカーに薄手のアウターを羽織っており、やはり黒のリュックを背負っていた。

 「おそろいじゃん。」

 二人で笑った。

 それまで俊介のスーツ姿しか見たことなかったルカは、背が自分と同じくらいの彼のラフな服装を見て、可愛さを覚えた。

 動物園がどんなところか具体的にはよくわかっていなかったルカは、実際のパンダやゾウ、ライオンを初めて目にして興奮したものだった。

 「想像上の生き物じゃなかったんですね。」

 「すごいな、その感想。今時、小学生でも言わんわ。」

 昼時になった。

 「こういうところってお昼ってどうするんですかね?カフェとかはあったんで、何か買います?」

 「何言ってんの?動物園だよ。遠足だよ。」

 そう言いながら俊介はルカを休憩所に案内して、着いたテーブルの上にリュックの中のものを並べだした。

 「遠足って言ったら…お弁当でしょう!」

 大きめのタッパー2つと水筒、紙コップまで出てくる。ふたを開けた一つ目のタッパーにはラップに包んだおにぎり、二つ目にはナゲット、卵焼きが詰まっていた。

 「えっ、自分で作ったの?」

 「たいしたものは作れなかったんだけど…。」

 「やばい。」

 「いや、もしかしてあなたも何か作ってきたらどうしようとも思ったけど、自炊一切しないんだったよね。じゃあ、被ることはないだろうと…。何か作ってきた?」

 「ごめんなさい、そんなこと考えもしなかった。」

 「いや、謝るとこじゃない。被ってないならよかった。あとはお口に合うかしら。アレルギーとかあるんだったら、ごめんよ。」

 「とんでもないです。アレルギーも大丈夫です。」

 花粉症とダスト、ネコに対するアレルギーは持っている。アルコールもアレルギーに近い。

 「もしかして、人の握ったおにぎり、食べられない人?」

 「確かに潔癖ですけど、それはない…です。」

 「よかった。もしかのことも考えて、あまり作ってきてないけど、よかったら一緒に食べない?」

 「ありがとうございます。喜んでいただきます。」

 「別に敬語でなくてもいいからね。」

 確かに、飲み会の席で自分が料理できないことや潔癖であることを話した記憶はある。手作り弁当だけでなく、それを俊介が覚えてくれていたこと、その気遣いに驚いた。彼のノルマ達成率の高い理由がわかるような気がした。

 

 「あぁ、美味しかった。ごちそうさま。」

 「お粗末様でした。」

 特におにぎりが美味しくて、ほとんどをルカが平らげてしまった。

 「そう言えば、手作りのおにぎり、というより手作りのお弁当、食べたのは初めてかも。」

 「はぁ?いったいどんな食生活をしてきたん?」

 急に記憶が蘇った気がした。

 -あぁ、小学校の遠足、行ったことあるかも。あの時は先生がお弁当、作ってくれたんだっけ…。



2

 ルカは昔からよく外国人に間違えられる。店先や店内で黙って商品を見ていると

 「だいじょうぶ、ですか?アー・ユー・オーケー?」

 と店員さんにゆっくりした口調で話しかけられることがある。英語で話しかけられることも多い。笑顔でそのまま逃げるように立ち去りながら

 -ごめんなさい。まぎらわしい外見で。

 その度に心の中で謝る。

 祖父に似たのか、色白で目が大きく、瞳は茶色だ。身長は160センチ、高くはないが低くもない。栗毛色の髪はいつカットモデルのバイトが入ってもいいように、普段は伸ばしていることが多い。

 ルカの本名は福永瑠伽(ふくながるか)、普通に日本人だ。但し、中学の時から正式な書類以外はすべて、「ルカ」と書くようにしている。小学校の時に「名前は漢字で書くようにしましょう」と言われた時や、特に書道の時間に筆では文字がつぶれてうまく書けなかった時のことがあって、ルカ本人は自分の名前の「瑠伽」という漢字が昔から嫌いだった。このカナの名前を見て

 「日本の方ですよね?」

 と確かめられることも多い。


 横浜市内の公立中学、私立の女子高を経て、都内の女子大を卒業した後に、ルカは今の会社に就職する。勿論、会社への正式な書類は「福永瑠伽」で出したが、名刺を含めて、普段は「ルカ」で通している。

 大学では芸術を専攻していた。が、そういう関係の仕事に就く計画はもともとしてない。好きな絵や彫刻に時間を費やすのは大学で最後にしよう、自分にそこまでの才能はない、と早々に見切りをつけている。その上で、就職は一般企業がいいと考えて、芸術大ではなく一般の私立大を選んだ。せめて4年だけでも、少しくらいは自分にも好きなことに打ち込める時間を作ってあげたかった。つまり、ルカは大学に進学する前から、就職のことまでを考えていた。

 実際に就職活動を始めるにあたって、ルカが最も重要視したのは「内定を出してくれそうなところ」である。自分が就きたいかどうかは二の次としていた。書類への記載や面接で話す内容は、専攻した芸術のことより、高校、大学時代のアルバイト、コンパニオンやモデル、ビル警備員や道路工事作業員、ファーストフード販売員など、多種多様な経験を売りにした。

 「どんな仕事であっても、最後まできっちりやり遂げます。結果も出します。」

 実際に面接官が聞きたがるのも、そうした経験の話で、おじさん面接官の中には、コンパニオンのアルバイトについて根掘り葉掘り聞いてくる人もいた。

 片っ端から面接を受けまくった結果、最初の内定をもらうことができたのは4年生の夏前で、友達の中では早い方となる。その後も数社からの内定を勝ち取っており、その中からルカが就職先に選んだのは、業界内では大手と呼ばれている教科書の出版会社だった。支局が全国にあり、しばしば転居を伴う異動もある。

 入社前、ルカは関東から遠くの支局への配属を望んだ。とはいえ、望んだだけで会社に具体的な希望を出したわけではない。そもそもの契約形態が「転勤を伴う勤務」だったこともある。

 -私ごときが会社に要望を出すなどおこがましい。

 と思っていた。

 4月の入社後、1ヵ月の研修期間が終わる頃に発表された配属先は、ルカの地元である神奈川、正確には神奈川第二支局となった。男性の同期社員は地方配属になった者が多かったが、数少ない転勤を伴う女性社員はみな、東京の本社、または東京、大阪近郊の支局だった。出版会社とはいえ、出版に関わる業務をこなすのは本社のほんの一部の部署のみで、支局での業務はほぼ営業だけとなる。ルカは小学校を始めとする学校や教育施設へ卸す教科書や参考書、教材販売の営業担当となった。


 ルカは、学校の教師が保護者から聖職者のように信頼されていた世代ではない。また、一人の熱血教師によってどんな不良でも校正できると信じられていた世代でもない。小中高と自分の担任だった先生たちには何の思い入れもないばかりか、名前さえも覚えていない。彼らは単に「教師」という存在であり、そこに尊敬の念を覚えたことはなかった。そんなルカであっても、実際に目にした学校現場の現状、教師たちの人柄というのは、入社前の想像を軽く超えていくもので、いきなり大きな壁にぶつかった。実際、数人の同期は配属後すぐに退社している。それほど、教師に接するのは心が削られるような仕事だった。無論、全ての学校現場、教師がそうであるわけではないし、出会えてよかったと思える教師もいる。保護者の対応や部活の顧問など激務に追われ憔悴しきっている教師は何人もいたし、そうした教師たちを心底サポートしたいと思うこともあった。一方で、業者側であるルカに対して、抱えるストレスをそのままぶつけてきたり、世間一般からはかなりずれた倫理感を当然の権利として無理強いしてきたりする教師たちが、少なからず存在することには閉口していた。

 ルカ自身は、最初の神奈川第二支局に勤務した4年で、現場の教師たちからの要求に応えたり往なしたりする術を身につけている。4年経つ頃には、教師たちを相手に、いちいち本気で怒ることも落ち込むことも少なくなったし、自分が女性であることによる面倒さにも耐えられるようになった。

 「お時間いただけますか?」とお願いして、休日、職場以外で会うことを指定してくる教師には要注意、ということは身に染みてよくわかった。打ち合わせ時の食事の支払いは当然の如く、男性教師の中にはそれ以上のことを求めてくる者もいた。

 とはいえ、実際に面倒なのは、男性教師よりも女性教師で「子供も産んだことも、育てたこともない癖に!」と言い捨てるのは常に女性教師だった。


 入社から4年後、隣の神奈川第一支局、通称、横浜支局に異動となった。ここでも約4年勤務することになる。

 この横浜支局時代になると、最初の4年で感じていた「心のどこかが削られていくような感覚」は、もはや普通の感覚となり、特に愚痴を言うこともなくなった。

 いつの間にか同期入社で本社以外の支局に配属された女性社員で残っているのはルカだけとなっていた。既に退職した友人からはしばしば

 「まだ仕事、辞めないの?大丈夫?」

 と聞かれると、ルカは

 「心から尊敬できる先生もいるからね。」

 と答えるようにしていた。これは嘘ではない。確かに、素晴らしい先生や素晴らしい学校もあった。でも、それは方便だ。

 ルカが会社を辞めようと思わない最大の理由は、

 -自分のような人間はこの仕事を逃したら、もう二度と定職には就けない。

 と思っているからだった。

 -こんな私を、こんな好条件で雇ってくれた会社には感謝しかない。この恩に一生かけて報いていく。

 心底、こう思っている。会社に対する忠誠心は誰にも負けないつもりだった。

 それもあって、会社から課せられるノルマはすべて達成してきた。残業も休日出勤も当たり前のようにこなした。後年、会社が全社的に「就業規則を守るように」と言うようになってからは、残業も休日出勤も一切つけないようにした。残業や休日出勤を止めたわけではない。つけなくなっただけだ。ノルマを達成するためには、残業や休日出勤を減らすことは無理だった。お達しが出て以降、朝から深夜まで土日休日を問わず働き詰めでも、ルカの出勤表は常に「週5、一日7.5時間勤務」をキープするようになった。細かく報告する必要がなくなったので、勤務表を書く時間だけは減らすことができた。

 いつしか、ルカの営業成績は神奈川の2つの支局の中でもトップになっていた。



3

 約4年ずつの神奈川第二支局、横浜支局での勤務を経験して入社9年目を向かえる頃、ルカに三度目の通達が出た。都内、上野支局・営業チーム・リーダーとしての異動、栄転だ。

 会社は、ここ数年続いていた全国的な営業不振を挽回するために躍起になっており、特に都内の5支局の数値を向上させるとことを重要課題とした。そのため、全国から各支社の営業成績上位者が集められたのだ。同じころに福岡支局から、同じく都内、池袋支局へ関俊介(せきしゅんすけ)が異動してきたのも同じ理由である。


 この都内の上野支局への異動時、通勤距離の関係で、ルカは会社から転居を許されている。それはつまり、会社からの家賃援助を受けられる、ということであった。

 それまでの神奈川支局時代、会社への登録上では、ルカは横浜市の実家に住んでいることになっていた。この登録上の実家住所は祖父の家、ルカが中学から高校まで住んだ家のものだ。大学に入学してからはたまに必要な荷物、衣服を取りに戻る以外、ほとんどこの家に帰っていない。大学の4年間、ルカは友達の家やネットカフェを転々としている。これが「就職できるならどこでもいい」に拍車をかける理由の一つとなっていた。就職して安定した収入を得られるようになって、一人で暮らせる家を確保したかったのだ。

 入社時にルカが地方への配属を望んでいたのは、横浜の実家住所から通えない支局への配属の場合、会社からの家賃援助が受けられるからだった。神奈川支局に配属になり、見事にルカの思惑は外れた。神奈川の2つの支局はどちらも、実家住所からの直線距離が、会社が定める通勤可能距離内だった。

 それでも、最初の神奈川第二支局配属後すぐにルカは「賃貸契約」をやろうとした。自腹を切ってでも、一人暮らしを始めたかったのだ。初めての物件探し、初めての仲介業者への相談、ルカが希望したどの物件も…契約することはできなかった。

 何も特別な条件を希望したわけではない。保証人がいなかったのだ。学生や新社会人が初めての一人暮らしを始める際に、賃貸契約書の保証人欄の記入は保護者や親戚に依頼することが普通である。ルカにはその該当者がいなかった。仲介業者からは、祖父は年齢的に保証人にはなれないと言われた。両親の名前をルカが偽造して書くことはできたかもしれないが、連絡先までは知らなかったし、知っていたとしても書きたくなかった。

 いくつもの不動産を回り、担当者に何度も頭を下げて、やっとのことで保証人なしでも貸してくれる大家さんを探してもらい、なんとか契約できたのは神奈川県郊外、女性が一人で住むには治安が不安な地域にある、マンションというのは名ばかりの、アパートと呼ぶのさえ憚られる物件で、駅からは遠く、壁は薄く、ユニットバスは常に異臭のするものであった。シャワーカーテンは真っ黒に汚れていた。ルカは

 -ご迷惑をかけてすみません。保証人がいない自分が悪いんです。お貸しいただいたことに感謝します。

 と思うことにした。それでも、やっと借りることのできた、初めての自分だけの空間は嬉しかった。小さなテレビの横の一輪挿しにはポピーを生けた。質素倹約はそれまでと変わらなかったが、駅近くの花屋で一本だけ花を買ってきて部屋に飾るというのがルカのささやかな贅沢になる。

 この部屋には神奈川支局勤務の約8年、住むことになった。


 都内への異動を聞いたときに、栄転のことやリーダーがどんな仕事をするのか、よりも最初にルカの頭に浮かんだのは

 -今度は、会社が部屋を借りてくれるかも!

 ということだった。人事にもすぐに確認している。そこでわかったのは「借り上げ制」についてだ。確かにこの異動により、ルカは会社から上限付きで家賃の40%の援助を受けることができるようになる。しかし、会社は物件を借り上げてくれるわけでも、保証人になってくれるわけでもない、とのこと。つまり、物件契約するのはあくまで本人だった。はたして物件探しの条件は8年前と変わることはなく、都内にもルカが借りられる物件はなかった。このことを会社の人事部に相談しても「規定にない」の一点張りで、最後には

 「もうご実家から通うしかないのではないですか?」

 とさじを投げられた。人事にしてみれば、なぜ保証人を立てられないのか疑問なのだろう。

 「私のせいでご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません。」

 ルカは人事宛に謝罪のメールを送っている。

 仕方なしに都内への異動後も、しばらくは神奈川から通ってみた。最初の一ヶ月で、満員電車での通勤に片道2時間近くも費やすことが、精神的にも肉体的にもかなりの負担になることがわかった。実際に何度か電車内で気を失って倒れてもいる。

そのため、空き時間を利用したり、ネットで調べたりしながら、細々と都内での物件探しを続けた。不動産巡りも継続した。

 「私なりにきちんと働いてきた実績もありますし、貯金も少しはできました。けど、それではダメなんですか?」

 「特に独身女性の方の場合、保証人がいなければまず無理です。大家さんの問題なんですけどね、年配の方が多いですし…。有料の保証人代理サービスもありますけど、これは大抵の大家さんが敬遠するので、ほとんど機能してないのが現状です。」

 どこの仲介業者に聞いても、何度足を運んでも、8年前にも聞いた言葉を繰り返されるだけだった。

 いっそのこと、賃貸ではなくマンション購入を検討してみたところ、さらに厳しい言葉を投げつけられた。

 「保証人がいないのに、ローン組むなんて絶対無理っすよ。」

 「頭金を多めに入れるとかで、何とかならないですか?」

 「テレビでよく観る芸能人やスポーツ選手ってすっごい稼いでいるように思いません?」

 「はぁ?」

 「実はあの人たち、家はローンで買えないんですよ。下手したら、車も無理じゃないっすかね。」

 「いや、でも、よく何億円の豪邸購入とかネットニュースになってませんか?」

 「あれは全部、一括で購入してるんっす。正確にはローンが組めないんです。芸能なんてしょせん水商売ですから、どんなに稼いでいたって、それが何年も続く保証がないじゃないっすか。スポーツ選手はもっとシビアですよね。だから、ローンが組めなくって、一括で買うか、ずっと賃貸しかないらしいっすよ。」

 漸く、爪の先ほどの貯金ができたくらいのルカに、一括でのマンション購入など、絶対に考えられることではなかった。

 -私は普通に生きたいだけなのに、何でこんなにいろいろ邪魔が入るのだろう…。

 「すみません。私がこんなのだから、いけないんですね。」

 いつも通り、自分が悪いということで納得しようとした。

 半ばあきらめかけていた頃に、たまたま結婚退職した同期から連絡があり、この件について話したところ、

 「私、ルカのお姉さんってことにしてくれてもいいよ。」

 と言ってくれた。

 本当に偶然だが、この元同期は名前が瑠美ちゃん、瑠伽の本名の漢字「瑠」が同じで、しかも既婚者のためにルカと名字が違うことに違和感もなく、条件が揃っていた。申し訳ないとは思いながらも、ルカは瑠美ちゃんの好意に甘えさせてもらうことにした。

 それがよかったかどうかはわからないが、仮初めの保証人を立てて借りられた物件は、それまでの部屋から考えると、駅近になったばかりでなく、鉄筋コンクリート作りの名実ともに立派にマンションと呼べるもので、狭いなりにも防音がしっかりした1K、オートロック、そして何よりもバス・トイレ別が嬉しかった。



4

 ルカの異動後すぐ、都内に5つある支局から各支局のリーダーや代表者が業務ごとに集まるPJが発足した。その流れで、代表者PJ会議が毎月、丸の内の本社で開かれることになった。上野支局の営業チーム・リーダーのルカは、いくつかある代表者PJのうち、営業PJのリーダーを兼任することを命じられている。ほぼ毎回、会議後には飲み会があり、有志参加とはいえ、お酒の飲めないルカもリーダーとして参加しないわけにはいかなかった。3歳年上の関俊介と会ったのはこの会議であり、直接言葉を交わすようになったのは飲み会からだ。俊介は池袋支局の営業チームからの加入ではあったが、リーダーではない。

 二人で動物園に行ったのはさらにその約1年後、ルカ31才、俊介34才のときとなる。


 動物園での初デート後、月に数回、仕事帰りにどこかの駅で待ち合わせて夕飯を二人で食べるようになり、そのうち、今度はルカが横浜を案内するという話になった。横浜はルカが中学、高校を過ごした地である。

 とは言いつつも、2回目の休日デートは8月、会社が夏季休暇に入ってからとなった。ルカがなかなか土日に休みを取れなかったためだ。

 昼前、桜木町の待ち合わせ場所に現れた俊介はジーンズにTシャツにリュックという上野のときとほぼ同じ、パーカーを脱いだだけという格好だ。毎日ランニングと筋トレを欠かさないというだけあって、Yシャツの時よりもがっしりして見える気がする。

 「ランドマークタワー、いつ見てもカッコいいなぁ。何年か前にパシフィコで数社合同の大きな展示会をやったの知ってる?俺、ここに来るの、そん時以来かも。」

 「覚えてますよ。私、その時、案内係としてこの辺、立ってましたもん。」

 「へぇ、もしかしたらそん時、会ってたかもねー。」

 今日は、桜木町から赤レンガ倉庫、山下公園を経て横浜中華街まで散歩しようとなっている。

 ルカは日傘を差した。

 「やるな。美白?」

 「うーん、ちょっと違う。日焼けすると火傷したみたいに真っ赤になっちゃうんです。」

 「大変やな。俺なんか、何もせんでも年中真っ黒やで。寧ろ、日焼けしたことないかも。」

 高校時代にサッカー部に所属していた所為ではなく、生まれつきの地黒だと言う。

 「一緒に歩くの嫌かもしれんけど、これ、許して。」

 俊介はリュックから出したタオルを首からかけた。

 「ものすごい汗かきなのよ。この季節はハンカチでは全然追いつかん。」

 「ぜんぜん気にしないです。なんなら頭に巻いてもいいですよ。」

 俊介は赤レンガ倉庫までの移動で、既に汗だくになっていた。

 「私、代謝がおかしいのか、すんごい汗かくときと、全くかかないときと、差が激しいんですよね。」

 「代謝がおかしい?」

 「はい、よく気持ち悪くなりますし、貧血もしょっちゅうです。」

 「ちゃんとご飯食べてる?鉄分取ってる??」


 いろいろ食べ歩こうとなり、赤レンガ倉庫では軽めにハンバーガーで済ませた。そこから大さん橋まで海沿いを歩く。日差しはかなり強くとも海風が涼しく、心地いい。大きな船や小さな観光船が煌めく波の上を走っているのが見えた。

 「私、山下公園、大好きなんですよ。お花もいっぱい咲いてるし。」

 「花、好きなの?」

 「うん。可愛いでしょ。」

 山下公園では季節ごとの花を楽しむことができ、この季節、タチアオイやラベンダーが見頃となっていた。

 「ここにはしょっちゅう来てたの?」

 「うーん、高校の時はけっこう来てましたね。私、高校くらいからしかきちんとした記憶がなくて、それ以前のことってあんまり覚えてないんです。横浜に住むようになったのは中学からなんですけどね。大学になるとバイトに追われたんで、高校時代が唯一、覚えている青春ってやつです。」

 大さん橋に渡った。俊介は初めてだと言う。

 「何、これ。戦艦?軍艦?すげぇ。」

 「いやいや、船着き場ですよ。豪華客船とかが来るんですよ。」

 「すっごい眺めやな。」

 「夜景もきれいですよ。結構、ここでコンパニオンのバイト、やってたんで、朝昼夜の眺め、見たことがあります。」

 「えっ、水着?」

 「でたー。おじさんの反応。」

 「おじさんですみません。」

 「コンパニオンっていってもいろいろあるんですぅ。」

 「まぁ、この眺め見てたら、そりゃ、横浜が日本一住みたい町にずっと選ばれているのも分かる気がする。」

 「元浜っ子としては、横浜をほめてくれるのは嬉しいけど、ここだけですよ、こんな景色。」

 「ここに無料で入れるって、横浜市、太っ腹やん。」

 「住民税は高いんです。」

 古くは『メリケン波止場』と呼ばれていた大さん橋の歴史はかなり古く、1894年に桟橋として建設されている。現在は、国際客船ターミナルとして利用されるほか、多目的ホールもあり、コンサートなども開催される。上からの夜景の美しさもあって、横浜の観光名所の一つとなっている。

 横浜中華街に着く頃には、夕食の時間になっていた。いろいろ食べ歩いたので、そこまでお腹は空いていなかったのに、飲茶の食べ放題のお店に入ってみた。

 「私、めっちゃ食べますよ。特に餃子は男の人より食べられます。」

 とルカが主張したからだ。

 結果は、二人で焼き餃子2人前と蒸し餃子を4種、チャーハン1人前食べたところで終了。そのほとんどは俊介が一人で食べている。ルカは焼き餃子を1人前食べたところで失速した。

 「すみません。」

 「いやいや、気にせんで。」

 「おかしいなぁ。さっきまでは食べられると思ったのになぁ。」

 「自分の能力くらいは正しく把握しとかんとダメやで、営業PJリーダー。」

 「反省します。意地悪だね!」

 「すみません。」

 帰りの電車の中、ほぼ毎食を自炊していると言う俊介から「うちに食べにくる?」と誘われた。ルカに異存はなく、何よりも上野動物園で食べたお弁当の美味しかった記憶に後押しされて快諾した。



5

 その後、相変わらずルカには休みが滅多になく、約束が果たされたのはすっかり秋も深まる頃となった。

 土曜、仕事を終えてから、しかも先方に振り回されたため、予定よりもすっかり遅くなった夕暮れ、俊介の家の近くの駅で待ち合わせをした。ルカが仕事着のままなのは仕方がない。

 「こっち、こっち。」

 改札を抜けたところで待ってくれていた俊介は、トレーニング・ウェアだった。ランニングの途中だと言う。

 「コンビニで何か買ってく?」

 「お菓子、あります?」

 「それはない。」

 駅近くのコンビニでモンブランのカップ・アイスを買った。

 俊介の部屋はそこから歩いて10分ほど、幹線道路から一本入った狭い通り沿いにあった。2階建ての木造コーポ、2階の角部屋だ。案内されて入った部屋は、ルカの想像以上にきちんと整頓されていた。会社から40%の家賃援助が出るとはいえ、毎月の手出しを少しでも抑えるため、お互い30才過ぎの一人暮らしとは思えないほど安い物件を借りている。とはいえ、俊介の家は6畳の台所とさらに6畳間が二つあり、ベッドだけでいっぱいいっぱいのルカの家よりはかなり広かった。借りるときに最優先条件にしたと言うだけあって、キッチンにはコンロが3つあり、その他の機能も充実している。目線の高さにある棚には、ルカが見たこともないような調味料がたくさん並んでいた。

 その日の夕飯の献立のテーマは、「秋の味覚を楽しもう」だそうだ。俊介がテーブルに既に作ってくれていた料理を並べてくれた。ルカは何よりもまず、ご飯に反応してしまった。

 「これ、炊き込みご飯!どうやって作るの?」

 「うん、キノコの炊き込みご飯ね。炊飯器にぶつ切りにした鶏肉とキノコと麺つゆを入れたら大抵は何とかなるよ。味見ができんから、毎回、一か八やけど。」

 一口、口に運ぶ。キノコの風味が口の中に広がった。

 「えっ、これで味見なし?」

 「うん。今日はなかなか美味しくできたね。隠し味も入れてるよ。わかる?」

 「うーん、私にわかるわけないかも。」

 「インスタントの松茸のお吸い物の粉末も入ってるから。香りがいいでしょ。あ、おこげ、大目に入れといた。」

 「おこげ、美味しい!」

 次に、皿の上のアルミホイルを開いた。俊介が先ほどトースターから出してきてものだ。湯気とバターの香りが鼻をくすぐる。

 「うわー、魚も料理できるってやばいですよね!?」

 「いやいや、魚は俺も得意じゃない。これは野菜と一緒にアルミホイルで包んで、バターを落としてトースターで焼いただけ。ポン酢、かけてみ。」

 「やばい。美味しい。」

 「パックで売っている切り身を使うだけだから、生ごみが出んのよ。」

 言いながら、俊介は鮭の骨までかみ砕いて食べていた。確かに生ごみは出なさそうだ。

 「お味噌汁も美味しい。」

 「さつま芋と余ったキノコ、入れてみた。南瓜かさつま芋か迷ったけど、美味いんならよかった。」

 「今日こそ、めっちゃ食べられる気がします。」

 「はいはい。」

 「マジでぜんぶ美味しいんですけど。」

 「ありがとう。旬のものを旬な時期に食べると何でも美味いんだよ。」

 そんな考え方をこれまでしたことがなく、正直、ルカは感動を覚えた。この頃になると、二人だけの時にルカはもうかなり敬語を使わなくなってきている。

 食後のデザートは買ってきたアイスだ。

 「アイスはね、冷蔵庫から出して4分待った方が美味いんだよ。ちょっと待つよ。」

 俊介の変なこだわりにルカはずっと笑いっぱなしだ。

 「今日、泊ってもいい?」

 「いいよ。」

 「そうなるだろうな」と思っていたのも確かだが、食事の感動が「いいか」と後押ししたのも確かで、ルカは自分でも驚くほど自然に言った。俊介も自然に応えたように聞こえた。ルカは普段からバッグではなくリュックで通勤している。今日はリュックの中に簡単なお泊りセットを用意していた。

 「でも、そのー」

 「何?」

 「私、ああいう、その、男の人と女の人が泊ってすることができないんだけど。」

 「いいよ。」

 「でも、一緒に寝ていい?」

 「いいよ。」

 「理由とか聞かないの?」

 「うーん、言いたい時に言えばいいんじゃない?」

 「ありがと。」

 一緒に布団に入っても、本当に俊介はルカに何もしてこなかった。あまりにも何もしてこないので、口づけだけはルカから求めた。

 「え?大丈夫?」

 「うん。キスは大丈夫。」

 「いいの?」

 「しつこい。」

 その日は俊介にくっついて朝まで寝た。


 それからの週末は俊介の部屋で、お互いの都合がつく平日は仕事終わりの遅いルカの部屋で、俊介が手料理をふるまうようになっていった。料理環境が貧弱だったルカの台所に炊飯器やトースターといった家電、オリーブオイル、ゴマ油、パン粉、片栗粉といった調味料が少しずつ増えていく。


 ルカの家は駅から5分ほど、交通量が多い道路沿いのマンションの7階になる。防音設備がしっかりしているので、窓を開けなければ静かだが、車の排気ガスで東向きのベランダはすぐに汚れるのが難点だ。とはいえ、洗濯物も布団もベランダに干さないルカには関係がない。何より、物件を選ぶような我儘は通らなかった。

 1Kなので玄関を開けたらすぐ台所だ。

 「ただいま。」

 「おかえり。」

 大抵は先に仕事を終わらせた俊介が、台所で夕飯を作りながら迎えてくれる。俊介には合鍵を渡していた。

 「外までいい匂いがしてるよ。今日は何?」

 「鶏肉と大根のポン酢煮と味噌汁。」

 「それ、好きなやつ。」

 以前に作ってもらったときに、「ポン酢と水を1:1にして煮込むだけだから、簡単に作れるよ」と言われても作ったことがないやつでもある。

 「お味噌汁の具は?」

 「じゃがいもと玉ねぎ。」

 「最強じゃん。」

 「いや、最強は豆腐とワカメでしょ。今日のこれは2位だね。」

 ベッドでほぼいっぱいの部屋に家具はほとんどない。ルカは家に持ち帰った仕事をベッドの上でこなす。当然、食事用のテーブルもイスもないため、小さいテレビを置いてるカラーボックスの上、空いたスペースをテーブル代わりに、床に直に座って二人で食べる。テレビの横の一輪挿しにはピンクのバラを生けていた。

 そもそも俊介と出会う前のルカは、食事に手間も時間もかける気がなく、台所に立ったままで生の食パンやチーズをかじっていた。包丁はあるにはあったが使ったことはない。上に板を這わされたコンロは、ただの物置と化していた。


 「私はお土産、買ってきたよう。」

 食後にルカは、駅の売店で目に入って思わず買った箱入りの「おみくじせんべい」を俊介に渡した。

 「おみくじせんべい?フォーチューン・クッキーのこと?」

 「何それ?」

 「中華料理屋のランチについてくるやつ。」

 「ぜんぜんわかんない。」

 箱を開けてみた。

 「やっぱりフォーチューン・クッキーだ。この中におみくじが入ってんのよ。周りはただのせんべい。」

 「おもしろそうじゃん。やってみようよ。」

 ルカは「大吉」、俊介は「中吉」が出た。

 「なんですと!もう一個食べよう。同じのがもう一回出たら、認めるわ。」

 「ほら、楽しくなってる。」

 今度もルカは「大吉」、俊介は「末吉」だった。

 同じ大吉でも書いている内容は違う。

 「さっきは『臨時収入あり』だったけど、今度は『一攫千金』だって。宝くじでも買おうかなぁ。」

 「ぬぉ!さっきは『待ち人こず』だし、こっちは『落とし物注意』って…」

 「まぁ、こういうのって当りにも外れにもどっちにも取れる書き方してるしね、気にしない、気にしない。」

 「大吉だからそう言うんでしょ。俺はこういうの、気になるの。」

 「へへへ」

 「入社の時にさ、何か性格テストみたいなの、なかった?俺、あのテストの結果、いまだに気にしてるし。」

 「あぁ、性格診断テスト?私の時もあった。」

 「自分の考えで行動できる反面、上司の言うことを聞かない傾向がある、だって。俺、むっちゃ素直でしょ。」

 「いや、当たってると思うよ。今だって俊くん、後輩の育成、ぜんぜんやってないじゃん。」

 「おかしな奴を採用したのは会社なんだし、何で会社がその育成を俺に押し付けてくるのか、全く納得ができん。言っとくけど、自分のノルマは達成してるからね。」

 「はいはい。だいたい性格診断テストはおみくじとは違うでしょ。」

 「で、あなたはどうだったの?」

 「うーん、あんまり覚えてない。」

 実は覚えていた。診断結果のシートを見て、人事の研修担当者からは笑いながら

 「ストレス対応能力と忍耐力の結果が、異常値かと疑われるほどの数値を出しています。福永さんの場合は、あんまり頑張り過ぎないくらいがちょうどいいのかもしれませんね。気をつけて。」

 と言われている。

 -このまま、明日が来ても目が覚めませんように。

 と思いながら毎晩、眠りについていた頃のことを考えると、何でも耐えられる自信は確かにあった。

 無理難題を押し付けてくる顧客も、全く言うことを聞いてくれない新人の育成も、達成する度に高く再設定されるノルマも、ルカには何ともなかった。会社の同僚が愚痴を言っていても、俊介がいくら会社に怒っていても、ルカはいつも笑いながら聞くだけだ。

 心から思っていた。

 -今は明日が怖くない。



6

 ルカが都内に異動してから3度目、俊介と過ごすようになって2度目の冬を迎えたある日。帰りの遅いルカを俊介が夕飯を作って待っているのが、すっかり定番パターンになり、その回数も増えていた。

 「今日は鍋にしてみた!」

 「あー、すぐに食べる。手、洗うから。」

 この頃になると、テレビの前に小さいちゃぶ台を置くようになっていた。ちゃぶ台にフライパンで作った鍋と取り皿、お箸が既に並べられている。テレビの横の一輪挿しにはアマリリスが生けられている。

 手を洗って部屋着に着替えたルカは俊介にくっつくように座る。俊介がフライパンの蓋を取った。

 「じゃーん、キムチ鍋。」

 「うまそー。」

 「辛くないから。」

 「ありがと。」

 辛いものを食べたがるくせに辛いものが苦手なルカの好みを、俊介はすっかり把握している。市販の、あまり辛くはないキムチ鍋のスープに、さらに納豆と少しの牛乳を加えてマイルドにしている。

 「鍋に餃子入れるって天才か?」

 「ははは。今日は豚肉が高かったからね、その分のかさ増し。」

 美味しくて、全部食べたくて、ルカは最初だけは旺盛に食べる。勢いよく食べ過ぎるからなのか、いつも本人の意思とは裏腹に、途中で急に食べられなくなる。その辺は俊介も心得たもので、ルカが食べたいものを食べ終わってストップする頃に、残ったものをさらえるようにしている。それでも今日のルカは締めのラーメンを食べられただけ、いつもよりは食べた方だった。

 デザート、ルカが買い置きしていたチーズケーキ食べている時のことだ。どんなにこれ以上1ミリも食べられないと思っても、デザートだけはお腹に入る。

 「年末年始はどうすんの?」

 と俊介が聞いてきた。

 「どうもしないよ。ひたすら寝る。」

 「いや、そういうことじゃなくて、実家に帰らないの、って聞いている。」

 「いや、だから、ここでひたすら寝るの。」

 「去年の年末も実家に帰ってなかったじゃん。大丈夫なん?」

 「あー、大丈夫。ぜんぜん余裕。ってか、私、実家がないんだよね。」

 「えっ?」

 「うん、言ってなかったね。」

 「それはごめん。」

 「謝んなくていいから。ママもパパも死んでるわけでもないし。」

 「あぁーん、わかった。詳しくは聞かない。」

 「ごめんね。話したくないわけじゃないんだけど。」

 言いながらルカは思った。

 -年末年始、普通の人は親や家族と過ごすんだぁ。私、いつもどうしてたんだっけ?



 中学、高校を過ごした横浜の祖父の家では、正月を家族で集まって祝うという習慣がなかった。

 一代で会社を興した祖父は、大晦日から元旦にかけて得意先へのあいさつ回りで忙しく、いつにも増して家にいることがなかった。日本人離れした背丈と風貌の祖父には、男性ながらも綺麗という言葉がよく似合った。常に華やか、そこにいるだけで周囲を明るくするような雰囲気を持ち、誰からも求められているような人だった。

 祖父の会社の役員だった祖母は、祖父以上に仕事にのめり込む人で、正月どころか1年のほとんどを会社で過ごしていた。仕事に打ち込むという共通点はあるものの、祖母は祖父とは真逆にいるようなタイプにしか見えない。当時既に少なくなっていた、常に着物という古風な外見で、事務方に徹していたのか、会社の誰をも寄せ付けようとしなかった。いつも遠くを見ているような面持ちで、ほとんど言葉を発しない。荘厳さ、畏怖心、カリスマ性とも違う、周りの人間が話しかけたり、近づいたりすることを躊躇するような、独特な雰囲気が漂う人だった。そしてそれはルカの母親にも継がれていた。

 ルカは祖母とは、誇張ではなく数えられる程度にしか会話をしたことがない。ルカが祖父の家に引き取られたのは中学に入学する前だが、その当時から、祖母を家の中で見ることはほとんどなかった。たまに帰っているときにも、書斎に籠りきりで、ルカとはまず顔を合わさない。ルカを無視しているというわけではなく、ルカの存在自体を気にしていない、それ以前に気がついていない感じがした。

 そんな祖母が家事をやることはなく、台所に立つなどは決してなかった。掃除と洗濯はヘルパーさんを雇っていたし、食事は祖父が毎晩のように買って帰る出来合いのお惣菜か、会社から持って帰るお土産が冷蔵庫にいっぱい詰まっているので、それで済ますのが常だった。そのことについて祖父が祖母に何か言っているのを聞いたこともない。


 その祖母はルカが高1の時に亡くなった。といっても、ルカの生活が変わるわけでもなく、少なくとも家で見る祖父の様子もそれまでと同じものだった。

 この頃から、ルカはアルバイトに励むようになる。祖父からは特にお小遣いをもらっていなかった。恐らく、頼めばもらえたのだろう。しかし、ルカにはそれを言い出すことはできなかった。家に住まわせてもらっているだけで申し訳なく思っていた。何より、遊ぶためのお小遣いではなく、将来のための貯金を考えるようになっていた。

 祖父の血なのか、色白で目が大きく、栗色の髪のルカは、高校に入ってから、イベントのコンパニオンや美容院のカットモデル、瞳やまつ毛といったメイクのパーツモデルを頼まれるようになっていた。人前に出たり、人が見るサイトに自分の画像が出たりするのには(アップで誰かわからないとはいえ)、抵抗があったが、大学進学に必要な資金作りに、こうしたアルバイトを受けるようにしていた。大学進学だけでなく、その先の就職までも既に見越している。それまで髪の毛は自分で切ったり、友達に切ってもらったりだったので、特に美容院のカットモデルは、ルカにとっては一石二鳥となった。

 高校から大学卒業まで、ルカの年末年始は毎年、友達の実家の手伝い、巫女アルバイトで忙殺されている。



 「去年の年末に帰省してみて、もう二度とこの時期には移動しないって決めたんだけど。飛行機代が絶対無理!新幹線も東京からはきつい!!」

 四国出身の俊介は、この年末年始は帰省しないと言う。特に予定がない俊介を拒む理由なんぞルカにはなかった。

 「いいじゃん。私も何の予定もないし。一緒に過ごそう。」

 「えぇっ!いいの?俺はうれしいけど。」

 「もちろん。私も俊くんと一緒がうれしい。」

 就職してからはひたすら寝て過ごす正月だった。人と家でゆっくり過ごす正月は就職以来どころか、生まれて初めてかもしれなかった。


 この年末年始、二人は俊介の家でゆっくり過ごす。ルカにとっては人と心穏やかに迎える年始はこれが最初で最後となる。

 年末は二人でお節料理を作って過ごした。お節料理も年越しそばも自分たちで作った。とはいえ、もっぱらルカは料理する俊介の話し相手を務めただけである。俊介に料理してもらうようになって、一緒に家にいるときには必ずと言っていいほど横にくっついてその様子を見るのだが、ルカが手伝うのは食器の準備や、洗い物だけだった。

 俊介に何か作ってあげたいと思うときもあるのに、ルカはどうしても包丁と火が扱えない。特に包丁を持つと体が動かなくなるほどの恐怖を覚えるのだ。

 のんびりとテレビを観ながら、大晦日の夜は更けていった。

 -俊くん、私のせいで実家に帰らないようにしたのかなぁ。



7

 ルカは誰といても何をしても大抵、

 -私のせいです。ごめんなさい。

 と思っている。仕事柄自分が折れた方が丸く収まると判断して、無理やりにそう思うようになったのではなく、物心ついたときには既にそうなっていた気がする。

 俊介は、ルカのこういうところを

 「地球が丸いのも、雨が降るのも、電車が止まるのも、全部自分が悪いって思ってない?」

 とからかってくる。

 ルカは笑って何も返さないが、あながち外れていないと思っている。


 ルカが就職して2年目の夏、就職して一人暮らしを始めてから一度も会うことはなかった祖父が亡くなったという知らせが、祖父の会社から届いた。

 祖父の自宅での告別式には猛暑の中、驚くほどの数の弔問客が訪れ、手伝いに駆り出されたルカは、祖父との別れを悲しむ暇もなかった。

 そんな中、祖母の告別式には来なかった母親を見た。

 「まだ生きてたんだ?」

 十数年ぶりに会ったルカに対し、母親が発したのはこの一言だけだ。祖父にとって一人娘となる母親は、一切何の手伝いも挨拶もせずにいつの間にか会場からいなくなっていた。


 式から数日経った平日の正午過ぎ、ルカの私用の携帯電話に見知らぬ番号から着信があった。告別式の準備や後片付けで、業者やら親戚やら登録してない番号からかかってくることが増えていたので、何の警戒もせずに電話を取る。

 「今すぐ、横浜の家に来な。」

 母親だった。

 思わず伸びた背筋に汗が流れたのは暑さのせいではない。


 午後の外回りの予定を何とかメンバーに代わってもらって取るものもとりあえず、祖父の家に着くと、そこにいるのが当然のように母親がいた。汗だくになっていたルカとは対照的に、全身真っ黒な服に身を包んだ母親は暑さを微塵も感じていないかのようだ。昔と変わっていないとしたら、黒い服を着ているのはいつものことで、決して喪に伏しているわけではない。

 促されて入った応接間には、黒いスーツ姿の女性がソファにかけていた。こちらは喪に伏してくれているのだろう。女性はルカを見ると立ち上がり、

 「初めまして。ルカさんですね。」

 と名刺を差し出してきた。きれいに揃えた前髪と後ろできっちり束ねた髪が見て取れた。控え目なメイクや整えた眉が聡明そうな顔によく似合っている。

 「弁護士の大塚真麻(おおつかまあさ)です。」

 どう名乗るべきか迷ったルカは

 「福永ルカです。」

 と言うだけに留めた。名刺を渡すのは怖かったのでやめている。

 ルカと大塚弁護士が座ると、先にさっさと座っていた母親が切り出した。

 「あのさ、私の分のパパの財産でマンション買うことにするから。」

 「えっと、あの…」

 相変わらず、母親の言葉数は少ない。顔をルカの方に向けてはいても、視線が合っているのかどうかがわからないのも昔と変わっていない。その大きな目も真っ白な肌も、母娘はそっくりだった。

 「私の方から説明いたします。」

 大塚弁護士が話しかけた時には、母親はもう立ち上がっていた。

 「あんたがやっといて。」

 さっさと部屋を出ていく。

 煙草を吸いに行ったのだとルカは確信した。部屋を出ていく間際、顔は進む方に向けたまま、言い捨てた。

 「あんた、私の娘なんだから。」

 母親がいなくなったことで、ルカは少し落ち着くことができた。

 「お母様…、春香(はるか)様からはまだ何もお聞きになってはいませんか?」

 「聞くも何も、来いと言われただけですので。」

 「そうですか…。」

 大塚弁護士は一瞬だけ困ったような表情を見せた。

 「あ、お茶も出していませんね。何か冷たいものがあるといいんですけど。」

 母親が自分以外のために何かを冷蔵庫に入れておくことはあり得ないが、葬儀の時の余りものがあるかもしれない。

 「いいえ、結構です。時間もあまりなさそうですし。」

 大塚弁護士は、母親がいない間に話を済ます方が賢明だと判断したようだ。

 「では、改めまして、私の方から説明させていただきます。」


 非常に簡潔に、かつ肝心なところはしっかりと大塚弁護士が話してくれたおかげで、ルカにも大体のことは理解できた。

 「要は、母の代わりに相続やらの手続きを私が全部やればいいんですよね。母の取り分でマンションを購入する…、その手続きも私がやるということですね。」

 「正確には、会社が春香様名義のマンションを用意しますので、それ以外の遺産相続に関しては口を挟まないでほしい、という会社経営陣からの申し出です。以後、会社経営に一切口出ししないことも条件となります。本当は役員の方も本日同席する予定でしたが、お母様が断固拒否されたものですから。」

 「すみません。会社の方も母が今更出てきても困るでしょうしね。」

 ルカには思うところがあった。

 「私は会社の代理人としてここに来ているわけですので、本当はこういうことを言ってはいけないのですが…」

 大塚弁護士はここでルカを真っすぐに見つめ直した。

 「私も一人娘の母親ですので言ってしまいます。いくら孫であるルカさんに、現時点で法的な相続権がないとはいえ、お母様は自分の相続のことしか気にされていませんでした。なのに、面倒なことは全てルカさんに任せるの一点張りです。そんなお母様のために、ルカさんがいろいろやってあげる必要はないのではないでしょうか。」

 「いや、いろいろすみません。」

 「ルカさんが謝る必要なんてありません。」

 大塚弁護士は怒っているようだった。

 「とはいえ、ルカさんがやってくれないと、困るのは私たちなんですけどね。」


 娘に夕飯を作らなきゃと大塚弁護士はいそいそと帰って行った。その背中にルカは頭を下げた。

 -すみません。私が生まれていなければ、ママはあんなになってないかもしれません。



第二章

1

 「見て、これ。今日は最悪だわ。」

 「は、何それ?」

 「蚊よ、蚊。いっぱい刺されちゃった。」

 「えぇー、そんなになる?」

 汗だくで帰ってきたルカは、すぐにシャワーを浴びて、やっと一息ついた。食生活が変わったからなのか、最近はよく汗をかけるようになった気がする。

 俊介はルカがシャワーを浴びているうちにソーメンを茹でてくれていた。火が使えないルカが家で茹でたソーメンを食べられるようになったのは、俊介が来るようになってからだ。ちゃぶ台にネギだけでなく、ゴマや刻み海苔まで並んでいるのが嬉しい。

 「麺つゆもいいけど、こっちに混ぜて食べるのも美味いよ。」

 俊介は一緒に並べてくれていた麻婆茄子を小皿に取ると、そこにソーメンを入れてかき込んだ。ルカも真似する。

 「やばい。麻婆茄子も作れるんだね。」

 「『素』が売ってます。それと茄子を混ぜて炒めただけです。」

 「今度、やってみるわ。」

 「出たな、やるやる言うて絶対やらない星人。」

 「ひどーい。」

 テレビの横に生けられた一輪だけのユリの花が二人の笑い声に揺れていた。


 食後、蚊に刺されたところに俊介が薬を塗ってくれた。今日は得意先の小学校で大掃除を手伝わされる羽目になってしまい、荷物を校舎裏の倉庫に運び混む際に、やたらと蚊に刺されてしまった。薄手とはいえ、パンツの上から刺されている。ふくらはぎの数か所が大きく膨れ、赤黒くなり、熱を持ち出している。

 「あのさ、いくら得意先でも掃除まで付き合う必要はないと思うよ。」

 「仕方ないじゃん。人手が足りないって言われたら。」

 ルカは笑って返す。

 「こんなになるって…。子どものときにいったいどんな食生活をしてきたん?」

 俊介は相変わらずこう呟く。

 俊介に言わせると、ルカの、虫に刺されたところが膿んで熱を持つところも、ちょっとぶつけたところが大きなあざになって何日も治らないところも、ダストやネコ、果てはアルコールなどのアレルギー体質なのも、花粉症がひどいのも、時々貧血で倒れるのも、汗が全くかけなくなるのも、全部、幼いころの食生活が原因ではないか、ということになるそうだ。



 ルカは1980年代半ば、日本経済がバブルに沸いていた頃に、静岡県で生まれた。幼少期をそのまま、静岡県の父親の実家で過ごす。この頃は父親の姓、「福田」を名乗っていた。

 ルカの育った地域には幼稚園がなく、幼児教育の場は町立保育園しかなかった。ルカの両親は特に定職について働いているわけではなかったし、教育に関心があるわけでもなかったにも関わらず、3歳の時からルカを保育園に預けている。これがルカには幸いした。観光業の賑わいのおかげで町の財政が豊かなこともあり、当時、保育園でも給食が出ており、この給食がルカのその日の唯一の食事となる日が多かった。保育園が休みの日曜は一日中、何も食べられないことも少なくない。

 それは小学校に上がってからも変わらず、家では母親の気分によって、投げ与えられるお菓子やアイスを食べるくらいだった。ルカは今でも、給食で育ててもらったと学校や自治体に感謝している。

 そんな母親はルカが小学6年生の時に唐突にいなくなる。ルカはしばらくそのまま父親の実家で暮らした後、卒業を待たずして、横浜市の母親の実家に引き取られた。小学校の卒業式には出席していない。ルカ本人に詳しいことは説明されないまま、横浜市の公立中学への入学時から母方の姓「福永」を名乗ることになった。

 -福田だろうが福永だろうが、福なんてどこにもない。

 ついでに、本人はこの頃から「ルカ」と書くようになっている。

 中学卒業後、祖父の勧めもあり、私立の女子高校に進んだ。高校の友達を通して、カットモデルやメイクモデルの話が入るようになり、ルカはそこで得る賃金を、大学の入学金に充てるため貯金するようになった。

 大学に入ってからは、声がかかるときだけのモデルのアルバイト以外に、定期でファーストフードの販売員、不定期でビルの警備員や道路工事の作業員としても働くようになった。時給の高いアルバイトを選ぶようになったのは、祖父の実家には帰らずに、友達やネットカフェを転々として暮らすようになっていたためだ。高校時代の貯金は大学の受験料と入学金に消えていたので、この頃は毎日がぎりぎりの生活を送っている。



 週末、二人で過ごす時間が増えていくと、ルカは俊介に自分のことを少しずつ話すようになっていた。

 話そうとして初めて気がついたことがある。話したくないというよりも、覚えていないことが多いのだ。特に、横浜に越してくる前のことはほとんど記憶にない。

 「はぁーん、ネカフェでずっと生活してたって、ニュースでそんな若者が増えているって聞いたことはあるけど、ホントにそんな人がいるんだね。」

 「慣れたら何とかなるのよ。就活の時はさすがにきつかったけどね。スーツとかクリーニングもあったし。」

 「何で帰らなくなったの?」

 「うーん、人の家だからね…。もうおばあちゃんも亡くなっていたし、おじいちゃん一人に生活の面倒を見てもらうってのも何かね。」

 「おじいさんのお世話とかは?」

 「おじいちゃん、まだまだ仕事してたよー。ヘルパーさんもいたし、世話なんかより、邪魔してる気がしてた。」

 「うちの会社に入れてよかったね。」

 「うん。ホントにそう思う。大まぐれの中でも、飛び切りのまぐれだよね。」

 「初セリですごい値がつきそう。」

 「はん?」

 「ああ、マグロのこと、わからんか。すまん、すまん。」

 「なんかバカにされてる?お魚、食べたくなってきたなー。」

 「明日はあら汁、作っちゃろうか。タラがいい?サケがいい?」

 「マグロは?」

 「マグロはあら汁には入れんな、普通。」

 その日もルカは俊介にくっついて眠った。意外に分厚い胸板に抱き着くと、自分でも驚くくらい安心して眠りにつけるようになっていた。



2

 全くもって自炊の腕を上げられる気がしないルカは、俊介に聞いたことがある。

 「いつから料理するようになった?」

 「うーん、いつからかな…。インスタントラーメンくらいなら結構小さい時から作ってた気もするけど。あぁ、名前のついた料理だったら餅ピザかなぁ。妹が3才くらいの時やったから小3かも。」

 ルカより3才年上の俊介は四国の香川県で生まれ育った。6才離れた妹がいる。

 「うちのライバル会社が昔、出してた教育雑誌、俺らが小さい時にはけっこう売れてたの、知ってる?」

 「友達の家に行ったら、そこのお兄ちゃんが買った分があったのは覚えてる。読んだことはほとんどないかな。」

 「俺も自分で買ったことはないけど、時々、読んだお古を友達がくれてたんよね。あれに簡単にできる料理漫画が連載してたのよ。」

 「お料理?」

 「子どもでも作れるような簡単なやつを漫画で紹介してた。で、多分、新年号かそれくらいの号で、『お正月に余ったお餅で餅ピザを作ろう』というのがあって、その通りに作ってみた。」

 フライパンに油をひいて、等間隔で4~6個並べた餅を弱火で温めると、そのうち柔らかくなって面白いように伸ばせるようになる。スプーンやしゃもじで潰して伸ばしてピザのベースを作ったら、その上にピザソースを塗って、料理ハサミで切ったピーマンやソーセージ、ベーコンなどのトッピングを乗せる。トッピングは何でもよいし、なければなくてもいい。最後にピザ用チーズをちりばめて、蓋をして数分、チーズがとろーりと溶けたら完成だ。

 「うちにピザソースやピザ用チーズなんてあるわけないやん。ケチャップ塗って、トッピングなしで、プロセスチーズをちぎって乗せただけのもんやったけど、妹もおかんも美味しい、美味しいって食べてくれて。あれから作るんが好きになったかもね。自分にじゃなくて、人に作る方が楽しい。」

 「わぁ、私にも餅ピザ作ってよぅ。」

 「それは構わんけど、太るで。カロリー半端ないはず。」

 「その分、仕事する!」

 「それ以上、仕事すなぁ。」



 俊介の父親は彼の妹が母親のお腹にいるときに他界している。彼の昔の話に父親が出てくることはほとんどない。母親の女手一つで育ててもらったので、俊介は早くから妹の世話をしており、料理だけでなく、掃除や洗濯も母親の代わりにこなしていた。

 彼自身は中学を出たら就職するつもりでいたが、母親と中学の担任から懇々と説得され、中卒では就職口もほとんどない現実を知ったこともあり、高校に進学している。さらに母親に説得されたこともあるが、高校生にもなると、俊介自身でもいろいろ調べられることが増え、親に楽させる、中学生になる妹を大学まで進学させるには、高卒より大卒の方が大手企業に就職できると考えが変わって、関西の国立大学に進んだ。格安の寮に入り、ほぼ毎日のアルバイトで稼いだ金と奨学金とで母親からの仕送りなしで大学を卒業している。

 就職活動で、俊介はとにかく名の知れた大手企業を、業種に関係なく片っ端から受けた。大手こそ安心と考えていたのだ。マスコミ、広告、商社、メーカー、銀行…あまりにも脈絡なく動いたせいか、そのほとんど全てに書類審査、よくて一次面接で落とされ続ける。高校時代に始めたサッカーは、大学ではアルバイトのために断念しており、先輩のコネもなかった。

 4年生の夏、もう受けるところがない、と久しぶりに大学に顔を出したところ、たまたまその日にキャンパス内で就職課主催の合同企業説明会に出ていたのが、今の会社だった。実は、当時既に内定者枠は埋まっていて、会社としてはそれ以上特に採用する必要はなかったらしい。大学に貸しを作るくらいのつもりで説明会への参加依頼を受けた、という話を入社後に人事の担当者から聞いている。

 半年余りにもなる落選続きにより、自分を作って偽ったところで面接官に見抜かれることを嫌と言うほど経験した俊介が、今回に限って、半ば開き直りとはいえ、正直なことしか話さなかったのも幸いした。

 「教育に対するあなたの考えを教えてください。」

 「正直に申しまして、教育のことはまだよくわからない、というのが本音です。父を早くに亡くしたので、女手一つで育ててくれた母が『勉強だけはしっかりしとけ』といつも言ってくれていました。親孝行のつもりで勉強してみて、進学できたことで勉強が大事だというのもわかったつもりでいます。勉強したからこそ、今日ここで皆さんとお会いできているのだと思っています。」

 「うちの会社を志望している理由は?」

 「中学の時に親身になって私の進路を、いや、進路だけでなく私の人生を考えてくれた先生がいました。その先生が志望校に合格したいならこれを使ってみなさいと渡してくれたのが御社の参考書であったことを今でも覚えています。あのときに高校に進学していなかったら、自分がどうなっていたのか、想像もつきません。そう考えると、あの参考書は私の人生を変えるきっかけの一つだったと思います。そんなきっかけとなるものを作るって素敵じゃないですか。」

 「うちに入ったらどんな仕事をしたいですか?」

 「どんな仕事があるのか、入ってみないとわかりません。すみません。ただ、どんな仕事にせよ、誰かの人生を変えることのお手伝いができたら嬉しいです。」

 確かに嘘はない。

 こうして入社し、4月の新入社員研修後に九州の熊本支局に配属となった。俊介にとって九州は中学の修学旅行で行っただけの、誰一人知り合いのいない土地だった。この地で、妹にも大学進学をさせるべく、給料の半分以上を仕送りしながら遮二無二働いたところ、入社3年で営業成績が九州トップとなった。そんな彼を熊本支局のリーダーが手放さなかったこともあり、ここで6年を過ごしている。

 その後、福岡支局へ異動するも、妹が無事に大学に進学、卒業、地元企業に就職できたことで糸が切れたのか、彼曰く「熊本時代ほどの本気は出せなくなった」日々が続く。それでも営業成績が常に上位だったのは、熊本支局時代に培った現場での気遣いが、九州を地元とする、特に年配の教師から好感を持たれたことが大きい。一方で、彼自身はそんな自分の成績がトップであること、それを称える表彰制度、会社が課してくるノルマに疑問を積もらせていた。

 池袋支局への異動通達が出たのはそんな時だ。東京は全くの知らない土地だった。



3

 俊介が敬愛するサッカー選手の一人に、現役プレーヤーであるばかりでなく、監督業や育成業、果てはサッカー以外のビジネスも兼任して活躍している選手がいる。あるインタビューで「なぜ、そんなことができるのか?」と質問され、彼はこう応えている。

 「僕は子どもの頃、家庭環境が複雑で、両親からの愛情に飢えていて、ずっと寂しい思いをしていました。サッカーをやっている時だけ、その寂しさを忘れられたんです。一つのことに集中しているとネガティブなことを忘れられる、ということじゃないかと思っています。そのせいで、今でもずっと忙しくする、隙間なく予定を詰め込む、という癖がついているんですよ。ははは。」


 相変わらず、ルカの仕事の予定は平日、土日問わずに目一杯詰まっている。大抵は忙しいルカの都合で、ルカの部屋で過ごすことが多い中、週末、久しぶりに俊介の部屋に行った時のことだ。

 部屋に入った俊介を見て、ルカは思わず笑ってしまった。

 「えらい、えらい。自分の部屋でも履くようにしたの?」

 「うん、何?」

 「スリッパ。」

 「おぉ、これか。」

 「めんどくさがってたくせに。」

 「すっかり教育されました。もうこれがないと気持ち悪い。」

 ルカは潔癖症である。外から帰ってきて、そのまま床を歩き回るが嫌なので、帰宅後はすぐにお風呂場に直行し、足を洗い、手洗い・うがいをしてから、きれいな靴下を履く。俊介には専用のスリッパを用意するようにしたところ、いつからか俊介も同じように、帰宅したらまず足を洗ってスリッパを使うようになっていた。

 「私、強制してないよ。」

 「いやいや、俺が歩いた後を片っ端から拭き掃除されたら、そりゃ傷つきますけど。」

 「ごめん。」

 「いや、謝るとこではない。合理的だと思ったから真似してみた。」

 俊介もきれい好きだ。床には髪一本落ちていない。無駄がないことも確かだ。調理の時の、作る途中で使った器具を洗いながら、料理が出来上がる頃には洗い物も終わっているという手際には何度見ても感心させられる。

 「俊くんのそういうとこ、偉いよね。」

 「合理的ってところ?それだったら、豆苗育てるようになったよ。あなたみたいに花を生けようとは思わないけど、家に緑があるっていいかもと思って。食べられるし。」

 確かに窓のそばの棚の上に、透明ケースに入った豆苗が緑の芽を伸ばしていた。

 「何これ、可愛いいいい!」

 「これ、3周目やで。すんごい生命力だわ。」

 「うちの花に気づいてたんだね。ぜんぜん興味ないのかと思ってた。」

 「そりゃ、気づくでしょ。ついでに、テレビの後ろまできれいにしてるのは、びっくりだわ。」

 「そこに気づくのに、びっくりだわ。」

 ルカの潔癖症は母親譲りだ。遺伝なのか環境なのかはわからない。



 静岡県の下田市郊外。当時、好景気のあおりもあって観光業が栄えており、町には新しい住宅地が増えていた。そんな住宅地を抜けた少し小高い丘の上に、ルカの育った家があった。遠くには海を望むこともできる。

 広い敷地内には、2棟の住宅のほかに納屋が建っており、奥には畑が広がっているのが見て取れた。手前の建物は比較的作りが新しい。その2階建ての立派な本宅に半ば隠れるようにして、古い木造の離れ、平屋があった。

 平屋は南側が玄関になっている。昔は土間だった靴脱ぎ場から上がってそのまま進むと、新しめの台所のあるダイニングルームに出る。中をリフォームしているのだ。台所から西に出ると廊下が伸び、廊下の北側がトイレと風呂場になっていた。廊下の南側、玄関から見て左の部屋が広めのリビングとなっている。

 小学校に入学するまで、ルカの生活の場は平屋のダイニング内、さらに正確に言うと、台所と廊下に出る間に引かれた1畳ほどの薄汚れたカーペットの上だけだった。一応、トイレには行ってもいいことになっていたが、それ以外、用もなくカーペットの外に出ることは許されない。寝るときもここで体を丸めて寝ていた。お風呂は母親の気が向いた時だけ、水のシャワーを使うことが許されていた。

 ルカの母親は一日のほとんどをダイニングで過ごし、寝るときだけリビングへ引き上げていく。ダイニングで彼女は、ソファに座っている時間よりも台所の換気扇下にいる時間の方が長かった。そこで雑誌を見るか、そこからテレビを観るか。どっちにしろ、ずっとタバコをふかしていた。

 およそ食事に無関心な人で、何日も食べないこともあれば、何食も同じものを食べ続けることもある。冷蔵庫の中には飲み物以外、ほぼ何も入っておらず、冷凍庫の中にはカップのアイスクリームがパンパンに詰まっていた。

 「あんたも食べな。」

 時々、気まぐれにカップアイスや袋菓子を投げてよこす。凍って固いアイスがルカにぶつけられることもあった。

 「ありがとう。」

 ルカは笑顔で、そっとそれを受け取る。

 袋菓子は慎重にパックを開けて、粉をこぼさないように、袋に直接口をつけるようにして食べた。アイスはスプーンがないので、歯と舌とでかじりとるようにして舐め取った。せっかくの母親の機嫌を損ねてはいけない。

 幼いころはどんなに気をつけても、こぼして、服や床を汚してしまっていた。そんな時には火のついたタバコが飛んでくる。

 「汚すなって何度も言ってるよね。」

 静かな、冷たい声が飛んでくる。ルカは何より先に、投げつけられたタバコを拾うようにした。それでも、しばらくは何も食べさせてもらえなくなる。

 とにかく、ニコニコしていること、こぼさないことに努めた。母親は潔癖症だった。料理をほぼ全くしないため、洗い場は常にきれいである。換気扇回り、ヤニがつかないよう壁のふき掃除は病的なまでにやっていた。換気扇は年中無休で回り続けている。また、タバコの灰が床に落ちるのも許せないらしい。大きめの灰皿に顔を近づけるようにしてタバコを吸う。

 物心がついた頃には、床掃除と飼っていたネコの世話がルカの仕事になっていた。仕事のときは、カーペットの外に出ることを許される。

 掃除機は使わせてもらえなかったので、ローラー部分に粘着剤の付いたコロコロを使って、床中を常に埃やチリ一つないように掃除していた。

 床にタバコの灰やネコの毛が落ちているのが母親に見つかると、

 「ここ。」

 言葉少なに、頭を鷲掴みにされ、床に顔をぐいぐいと押し付けられる。

 ネコのエサやりが遅れたり、水の容器が空になったりしているのが母親に見つかると、

 「可哀そうだよね。」

 静かな口調で、顔を鷲掴みにされる。何度か包丁を突き付けられたこともあった。

 「ごめんなさい。」

 泣くとますます許してくれなくなるため、いつしか、ルカ本人は無意識に笑顔で謝るようになっていた。いずれにせよ、しばらくは何も食べるものを与えてもらえなくなる。


 ルカが生まれる前から母親が飼っているネコは「ベリー」、キジ柄のメスネコで愛想はない。ルカは「ベリちゃん」と呼んでいた。ベリちゃんは平屋内のどこにでも行くことを許されていた。

 「ベリちゃん、ご飯もらっていい?」

 ネコのエサが美味しそうに見えて、何度もこう思うのだが、母親に見つかったらと考えると怖くて実際に手を付けたことはない。

 夜、母親がリビングへ引き上げた後、空腹が辛いルカがカーペットの上でタオルケットにくるまって泣いていると、ベリちゃんがいつも頬を舐めてくれた。



4

 幼いころから満足に食べた覚えがないのに、ルカはなぜか他の子よりも体が大きかった。特に小学生の時は毎年、クラスで背の順で並ぶと一番後ろになるくらいだった。父親の影響もあるのだろう。もっとも父親は横に大きかったのだが。

 体が大きくなったからなのか、何がきっかけなのか、とにかく、小学校に上がった頃くらいに母親から、ダイニング内は自由に動くことを許された。リビングやお風呂は変わらず立入禁止のままだったといえ、

 「これからはソファ、使っていいから。」

 と言われときは、飛び上がらんばかりに喜んだ。

 母親はルカを着飾らすことが好きで、食事はほとんど与えないくせに、身に着けるものは常に真新しいものを買い揃えていた。目立つことが苦手な性格とは裏腹に、体が大きく、誰も着てないような服を着て、色白で彫の深い顔立ちのルカは、周りからはいつも距離を置かれる存在になっていく。

 「都会から来てるんでしょ。」

 「横浜の子らしいよ。」

 当時、陰ではそう言われていた。これは母親が近所付き合いやPTA参加などを一切していなかったことにも原因がある。

 母親は週末になると、横浜の実家に帰ることが多かった。仕事もしてないのに、なぜ週末だけだったのかルカにはわからない。タクシーを呼びつけ、下田から横浜までタクシーで帰り、タクシー代を祖父に払ってもらっていた。気分次第で帰るのが金曜になったり、土曜になったりするのだが、必ず日曜夜には戻ってきた。

 「あんたもおいで。」

 よほど機嫌がいいと、ルカも一緒に連れ帰ってくれる。これがルカの唯一の楽しみだった。福永の祖父の家では食事が食べられる。暖かいお風呂に入れる。布団で寝られる。当時は土曜日も学校の授業があったため、金曜日に母親が既にいなくなっていることがわかるとがっかりしたものだ。その分、土曜日、学校から帰ってきたときに母親がまだいると、機嫌を損ねないよう、掃除もネコの世話もいつも以上に懸命にこなすようにしていた。


 小4、高学年のなると、生徒会、図書委員、美化委員、保健委員など、クラスの全員が何らかの委員に就かなければならない。特に立候補がない委員に関しては、くじ引きで決められていた。そのくじでルカは放送委員に選ばれた。

 学校の放送部は、小4から小6の各学年、各クラスの放送委員から成り立っており、その主な仕事は、給食時間の「お昼の放送」と下校時間の「帰りの放送」だった。下校時の注意を読み上げるだけの「帰りの放送」に比べ、給食の時間に流れる「お昼の放送」は、放送部が番組の内容を考えてよいことになっている。生徒からのリクエスト曲を流す、遠足の行き先案内や「○月生まれのお友達」紹介などは、歴代の放送委員たちで考えた企画だ。毎日の放送となるため、アナウンサーは週替わりでほぼ全放送委員が持ち回りで行う。

 5月、初めてルカがアナウンサーを務める週がきた。月曜日は緊張したが、毎日のことなので少しずつ慣れていく。最終日となる金曜日、放送部の顧問の先生から

 「これが今日の事務連絡ね。」

 原稿を渡された。「お昼の放送」の最後の事務連絡も当然、アナウンサーが読み上げる。渡された原稿には

 『前の月のきゅうしょくひみのうの人』

 というタイトルで、学年ごとに数名ずつの生徒名が書かれていた。生徒名の中には「福田瑠伽」もあった。

 勿論、「給食費未納」の意味は理解している。そして、小学校入学以来、何度も担任から「おうちの人に伝えて」と手紙を渡されたことがあるので、ルカの給食費が一度も支払われていないこともわかっている。さらに、その未納者の名前が「昼の放送」で毎月読み上げられることも知ってはいた。が、それを自分で読むことになるとは。

 この日、「給食費未納の人…4年生、福田瑠伽」とルカは自分で自分の名前を読み上げる。

 1990年代半ば、個人情報の扱いはまだまだ未成熟だったころの話だ。


 ルカの通った小学校は、校区内に規模の大きな児童養護施設があった。そこには、両親と死別した子、両親に子育てができない理由のある子など、複雑な家庭環境を持つ子どもたちが生活しており、素行が荒れている生徒も少なくなかった。そうでなくとも、小4にもなると、子どもは悪い面も含めて大人社会を真似していく。

 「お前、自分で自分の名前、読んでたろ。」

 「給食費、払ってないんだろ。」

 「いつもお代わりばっか、してるくせに。」

 「ドロボーだな。」

 「給食ドロボー!」

 ルカは数人の男子から「給食ドロボー」とあだ名をつけられた。その日唯一の食事となることの多い給食を、ルカが可能な限りお代わりしていたのは事実だ。人気のあるメニューのときは競争率が激しく、ジャンケンなどで勝ったルカを、負けた男子が逆恨みすることもあった。

 あだ名はあっという間に広がり、それはすぐにいじめに変わり、そのいじめは激しさを増していった。ルカはこの時から給食のお代わりを止めるのだが、いじめが急になくなるわけもなく、それは小4の終わりまで続く。

 「何かくせぇな。」

 「ホントだ。くせぇ。」

 「あっ、福田がいる。」

 「お前、くせぇんだよ。」

 「うわっ、頭、くっせぇ。」

 「くせぇ、くせぇ。」

 「あっち、行けよ。」

 と休み時間に度々、クラス中が大騒ぎになり、このことでクラス会が開かれている。

 -私のせいでこんなことになって、ごめんなさい。

 特に夏になるとルカが匂っていたのも事実だ。家のお風呂場自体が立入禁止であり、母親の気が向いた時にだけ水のシャワーを許される程度で、祖父の家に行くとき以外、ルカは風呂に入ることがなかった。

 かろうじて、入ってよかった脱衣場の洗面台は毎日使うことができたため、この時から、ルカは洗面台の水で頭を洗い、濡らしたタオルで体をふくようになった。但し、お湯を出すことはできない。母親は自分が使うとき以外はすぐに給湯器のスイッチを切ってしまっていた。ルカには給湯器だけでなく、ガス、全ての電気製品の使用が許されていない。この年からルカは毎日、真冬でも水で頭を洗い、体を拭くようになった。


 いじめは小5になり、クラス替えがあってからは嘘のようになくなる。

 虐待、育児放棄(ネグレクト)を受けて3才の幼児が餓死した事件を調査した関係者の話の中に

 「お子さんが亡くなったときの写真を見ると、とても3才の幼児とは思えない、大人っぽい顔をしているんです。」

 という言葉がある。

 男子たちがまだまだ子どものままだったことに比べ、ルカの外見がさらに成長したのは確かだが、それよりもその顔つきや雰囲気が、男子や同級生だけでなく、周りから近づけないものになっていった。



5

 俊介もルカも、会社の決まりで毎年、健康診断を受けている。また、職業柄、二人ともインフルエンザの予防接種も毎年、受けている。俊介もルカも病院に行くのはこの時だけだ。俊介は薬もほとんど飲まない。体調不良を感じたら、スポーツドリンクと野菜ジュースとプリンを買い込んで、厚着して寝るのだそうだ。

 「なんで、プリン?」

 「子どもの頃、風邪のときだけおかんがプリン買ってきてくれた。その名残だな。」

 「病院、行かないよね?」

 「自然治癒に勝る方法はない。」

 「心配だよ。」

 「その言葉、そっくり返す。あなたも病院、ぜんぜん行かないよね。不健康のデパートのくせに。」

 低血圧、貧血、片頭痛、重度の便秘、花粉症、ダストなど各種アレルギー、その他もろもろのことを言われている。ルカはこれらのほとんどを薬局で買う市販薬で何とかしている。都内に越してきてすぐに馴染みの薬局もできた。

 「うーん、ずっと病院、行ったことがないから。保険証なんて子どもの時、見たことないかも。」

 「今度、風邪ひいたら、俺が雑炊、作ってあげる。」

 「じゃあ、私も俊くんに作ってあげる。」

 「いやいや、作れないでしょ。」

 「レトルトの雑炊、売ってるじゃん。プリンも一緒に買っていくよ。」



 5年生時の担任、年配の女性教師は最初からルカを避けているようだった。ルカ自身も無意識とはいえ、この担任を無視していた。そもそもルカは周りの大人を笑顔という仮面で無視している。頼りにしたこともない。それ以前に、この世に頼れるものがあるかどうかさえ、考えたこともなかった。

 不幸にもこの担任の下、小5の秋にルカは学校で初潮を迎えた。

 特にお腹が痛い、下っ腹が重い、といった感覚はなかった。授業中に突然、違和感を覚えたものの、担任に言う気にはなれず、そのまま休み時間まで耐えることにした。


 小学校に上がる前、夜に鼻がズルズルすることがあり、台所のティッシュを取って鼻をかんだところ、何回かんでも止まず、何枚もティッシュを使ってしまった。早朝になり、明るくなったところで、山積みになったティッシュが全部真っ赤なのを見て、

 -死ぬのかもしれない。

 とだけ思った。

 今までも体調が悪いことを母親には言ったことはほとんどない。言ったところで

 「うるさい。」

 と言われるだけなのはわかっている。

 それよりも、この山積みの真っ赤なティッシュをゴミ箱に捨てたところで、気づかれたらどうしようと怖くなった。血で汚れていた床は唾をつけたティッシュでふき取った。

 その後、起きてきた母親は

 「きたねーな。」

 と床に残っていた血を指さした。特に叱られはしなかったが、食事はしばらく出なくなったことを覚えている。

 ルカにとって病気やケガは母親に叱られる要因となるものであり、痛い、苦しいは母親に悟られぬよう隠し通すものでしかなかった。


 やっと授業が終わり、急いでトイレに入って確認すると、下着に血がついていた。

 -来たぁ。これか。

 女子だけを集めて行われた特別授業の性教育を何度か受けており、そういうものがあるということは知っていた。かと言って、備えをしていたわけではないので、その場ではトイレットペーパーを丸めて下着にあてがい、保健室に行った。担任に相談するということ自体、思いつきもしなかった。

 保健室の先生からは、それぞれの使用方法の説明があって

 「どっちにする?」

 とナプキンとタンポンを見せてもらえた。ルカが迷わずタンポンを手に取ったので、先生は驚いたようだ。

 「今、説明したけど、そっちは使い方が難しいよ。激しいスポーツをする人なんかが使うものだから、初めてでそれを使う必要はないと思うけど。」

 先生の言葉は耳に入らなかった。ルカとしては、血を完全に、根元から止めてしまいたかった。


 5年生時の担任はそのまま6年生でも持ち上がりとなったが、6年生の2学期に何の加減か、珍しくルカに話してかけてきたことがある。

 「福田さんはいつもニコニコしていて、幸せそうだね。」

 この時のルカの表情を、この担任は一生忘れられなくなる。一瞬現れた無表情、その時の目は、世の中の全てを見透かしているようで恐怖を覚えた。

 「絶望」という字は「望みが絶たれる」と書く。これは少なくともそれまでは望みがあったことを意味する。あった望みを失ったときに、人は絶望するのだ。生まれてから一度も望みを持ったことのない子どもたちは、絶望さえできない。ただただ、果たしなく続く悲しみを、それが現実だと受け入れていくだけである。

 「幸せそう。」

 ルカも、この教師を一生忘れられなくなった。いや、この教師の名前はすぐに忘れたが、この言葉とそれを言ってのけた時の表情だけは今でもはっきり覚えている。それまでも大人を頼りにしようとは考えもしなかったし、故に望みもなかったが、望みさえ持たずに12年生きてきたことで、この時のルカの精神は破綻を迎えようとしていた。そこに叩きつけらえたこの言葉は、ルカに現実をより、えぐるように突き詰めた。

 -現実は残酷だ。そして決して変わらない。



6

 お互いの家に泊ることが当たり前のようになってきた頃、夜、ルカの部屋のベッドの中で俊介が

 「あのう…」

 と聞いてきたことがある。

 「なーに?」

 ルカはいつもどおり、俊介の左手にぴったりくっついていた。絡めた腕も足も俊介の体温で温かい。

 聞いてきたくせになかなか言い出さないのを無理やりに聞き出した。

 「あのね、そろそろ…」

 「何?」

 「キスから先とか…ダメ?」

 「うーん、俊くんが嫌とか、嫌いとかじゃないんだけど…。」

 「だけど?」

 「怖いんだよね。」

 「怖い?」

 「私、男の人が怖いんだよ。」

 「俺も?」

 「ううん。怖かったらここにいないよ。」

 「そうかぁ。」

 「してみる?」

 「いいの?」

 「わかんない。わかんないけど、俊くんだったらそうなってもいいとは思ってる。」

 いざ、そうなるとしたら、自分の意識が体から飛んでいくかもしれない、とも思っている。

 「うーん」

 「私はいいよ。」

 「いや、やっぱ、やめとく。そう言ってくれただけで充分だわ。」

 「ごめんね。」

 「いや、謝るとこでない。」

 俊介がキス以上のことを望んだのは、後にも先にもこれきりだ。



 ルカが中学から住んだ福永の家は横浜市の閑静な住宅地の一角にあった。立派な家が立ち並ぶ中でも、ひときわ大きな洋風建築のお屋敷だ。当時、母親の部屋もそのまま残されていたし、ルカには余っていた部屋、16畳もの広い部屋が与えられた。

 駅からは離れているため、祖父も、生前の祖母も運転手付きのハイヤーで通勤していたが、ルカは駅まで歩いて、私立の女子高に通った。夏には日傘をさして登校している。

 高校の卒業式を終えて、都内の私立大学の入学式を数日後に控えた、春休みのことだ。友達らが卒業旅行に繰り出す中、相変わらずバイト三昧の日々で、その日はいつもより帰りが遅くなった。少しずつ暖かくなり、日も長くはなっているようだが、21時を過ぎる頃には当然真っ暗になっている。吐く息がまだ白い。

 -入学金を払ったら、貯金がぜんぜんなくなった。どうしよう…

 高校3年間で貯めたバイト代は大学の受験料と入学金に消えた。祖父に言えばどっちも出してくれたはずだが、言い出すことはできなったし、祖父からは何も聞かれなかった。これからの大学4年間も住まわせてもらうことになるし、我儘は言えない。社会人になるときには一人暮らしを始めるつもりだ。

 家に帰っても祖父がいないことはわかっている。それでも、いつもと同じ道を、いつもより少し早足で急いだ。

 駅から大通りを渡り、住宅地に入っていくと、軽い上り坂が続く。車はほとんど通らない街路樹に、ポツンポツンとある外灯の下で見える桜の木にはまだ花は咲いておらず、つぼみも暗くて見えない。

 -着物?お金がもったいないし、レンタルでもあり得ないなぁ。

 大学の入学式に着る服をどうするかで頭を悩ませていた。幸い、高校の卒業式は制服でよかった。

 「瑠伽。」

 体が凍った。

 「おい、瑠伽。」

 車道の方から声がした。

 間違いない。忘れていたつもりなのに、誰の声かはっきりわかった。ルカの体は動かなくなり、上空に飛んでいった意識が、上から自分を見下ろしている、以前にも経験したことのある感覚がはっきりと残酷に蘇った。

 街路樹の陰で気づかなかったが、薄水色の車体の低い、見知ったクラシックカーがそこに停まっていた。

 暗がりなのに、開けたウィンドウ越し、どす黒く脂ぎった顔に、ヘラヘラした笑みが張り付いているのがはっきり見えた気がする。

 「瑠伽、前よりもいい体になったな。稼げるところ、紹介してやろうか。」

 ルカの父親、福田雄二(ふくだゆうじ)だった。



第三章

1

 雄二は1962年、福田家の次男として誕生した。姉1人、兄1人、この兄は雄二が生まれる前に死亡している。家は兼業農家を営んでおり、敷地内には畑もあった。普段、父親は役場に勤めている。

 幼いころからその外見は両親には似ず、何の血を引いたのか、顔の彫が深く、色は浅黒く、日本人離れしていた。

 保育園では、既に「やんちゃ」とは呼ぶには悪質過ぎる騒ぎを繰り返し起こし、手を焼いた園から退園を言い渡されている。

 小学校に入学すると、体が学年で一番大きいこともあって、自分の言い分が通らないと暴れる、殴る蹴る、という相手を威圧して黙らせることを常とした。威圧的な態度を取るのは、小心さを隠すためである。特に、相手が自分よりも弱いと思ったときには徹底的に威圧した。低学年の頃には、母親にも手を上げるようになっている。それを見ても、父親は何も言わなかった。

 雄二が高学年のときに両親は敷地内に新居を建てるのだが、雄二の望むままに旧居は取り壊さず、平屋の建物すべてが雄二専用の家となった。


 この時代、特に地方では、生徒全員が必ず何かしらの部に所属する、という校則を持つ中学校があった。雄二の通う中学もそうで、大抵の男子の同級生たちは運動部に所属した。雄二自身は園芸部に入部するも一度として活動したことはない。

 中2で身長は止まり、体の厚みは正面から見ても横から見てもほぼ同じような体型になった。もとより授業はまったくわからないし、運動部で鍛えた男子の中には、雄二よりも大きくなる生徒、雄二の威圧に屈しない生徒が出てきたこともあって、学校を休むことが増えていく。同じように学校をさぼる数名とつるむようになり、自然発生的に彼らは雄二専用の平屋にたむろするようになった。

 この頃には酒を飲むようになっている。小心者の強がり、見栄張りが酒を飲むと加速し、大暴れすることもあった。力が強い分、質が悪い。夜遅くまで酒を飲んで騒ぐ姿や、朝になっても学校に行かない子どもたちを見ても、雄二の両親は何も言わなかった。深夜徘徊や自転車やバイクの窃盗など、何度か警察沙汰も起こしても、やはり何も言わなかった。既に両親は完全に息子に支配されていた。6才違いの姉は高校卒業後に逃げるように上京し、ほとんど連絡がつかなくなる。


 高校には入学した。仕事をするのが嫌だった。名前を書けば合格すると言われていた高校であっても、入学できた最大の理由は、卒業後の報復を恐れた中学の担任が、雄二の内申書と出席日数を改ざんしたからだ。中学の教師も雄二にとっては威圧できる対象だった。

 高校の入学式には出席しているが、派手な髪形、変形させた学生服に下駄履きで登校したため、複数の校則違反で入学式初日から停学になっている。学歴社会と呼ばれていた当時、公立高校は偏差値が高い高校ほど校則は少なく、雄二の入った高校の校則は、生徒手帳が分厚くなるほどの量だった。

 停学解除後も高校には行ったり行かなかったりが続いたが、中学からの同級生がいたこともあり、平屋に数人がたむろすることに変わりはない。高校からは少し距離があったにも関わらず、むしろその数は増えていく。夏休みを境に、週末には男女を問わず、十数人が集まるようになっていった。

 但し、これは雄二に人望があったからではない。今となっては、雄二に本当の友人がいたのかも怪しい。校内の派閥争いや高校同士の抗争で、雄二にも声がかかるのは、数合わせで呼ばれていただけで、雄二を頼ってではない。肝心なところで逃げ出すのは周知の事実だった。単に雄二専用の平屋が彼らにとって都合がよかったということだ。敷地が広いこともあって、中には車やバイクで乗り込んで来る者もおり、飲酒して深夜まで大騒ぎしたり、飲酒のまま無免許で車を乗り回したりすることも増えていった。

 雄二本人にできたのは、せいぜい後輩相手にすごんだり、一般生徒に恐喝・ゆすりをしたりする質の悪いものばかりで、さらに平屋に集まる連中と一緒になると、シンナーを盗む、女子生徒を無理やり連れ込むなど、警察の厄介になる回数は増えていく。近所だけでなく、この地域全体に厄介者として名前が知られるようになっていた。そのため、父親はこの頃に役所の仕事を辞職している。


 高校を卒業しても、特に定職には就かなかった。就けなかった、が正しい。先輩や同級生を頼って鳶や左官、工事関係の仕事に就いたことはあったが、どれも長続きしていない。親に買わせた外国車を乗り回し、東京や横浜でふらふら遊び惚けていた頃に、福永春香と出会っている。

 福永春香は、変わった女子だった。横浜のバーで見かけた時は、いつも透けるような真っ白な肌を出した真っ黒な服を身に着けて、一人でカウンターの隅でタバコをくゆらしていた。近寄り難い雰囲気を無理やり押しのけて声をかけるのだが、春香はまるで何も聞こえていないかのように、視線を動かすこともない。

 それでも、雄二は春香を見かける度に声をかけ続けた。自分たちが一緒にいる光景は人目を惹いている、と雄二は信じて疑わなかった。実際、二人とも日本人離れした外見と言ってよい。とはいえ、北欧系で背が高く肌が真っ白な春香に対し、雄二は南米系、立って並ぶと春香の方が背は高く、お嬢様とボディガードのような組み合わせに見えた。 

 「自分は家を持っている。ネコだって何だって飼える。」

 初めて春香が反応らしい反応を見せたのは、雄二がそんな内容を口にした時だった。

 「ネコ?」

 それから程なくして、春香は雄二の家、平屋に住み着くことになった。



2

 春香を呼び込むために、雄二は親に平屋を大々的にリフォームさせている。

 この頃には溜まり場として使われることはほとんどなくなっていたとはいえ、長年の悪行のために、平屋はゴミ屋敷のようになり、いたる所が破壊されていた。春香からは「汚いところには絶対に入らないから」と何度も念押しされていたのだった。

 ネコは春香が自分で連れてきた。既に「ベリー」と名が付けられていたキジ模様の子ネコだった。この頃、春香は食事代わりにいつもブルーベリーを食べている。

 春香が来たことで有頂天になった雄二は、この時に塗装会社の見習いとして定職に就く。平屋の新しくなったリビングを自分たちの寝室にして、そこから毎日、仕事に通った。直に春香は妊娠し、それを機に二人は入籍した。式は挙げていない。春香が拒否した。

 1985年、19歳の春香は女児を出産した。雄二が23才の時のことだ。

 生まれた娘は「瑠伽(るか)」と名付けられた。春香が自分の名前から取ったもので、それなりに愛情をもっていたようだった。

 体形が崩れることが嫌なので母乳で育てていないとはいえ、当初、春香は春香なりに育児に懸命に取り組んだ。様子がおかしくなるのは1歳児検診後、「イヤイヤ期」が激しくなり、春香の思い通りにならないことが増えた頃からだ。

 ソファの上だと落ちてしまうので、春香はルカをダイニングの床の上に放置して、いくら泣いても、無視するようになっていく。ルカがどんなに泣き叫ぼうと、春香は換気扇の下でタバコを吸うか、ソファで美術雑誌や通販雑誌を眺めていた。


 赤ちゃんが人とコミュニケーションを取るための方法は、泣いたり笑ったり怒ったりという情緒表現である。「泣くのが赤ちゃんの仕事」とも言われる所以だ。この表現の受け手となる母親(養育者)は、赤ちゃんの表情やしぐさから、気持ちを察し、その欲求を満たせるように行動する。この時期のコミュニケーション度合いが赤ちゃんの性格形成に関係し、引いてはその後の人生にも影響を及ぼす、とも言われている。不幸にも、母親(養育者)が何らかの事情で赤ちゃんの情緒にうまく応えられないとき、どんなに泣いてもケアを受けられない赤ちゃんは、外に向かって働きかけることをやめ、表情を失っていく。これが「サイレントベビー」と呼ばれる赤ちゃんである。

 ルカの無表情はこの時に構築されており、その後、それが笑顔へと変わっていく。ルカが日常生活で絶やさない笑顔は、自分を守るためにできる精一杯の抵抗であり、無表情を隠す仮面だった。


 ルカが生まれ、春香が育児に追われるようになると、雄二は平屋を出ていった。もともと、春香が一切料理をせず、自分の食事さえほとんど食べないので、雄二自身の食事は本宅で母親が用意するものを食べており、ルカの夜泣きがひどくなったことで、夜も本宅で寝るようになったのだ。春香が本宅に来ることは絶対にないため、雄二が平屋に行かなければ、二人が顔を合わすことはない。

 雄二に、育児に協力する気持ちは一切なかった。別に子どもが欲しかったわけでもなく、生まれた娘を見ても愛着は感じない。

 ただ、春香とSexだけはしたかった。そのため、ゲームをするという建前で時々、平屋に顔を出した。それはもはや、帰宅ではなく訪問だった。そんな雄二を春香は出会った頃のように無視する。Sexのことだけを考える雄二にとって、娘は邪魔な存在だった。

 何度か酒の力を借りて、自分の欲求を叶えることを無理強いしたことがある。雄二の酒癖が悪いことは当然、春香もわかっており、ここに住む条件の一つに、自分の前では酒を飲まないことを約束させていたくらいで、春香に怖気づいていた雄二もそれを守ってはいた。代わりに、外で酒を飲んで、平屋に入ってくるようになったのだった。


 「顔にあざのようなものがありますが、何か心当たりありますか?」

 と担当医が、春香に聞いたのは3歳児検診の時だ。

 この時、春香は

 「ソファから落ちました。」

 と応えている。

 このことがあって、春香は躾について気をつけるようになる。体罰を止めようと気をつけるのではなく、体罰の時にはあざが残らないように気をつける、ということだ。体罰はあくまで躾だという考えは変わらない。春香自身も母親からそうやって躾けられてきていた。

 この検診で春香は保育園の存在を知り、共働きでなくても入園できることも確認できたため、すぐに入園手続きをしている。

 当時、何をやらせても顔や周りを汚すルカには、台所横の床の上で、裸で生活するように命じていた。服も汚すからだった。ネコがいるおかげで、ダイニングは一年中、エアコンで温度が保たれていたことがルカに幸いしている。

 保育園に登園するルカを、当時まだ珍しかった通販で揃えた服で着飾らせるのが春香の数少ない楽しみの一つとなっていく。支払いには父親のカードを使った。春香は大抵、通販雑誌か美術雑誌を見て終日を過ごしていた。

 ルカが美術雑誌を見ることも許していた。許すとはいえ、幼いルカは雑誌を汚したり、破ったりしてしまう。それを躾けるには体罰しかないと春香は思っていた。

 「ここ、汚したろ?」

 頭をつかんで、雑誌に押し付ける。

 「ごめんなさい。もう汚しません。」

 最近、ルカは大抵のことは笑顔で応えるようになった。

 「絶対、また汚すだろ。もう見るんじゃねーよ!」

 ゲームをやるという口実で平屋に来た雄二が、春香と一緒になってヘラヘラ笑いながら、ルカを罵ることがある。春香が特に何も言ってなくても、雄二がルカをからかうように責めることもあった。春香にはこれは許せなかった。

 「こいつ、また笑ってるわ。」

 「あんたは何も言わなくていいから。」

 雄二がルカに手を上げるのは、酒に任せた雄二が自分に手を上げてくるよりも、もっと許せなかった。ルカは春香の所有物だ。言うことを聞く、聞き分けの良いルカは可愛い。そうでないルカはいなくてもよかった。



3

 ルカが小学校に入学し、あまり服や床を汚さなくなると、春香はルカに台所横のカーペットから外に出ることを許した。その方がネコの世話をさせたり、床掃除をさせたり、といろいろ便利だった。洗濯をさせるため、洗面台への出入りも許可した。風呂場とリビングへの立入禁止は変わらない。

 ネコの世話をルカに任せられるようになったので、週末、春香は一人で横浜の実家に帰るようになった。高校を卒業して、飛び出すようにして家を出た春香が数年ぶりに帰ったときにも、母親は嫌な顔をしただけで特に何も言わなかった。父親はたいそう喜んでくれたが、既に子どもがいることを伝えるとしばらく黙ってしまった。

 雄二が春香に生活費を渡したのは最初のほんの数か月で、今では仕事をしているのかさえ怪しい。自分でカスタマイズしたというクラシックカーは朝から家に停まっているかと思うと、何日も戻ってこないことが増えていた。収入の全くない春香は、今も父親のカードを使いながら、実家に帰る度に現金をもらっていた。


 小学校の入学式には、春香も母親として参加した。

 春香にとって、運転手だけでよかった雄二は、派手なスーツを決め込んで勝手に参加している。雄二に似たせいで横にも大きいのは不満だったが、背が高く、ひと際色白のルカが、自分が選んだ薄紫のワンピースを着て、自分が選んだピンクのランドセルを背負う姿を、春香は世界一可愛いと思っていた。


 1年2組の担任は伊藤良子(いとうりょうこ)先生、小柄でショートカット、私服だと学生に見間違えられそうな新任の先生だった。

 ルカの通う公立小学校は、校区内に規模の大きな児童養護施設を抱えており、様々な理由から素行が荒れている生徒も少なくなかったため、特に接し方が難しくなる5、6年生には経験豊富で体力もある30、40代の担任を置くことが多く、1、2年生のクラスは新人や定年退職前の教師が受け持つことになっていた。

 伊藤先生が最初にルカの様子を気にかけるようになったのは、給食の時間だ。ルカはトレイの上の食器に直接顔を近づけて、身を乗り出すようにして食べる。スプーンは最小限にしか使わない。その姿は動物のそれに似ていた。なのに、顔もトレイもほとんど汚さないという不思議な食べ方だった。そういう子もいるものなのか、と伊藤先生は他の子も見てみるも、他にそんな食べ方をする生徒はいなかった。

 家庭訪問は「忙しいから」という理由で、母親とは会えなかった。それも何度か電話してやっと聞き出せたことだ。一応、家の場所を確認すために、近くまで行ってみたところ、大きくて立派な家だった。

 5月、交友を深めるための春の遠足で、1年生は学校近くの神社に歩いて行った。春は徒歩遠足、秋はバス遠足と決まっている。ルカは遠足当日に休んだ。

 4、5、6、7月と給食費の未払いが続く。とはいえ、地域柄、給食費未払いの家庭は多い。

 さらに気にかけて見てみると、ルカが常に笑顔であることに気づいた。怒ったり、泣いたりが無い。そんな子はクラスどころか、伊藤先生の20年ちょっとの人生の中に一人もいなかった。そう気づくと、ルカの笑顔が無表情に見えてきた。


 新人教師の伊藤先生にとって、嵐のような1学期が終わり、夏休みになって漸く、いろいろな振り返りや課題点の洗い出しができるようになった。とはいえ、職員会議や2学期の準備に追われ、多忙さには変わりない。学校の先生は夏休みがある、そう思っていた伊藤先生は自分が恥ずかしくなった。

 夏休み中の職員室で、伊藤先生は自席周りの先輩教師らにルカのことを相談してみた。職員室は校長の方針で、市役所と同じ「エアコンは28度設定」を頑なに守るため、座っているだけも汗がにじむ。

 「うーん、給食費の未納といっても、お家は立派だったんだろ?経済的に困っているとは思えないなぁ。」

 「私も見たことあるけど、いつもきれいなお洋服、着てる子だよね。」

 「そうなんです。ちょっと見るくらいではわからないと思いますが、挙動がおかしいというか、おどおどしているというか…。」

 「そんな子は他にもいるからねえ。」

 「私、少しは調べたつもりなんですけど、虐待とか…ってあります?」

 「いやいや、それは飛躍しすぎじゃない?」

 「そうですよね…。」

 「顔や体にあざや傷を見かけたことはある?」

 「それはないと思います。」

 「確かに家庭訪問ができてない、というのは気になるけど、それもこの辺りじゃ珍しいわけではないしなぁ。母親は入学式には来ていた?」

 「はい。真っ黒な服を着たきれいなお母さんと…少し派手なお父さんだったはずです。」

 「両親が来てたって?じゃあ、学年主任に報告するまでにもなってないよ。2学期にもう少し様子を見てみたら?」

 「はぁ…。」

 汗で背中に張り付いたブラウスが不快だった。


 ルカが小学校に入学した1992年、日本では児童虐待に対する法整備が今よりずっと不十分だった。日本の子ども虐待対応は欧米に比べて30年程度遅れていると言われている。伊藤先生たちの会話に「虐待」という言葉が出てきたこと自体、珍しいといえよう。



4

 日本で初めての児童保護に関する法律は1933年に制定された児童虐待防止法である。しかし、この法律は子どもを兵役へと進める富国強兵政策に利用された側面もあり、さらに戦後、海外から児童福祉の概念が導入されたこともあって、1947年に制定された児童福祉法に統合される。児童福祉法は現在においても児童福祉の基本法として存在しているものだが、生活スタイルが複雑に変化していく当時、児童福祉法だけでは適切に子どもを保護することができないという声が上がり続ける。

 そうした声の高まりもあって1990年、当時の厚生省が児童虐待の対応件数の統計を取り始めた。その後、2000年になって漸く、児童虐待の防止等に関する法律が制定される。現在、一般的に児童虐待防止法と呼ばれるのはこの法律である。


 児童虐待防止法の第1条、基本理念には「児童の権利利益の擁護に資することを目的とする」と記されている。さらに、虐待は子どもの権利の侵害となること、子どもの成長や人格形成に大きな影響を残すこと、その影響は次の世代にも及ぶことに触れており、虐待対応は「子どもの権利や国の将来の世代を守るための取り組み」であると述べている。

 児童虐待防止法の第2条では、児童虐待を以下のように定義している。

第2条 この法律において、「児童虐待」とは、保護者(親権を行なう者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するものをいう。以下同じ。)がその監護する児童(十八歳に満たない者をいう。以下同じ。)について行う次に揚げる行為をいう。

1 児童の身体に外傷が生じ、又は生じるおそれのある暴行を加えること。

2 児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること。

3 児童の心身の正常な発達を妨げるような著しい減食又は長時間の放置、保護者以外の同居人による前2号又は次号に揚げる行為と同様の行為の放置その他の保護者としての監護を著しく怠ること。

4 児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家族における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の手続きをしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動を言う。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。


 簡単に言えば、児童虐待を「身体的虐待」「性的虐待」「ネグレクト(育児放棄)」「心理的虐待」と大きく4つに分けたことになる。

 これにより、特に、親が満足に子どもの世話をしないことも虐待、ネグレクトにあたる、という認識も広がっていった。世の中の児童虐待への意識の変化としては、1990年に統計開始された、「児童相談所」が対応した児童虐待相談件数を見ていくとよいだろう。

 1990年は1,101件であった相談件数が2001年には2万件超、2018年は15万9850件と、ずっと大幅に増え続けてきたことがわかる。2018年の虐待に関する相談内容の内訳としては、心理的虐待が55.3%、身体的虐待は25.2%、ネグレクト18.4%、性的虐待は1.1%となっている。

 これらの数値は、単純に虐待件数が多くなっていると捉えるべきではなく、世の中の虐待に対する意識が高まってきたことを考慮に入れるべきである。言い方を変えれば、それ以前は虐待とは見なされないまま埋もれていったものも多い、ということになる。

 ちなみに、堕胎や間引き(嬰児殺)は古来より存在していることが、残っている記録から判明している。

 「ある婦人たちは、出産後、赤児の首に足をのせて窒息死せしめ、別の婦人たちは、ある種の薬草を飲み、それによって堕胎に導く。ところで堺の市は大きく人口が稠密なので、朝方、海岸や濠に沿って歩いて行くと、幾たびとなくそこに捨てられているそうした子供たちを見受けることがある。」宣教師ルイス・フロイスの日本史より(完訳フロイス日本史2信長とフロイス―織田信長編Ⅱ・松田毅一・川崎桃太訳)


 「児童相談所」とは、児童福祉法第12条に基づいて、都道府県や行政指定都市に設置義務のある行政機関である。「児相」と呼ばれることが多い。2019年4月1日現在、全国に215か所が設置、そこに国が認めた3827人の児童福祉司、1570人の児童心理司が配置されている。特に2004年の児童福祉法改正で、「児童相談所は市町村の後方支援をする高度な専門機関である」と明確に位置付けられた。

 その設置目的は、厚生労働省が定める児童相談所のガイドライン「児童相談所運営指針」に「子どもに関する家庭その他からの相談に応じ、子どもが有する問題又は子どもの真のニーズ、子どもの置かれた環境の状況等を的確に捉え、個々の子どもや家庭に最も効果的な援助を行い、もって子どもの福祉を図るとともに、その権利を擁護すること」と記されている。

 「最も効果的な援助」を行うために、児童相談所が持つ、他の相談の場と違う最も大きな特徴の一つは、虐待が疑われるケースにおいて「子どもを一時保護する権限」を持っていることである。児童相談所長の判断で、保護者の同意を得ることなく行うことができる。子どもの保護に必要と判断された場合には、自宅に立ち入ることもできるし、保護者の面会依頼を拒否することもできる。自分たちの虐待行為を隠す保護者、何も語らない子どもが多い中、この権限は相当に大きい。

 また、「子どもに関する家庭その他からの相談に応じ」とは、児童相談所が子どもの権利を守るためのあらゆることに対応する、ことを意味している。そのため、扱う内容は児童虐待に関するものだけではなく、その内訳は、多い順に障がい相談、養護相談、育成相談、非行相談、保健相談と多岐にわたる。虐待に関しての相談は「養護相談」の中に含まれることが多い。2018年の16万件にも及ぶ虐待に関する相談数は、なんと、児童相談所が受けた全相談件数の割合としては30%ほどでしかない。児童相談所がいかに多くの案件を抱えているか、ということになる。一人の児童福祉司が担当する案件は平均100件以上と言われており、児童福祉司および児童心理司の増員、児童相談所の増設は、常に急務とされている。

 近年、ドラマや漫画の舞台として扱われる機会も増えており、その存在が認知されてきているとはいえ、数億円かかる維持費や、地域住民の建設反対など、児童相談所の増設には課題が多い。



5

 児童虐待防止法が制定される2000年以前、さらには児童虐待について統計を始める1990年以前にも児童福祉法の下、子どもたちを助ける制度は存在していた。

 1948年にできた民生委員制度では、子どもの養育に差支えがあるほどの経済的困窮に陥っている家庭は、文房具代や給食費の支給を受けることができた。この場合、民生委員(福祉行政の民間協力者)が定期的に家庭を訪問、子どもたちの環境を確認し、時には親を指導することもできる、とされていた。

 つまり、1980年代後半までの教育問題の中で大きな比重を占めていたのは「家庭の貧困」なのである。親の養育能力や養育する意思の欠如については問題とされていなかった。

 前述したように、1990年代に入り世の中の虐待に対する意識が高まってきたことで、2000年に児童虐待防止法が制定された。この中で、学校の教師は児童虐待の早期発見の責務を負うことになった。虐待が疑われる場合には、専門機関である児童相談所への通告義務もある。「通告ができる」ではなく「通告義務」である。おかしいと思ったら報告しなければならない。

 ルカが小学校に通っていたのは1990年代、児童虐待防止法の制定は2000年まで待たねばならず、ルカには間に合わなかった。



 2学期になってすぐに運動会の練習が始まった。ルカは走るのが速く、徒競走の練習では一位を取ることが多い。玉入れの練習でも笑みを絶やさずに励むルカの姿を伊藤先生は気にかけて見ている。しかし、運動会当日、ルカは欠席した。

 「どうしても気になるんです。」

 「あのねぇ、運動会を休んだくらいで、いちいち報告されてもねぇ。」

 「運動会だけじゃありません。申し上げたように、春の遠足も休みましたし、給食費も未払いのままですし、あの家庭には何かしらの問題がある可能性があります。」

 同僚の教師たちへの相談だけではらちが明かないと思い、学年主任を飛ばして、職員会議で報告してみた。はたして、一番に反応したのは学年主任だった。すっかり秋になっているのに、いつも汗ばんでいる。自分と年齢は一回りも変わらないはずだが、「どう見てもおじさん」に見えるのは、いつも汚れている眼鏡やくたびれたスーツのせいだろうか。

 「うちの校区は、そんな子が他にもいっぱいいることは伊藤先生もご存じでしょう。そうでなくても、今は遠足のことでやることは山積みなんですよ。」

 「このままだと彼女は今度の遠足も来ないと思います。」

 「福井さん、私も知ってますよ、いつもきれいな服を着ている生徒でしょう。裕福そうじゃないですか。例え、遠足をお休みしたとしても、それはそういう家庭の方針ではないのですか?」

 「福田さん、です。だから、その家庭、お母さんとなかなか連絡が取れないんです。休むという連絡も事務の先生に電話があっただけで、一方的に切られたそうです。こちらから電話しても出てくれませんでした。」

 「一切連絡が取れない保護者だっていっぱいいます。連絡があった時点できちんとした保護者ではないのですか。本人が何か言ってきているわけではないんでしょう?」

 眼鏡越しに見える眉が吊り上がっている。

 「本人が自分から何か言うわけないじゃないですか!何か起こってからでは遅いので、然るべきところに報告を上げるべきではないかと思うのですが。」

 伊藤先生は新任なりに、夏休み中に色々調べたつもりだった。

 「然るべきところ、というのは?」

 ここで初めて、一番奥の席に座っていた校長先生が口を開いた。伊藤先生から見て、学年主任がおじさんならば、校長先生はおじいさんだ。

 「教育委員会ではなく、福祉事務所だと考えています。」

 虐待が疑われる場合、市町村の福祉事務所または児童相談所に報告、相談ができる。学校からは福祉事務所に報告を上げることが多い。

 「先ほどから聞く限りでは、私はそこまでの状況ではないように思いますよ。何しろ確認できていることが少ないようですし。」

 「しかし…」

 「安易に報告して、何もなかったならば、お忙しいあちらの職員の皆さんに迷惑をかけることになるのはお分かりですよね。」

 「何もなければ、それが一番いいはずです。」

 「新任の伊藤先生が熱心に子どもたちのことを見ているのは素晴らしいことだと思います。ただ、熱心さのあまり、一人の生徒にのめりこみ過ぎているようにも聞こえました。伊藤先生が今為すべきことは、クラスの全員を贔屓せずに見ることではないでしょうか。」

 「贔屓なんて!」

 「校長先生のおっしゃる通りです。伊藤先生はクラス全体をしっかり見るように心がけてください。その上で、福井さんですか?福井さんの保護者とは連絡を取ってみて、話を聞いてください。次の議題に進みます。」

 「福田さん」と訂正もできないまま、唐突に学年主任に話を切られた。

 職員会議後、

 「あれじゃだめだよ。うちの校区はそうでなくても問題が山積みだし、校長は定年までを平穏にすませることしか考えてないことはわかってるよね。主任は校長の言いなりなんだから、もっとうまく立ち回らないと。」

 と同僚から言われた。全く納得がいかなかった。



6

 秋の遠足の一週間前の帰りの会、伊藤先生は1年2組の生徒たちに「おたより」を配った。この日は淡いグリーンのスーツ姿だ。ほぼ一年中ジャージ姿の男性教師もいるが、小柄な自分はなるべく、きちんとした姿をしていないと幼くみられることを自覚していた。

 「みんな、いいですか?」

 「はーい。」

 「今、配ったお手紙は遠足のお知らせです。おうちの方に必ず渡してください。」

 「はーい。」

 「今度の遠足はバスで遠くに行きますからね。お手紙にはバスに乗る注意やお薬のことを書いています。あと、お弁当とおやつのことも。特におやつはいっぱい持ってこないようにしてください。」

 「えっ、俺、おやつでお腹いっぱいにしようと思ったのにー。」

 クラス中が笑う。

 ルカもいつも通りの笑顔なのが見て取れた。笑顔の奥はわからない。

 「ダメですよー。きちんとお弁当も持ってくるように、おうちの方にお願いしてください。なので、このお手紙はみんなもお家の方と一緒にしっかりと読んでください。」

 「はーい。」

 必ず「おうちの方」と言うように気をつけている。「おかあさん」や「おとうさん」とは言わない。クラスの中には本当の親と暮らしていない子、両親がいない子もいる。そういう子どもたちが生活している施設へは、遠足などの行事の日について予め連絡が行っており、お弁当やおやつは施設が用意してくれることになっていた。

 「せんせい、さよなら。みなさん、さよなら。」

 「さよなら」の「ら」を言う前に、教室を飛び出していくのはいつもの顔ぶれだ。伊藤先生はそんな生徒たちを笑顔で見送りつつ、ルカに声をかけた。

 「ルカちゃん、ちょっと待ってて。」

 まとわりついてくる少しおませな女子たちをやっと帰して、伊藤先生はルカのところに行った。

 「待たせてごめんね。」

 ルカは自分の机の横で、ランドセルを背負って立ったまま待ってくれていた。

 「あのね、ルカちゃん。先生、遠足のことでルカちゃんに話があるんだ。」

 近くに行くと、黄色のワンピースやピンクのランドセルはきれいでも、頭から少しすえた臭いがすることに気づく。

 「今度の遠足、ルカちゃん、お休みしないよね?」

 ルカは笑顔のまま何も言わない。

 「遠足に行くの、いや?」

 「いやじゃない。」

 「春の遠足も、運動会もルカちゃん、急にお休みしたじゃない?あれって急に病気とかになったんじゃないよね?」

 「なってない。」

 「どうしてお休みしたのかな。どっちも楽しみにしているように見えてたよ。」

 ルカは黙ったまま、笑顔は変わらない。

 「本当のこと、教えてくれないかな。」

 笑顔が固まっているようにしか見えなくなってきた。

 「ママが…」

 「ママが?」

 「ママが行かなくていいって言うの。」

 「どうして?」

 「私がいい子じゃないからって。」

 目が潤んだように見えた途端、

 「もういいの。」

 ルカは踵を返して教室から出ていった。

 -いい子じゃないから?何?


 ピンクのランドセルを背負ったルカは、一人ぼっちで教室を飛び出し、下駄箱で靴を履き、校舎中央の生徒用入口から外へ出た。入口横の花壇で揺れる薄桃色の秋桜には目もくれずに早足のまま、運動場を横切っていく。派手な黄色のワンピースが大きく揺れた。

 ルカが正門に差し掛かろうとした時、

 「待って。ちょっと待ちなさい。」

 伊藤先生が後を追ってきた。急いだのであろう、淡いグリーンのスーツにはまったく不似合いな茶色いサンダルを引っかけていた。

 「もういい。もういいの。」

 ルカは伊藤先生から逃げるようと正門へ駆けだした。

 「もういいの。来ないで。」

 駆けるといっても、歩幅が小さいせいで、すぐに伊藤先生に追いつかれてしまった。後ろから手をつかまれ、そのまま伊藤先生と向き合う形になった。

 「お願いだから…、お願いだから、話を聞いて。」

 伊藤先生はまだ肩で息をしている。

 「ルカちゃん、やっぱり足、速いねー。先生、追いつけないかも、って、思っちゃった、よ…。」

 息を整えながら、笑いかけた。

 ルカの表情は既にいつもの笑顔に戻っていた。それでも、大きな瞳に涙が溜まっている。

 「大丈夫。先生がお弁当、作ってあげるから。遠足の日もいつもどおり学校に来ていいんだよ。大丈夫だから。」

 ルカは大きくかぶりを振った。

 「大丈夫。お母さんには何も言わなくていいから。先生も何も言わない。安心して。1年2組のみーんなで一緒に遠足に行こう。」

 「もういいの。」

 ルカはさっきと同じ言葉を繰り返す。

 伊藤先生はルカをそっと抱きしめた。

 「ごめんね、ごめんね。」


 遠足当日、ルカは登校してきた。

 伊藤先生は教室に入る前のルカを捕まえて、他の生徒にはわからないように彼女のランドセルと用意していたリュックサックを交換させた。リュックには手作りのお弁当と少しのおやつを入れてある。

 おたよりを配ったあの日以来、何にも言わなくなったルカに伊藤先生は、母親には遠足のことを伝えなくていいから、当日はいつも通りに学校に来るように、と何度かお願いしている。実際に登校してきたルカを見た時は、ほっとしたものだった。



7

 伊藤良子は静岡県で生まれ育った。会社員の父親と、その会社の元同僚で、良子が生まれた後はパートタイムで塾の採点バイトをしていた母親、2つ上の姉がいる。小中高と成績は常に真ん中で、学級委員や生徒会役員に選ばれることもなく、運動会や部活で目立つこともなく、良子自身、可もなく不可もない平均点の子どもだったと自覚している。

 そんな良子が初めて両親と大きくぶつかったのは、大学進学を考え出した高校3年の初め頃のことだった。両親が大学進学を渋ったわけではない。実際、姉は都内の大学に進学していたし、両親は良子もそうするものだと信じていた。両親が反対したのは、その進学理由、良子が「小学校の教師になりたい」と言ったことに対してだった。

 小6の時に、良子のクラスでいじめが問題となって、学校に出てこられなくなったクラスメートがいた。良子がいじめの対象になったわけではなく、直接、そのクラスメートをいじめたこともない。ただ、クラスの中にいじめる・いじめられるという関係で成り立つグループが存在していることは知っていた。知っているだけで、特に何もしなかった。自分には関係ないと思っていたからだ。

 「それが一番の問題なんですよ。」

 担任はクラスの全員に呼びかけた。

 「いじめた人、いじめられた人、直接ではなくても一緒に無視するなどでいじめに参加した人だけの問題ではないのです。いじめを知っていたのに何もしなかった人も一緒に考えなければなりません。なぜ、いじめがなくならないのかを。」

 この担任は、良子が通った小学校の中では比較的若い教師であり、生徒からはお姉さん先生的な好意を持たれている女性だった。この呼びかけにより、クラスが大きく変わったようには思わない。また、保護者達や学校がどういう動きをしたのかは良子には分からない。それでも、卒業式にはクラス全員が出席した。この卒業式の記憶が良子の心の中に大きく刻まれる。世間的には、「校内暴力」が大きな教育問題とされており、「いじめ」はほとんど表面化していない時代の話だ。

 教師という仕事に興味を持つと、その後、教師や学校に関わるようなドラマや映画、書籍には自然と目を向け、手を伸ばした。また、通っていた中学、高校に教育実習でやってきた若い先生たちに「なぜ先生になろうと思ったのですか?」と必ず訊くようにもなった。直接ではなく、手紙を書くという形だったが。教師という仕事の魅力を熱く語ってくれた先生もいれば、自分の思い出、先生になろうと思ったきっかけを書いてくれた先生、正直に「まだ先生になるかどうかはわからない」と教師になるための手順を教えてくれた先生もいた。良子はまだ教育実習生と教師の違いがよくわかっていないかったのだ。いつの間にか、良子の中で「小学校の先生になりたい」という気持ちが固まっていった。

 両親からは

 「先生の仕事の大変さがわかっているのか!?」

 と反対される。親族一同の中に教師はいない。

 「お父さんもお母さんもわかってないでしょ。」

 と反論すると、ますます怒らせてしまった。

 数か月にわたる冷戦の末、「実際に教師になるかどうかは別として、教職免許が取れる条件だけは満たしておく」とお互いが歩み寄ることで一旦、協定を結んだ。結果、小学校教師に拘る良子は、小中高の教職を取ることができる大学、県内でも都内でもない地方の大学に進学した。両親に経済的な迷惑をかけたことを本当に申し訳ない、ありがたいと思っている。大学へ通う間も良子の思いは変わらず、教育実習を終えた頃には、両親もしぶしぶ賛成した。バブルが崩壊し、「就職難の時代がやってくる」と言われるようになったことも影響している。

 希望通り、静岡県の教員採用試験に合格した良子は、下田市の小学校に配属された。自分が教師になったことを報告しようと、小学6年生の時の担任に連絡を取ろうとしたところ、あの先生は、良子たちが卒業してすぐに教師を辞めていることがわかった。はっきりとした理由は不明だが、心を病んだらしい。

 同じ静岡県内とはいえ、ほとんど知らない土地である下田市で、良子は小学1年生の担任となる。良子のクラスの子たちの中には、良子が人生において出会ってきた人たちの中には誰一人いなかった、良子が全く聞いたことがない、想像さえつかないほどの複雑な家庭環境で育った子も少なくなかった。福田瑠伽は当初、その少ない方に入る生徒だと良子は思っていた。



 伊藤先生が自分のやったことの深刻さに気づくのは遠足の数日後、ルカの母親から学校に電話が入るようになってからだ。

 最初に電話を取り次いだのは学年主任だった。「授業がある」と言ってもお構いなしに

 「担任が勝手に、保護者である自分に何の断りもなく、自分の可愛い娘に弁当を与えた。何かあったらどうする気だったのか。こんな担任のいる学校には通わせられない。担任を替えるまでは学校に娘は行かせられない。今の担任は解雇させるべきだ。ついては校長を電話に出せ。これが通らない場合は、教育委員会に報告する。」

 という主張を、数時間にわたって淡々と、一方的に続けた。

 実際にこの電話があった日からルカは登校していない。しかも、この電話は毎日のように続き、学年主任だけでは収まらず、教頭、校長先生へと取り次がれていった。担任の伊藤先生とは絶対に話さないと言う。電話は常に一方的であり、母親の都合で昼夜を問わずかかってきた。そのくせ、学校側の言い分は全く聞いてもらえず、直接会うことも、当然、家庭訪問も拒否され続けた。

 理由はどうであれ、弁当を与えたのは事実であると伊藤先生は認めた。その一点だけで、伊藤先生は2学期をもって1年2組の担任を外された。さらに、「自主的に」と強制されて3学期は自宅待機となっている。

 強制された自宅待機とはいえ、伊藤先生は本当に心身に異常をきたすようになった。学年主任、教頭、校長先生から叱責され続けたこと、何より、登校しなくなったルカがどうなったのかが心配だった。母親が知ったことで、ルカの身に何か起こったのではないか、と自分で自分を責め続けた。翌年度から別の小学校に異動するという話も出ていたが、結局は自分から退職する。伊藤先生の念願だった教師生活は1年を待たずして終わりを告げた。


 このことがあって以降、学校が積極的にルカの家庭に関わることはなくなる。ルカが学校行事を休もうが、相変わらず給食費がずっと未納だろうが、読まれているかどうかわからないおたよりをルカに渡すだけで済ませるようになっていった。

 母親、春香にとって、ルカは自分のものだった。自分はルカに何をしても許されるが、他人がルカに何かするのは我慢ならなかった。



第四章

1

 都内の支局へ異動して半年あまり、リーダーとしての業務にも少しは慣れてきた頃のことだ。9月生まれのルカは先月、31才になったばかりだった。私用のスマートフォンに見知らぬ番号から電話が入った。社用スマホなら珍しくないが、私用の方に登録していない番号から電話が入ることはあまりない。

 仕事中だったこともあって無視したが、着信は数回に渡り、メッセージ録音機能に切り替わると切れる。なんとなく嫌な予感がして、こちらからかけ直す気にもなれずに放置していたら、翌日にも同じことが繰り返された。

 この日、最後の着信時にメッセージが録音された。

 録音されている間、話す相手の声は小さすぎてほとんど聞き取れない。年配の女性の声ということはわかった。あと、聞きたくない名前が出たような気がした。仕方なく、ボリュームを大きくして再生ボタンを押した。

 「雄二のことで話があるので、この番号に連絡…」

 何年もかけて閉めようとしてきた箱のふたを、いともたやすくこじ開けられた気がした。


 20年近くぶりに向かう下田への電車の中、ルカは何度も立ち眩みと吐き気を催した。じんわりとかいている汗は、念のために着てきた秋物のコートのせいでも、10月にしては効き過ぎている車内の暖房のせいでもない。向こうからは下田市内にある総合病院に来るように言われていた。命じられた、に近い。あの家に来るように言われなかったのが唯一の幸いだ。あの家に行くとなっていたら、この様子だと気を失いかねない。

 外の秋晴れが嘘のように、病院内は薄暗い作りになっていた。5階建てとはいえ、総合病院という割にはあまり大きくなく、設備も古そうだ。診察時間ではない時間を指定されていたため、1階の受付に人の姿はまばらだった。受付で要件を伝える。あの電話の後、病院の経理課の鈴木さんという方とコンタクトを取っていた。簡単な概要はその際に聞いている。

 受付前の待合スペースの長椅子に座って待っていると、廊下の向こうから声をかけられた。

 「福永さんですか?」

 グレーのスーツ姿に淡い朱色のネクタイ、白髪の小柄な男性がリノリウムの床の上をこっちへ向かって歩いてくる。その視線がルカの下から上へと移っていくのがわかった。

 「は、はい。」

 「遠いところをわざわざすみません。私が当病院の経理課におります鈴木です。電話では失礼しました。早速ですが、こちらへついて来ていただけますか。」

 そのまま階段で2階へ、会議室のような小部屋に通されると、既に2人がパイプ椅子に座って入口の方に向いていた。奥の女性は見た目にも、この場にも不釣合なブルーのトレーナー、男性はくたびれたモスグリーンのスェット、多分、上下お揃いのものを着ていた。鈴木氏はその横、一番手前に座る。既に3人の前のテーブルには紙コップ、コーヒーらしきものが置かれている。半分ほどになっているのは、ここには少し前に来ていたからなのだろう。

 ルカはテーブルをはさんで3人の正面に座った。

 「こちら、溝渕さんご夫婦です。奥の方が最初に電話した…、福永さんの叔母様にあたります溝渕美恵子(みぞぶちみえこ)さんです。」

 「あ、はい、お名前はお聞きしています。福永ルカです。」

 少なくとも鈴木氏が紹介から始めてくれる常識のある人のようなので、ルカはまずはほっとした。

 「本来、私が話すようなことではないのですが、溝渕さんご夫婦が、うまく話せる自信がないとのことですので、本日は同席させていただいております。」

 最初、鈴木氏からは仕事のことを聞かれたので、ルカは聞かれるままに答えた。答えている間、奥の席に座っている美恵子、叔母の様子が気なる。美恵子は先ほどから一言も発していないくせに、ときどき、刺すような視線をルカに投げてきていた。

 叔母、つまりルカの父親、福田雄二の姉とのことだが、ルカには会うどころか、話に聞いた記憶さえない。トレーナーが浮くほどの細身、なで肩の体型は、色黒でがっしりした雄二にはまるで似ていない。

 「電話では簡単にしかお伝えしていませんでしたが…」

 鈴木氏がトーンを変えた。

 「福永さんのお父様、福田雄二さんが当病院に入院されています。」

 「そ、そうらしいですね。」

 「脳梗塞です。詳しい容体は主治医から説明させますが、あまり芳しい状態ではありません。」

 「は、はぁ。」

 「まずはお父様にお会いになりますか?」

 「いいえ。説明を聞く気も、父に会う気も全くありません。」

 これをきちんと伝えるためにやって来たつもりだった。さっきから吐きそうなのを必死にこらえているのも、これを言うためだ。

 「あんた、まだそんな勝手なことを言うの!」

 美恵子が急に立ち上がって叫んだ。血走ったその眼が父親とまったく同じで、ルカは気を失いそうになった。


 ルカの父親、雄二はこの年の夏の終わりに、自宅で倒れ、救急車で搬送された。福田の家には両親、ルカの祖父と祖母もまだ住んでおり、すぐに救急車を呼んだこともあって、命に別状はなかった。しかし、後遺症で手足が麻痺し、意識障害も出ているため、未だに入院している。高齢で痴呆も出ている両親には、手続きなどの事務作業が頼めない上に、高額にかさんでいく入院費用を払うあてもなさそうで、困った病院側がやっとのことで両親から聞き出したのが、長らく連絡を取っていなかった福田家の長女、雄二の姉の美恵子の存在だった。

 病院からの連絡を受けて、結婚して姓が溝渕になっていた美恵子は、もろもろの手続きなどは済ませるも、入院費用を払うことは拒否する。彼女の夫の意向でもあった。さらに困った病院が提案したのが、実の娘、ルカへの連絡だった。その連絡が10月になったのは、ルカの連絡先がなかなかわからなかったためである。


 「雄二さんは要介護になっていますので、入院が続くことで費用は膨らんでいくのも確かですが、退院を急いで自宅治療に切り替えたところで、そのお世話が必要になります。それらをお願いできるのはご家族の方しかいないのです。」

 「はぁ?家族と言われても、私は父とはずっと、それこそ家を出てから20年近くも会っていませんし、それを今更、面倒を見ろと言われても。」

 何かを言いかけた美恵子を留めるように、夫、溝渕氏が口を開いた。

 「ずっと疎遠なのは、うちの美恵子も一緒ですよ。それでも、急に連絡が来てからは、いろいろ骨を折ったんだ。その上、入院費もこれからの介護も、そこまでの責任はうちにはないと思いますけどね。」

 「いや、それは申し訳なかったとは思います。でも、私はとっくに福田ではないんです。中学の時から母方の福永になっていますし。」

 「あんた、それでも娘か!父親を可哀そうとは思わないの!」

 美恵子がまた叫んだ。

 「福永さん、」

 今度は鈴木氏が美恵子を遮るように口を挟む。

 「福永さんがお母様の姓になろうが、福田家の戸籍から抜けようが、雄二さんの実子であることに変わりはないのです。同様に美恵子さんも雄二さんの実のお姉さまであることに変わりはありません。このことは溝渕さんにもお伝えしております。」

 美恵子は、今度は血走った眼を鈴木氏に向けた。

 「私から、どなたに請求しますとは言えませんので、なるべく早急に、病院への支払いをどうするかをご家族、介護者である皆様で話し合われて決めてください。」

 「私にも支払い義務があるということですか?」

 「はい、残念ながら。という言葉が不適切なら、すみません。でも、福永さんにはこれを拒否する権利はありません。これは法律で決まっていることなのです。」

 

 結局、この日、ルカは雄二に面会させられた。

 主治医からの説明も聞いている。

 「これでも随分と良くなっています。今は子供、幼児に近いような状態ですが、リハビリを続ければ、意識はもっとはっきりしてくる可能性はあります。体の麻痺については、現段階ではどれだけ回復するかを申し上げることはできません。」

 ベッドに横になっている雄二は、白いシーツに申し訳ないほど、どす黒い肌をしていた。ルカの記憶が正しければ、まだ54才のはずだが、くぼんだ眼、定まらない視点、たるんだ頬、開いたままの口は、不健康な老人にしか見えない。それなのに、ぶくぶくと太っており、見えている肌は異常に脂ぎっていた。言葉なのか、ただのうめき声なのか、始終何かを発しているが、全く聞き取ることはできず、ベッドからはみ出た左手はずっと小刻みに動いている。ルカを見ても、認識はできていないようだ。

 ちょうど、リハビリのための車椅子に乗せる時間にあたったようで、複数の介護士がその作業を淡々とこなしてくれていた。

 -すみません。

 いつものようにルカが申し訳なく思った瞬間、開けた病院着の隙間から雄二の弛みきった下半身が見えた。

 「ごめんなさい。」

 ルカは病室を飛び出し、トイレに駆け込んだ。そして、吐いた。昨日からほとんど何も食べていない胃には吐くものがなく、ただ酸っぱい胃液だけを吐き続けた。



2

 この数日後、ルカは都内の弁護士事務所を訪ねる。

 以前に伺ったことのある駅ビルの最上階近くのワンフロアを貸し切ったオフィスではなく、駅から少し離れた雑居ビルの2階、ほんの一区画を借りた、お世辞にも重厚とは言えない、小さな事務所だった。

 「ルカさん、お久しぶりです。お声をかけていただいて光栄です。」

 以前は長かった髪を、今はばっさり短くしていた。それが似合っていると思えてしまうのは、少しは彼女の性格をわかっているからだろうか。相変わらずきれいに揃えた前髪も彼女らしかった。

 「もう何年前になりますか?お母様のマンション購入は。」

 絶対に覚えているだろうに、こちらに話をさせてくれる気遣いも昔と変わらない。

 「祖父が亡くなったのが2009年の夏でしたから、かれこれ、7年前になりますかね。」

 「あぁ、もう7年にもなりますか。確かに、当時はまだ学生みたいだったルカさんがすっかり大人の女性になってますものね。」

 「いやいや、私は老けただけですよ。大塚さんは全然、変わらないですね。というか、髪も切ってますますお元気そうで。」

 「またまた。お世辞は要りませんから。あれから私も独立したりして、ずっとバタバタしていまして、身の回りのこととかはぜんぜん構ってないんです。言い訳ですね。けど、そう聞くとお世辞でも嬉しい。」

 大塚真麻(おおつかまあさ)弁護士、祖父の死後、母親への財産相続でいろいろお世話になった方だ。


 「ごめんなさい。今、事務の子が出ていて、もうすぐ帰ってくると思うんですが。えー、何か飲み物は…。このまま始めます?」

 「どうぞ、おかまいなく。」

 「ごめんなさい。」

 二人で顔を見合わせて笑ってみた。

 事務所の奥のちょっとしたブースに入って、簡易ソファに対面で座った。

 「お母さま…、春香さんはお元気ですか?」

 母親とはマンション購入の手付きの一切合切をやってあげた時点で別れた。あれ以来、会ってもなければ、連絡さえしていない。娘としての義理は十分に果たしたつもりだ。別れ際に「ありがとう」や「さようなら」の一言もなかった。それでいいと思っている。

 「いや、あれきりですね。多分、あのマンションで私の知らない人と暮らしているんではないでしょうか。」

 「そうですか。そう聞くと、私はまた弁護士としては言ってはいけないことを口にしてしまいそうです。」

 当時、祖父の会社に雇われていた側だったはずの大塚さんは、相手側の付き添いに過ぎないルカのことを随分と親身に心配してくれた。その時から「福永さん」ではなく「ルカさん」と呼んでくれるようになっている。

 ルカの中で頼れそうな人はこの人しかいなかった。


 「電話では少しだけお聞きしましたが、今日はもう少し詳しいお話を聞かせてください。」

 ルカはまず、今回のあらましをできるだけ詳しく話した。そのためには、自分がどんな境遇で育ったのかも話す必要があるとわかっていたのに、中学以前のことはあまり上手く話せなかった。

 大塚さんはテーブルの向かい側でメモを取りながら聞いている。録音することも承諾していた。

 「つまり、ルカさんはお父さんの面倒を見る気はない、ということですよね。」

 「はい、全くありません。」

 「その理由は、ルカさんがご両親に育ててもらったとは思わないから、ということでよろしいですか?」

 「そ、そうなりますかね…。」

 「ご両親は子どもを育てる義務を果たしていない、としましょう。可能ならば、明確に答えていただきたいのですが、ご両親から虐待はありましたか?」

 「…はい。」

 「どのような虐待があったかを具体的に話すことはできますか?」

 思い出せないのか、思い出したくないのか、自分でもわからなくなって、ルカは言葉に詰まった。

 「変な話になってもいいですか。」

 「どうぞ。」

 「私は学校の給食のおかげでここまで大きくなれたと思っています。家できちんとした食事を取った記憶はほとんどありません。そういう意味では国に感謝しています。学校の給食制度がなければ、私は食事をどうしていたのだろうと怖くなります。」

 「はい。」

 「でも、国には不満もあります。法律は私を守ってくれなかった。大人は誰も私のことを気にもしてくれなった。」

 「はい。」

 「国民の三大義務でしたっけ。私、これでも自分の境遇から抜け出すために必死で勉強してきたつもりなんです。さっき、大塚さんが言われた『子どもに教育を受けさせる義務』とか、笑っちゃいました。うちの親は教育どころか、食事さえ与えてくれなかったよって。」

 「…」

 「昔のことを話そうと思っても、うまく言葉にできないというか…、覚えていないというか…。頭の中で思い出すことを拒否しているみたいな感じです。ただ、毎晩『明日、このまま目が覚めませんように』って目をつむっていたのは覚えています。あの時には二度と戻りたくありません。」

 「…」

 「生んでくれたことを両親に感謝すべき、と言う人もいますけど、私は生んでほしくなかった。育てる気がないから何で生んだんだ、とずっと思ってました。」

 「…」

 「熊本でしたっけ?育てられないと思った赤ちゃんを預かってもらえるの。育てる気もないのに、生んでしまったんだったら、せめて、そういったところに預けろよ、とも思ってました。」

 「…」

 「ずっと辛かったです。ずっと怒ってます。」

 「…」

 「ちょっと違いますね。辛いとか、怒るとか、今考えるとそうかもしれなかったと思うだけで、当時の私には多分なかったです、そんな感情。私は…」

 大塚さんはペンを置いて、ルカを正面から見つめた。

 「ただ、生きてました。生きてただけです、私。私は生まれてからずっと、ただ生きてきただけなんです。幸せのことなんか考えたこともありません。」

 ルカは大塚さんの視線を受け止めて、続けた。

 「別に両親を恨んでいるわけでもないんです。あの人たちはあの人たちで、私が生まれなかったら違う人生があったのかもしれないし。」

 ルカの表情には特に喜怒哀楽は見て取れない。

 次の瞬間、いつもの笑顔に戻った。

 「うーん、とにかく、もうほっといて、って感じです。私は私で自分の人生を生きていくから、あなたたちはあなたたちで勝手にやって。もう私に関わらないで、って思ってます。」


 「やっぱり、何か飲み物いれますね。コーヒーでいいかしら?」

 「はい。」

 考えたこともなかった言葉が自分の口からつらつらと流れ出たことに驚いていた。

 -あのまましゃべっていたら、全部思い出せたんだろうか…

 そう思うと、間を置いてくれた大塚さんの気遣いが嬉しかった。


 ルカが口にしたのは「赤ちゃんポスト」のことだ。

 熊本県の慈恵病院が、「こうのとりのゆりかご」計画を申請したのは2006年12月。当時の蓮田太二病院理事長らがドイツを訪問し、「ベビークラッペ(ボックス)」という取り組みに影響を受けたこの計画は、その後、「赤ちゃんポスト」と呼ばれるようになった。2007年5月に運用開始し、2017年3月末までの約10年で合計130人の子どもが預けられている(「こうのとりのゆりかご」第四期検証報告書)。レイプなどの望まない妊娠、出産に悩む女性が、嬰児殺しなどの犯罪に手を染めないための取り組みであり、さらに、生まれた命を一個の人格を持った人間として認め、生かすためのものとも言われている。

 未だに賛否両論があるとはいえ、ここで救われた命があることは紛れもない事実であろう。ゆりかごに預けられた当事者である少年の「赤ちゃんポストに入れてくれたから、今の僕がある。ありがとうと言いたい」という言葉は、それを証明していると言えないか。

 同じ無責任ならば、ただ一緒に住んでいるというだけで何も構わない無責任よりも、預けて育児を他者に任せる無責任の方がまだましではないか、ルカはそう思っている。


 「それで、ですね。ルカさん。」

 インスタントコーヒーの入った紙コップを置いて、大塚さんが話し出した。

 「電話をいただいてから、それなりに準備はしていましたし、先ほどのお話も大体は私の想定内の範囲でしたので…。」

 「はい。」

 ルカも紙コップを置いた。

 「勿論、詳しい話をお聞かせいただけるなら、もう少し調べることはできますが、少なくとも現状では厳しいお話になります。」

 「はい。」

 「先ほどルカさんは、法律は…と話されましたよね。」

 「ああ…、はい。」

 「その法律が『直系血族及び兄弟姉妹は互いに扶養する義務がある』と定めています。結論から言うと、子どもは親を扶養する義務があり、介護を放棄することはできません。」

 病院で鈴木氏から聞いていた言葉でもあり、自分でも少しは調べていたので、予想はしていた言葉だ。予想はしていたが、法律の専門家から聞くのはやはりショックだった。

 「うちの親は、私を育てる義務を果たしていないのに、私には親の面倒をみる義務を守れ、ということでしょうか。」

 「詳しく話します…。」



3

 民法877条第1項で定められている扶養義務者は、直系血族及び兄弟姉妹となる。直系血族とは本人の祖父母、父母、子ども、孫のことである。ここに結婚などによる戸籍の変更は関係ない。同じく、民法752条では、夫婦間にも扶養義務があるとされている。例えば、自分の父親に介護の必要が生じた場合に、その介護義務が発生するのは、父親の兄弟姉妹、母親(父親から見た妻、配偶者)、自分と兄弟姉妹、自分の子どもたち、となる。よく誤解されているが、自分の配偶者には発生しない。

 自分が父親と不仲だからという理由だけでは、法律上、扶養義務は放棄できない。放棄すると場合によっては保護責任者遺棄罪に該当し、3ヶ月以上5年以下の懲役に科せられるとなっている。

 扶養義務に、同居の有無は関係ないため、同居している長男だけが抱え込む必要はなく、自分の兄弟姉妹や親族、つまりは親の兄弟姉妹にも頼ってよいとされている。親族間で介護の分担について話がまとまらない場合には、家庭裁判所にて介護費用の分担を決定してもらうこともできる。

 自分に兄弟姉妹や頼れる親族がいない場合には、各市町村にある地域包括支援センターに相談することもできる。地域包括支援センターとは、高齢者とその家族が支援や介護に関して相談できる窓口であり、様々なノウハウを持っているとされている。地域包括センターに相談することで、介護施設を紹介してもらえる可能性も高い。介護施設の入居は経済的負担が大きいと考えられがちだが、入居費用などは親の預貯金や健康保険制度、介護保険を活用すれば、その負担を減らせることが多く、例え、親の預貯金がない、各種制度を利用しても入居費用を用意できない場合でも、親に生活保護を受けさせることで、その範囲内で入れる施設を探すこともできる。

 一応、扶養義務は「経済的に余裕がある場合にのみ発生する」とされてはいる。そのため、経済的余裕がなく親の面倒をみる余裕がないと裁判所が判断した場合には、扶養義務を果たせていなくても問題にはならない。とは言え実際には、本人が普通に仕事をして安定した収入を得ていれば、裁判所は経済的余裕ありと判断することが通常で、本人が生活保護を受けるくらい困窮しているなど、よほどのことがなければ扶養義務からは逃げられないとする方が一般的である。



 「生活保護を受けながら入居できる施設がある、ということですか?」

 「はい。私はそっちの専門家ではないので安易なことは言えませんが、親を介護する側の人間、つまり、子どもの生活を守るための法律もあるということです。」

 「それは私が親を介護することを受け入れるという前提ですよね。」

 「はい。そうなります。」

 ルカは座ったまま、両手で顔を覆った。別に泣いたわけではない。泣く気もない。

 「うーん…」

 「民法に扶養義務を免除する規定がないので、どんな理由を並べたところで、正直に言って申し訳ないですが、法律からは逃げられません。」

 「私は頭が悪いので、はっきり言ってもらった方がありがたいです。」

 ルカは顔を上げた。

 大塚さんは残りのコーヒーを飲み干して、ルカの目をまっすぐに見た。

 「次に考えられるのは、ルカさんの父親相手に裁判を起こすことです。近年、児童虐待への関心度は上がってきているので、話題になる可能性はあります。」

 「うん?別に裁判をするなんて、思ってもいないですけど。」

 「はい。ただ、極論に聞こえるかもしれませんが、親の介護義務という法律を拒否したいんだったら、法律で対抗するしかないとも思っています。刑事裁判に持ち込んで父親が加害者、ルカさんが被害者という構図を作ることができれば、光が見えてくる可能性はあります。」

 「私はそんなことは望んでませんし、だいたい裁判費用がありません。」

 「そうですね。でも、もう少しだけ聞いてくださいね。」

 大塚さんは少しだけ笑顔を作ってくれた。

 「判決次第とはいえ、加害者が被害者に将来一切接触しないことを盛り込むことができれば、介護の義務は回避できる可能性があります。ストーカー規制法なんかがそうですね。但し、裁判をするからには、ルカさんに、過去にあったことを全て話してもらうことになります。詳しいことはまだお聞きしてないので何とも言えませんが、2000年に制定された児童虐待防止法で定義された、身体的虐待、性的虐待、育児放棄、心理的虐待の4つのうち、私が聞いた限りでも、ルカさんが育児放棄、つまりネグレクトされていた可能性は非常に高いと思っています。身体的虐待はどうですか?また、ご両親が互いを罵りあう、一方が一方に暴力をふるうといったことがあったならば、心理的虐待にも該当します。」

 これは2004年の法改訂で付け加えられた。

 「あとは性的虐待ですが…。」

 大塚さんはルカから視線を外して、

 「これについては、親から虐待を受けた多くの子どもが性的虐待について語りたがらないのが現実です。大抵は『親から乱暴された』という言葉の中に、性的虐待を含んで語っていることが多い、とも聞いています。」

 こう早口で一気に話すと、立ち上がった。

 「何があったかを話すかどうかはルカさんにお任せします。私に話していただいても、裁判をするかどうかは別問題ですし、裁判をしたところで、何か証明できるものがなければ、勝つ見込みがほとんどないのも事実です。」

 ルカに泣く気はまったくないのに、大塚さんの目が潤んでいるような気がする。

 「残念ながら、ルカさんが介護義務を逃れる方法はほぼない、というのが現実です。ごめんなさい。」

 立ったまま頭を深く下げた。

 「いや、私が悪いんです。すみません。」

 「あなたは何にも悪くないんですよ。」

 頭を下げたまま、大塚さんの絞り出すような声が聞こえた。

 -ごめんなさい。

 ルカも頭を下げた。


 この後、数週間にわたって美恵子から毎日のように電話が入った。仕事で出られないと、何度も何度も着信を残す。仕方なく、かけ直すとそこから平気で1時間以上の話が続いた。

 「金を払う気はない。」

 「私はとっくに福田家の人間ではない。」

 「親の面倒は子供が見るのが当然だ。」

 「あんたは鬼だ。」

 こんな言葉がとりとめもなく繰り返された。

 ルカも福田家の戸籍から抜けていること、法律的には美恵子にもルカにも扶養義務は発生することを説明しようとしても、一切聞く耳を持たない。あの父親の姉だけのことはあると妙に納得したものだ。ただ、その血が自分にも流れていると思うと、怖気が走った。

 「俺はお前の父親だからな。お前は一生、俺の面倒を見ろよ。」

 美恵子の声を聞いていると、母親と一緒になってルカを見下ろしながら、笑っていた父親の顔がやたらと思い出された。

 「子供ができてよかったなぁ。俺ら、これでもう一生安泰だわ。」

 と言いながら母親にヘラヘラと笑いかけていた。母親、春香は完全に無視していたが。


 大塚さんからは随分と反対されたが、結局のところ、父親の医療費、入院金の一切合切をルカ一人で支払った。その後、大塚さんに相談しながら、父親に生活保護を受けさせることにした。

 生活保護を受けるためには、全ての財産を手放さなければならい。

 すっかり観光業が衰え、町はしぼむように縮小していたため、建物どころか土地にさえ買い手がつくとは思えなかった下田の家は、幸いにも、存命していた福田の祖父の名義のままだったので、処分する必要はなかった。

 ルカは自分の父方の祖父、そして祖母の名前をこの時、初めて知った。学校に登校する時にすれ違ったり、帰ってきた時に畑に出ているのを見たりした覚えはあるが、話した記憶は一度たりともない。こっちから挨拶しても無視されていた気がする。ルカにとって、すぐ隣に住んでいたくせに、全て見て見ぬふりをしていた人たちだった。初めて知った祖父と祖母の名前を、ルカはすぐに忘れた。

 吐き気を我慢しながら久しぶりに自分の育った土地を訪れたルカにとって、わずかながらも幸いだったのは、ルカの暮らした、離れだった平屋が既に取り壊されていたことだ。ルカが初めて入った本宅、父親の部屋には財産と見なされそうなものは何もなかった。

 唯一、薄水色の車体の低い、ぼろぼろに錆びていたクラシックカーには値が付いた。一万円だった。

 大塚さんの紹介もあって、市の地域包括センターからは生活保護の範囲内で入れる施設を紹介してもらうことができた。施設への支払い月7万円のうち5万は国から援助されるところまではもっていけた。残りの2万円、さらに生活物資代もろもろで、毎月4~5万をルカが支払うことになった。

 経済的な負担をルカが全て負う代わりに、叔母、美恵子には時々の面会をお願いした。自分の生活がかなり苦しくなることはわかっていたが、この先何度も父親に会うことだけは絶対に避けたかった。

 「お前は鬼だ。」

 それからも気まぐれにかけてくる電話で、美恵子は最後に必ずこう言った。



4

 小6の夏、ネコが死んだ。

 ベリちゃんは数日前からエサを食べなくなり、専用ケージの中の自分の寝床からほとんど出てこなくなっていた。夏休み中だったルカは、昼頃に母親がタクシーでベリちゃんを連れて出かけたのを知っている。多分、動物病院に連れて行っていたのであろう。同じくタクシーで帰ってきたのは夕方だった。その夜からベリちゃんは、それまではふらつきながら移動していたトイレにも行かなくなり、寝床の中に横になって荒い呼吸を繰り返すだけとなった。この数日間、母親は昼夜不眠で見守り続けている。

 翌日の朝方、サイレンのような音で、ソファの上でうとうとしたルカは目を覚ました。サイレンのように聞こえたのは、母親が半狂乱になって泣き叫ぶ声だった。ベリちゃんは硬く、冷たくなっていた。ルカが、春香の取り乱した様子を見たのは後にも先にもこの時だけだ。

 その数日後、春香が家から消えた。


 最初は、いつものように週末に横浜の家に帰っているのだと思っていた。

 それが日曜の夜になっても帰ってこない。そして、月曜になっても帰ってこなかった。ルカから連絡しようにも家に電話はなく、携帯電話も持たされてない。仮に家電話や携帯があったとしても、母親や横浜の電話番号を知らないルカには待つしかなかった。ベリちゃんもいなくなって静かになった家で、一人ぼっちで待った。母親がいつ帰ってくるかがわからないので、テレビはつけない、給湯器のスイッチもオフにしたまま、ただ、待っていた。夏休み中で学校に行くことはない。エアコンが作動しているといっても汗はかくので、服は着替えて、洗濯だけは自分でこなしていた。時々手伝わされていたので、洗濯機と乾燥機の使い方は教えられている。服が乾くまでの間は裸で過ごした。

 火曜日になった。もう5日間、水道水しか口にしていない。手の指が5本とも攣るようになった。これまでも食事を抜かれることは度々あったが、ここまでになったのは初めてのことだ。

 -死ぬかも。

 もう立つのも苦しくなってきていた。

 シンク下の戸棚には、ネコのエサ、キャットフードの缶詰があることは知っている。勝手に開けることを禁じられていた冷蔵庫を開けてみると、炭酸系飲料のペットボトルが大量に入っていた。冷凍庫には箱型の大容量のアイスクリームが詰め込まれている。さらに、やはり勝手に入ることを禁じられていたリビングに行くと、クローゼットの中に、自分の下着や大量の服のほかに、未開封の段ボールに入ったスナック菓子とカップのインスタントラーメンを発見した。

 怒られることを覚悟して、それらに手をつけた。体罰で殺されるよりも、今生きることを優先した。

 しばらくして2学期が始まり、給食を食べられるようになったのは幸いだった。


 9月のある夜、激しい物音を立てて、玄関ドアが開かれたのがわかった。騒音はしばらく続く。

 「くそっ!」

 時々、騒音に混じるのは父親、雄二の荒い声だ。

 恐る恐る、ルカがダイニングから玄関をのぞくと、開け放したガラス戸、外にまだ片足を残すような体勢で、雄二がうつぶせに倒れているのが見える。春香がいなくなってから雄二がこの平屋に来たのはこの夜が初めてだった。

 雄二が怖い、というよりも、その時のルカは開けっ放しの引き戸から入ってくる、明かりの下で飛び回っている無数の蛾やカナブンなどの虫が恐ろしかった。9月になったとはいえ、畑に囲まれた家の灯かりにはまだまだ虫が集まってくる。ルカは虫が嫌いとか気持ち悪いといった次元ではなく、生理的に受け付けることができない。

 これは母親の春香も同じで、虫を見るたびに

 「こんな田舎に来るんじゃなかった。」

 とこぼしていた。そのため、ほぼ1年中、特に夏、平屋中の窓という窓が開かれることは絶対になかった。

 -玄関を閉めないと、どんどん虫が入ってくる。

 と考えると、悪寒のような恐怖が背中に走る。なのに、既に入ってきている虫のために玄関に行くこともできない。

 ルカがそのままダイニングに戻って引き籠っていると、雄二が起き上がっている気配がした。ほどなく、ダイニングのドアが開く。

 「瑠伽、お前、ママをどこにやった!?」

 母親が絶対に平屋に入れないようにしていた、酔った状態の雄二だった。

 「ママがどこにいるか、知ってんだろ!」

 雄二はダイニングを見回すと、ソファの陰に隠れるようにしていたルカの方に迫ってきた。眼が血走り、いつも以上に吊り上がっている。

 「お前のせいでママが出ていったろ。わかってんのか!」

 雄二は何かに蹴躓いて、ソファに倒れこんだ。

 「くそっ、お前さえいなけりゃ。」

 しばらく悪態をついていた雄二は、そのまま大きないびきをかき始める。

 その夜、ダイニングにはいれないと思ったルカは、生まれて初めてリビングで夜を過ごした。部屋の隅で膝を抱えたまま、いつ父親が入ってくるかと思うと、とても眠ることはできなかった。


 ルカが下田の家を出たのは、この年の年末のことだ。

 この家にはもういられないと思った。計画を立てていたわけでない。行く当てもなく、ただ無意識に家を飛び出した、そんな感じだ。気がつくと、通学路以外で知っていた唯一の道、母親に連れられて何度かタクシーで走った道の記憶と標識とを頼りに、歩いて横浜に向かっていた。何時間、何日、歩き続けたのかは記憶にない。祖父の家に着いてチャイムを押したかどうかの記憶もない。門の前で座っていたところを、祖父に抱えられたのは少しだけ覚えている。

 記憶は飛び、その後すぐだったのか、数日後だったのかはわからないが、リビングの革張りのソファに座っていた祖父の姿を覚えている。

 「ごめんな。おじいちゃん、ルカに何があったのか聞かないといけないのに、何も聞けないんだ。」

 祖父は両手で顔を覆っていた。

 「ルカに何があったのかを知ってしまったら、おじいちゃんの心が壊れてしまいそうで怖いんだ。」

 -大丈夫。私、何も覚えてないから。

 こう思った記憶はある。

 嘘ではなかった。記憶があいまいなことは本当だった。

 この後、ルカは下田に戻ることなく小学校を卒業した。卒業式には出ていない。中学はそのまま横浜市の公立中に進む。不思議なことに、横浜の家に住むようになって、よく出ていたくしゃみが出なくなった。ときどき、鼻血が止まらなくなることがあったのもなくなった。ルカはネコ・アレルギーだったのだ。母親が気付いていたのかどうかは分からない。

 この頃、ルカの知らないところで、春香と雄二の離婚が正式に成立していた。雄二は春香の実家から、「ルカには近づかない」という条件で結構な額の慰謝料をせしめている。それを使い果たしたからなのか、一応約束を守っていたのかどうかはわからないが、雄二がルカの前に再び姿を現すのはこの6年後、ルカの高校卒業時となった。雄二に付きまとわれるのが恐ろしくて、大学の4年間、ルカは横浜の家には帰れなくなるのである。



第五章

1

 2018年12月30日、会社が休みに入るとすぐに、ルカは自分の部屋の片付けも早々にすまして俊介の部屋を訪ねた。俊介が

 「初めてのお節料理に挑戦する!」

 と宣言したのだった。料理をするには台所の広さ、調味料の充実度から絶対に俊介宅が向いている。

 この年末年始を二人は初めて一緒に過ごすことにしていた。

 駅で待ち合わせると。そのまま二人で必要な材料を買い出しに駅前のスーパーに入る。ルカはカートを押す俊介の左手にくっつくようにして歩いた。

 「なんや、蒲鉾がいつもの10倍くらいの値段になってる!」

 「そうなの?蒲鉾、買ったことないからわかんない。」

 師走のスーパーは賑やかで華やかだ。ついこの間まで流れたクリスマスソングはどこ吹く風、既にお正月一色、琴の音色が流れていた。

 店内に張り出しているチラシには新年1日の目玉商品や福袋が躍っている。スーパーが1日から営業しているのだから、年末に買い物をする必要性はないはずなのに、行き交う人たちの買い物カゴには溢れんばかりのものが積まれている。

 「こんな塊の豚肉も買ったことない!この網目、何?」

 「タコ糸。」

 「何で?」

 「何でやろ?」

 叉焼用の豚肉の塊をタコ糸で縛って売っているのは荷崩れや肉が煮汁を吸い過ぎるのを防ぐためだ。こういう時、ルカはすぐにスマホで検索する。俊介は自分でしばらく考える。

 お酒コーナーで俊介は普段は買わないワインを手に取った。

 「あれ、ワインも飲むっけ?」

 「まぁ、お酒は何でも飲めるけど、これは飲む用じゃないよ。」

 「どうすんの?」

 「ふふん、叉焼を作ります。その秘策なんです。」

 「え、叉焼って家で作れるの?」

 「勿論。普通、叉焼って、酒と醤油と砂糖で味付けするんよ。酒って料理酒を使うんだけど、これをちょっといいワインでやってみようと思ってます。」

 ルカはすぐに検索してみた。確かにどのレシピも「酒」としか書いてない。

 「料理に使うのは勿体ないくらいのいいワインにしてみました。ビーフシチューとか、ワインで煮込むやん。あれと同じ要領でワインで煮込んだらすんごいことになるんじゃないかと思って。どの作り方にも書いてないから、もしかしたら先人たちは誰も気づかなかったのかもよ。」

 つけて置く時間が長い方がよさそうとも俊介は言って、家に帰ってすぐに凧紐で縛られた豚肉の塊をワインで煮込み出した。


 大晦日、嬉々として鍋をのぞき込んだ俊介は

 「うそぉ~!」

 朝から叫んでいる。

 ワインで煮込んだ豚肉は、ほろほろというよりぼろぼろに煮崩れて、糸の網目からも外に飛び出していた。酒とワインとでは浸透率が違う、先人たちはとっくに気づいていたのだった。

 そのまま、二人で朝からお節料理を作った。とはいえ、もっぱらルカは料理する俊介の話し相手を務めただけである。

 「おかんが作る“紅白なます”は酸っぱくて苦手やったけど、自分で作ったら美味いなぁ。」

 「私、酸っぱいのも好きだよ。」

 「体がお酢を求めているのかもね。」

 「ふむふむ。」


 「“煮しめ”って、こんなに下準備が大変だったんや。」

 「すごい。干し椎茸ってこんなに大きくなるの?」

 「なかなかに渋い色合いやんな。」

 「香り、最高だね。昨日、スーパーで嗅いだのってこの香りかも。」


 「“田作”ってどんだけ砂糖、使う!?」

 「何で魚なのに田んぼなの?」

 「確かに。検索して。」

 「あぁーん、田んぼに肥料として魚を撒いたことから、豊年豊作を願うことに通じるからなんだって!」


 「“ぶりの照り焼き”、作り立ては最高やん!」

 「ぶりって食べたことないかも。」

 「はまちは?」

 「お寿司で食べる。」

 「なら、ぶり、食べたことあるよ。」

 「どういうこと?」


 「はぁ、叉焼の失敗さえなければ…」

 「大丈夫。あれはあれで美味しそうだよ。」


 “なます”、“煮しめ”、“田作”も“ぶりの照り焼き”も巫女バイトの時に神社が出してくれたお弁当に中に入っていたのかもしれないが、ルカとしては全部初めて、少なくとも作るところを見るのは初めてのものばかりで、それでなくても、やたら騒ぐ俊介を見ているのが楽しくて仕方なかった。


 初の試みはもう一つあった。

 お節料理をお重に並べ終わったのが昼過ぎ、作りながらいろいろつまみ食いをしているので、お腹はまだ空いていない。

 「そば打ちマシーン!」

 国民的アニメのネコ型ロボットの口真似をしながら、押し入れから俊介が取り出したのは、そば打ち用の料理用玩具だった。

 「これ、前からやってみたかったのよ。」

 「何それ!」

 「クリスマス過ぎたからなのか、安くなっていたので買ってみました。」

 「やばい。」

 「そば粉もあります。」

 「やりたい。」

 早速にそば打ちマシーンを広げて、そば打ちに取り掛かる。

 玩具が優秀なのか、そば粉と小麦粉を混ぜて練るのも、練った生地を捏ねるのも予想以上に簡単にできた。生地を捏ねるのには珍しくルカが大活躍した。

 「おいおい、どした?ついに素質が開花したか?」

 「ははは。自分でもびっくり。」

 大学時代に専攻していた美術の授業の中で、彫刻を扱ったことがあるからかもしれない。彫刻は土を捏ねることが重労働だったことを思い出した。

 捏ねたそばの生地を延ばす際には、延ばしながら折りたたんでいく。この折りの作業はそば打ち粉を生地に塗しながら進める。最初の生地は、このそば打ち粉をけちってしまったため、折りたたんだ部分が全てくっついてほどけず、切ると、うどんのような太さになってしまった。

 「『そば打ち粉、適量』…、適量って何や!生地に入れた量よりいっぱい使わんと無理やん。」

 もうそば粉はない。

 「そば打ち粉は小麦粉でもいいらしいよ。」

 ルカが検索して調べた。次の生地は大量の小麦粉を塗して、折りたたんだ生地がくっつかないように気をつけた。切ってみたところ、うまくばらけてくれて、そばに見えないこともない。

 すっかり夜になっていたので、打ちたてのそばを、上手くできた方をもりそば、うどんみたいになった方を温かいそばにして、二人で食べた。

 「もりそば、やばい。」

 「そばの香りがするってやつですな。」

 「あったかいそばも美味しい。」

 「へぇ、想定はしてなかったけど、肉そばにしてみました。」

 すっかり煮崩れしてしまった、叉焼になるはずだった豚肉を、めんつゆで味を調整して、温かいそばに乗せている。

 のんびりとテレビを観ながら、大晦日の夜は更けていった。

 -俊くん、私のせいで実家に帰らないようにしたのかなぁ。



2

 2019年の新春をルカと俊介は二人で迎える。ルカは俊介の部屋のテレビの横に昨日、スーパーで買った小さな鏡餅を飾っていた。

 「あけましておめでとうございます」

 元旦の朝から、昨日のうちにお重に詰めていたお節料理を広げた。

 雑煮は茹でた餅の入った白味噌と焼いた餅の入ったお吸ましの両方を俊介が作ってくれた。俊介の実家、香川県の雑煮は白味噌だそうだが、ルカが「両方食べたい」とねだったのだ。白味噌と大根、人参の絶妙な甘さ、お吸ましに漂うお餅の焦げの香ばしさ、どちらもルカには初めての美味しさだった。

 「香川の雑煮ってあん餅、入れるって聞いたことあるよ。」

 「あぁ、おかんは好きやで。俺は食べんけど。」


 昼前、お腹をさすりながら、二人で品川の東海七福神巡りに出かけた。品川からの京急沿線の駅に点在する寺社を巡るものである。免許更新のために京急の鮫洲駅を訪れたルカが、駅のポスターを見ており、

 「新春を二人で過ごせるなら、行ってみない?」

 と提案していた。俊介は二つ返事で応えている。

 新番場駅で降りて、びっくりした。人がごった返している。大黒天様を祀った品川神社は新番場駅から第一京浜(国道15号)を挟んですぐそこ、小高い丘の上にあるのだが、その「すぐそこ」になかなか近づくことさえできない。商売の神様なので、事務所一同による初詣でなのか、スーツ姿の団体客も多く、人に揉まれる様にして横断歩道を渡ると、かなり急な階段の下から行列ができていた。

 「すごいね。」

 「うん、誰か転んだら大惨事になるな。そういえば、ここ『シン・ゴジラ』の逃げ惑う人のシーンで出てた気がする。」

 「ここの前の道路が箱根駅伝の通路になるらしいよ。」

 「それ、明日やろ。明日は通行規制が入るみたいだけど…。ようわからんな。」

 俊介はテレビは好きだが、観るのはもっぱらバラエティ番組とドラマ、映画だけだ。スポーツにはほとんど興味がない。スポーツニュースの時間帯になると

 「なんでどのチャンネルも同じ時間にスポーツニュースを流すんじゃ!」

 と愚痴を言う。二人とも箱根駅伝のことはよく知らない。

 俊介の部屋の大型テレビに対して、ルカのはパソコンと変わらない大きさだ。

 「よくあんな小さいテレビで耐えられるよね。」

 「いいの。時報の代わりに点けてるだけだし。」

 「買い換えたら?」

 「いいの。テレビの後ろ、掃除する時も楽だし。」

 「うむ。それはちょっとだけ賛同する。」

 小一時間ほどかけて漸く本殿にたどり着いた。

 二人でお賽銭を投げ込み、二礼二拍、願掛けをする。ルカが顔上げると、横の俊介はまだ目をつぶったまま真剣に祈っていた。その横顔を見ながら、

 -やっぱり、帰省しないと言い出したのは、私が昨年の年末年始を一人で過ごしたことを気にしてくれたのかなあ。

 そう思うとルカは泣きそうになった。

 「ね、ね、何をお願いしたの?」

 「言うわけないじゃん。」

 「けち!」

 「えっ、そういう問題じゃなくて、言うとご利益がなくなるの。」


 品川神社のお守り売り場は相当に混んでいたので、お守りもおみくじも諦めて、次の寺社に向かった。

 第一京浜を渡り京急の高架をくぐると、布袋様を祀った養願寺、さらにそこから旧品川街道に出ると、寿老人様を祀った一心寺、街道を目黒川まで南下すると恵比寿様を祀った荏原神社となる。この4つ目までの寺社は新番場駅周辺にあるため、歩いてでもすぐに回ることができた。歩くことを覚悟していた二人は、共に軽装にダウンを重ね、いつも通りにリュックを背負っている。

 「何で初詣での七福神巡りに寺が入ってるんだろう。」

 「お寺と神社は違うの?」

 「あれ、巫女バイトしてたって言ってなかったっけ?」

 「確かに。でも、考えたこともなかった。ってか、そう言われると、バイト先がお寺だったのか神社だったのか、自信がない。」

 「なんやそれ。」

 「あの子、何て名前だっけ…?」

 「は?」

 「いや、『うちを手伝って』って言ってくれた子、ぶーりん、っていう子なんだけど、あだ名しか覚えてない…。お寺っぽい苗字だったかなぁ。」

 「ぶーりん…」

 「うん、ぶーりん。いろいろぶっ飛んでた子。」

 「…」


 「とにかく、仏教と神道は違うはずだよね。九州時代に結構、学校関係の葬式に行かされてたことがあるけど、様式はぜんぜん違ってたけどなぁ。」

 「ふむふむ。」

 「手を合わせて拝むのがお寺、手を叩いてお願いするのが神社でしょう。」

 「あぁ、確かに。」

 と言いながら、ルカはスマホで検索する。

 「お参りに仏教と神道の区別はないらしいよ。初詣ではお寺でも神社でもいいみたい。」

 「うーん、わかったような、わからんような…。要は儲け主義か!坊主丸儲けか!」

 「はいはい。」


 5つ目となる毘沙門天様を祀る品川寺は隣の青物横丁駅の近くにあるため、さらに旧品川街道を歩くことになった。街道ですれ違う中には男女を問わず、意気な着物姿の人も珍しくない。

 「この道、坂本竜馬さんとか、新選組とか、明治維新の立役者たちが歩いた道なんよ。」

 俊介は歴史小説好きだ。気をつけてみると、街道の時々に石碑が立っていることがわかる。俊介はその一つ一つを丁寧に読み込んでいた。

 街道沿いに並ぶ店舗には、古い家屋のまま、中だけをリフォームしたものがいくつもあり、途中、何度も寄り道しながらのゆっくりした移動となった。

 「初デート記念日、旅行しない?」

 道すがら、俊介が急に切り出した。

 「初デート記念?」

 「5月だよ。上野動物園に行ったでしょ。もしかして覚えてない?ショックなんですけど。」

 「いやいや、覚えているけど。そっちが覚えているのにびっくりしただけ。」

 「あのねぇ、そういう大事なことはちゃんとしているつもりだよ。」

 そうなのだ。俊介はそういう、人を喜ばすツボを心得ている風があった。

 「行く行く!どこ行く?」

 「そうだねぇ…」


 青物横丁駅から鮫洲駅を越えて立会川駅近く、福禄寿様のいる天祖・諏訪神社に着くころにはすっかり夕方になってしまった。もうおみくじ売り場なども片付けを始めており、すっかり人も少なくなっていたので、急いでおみくじを買う。

 ルカが「末吉」、俊介は「凶」、落ち込む俊介をルカは必死に慰めた。

 最後の磐井神社はさらに離れた大森海岸駅の向こうにあり、少し時間がかかりそうだった。縁結びの神様である弁財天様を祀ったこの神社へはまた今度、時間を作って訪問しよう、とここで東海七福神巡りを切り上げた。



3

 2019年5月、ルカは俊介の故郷、香川県を訪ねる。生まれて初めての四国上陸だ。

 年始から早々と計画だけはしていたのに、実際に航空チケットを取ったのは4月に入ってからとなった。この年のGWは稀にみる大型連休で、4月30日の火曜日さえ有休をとれば10日以上の休みになったのだが、学校からの断れない、人にも代わってもらえない仕事が直前に入るかも、と懸念したためだ。実際、そうなった。実は、仕事が入ったのは別のメンバーの担当校からで、リーダーであるルカからそのメンバーに「代わろうか」と言ってあげたのだった。俊介には言えない。

 そのため、俊介だけが先に実家に帰省した。彼の実家には、母親と地元で就職している妹の二人が一緒に住んでいると聞いている。ルカは5月1日、2日の祝日と仕事をして、3日金曜日の朝一、飛行機で俊介を追いかけた。


 高松空港に着くと、俊介が迎えに来てくれていた。空港前の駐車場に実家の軽自動車を乗り付けており、ルカのスーツケースも運び入れてくれた。

 「車の助手席、初めてだね。」

 「そういやそうだね。安全運転ですのでご安心を。」

 俊介は福岡時代含めて、都内でも営業にはリースカーを使うことが多い。仕事柄、多めの荷物を運ぶこともあるためだ。ルカは神奈川時代からなるべく公共の交通機関、どうしてものときはスーツケースに荷物を詰めて、自腹を切ってタクシーを使うほどのペーパードライバーだった。

 「このまま、香川観光でいい?荷物だけ先にホテルに預ける?」

 「いいよ。観光しよう。」

 この日の夜からは二人でビジネスホテルに泊まることになっていた。

 「もう、ご家族とはいいの?」

 「十分に親孝行してきました。というか、香川、一泊したら十分で、やることないんよ。」

 「ママも妹さんも喜んだでしょ。」

 「まぁ、そうかな。妹は友達と遊びに行ってほとんど顔を合せてないけど、おかんとは結構しゃべったわ。おかんが小さくなっててびっくりした。60超えて退職したしね。それでも週に何回かは近くの養護施設へヘルパーで通ってる、って言ってた。」

 施設で養護される側の雄二は確か57才だったような…、ルカは慌てて心を閉じた。

 「で、どこ行く?」

 「お任せあれ。と言っても何もないけどね。うどんはどこで食べても美味いよ。」

 車はそのまま高速に乗って西に向かった。ときどき、右方向に瀬戸内海が見える。

 同じ海が見える景色でも、下田とは違う。何よりルカは下田の風景を思い出さないようにしてきた。田園が広がり、奥に可愛い山々がポコポコとある香川の風景はルカをのどかな気持ちにさせてくれた。

 「着いたよ。」

 昨日までの激務と、朝早く起きたことで、飛行機の中でもぐっすり眠ったはずのルカは、車でも寝てしまっていた。

 「えっ、ここどこ?」

 「香川というのはわかってる?」

 俊介は笑いながら、ドアを開けてくれた。

 「こんぴらさんです。さぁ、歩きますよ!」

 歩ける格好でおいで、と俊介が言っていた意味がわかった。スニーカーにして正解だった。

 「石段が1300段以上続くらしい。ごめん。俺も来たのは初めて。」

 「えぇっ?」

 「いやいや、そんなもんでしょ。地元民、行かんって。いい機会だと思ってね。」

 駐車場から5分ほど歩いて辻を曲がった途端、人が行き交う通りに出た。両脇にお土産さんが並んでいる。

 少し歩いては10段ほどの、また少し歩いては20段ほどの石段となっており、登りながら段を数えていたルカは100段も行かないうちに数えることをあきらめた。途中途中に段数を書いてくれているし、覚える必要はなさそうだ。

 「あ、これ食べたい!寄ってこ。」

 300段ほど登ったところで既に息が上がってきたルカは、それを俊介に言うのもしゃくで、お土産屋さんの軒先に飛び込んだ。

 「疲れたんでしょう?」

 「違うよ。ほら、ソフトクリーム美味しそう!えっ、釜玉うどん味だって!」

 「まぁ、いいか。のんびり行こう。」

 俊介はニコニコ笑っている。

 「今更だけど、こんぴらさんって何?」

 「知らん?金刀比羅さん。神社だよ。」

 「あぁ、今、神社に向かってるのね。何の神様?」

 「まぁ、小説で読んだ記憶では、昔は船の航海で沿岸の明かりや景色を頼りに自分たちが今どこら辺にいるかを確認していたから、覚えやすい風景はそれだけで神がかりだったらしいよ。この山、象頭山(ぞうずさん)って言って、特徴ある形らしい。」

 「何でもよく知ってるよね。」

 「ありがとう。でも、あなたが何も知らなさ過ぎなんだと思うよ。」

 「何それ。」

 「いいよね、今から知ることが多くて。」

 「羨ましいでしょ?」

 県民から「こんぴらさん」と親しまれている金刀比羅宮は香川県の西部、丸亀市や善通寺市の南、琴平町にある神社で、古来より海の神様、五穀豊穣、大漁祈願、商売繁盛と何でもござれの神様として全国から信仰を集めている。


 その後も、何度かの休憩を挟みながらのんびりと登った。いや、のんびりと、は俊介だけでルカはかなり必死に登った。俊介は大学時代に部活動に所属できなった頃から、今でも毎日筋トレとランニングを欠かしてない。

 特に700段を越えた後の急こう配の石段の連続は、途中で休みたくても休むところも少なく、膝も笑ってしまい、どうしようかと思った。

 最後の石段を登り切った正面に本宮があった。本宮の木の階段を上って二人でお参りをした。

 「何をお願いしたの?」

 「初詣でのときと一緒。こっちの神様にもお願いしてみた。」

 「だから、それは何?」

 「言うわけないじゃん。ご利益がなくなる。」

 「けちぃ。」

 本宮の北側には展望台があった。家族連れも多い。

 「ほら、あれが瀬戸大橋。」

 「うわぁ。俊くんの家はどっち?見える?」

 「俺の家は見えないよ。香川の東の方だし。」

 「そっか、香川県の西の方に来てるんだね。」

 「そうだよ。愛媛の方に来てるね。」

 「そっかぁ、俊くんはこんな平和な風景の中で育ったんだね。」

 旅行前に俊介からは、母親に会う?と聞かれていた。それをルカは断っていた。俊介の気持ちは嬉しかったが、まだ踏ん切りがつかなかった。

 のんびりした風景を見ながら、俊介の少年時代を思い浮かべてしまうと、自分が俊介の平和な部分を踏みにじっているような気持になってきて、またルカは心を閉じた。



4

 夕方、ホテルにチェックインした後、車を返すために俊介は一旦、実家に帰った。

 「ホントにいいの?もっと家にいていいんだよ。私、一人でも大丈夫だし。」

 「大丈夫、大丈夫。実家には何泊もしたし、もうやることないの。今日の夜からは友達んとこに泊るって言ってるし、そのまま、東京に帰ることにもなってるの。」

 「なんか、ママに悪いなぁ。」

 「この後、車返したら、ここに戻ってくるのは遅くなるかも。電車、1時間に1本かもしれん。」

 「うそだ。」

 「まじやって。」

 そう言いながらも俊介は2時間もしないうちにホテルに戻ってくる。

 「おかんが車で送ってくれたわ。」

 「だから早かったんだ。」

 「ほんで、今日の夕飯、部屋で食べん?」

 「いいよ。でも、何食べるの?」

 「おかんが弁当、作ってくれてた。友達と食べまいって。あっ、食べなさいっていうことね。」

 「えー、いいの。ママの手作りでしょ。一人で食べた方がよくない?」

 「もう十分に食ったし。それに、うちのおかんのコロッケは絶対、美味いけん。」

 「すっかり、香川弁に戻ってない?」

 「えっ、讃岐弁に?」

 「うん。ま、普段からなまってるけどね。」

 「うそぉ!いつもは標準語しゃべっとるやろ?」

 「どこまでが本気?」

 包みからはまだ少し暖かいコロッケとから揚げ、おにぎりが出てきた。から揚げも美味しかったが、俊介の言う通り、コロッケは本当に美味しかった。

 海苔を巻いた三角おにぎりを一口食べてルカは涙が出そうになるのを堪える。上野動物園で食べた、俊介の作ってくれたおにぎりと同じ味がしたのだ。中には梅干しが入っていた。はたして、海苔を巻いてない方の具はツナだった。

 「このホテルの横に公園あったの、わかった?」

 「車で通った時にちらっと見えた。」

 「あの公園の向こうに俺が通った高校があるの。」

 「へぇ。」

 「だから、この辺は当時、チャリでうろつき回ってたところ。」

 「自転車通学だったんだ。」

 「香川県人はほとんどの移動がチャリやから。平地が多いし、電車は少ないし。」

 「なんか高校時代の俊くん、やんちゃしてそう。」

 「いやいや、これでも進学校の生徒ですので。」



 俊介が中3の夏休みことだ。20時を過ぎでも、まだほんのり明るく、セミの声も聞こえる。

 その日も母親は帰りが遅く、夕飯を済ませた後、奥の部屋で妹が布団に入ったのを見届けて、俊介は学校から出されたワークに取り掛かった。中学を出たら就職を希望しているとはいえ、クラスの受験生たちと同じにワークはこなす。出された分はきっちりこなす性格なのだ。床に直に座ってちゃぶ台の上でペンを走らせた。俊介が住んでいた木造アパートには二間しかなく、奥が家族3人の寝室、手前が台所、居間を兼ねた部屋になっていた。要は、俊介には勉強部屋がない。

 「ただいま。」

 22時近くになって、台所の横にあるドアを開けて母親が入ってきた。ドアを開けるとすぐ居間なのである。

 「おかえり。」

 ここ最近、高校に行けと言う母親と、就職すると言う俊介の意見とがずっと平行線を辿っていた。中学の担任からは何度か進路志望を聞かれているが、ずっと母親には報告しないまま、自分で「就職希望」と書いて、勝手に印鑑を押して出している。

 「味噌汁だけは作っといた。食べんのやったら冷蔵庫に入れて。夏やけん、すぐ腐る。」

 「いつも、ありがとで。」

 この数日はこれくらいの会話しか交わさなくなっていたのに、この日、奥の部屋で着替えた母親は、麦茶をコップに注ぐと、ちゃぶ台を挟んで俊介の前に座ってきた。

 「ちょっと話をしたいんやけど、ええかいの?」

 俊介にも麦茶を差し出す。

 なんとなく聞かなくてはならない雰囲気を感じたので、俊介は黙って頷いた。

 「今日、先生に電話したんよ。あんたがちゃんと高校に行きます、って言うてますか?って。」

 先生というのは、俊介の担任の大西先生のことだ。偶然かどうかはわからないが、中学1年の時からずっと担任で、いつもうまくペースを崩されて反抗的な態度を取ることができない、俊介から見るとおばあちゃんみたいな先生だ。

 「ほんだら、先生が『変わらずに就職希望してます』って言うでない。もう、信じられんで。」

 母親は母親で、大西先生を自身の母親のように慕っている節がある。

 「ほんで、先生が教えてくれたんよ。『お母さんが何で高校に行ってほしいかをきちんと話さんといかん』やって。感情的になるんもいかん、言うとったわ。」

 確かにいつもならもっと感情的になりそうな内容を、今日は比較的、普通に話そうとしている気がする。

 「あんたにお母さんの昔の話、ほとんどしたことないやろ。お母さん、あんまり昔のこと、思い出したくないんよ…」

 両手で麦茶のコップを持ったまま、俊介は母親の話を聞いた。

 早くに父(俊介からすると祖父)を亡くした彼女は、下に3人の弟妹がいる長女だったこともあり、中学を出たらすぐに就職するしか道がなかったそうだ。俊介の通う中学よりももっとたくさんの生徒がいた中学校で、学年一位の成績だったらしい。付き合いはほとんどないとは言え、母方の祖父は健在しているではないかと聞くと、今の祖父は祖母が再婚した相手だという。

 「中学の先生が家に来てくれて、『お嬢さんやったら、県で一番の高校にも十分入れるんですよ』言うて、おじいちゃんとおばあちゃんを説得してくれたんやけどの、無理やった。別に一番の高校やなくてもよかったんよ。どこでもええけん、とにかく行きたかったわ、高校に。今でもせめて定時制にでも通わせてくれたらよかったのにって思う。

 はけん、あんたが高校行かんで就職する、言うた時、あんな思いするんは私だけでええのに、思うて。そりゃ、家のためにお金を稼ぐ言うてくれるあんたの気持ちは嬉しいで。けど、それは親としては、嬉しいけども悲しいんや。」

 全部、初めて聞く話だった。

 「あんたが中学生になっても部活に入らんで家のことやってくれとることも、お母さんとしてはありがたいんやけど、ほんまは…ずっと辛かった。自分が情けのうて。お願いやけん、考え直してくれんかの。」

 母親は涙を流したまま、秀介を見つめていた。

 「高校行き。部活もやり。」

 俊介の中に「県で一番」という言葉が引っ掛かった。

 2学期が始まり、大西先生とより具体的に進路について話を重ねるうちに、中卒ではなかなかに就職口が見つからないという現実を知って、俊介の気持ちは、次第に高校に進学するという方向へ舵を切っていく。どうせ進むならば、一番を目指したいとも考えるようになっていった。



 ルカと俊介の二人は、次の日には電車一日乗り放題券を買って、同じく観光名所の栗林公園や屋島を巡った。東京ではまだ残っている桜がどこに行っても散っていることに、南に来たんだなぁとルカは妙に感動する。俊介の言う通り、電車は1時間に1本、多くて2本だった。

 最終日は朝から市内観光、俊介の通った高校にも案内してもらい、その日の夜の飛行機で東京に帰った。飛行機の中でルカはずっと俊介の左手を両手でつかんで離さないようにした。こんなにずっと一緒にいたのは年末年始以来だ。

 「いかがでしたか、我が故郷、香川県。」

 「最高の初デート記念だったよ。」

 「何が一番よかった?」

 「うーん…」

 「全部、は無しね。」

 「だったらぁ…、おかんのコロッケ!」

 「えぇ~」

 この日はそれぞれ自分の部屋に帰ることにしていた。片付けないといけない仕事も残っている。すぐに会えることがわかっているのに、品川駅で別れる際にルカは泣いてしまった。



5

 「もはや戦後ではない」

 政府がこう宣言したように、日本が高度経済成長期を迎え、12月には国際連合に加盟した1956年、時子(ときこ)は高松市内で生まれている。その後、翌年、翌々年と次々に弟、妹が生まれ、すぐに3人兄弟の長女となった。

 時子が小学5年生のときに父が死ぬ。縊死だった。状況はまるで覚えていないが、どこかの見知らぬ部屋に置かれた台の上に、運ばれてきた父親の遺体が乱暴に降ろされた際の、頭が台にぶつかったゴツンという音だけは、数十年経った今でも耳に残っている。父親が自ら死を選んだ理由は聞かされていない。

 ほどなくして、母親は再婚し、ほとんど同時に腹違いの弟が生まれた。父親の自死の原因は母親の男関係なのではないか…と中学に上がってから、うっすら考えた時期もあるが、すぐにそれを止めた。弟のほとんどの世話を任され、時子は多忙だった。母も新しい父も働き者ではあったが、それは自分たちの遊興費を稼いでいるだけの節があり、たまの休みの日には4人の子どもを置いて二人だけでパチンコに出かけるような人たちだった。

 父親違いの弟の世話に追われる毎日であっても、時子の成績は学年で一位を取ることもあるほどだったので、担任を始め中学校の教師たちは、時子は進学するものと思い込んでおり、彼女から「就職する」と聞いた時には、担任だけでなく、教頭、最後には校長までが、両親を説得に来た。偏差値の高い高校に生徒が合格できることは、その中学の、引いては教員たちの評価につながるためだった。時子が生活費を家庭に入れるようになれば、その分、自分たちの自由に使える額が増える、としか考えていない両親は、これを全て断っている。

 結局、時子は中卒で働きに出される。父親が工場長を務める家具工場の作業員になって、木を削る際に出る細かい木屑が濛々と舞う、眼鏡とマスクの欠かせない工場の中で、木片を接続するためのボルトを締める作業を担当した。

 23歳の時、父親から結婚するように言い渡された。相手は同じ会社の本社部門、営業部の人間だった。営業部の社員が工場の方に顔を出すような用事は滅多にないはずなのに、よく顔を見せては、時子に出張先のお土産を渡してくる、時子からすると小柄で少し気弱そうに見える青年だ。一応、顔見知りということにはなるが、それ以外の印象はない。父親から彼が社長の甥であることを初めて聞いて知った。

 彼に好意を感じたことは微塵もなく、社長の甥であると言われてもよくわからず、そもそも結婚する気もさらさらなかったにも関わらず、時子がこの申し出を受けたのは、一刻も早く家を出たかったからだ。

 実は、ここ数年、父親の視線が気になっていた。家で食事の用意をしている時や洗濯をしている時に視線を感じて振り向くと、そこには慌てたように視線を外す父親がいた。工場で感じる時は、他の工員もいるのでまだ何とか我慢することができたが、虫唾が走るほど気持ち悪いのは、脱衣場やお風呂場で同じ感覚を味わうことだった。当時既に、すぐ下の弟は就職して独身寮に入っており、妹は父親に反発して家出をしていて、この家に住んでいるのは両親と時子、年の離れた弟だけとなっていた。時子は家にいるときはなるべく弟と一緒にいるようにしている。本当は自分も家を出たいと考えていた。少なくとも父親は血のつながった息子、時子の一番下の弟だけは可愛がるので、時子がこの家からいなくなっても大丈夫だろう。とはいえ、自分の稼ぎで一人暮らしはとても無理だし、会社の社宅は家族、もしくは独身男性しか入れない。結婚の話を聞いた時、この家から出るにはこれしかないと考えた。

 結婚して「関時子」になると同時に、時子自身は会社を辞めた。夫を説得し、と言うより、時子が相手に出した唯一の結婚する条件として、夫婦で社宅に移り住む。高松市郊外に建つ、戦後に大量生産されたコンクリート打ちっぱなしの狭い2階建てのアパートだ。夏は暑く、冬は寒い。夫の稼ぎは決して多くはなく、当時、世の中に浸透するようになっていた「パートタイム」で、時子は洋装のお針子のアルバイトを始めた。決して裕福な生活はできなかったが、父親と顔を合せなくてよくなったことは嬉しかった。体中の穴という穴に入ってくるような木くずから解放されたのもありがたかった。夫への愛情はまだ感じなかったが、それでも幸せになれるのかもしれない、そんな期待くらいは持てるようになった時期だった。

 その2年後、26歳で時子は長男を生む。俊介と名付けた。さらに6年後、女の子を身ごもる。このまま幸せになれるのかもしれない、期待は膨らんだ。そんな時、夫が死ぬ。

 -現実は残酷だ。そして決して変わらない。


 ある日、時子が食費の節約のため、いつものように昼食を食べにアルバイト先から家へ帰ると、出かけたはずの夫の靴が玄関にあった。本人は朝出かけたスーツ姿のまま、北向きの狭く暗い寝室の鴨居にネクタイを引っかけて、それに首をくくってぶら下がっていた。大きく見開いた眼、膨らんで青黒くなった顔、口から長く垂れさがる舌、畳の上に滴る糞尿…、時子は、見つけたのが自分でよかったと思った。俊介は保育園に行っている。こんな光景、見る必要はない。同時に、わざわざこの家を死に場所に選んだ夫に腹を立てた。いっそどこか違うところを選べばいいのに、父のように。

 時子にとっては義理の叔父となっていた会社の社長から、さらに警察から聞いた話では、夫はかなりの額の会社の金を使い込んでいたということだった。叔父から退職するように言われたことがきっかけになったらしい。横領した金の使い道はスナックで知り合った女性だとも聞いたが、時子に詳細は伝えられなかった。

 時子を彼と結婚させた負い目があるからなのか、世間体を気にしたのかは分からないが、汚職について夫が刑事事件に問われることはなく、叔父が時子に会社の損害分を請求してくることもなかった。しかし、身内だけの葬儀を済ませると、早々に社宅からの退去を命じられた。実家に帰りたくなかった時子は、弟夫婦を頼り、そこで俊介の妹を生む。特に何も言われなかったので、そのまま、「関」の姓を名乗り続けることにした。

 妹が保育園に預けられるようになると、弟夫婦の暮らす家の近くに安い部屋を借りて、親子3人での暮らしが始まった。時子は、朝は新聞配達、昼はお針子、夜は居酒屋の店員と、いくつかの仕事を掛け持ちして家計を支えた。俊介が中学、下の妹が小学校に上がると、時間をやりくりして車の免許を取った。それにより、ノルマはきつくとも、歩合でより稼げる保険の営業員の職に就くことができた。それまでに比べると、時間の融通も多少は利くようになり、夕飯時には家にいる日を増やすようにした。俊介が部活に入らず、友達とも遊ばずに、家を手伝うために早めに帰宅するようにしていることは、直接聞かなくてもわかっていたものの、「家のことはいいから」と言えないことに、申し訳なさを感じていたのだ。

 そんな生活であっても、時子は絶対に子どもにひもじい思いをさせない、料理は手作りのものを食べさせる、を信条とし、どんなに忙しくても、これを守り続けた。それは時子が幼いころから弟妹たちにやっていたことだった。

 俊介が早い段階で火、ガスコンロを使えるようになり、作り置きした煮物の温め、下ごしらえした材料の炒め物などが任せられるようになってくれたので、随分と助けられた。そのうち、俊介は料理だけでなく、掃除や洗濯も自分から覚えていく。彼は時子の自慢の息子となった。時子は父や夫にはまったく描くことのなかった、自分の理想の男性像を俊介に重ね、彼の成長が時子の生き甲斐となっていく。

 そんな自慢の息子が「高校には行かない。就職する」と言い出した時には、その優しさが嬉しくはあっても、親としては情けなかった。なかなかゆっくりと話す機会も作れず、時子は途方くれる。幸い、俊介が中学に入ってからの担任、大西先生は時子から見ると自分の母親に近い年齢で、俊介のことだけでなく、時子の話を親身になって聞いてくれる存在であり、この件についても先生に助けを求めた。時子も俊介も知らないこととして、大西先生自ら3年間ずっと自分の担任するクラスに俊介を入れてくれている。

 この大西先生の説得もあって、無事に進学どころか、俊介は香川県で一番の進学校、時子が入りたかった高校に入学することができた。中学・高校を通じて初めての部活、サッカー部に入部した俊介に、時子はサッカー・シューズを入学祝として贈っている。勉強や部活といった人並みの高校生活を俊介が送ってくれることを時子は願っていた。その後、俊介は自分の意志で奨学金手続きも済ませて、大学にまで進んでいく。時子にとって益々自慢の息子となっていった。


 二人の子どもが無事に成人して就職までできた今、時子の最大の望みは、子どもたちの結婚や孫の顔を見ることも勿論そうだが、何より、二人共に一日でもいいから自分よりも長く生きてくれること、になっている。



第六章

1

 2019年8月。

 外回りに出かける準備のための一番忙しい正午前の時間帯、私用のスマートフォンが鳴った。エアコンが効いていても淡いピンクのブラウスに汗をにじませていたルカは、その通知番号を見て、出るかどうか瞬間躊躇った。叔母、美恵子からだった。出なければ、数回は着信が続くはずだ。

 「はい。」

 「何してんの。早く出なよ。」

 名乗らないのはいつものことだが、

 「雄二が、元気になったから家に帰せって。」

 この日はスマホを叩きつけたくなった。

 

 市の地域包括センターに紹介してもらった施設は下田半島の南の方にあった。うるさいくらいのセミの声も、うだるような暑さも、ルカは気にすることもできない。この3年の間、何とか足を運ばずに済ませていたこの施設を、今回はどうしても断れずに訪問することになってしまった。

 「お若いこともあって、随分とお元気になられていますよ。」

 施設内の医務室の先生の言葉が、悪気はないとはいえ、ルカの心をえぐる。

 「少々、元気が過ぎて困っているんです。」

 8人の大部屋にルカが向かうと、ベッドに雄二はいなかった。

 「るかぁ、あいわらず、いいしり、らなぁ。」

 後ろから声をかけられて、ルカは悪寒で声を上げそうになった。呂律は怪しいが、それは紛れもなく雄二の声だ。

 振り向くと、歩行器のようなものを使って、そこに雄二が立っていた。左手は震え、足も引きずっているようではあるが、確かに雄二は立っていた!たるんだ頬、開いたままの口、脂ぎった肌は変わらずに、自分で雄二は立っていた!!

 定まらない視点で、ルカの全身を舐めまわすように見ているのを感じる。

 「おれは、ここをでるらら、おまえが、おれの、めんろお、みろ。」

 何より、ルカを認識したことに吐き気を覚えた。

 「おれは、おまえろ、ちちおや、らから、なぁ。」

 雄二はヘラヘラと笑った。ルカの全身に鳥肌が立った。


 施設を出てすぐに弁護士事務所、大塚さんに電話を入れて、週末に会ってもらうことにした。

 「お休みの日にすみません。」

 「いやいや、お気になさらずに。」

 「ご家族の方とか、ご迷惑をおかけしていますよね。」

 「こちらも何のお構いもできませんので、お相子ということにしましょう。」

 大塚さんはいつもの隙のないスーツ姿ではなく、薄手の紺のジャケットをブラウンのパンツに合わせている。その方がルカが知っている大塚さんらしく、よく似合っていた。

 大塚さんは早めに来てくれていたのだろうか。事務所内は寒すぎない程度に、エアコンを聞かせてくれていた。前回と同じに、簡易ソファに対面で座る。

 「何から話していいものか…」

 ルカは先日の出来事と自分の気持ちを話した。大塚さんに話すことで気持ちを整理したかった。


 「歩けるほどに回復しつつある、雄二さんが家に帰りたいと言っているんですね。」

 「はい。ですが、福田の家には高齢者しか住んでませんし、実際に介護をできるような人はいません。」

 「ルカさんとしては、父親と一緒に生活することだけは絶対に避けたい、ということですよね?」

 「はい。一緒に住む…、言葉にするだけでも頭がおかしくなりそうです。」

 「本人の希望だけですぐに状況が変わるということはありませんので、安心してください、と言えると思います。」

 「だといいんですが。施設中を歩き回ったり、女性の介護士さんに変なことをしたり、追い出される可能性もあるそうなんです。」

 「うーん、それは確かに不安になりますね。」

 ここで大塚さんは顔をしかめた。

 「実はこちらからも連絡するかどうか迷っていたお話があります。」

 「大丈夫ですよ。私、慣れてますから。」

 いつものようにルカは笑った。

 「あれから私、ルカさんにとって有益な情報がないか、ずっと気にはかけていたんです。岡崎の事件って聞いたことありますか?性的虐待に絡むお話です。」

 「いいえ。」

 知らなかった。正確には、そういうものに目を向けない、視野に入れないように過ごすことが普通になっているだけだ。

 「当時19歳の女性に実の父親が性的虐待を行っていたかどうかを争っている裁判なんですが、3月の1審で無罪判決が出ました。」

 大塚さんはルカに、岡崎準強制性交等事件の概要を話してくれた。

前提:

・児童虐待防止法第2条では、性的虐待を、児童にわいせつな行為をすること又は児童をしてわいせつな行為をさせること、と定めている。

・2017年7月の刑法改正により、監護者強制性交等罪が新設されてもいた。「18歳未満の者に対し、その者を現に監護する者であることによる影響力があることに乗じてわいせつな行為又は性交などをした」者は、強制性交等罪と同様に処罰されることになった。つまり、保護者が親という影響力で子どもを支配し、子どもが拒めない状況でわいせつな行為を行った場合も、性的虐待にあたるということである。

岡崎準強制性交等事件:

愛知県内で2017年、当時19歳の実の娘に性的暴力を加えたとして準強制性交罪に問われた父親(当時50)について、2019年3月の1審では、「(娘は)抵抗し、(父親を)拒めた時期もあった」などとして、「抗拒不能の状態だった」という検察側の意見に対し、「合理的な疑いが残る」と判断し、父親に無罪判決を言い渡している。


 「つまり、父親に性的虐待を受けたと証言したところで、裁判では負けるということでしょうか?」

 「いえ、必ずしもそうとは限らないのですが…。勿論、証言だけなくそれを証明できる物証があるかどうかなども関係しますし…」

 珍しく大塚さんが言い淀んで目をそらした。

 「まだ1審が終わったばかりです。この1審の無罪判決をめぐって、全国で性暴力を撲滅しようと訴えるキャンペーンが始まりました。」

 再び、大塚さんは顔を上げてルカを見つめた。

 「『フラワーデモ』って、聞いたことないですか?参加者が花を身に着けて集まるところからそう呼ばれていますが、この運動が4月に東京駅で開催され、5月以降、毎月、全国へすごい速さで広がっています。私は、第1審の判決が覆る可能性は十分にあるとみています。」

 確かに、大塚さんの言う通りにはなる。

 2019年3月の第1審の判決に対し、2020年3月の2審判決は、娘が中2から性的虐待を受けており、「継続的な性的虐待の過程で抵抗する意欲や意志をなくし、本件行為時、精神的、心理的に抵抗できない状態だった」と認定した。さらに「1審判決は父親の実子に対する性的虐待の実態を十分に評価していない」と批判もしている。これを不服とした被告、父親側が上告するも、2020年11月、最高裁第3小法廷(宇賀克也裁判長)は、この上告を棄却した。これにより父親を無罪とした1審名古屋地裁岡崎支部判決は破棄され、懲役10年とした2審名古屋高裁判決が確定している。

 異例のスピード判決と言ってよいが、それでもこの物語の今現在からは後年の話だ。


 「そうだとしても、数年、もしかしたら数十年はかかるんですよね。」

 「…」

 「親は子どもに何をしても許されるのでしょうか?」

 「もう一つ、話さないといけないことがあります。」

 「どうぞ。」

 ルカの笑顔は変わらない。

 「仮に、です。仮に、ルカさんが性的虐待を受けていたとして、裁判をするなら、それがいつだったかを証言する、できれば実証する必要があります。」

 「えっ?」

 「時効があるということです。」

 「虐待に時効が?」

 この当時の性的虐待を含む強制性交罪の公訴時効は10年だった。被害者が18歳未満の場合には、これに18歳になるまでの期間が加算される。(なお、2023年2月にまとめられた要綱案には、強制性交罪の公訴時効が5年延長されて10年が15年になることが含まれている…。)

 「よくわからないんですけど…」

 「未成年の時期に性的虐待を受けて、それを裁判にかけるなら28才までに訴えなさい、ということです。」

 この時、ルカは33才。今日、ここに来てから初めてルカの表情から笑顔が消えた。

 大塚さんの表情も消える。

 「ルカさん、今となってはと思うでしょうが、質問させてください。この質問はこれっきりにします。」

 「はい。どうぞ。」

 「性的虐待はありましたか?」

 「…」

 「…」

 「答えたくありません。」

 答えたくない、これが答えであることを2人とも理解していた。

 重苦しい沈黙を先に破ったのはルカだった。

 「大塚さん、」

 「はい。」

 「法律…、法律っていったい何のためにあるんですかね?」

 「社会的に弱い立場の人たちを守るためのものです。私はそう信じています。」

 「私は弱い立場ではないのでしょうか?」

 「…」

 「親は子どもに何をしても法律で許されるのに、好き勝手にされる子どもを法律はちっとも守ってくれないじゃないですか。」

 「それは違います。」

 「選挙に出るような人たちが、『女性に優しい社会を』とか散々に言ってても、世の中、いつまでたっても、女性の一人暮らしには厳しいままじゃないですか。」

 「そ、それも違います!」

 「ごめんなさい。大塚さんのことを言っているわけじゃありません。子どもを守るため、女性を守るための法律が新しくできるのは勿論、いいことだと思います。でも、今の私を守ってくれるものは何もありません。私は今、今を生きているんです。」

 ルカは大塚さんの目を真っすぐに見つめた。顔に笑顔は貼りついていても目は笑っていない。ルカが言いたいことを言えるのは、この人だけかもしれない。俊介にもまだ言えないことがある。

 大塚さんはゆっくり目を閉じ、しばらくして目を開けると、ルカを見つめ返した。

 「ルカさん、やっぱり私、弁護士としてふさわしくないことを言います。」

 「…」

 「そう、日本の社会は女性が、特に独身女性が、一人で生きるにはあまりにも法整備ができてない。」

 「…」

 「だから…、今を生きる女性はそれを受け入れるしかない。」

 「…」

 「ルカさん、あなた、結婚しなさい。できれば、仕事もやめて専業主婦になって収入がなくなるくらいがいい。あなたの配偶者に介護義務は発生しないから。でないと…」

 「でないと?」

 「このままいくと、下田にいる祖父母の介護も引き受けることになるよ。」



2

 2019年9月。

 平日がずっと忙しく、土曜は終日、日曜は午前中にルカが仕事を入れてしまったために、日曜日の昼過ぎ、数日ぶりに俊介と会うことになった。しかも、久しぶりに部屋以外で会う。品川駅で待ち合わそう、と言ってきたのは俊介だ。

 仕事場から直帰したルカはスーツ姿だが、先に駅で待ってくれていた俊介も、日曜にも関わらずスーツ姿だった。といっても、普段着ているようなビジネススーツではなく、ストライプの入ったカジュアルなものだ。俊介にしては珍しい。ルカとしては、サプライズ好きな俊介のことだから何かあるんだろうな、くらいの心準備はできている。

 品川から京急に乗った。

 「これに乗るの、お正月以来だね。」

 「あん時はむっちゃ混んでたけど、今日は人も少ないね。」

 はたして新番場駅で降車した。駅のホームにも人はまばらで、外の景色がよく見える。新番場駅から東を見渡すと、遠くにお台場が広がっていた。心なしか入道雲もつい最近までの元気さが薄れて、空には秋の気配が感じられるような気もする。とはいえ、まだまだ暑い。俊介は既に上着を脱いで手に持っていた。

 この日もお正月と同じに、旧品川街道を二人で歩いて青物横丁の方へ向かった。俊介がいつにも増して落ち着きなく、せかせか動くのがやたらにおかしかった。緊張しているようにも見える。

 「今日はここ!」

 俊介が案内してくれたのは、七福神巡りの途中で見つけていた、街道からは一本入った通りにある小さな洋食屋だった。街道に出ている「コチラ」という矢印のついた木製の看板には、メニュー表も貼られていたのだが、値段は書いておらず、その時は入るのを取りやめて、後から二人でネット検索したところ、なかなかの評価がついているとはいえ、そこそこのお値段だった。それだけ期待できるともいえる。

 「えぇ、ホントに?」

 「まぁ、こんな日にしか来んやろうし。今日はごちそうします。」

 「いいの?大丈夫?」

 「当たり前じゃん。何でも好きなの、頼んでいいから。」

 とは言いつつ、優柔不断なルカはいつも俊介に決めてもらう。俊介がポイポイと選んでくれるのがルカが食べたいと思ったものばかりなのが、いつもながらに不思議だった。

 すぐに飲み物が運ばれてくる。俊介は赤ワイン、ルカはグレープジュースをワイングラスに注いでもらい、二人で乾杯した。

 「お誕生日、おめでとう。」

 ルカは34才になった。


 食事を済ませた二人は電車を乗り継いで、ルカの部屋に帰った。今日は泊ると言ってくれている俊介は、早朝に一旦帰って着替えてから出社するのには、すっかり慣れっこだ。

 「あのさ、プレゼントなんだけど…」

 部屋着に着替えたルカがお茶を入れて、ベッドに座ると、すぐに俊介が切り出してきた。俊介もルカが用意しているいつもの部屋着に着替えている。

 「さっき渡すつもりだったけど、いろいろ考えて、店の中で出すのはやめたんよ。今から渡す。」

 -あぁーん、ずっと落ち着かないように見えたのはそのせいか。

 本が好きな俊介からの誕生日プレゼントは、一昨年は「はじめての料理」、去年は「誰でも簡単、レンチン料理」、どちらもほぼきれいなまま、ルカの本棚を彩ってくれている。

 「先に言っとくけど、変に思わんといてほしい。」

 「うん。」

 俊介はリュックの中をごそごそとかき回している。

 「しかも、今日、渡しても無駄になるかもしれんし。」

 「いいから。大丈夫だから。」

 なかなか煮え切らない。

 「俊くんがくれるものだったら、私は何でも絶対に嬉しいから。」

 俊介がやっとリュックから取り出したのは、小さくともしっかりとした紙袋だった。さすがのルカでもそれだけでわかる。アクセサリーだ。

 「重く受け止めんでほしい。ぜんぜん高いもんやないし。」

 俊介はそのまま紙袋を渡してきた。

 「ちょっと。ムードがなさ過ぎ。」

 「えっ?」

 「開けていい?」

 「うん。」

 袋から包みを出し、包みを開けて箱を出し、箱を開けた。

 「だいたいサイズが合ってるどうかも自信ないし…。」

 指輪だった。

 ルカは指輪を自分で左手の薬指にはめてみた。

 「入った?」

 「嬉しい!!」

 「えっ?嬉しいの?ぜんぜん、その指でなくてもいいし。」

 「嬉しい!!!」

 「えっ、いやいや、あなたは普段、指輪とかアクセサリー、ぜんぜん身に着けんやん。金属アレルギーかなとか思って、いろいろお店で聞いてみたんよ。18金だったらアレルギーでも大丈夫って言われたんやけど…。俺、騙されてる?」

 「嬉しい!!!!」

 「指のサイズもわからんかったし、俺の左の小指の第一関節くらいとのいうのを、ここ最近、手をつなぐ度に確認してたんよ。よかったぁ。交換にいかんでよさそう。」

 「嬉しい!!!!!」

 ルカが軽度の金属アレルギーであることは確かだが、普段、何も着けてない理由は他にある。営業先の女性教師から何を言われるかわからないので、就職してからはほぼそこに関心を向けなくなったのだ。同じ理由でメイクもナチュラルだし、ネイルはしない。

 ジュエリーショップで店員さんを相手にあたふたしている俊介を想像すると、堪らなく愛おしくなった。ルカから抱き着いて、唇を重ねる。ルカは泣いてしまっていた。

 しばらく抱き合った後に、俊介がルカを離しながら言った。

 「まだ話は終わってない。」

 「嬉しい!嬉しい!嬉しい!」

 「聞けい!」

 「あい。」

 「素直でよろしい。」


 「来週、通達が出る。」

 「うん。」

 「で、俺、異動する。」

 「えっ?」

 「10月から大阪。」

 「えぇーっ!やだぁ。」

 「相変わらず、平のまんまで異動。」

 「やだぁ。やだよぉ。」

 「東京、大阪は2時間で来れるし、時々は泊まりに来るし。」

 「うぇーん」

 ルカは本当に「うぇーん」と泣いた。さっきとは違う涙がこぼれた。



3

 俊介の胸に顔を押し付けてルカは泣き続けた。そんなルカの頭を撫でながら、俊介は話を続ける。

 「あなたがさ、仕事のことを大切にしてるのはわかってるつもりなんだ。」

 「うぅ」

 「で、それを変えて、と言うつもりもない。」

 「あぅ」

 「まぁ、俺が言ったところで、あなたが仕事のスタンスを一切変えないこともわかっている。」

 日常生活では優柔不断なくせに、仕事となるとテキパキ決められる自覚はルカ自身にも確かにある。俊介に何をアドバイスされようと、納得しなければ、それを聞くこともない。最もそれはお互い様で、俊介もルカに何を言われようが、仕事のスタンスはほとんど変えない。二人とも気づいていないが、二人が仕事について話すときは、相談ではなく、報告もしくは共有に近い。但し、話すことで整理できることが多い相手であることもお互い無意識に認めている。

 ルカは相変わらず未申告の残業、休日出勤を繰り返しているのに対し、俊介は絶対にサービス残業をしない。1分単位で全部申告する。ノルマをこなすにはこれくらいやらないと無理なんだ、と会社にアピールすることが必要だと考えているからだ。

 「このまま行くと、あなたは出世するよ。絶対。」

 俊介曰く、二人の働く会社はグレーどころか、今や立派なブラック企業だそうだ。

 一時期の会社はリーダー陣に「イエスマン」を揃え、どんなに現場で人望がなくても、上司から好かれる人間だけが出世した。その後、国や政府の景気や児童減少への対策には期待できない、つまり、回復への施策は自分たちで考えるしかないという現実に直面して、漸く会社は「イエスマン」ではダメだと思い知る。自分で思考しない「イエスマン」は、当然、責任感がなく、常に他責であった。

 そこで次に会社は、出された命令を躊躇なく遂行するのは当然として、命令遂行のための方法を自分で試行錯誤し、結果が出ない場合は自ら責任を取る、「ペンギンマン」のような人財を求めるようになったと俊介は言う。

 「ペンギンマン?」

 「俺が勝手に名付けた。知らん?コウテイペンギンの話。」

 「うちの教材に載ってるやつ?」

 「そう、それな。」

 南極に生息するコウテイペンギンは外敵の少ない内陸で繁殖・子育てをする。海から内陸への移動、パートナーを見つけての産卵、ここまでの約2か月、ペンギンたちは絶食状態で過ごす。産卵後、生まれてくる我が子のためにエサを取りに海へ戻るメスに対して、オスはさらに2か月間、絶食のまま卵を温める。

 「究極の忍耐やと思うわ。しかも耐えるだけでなく、自分でいろいろ考えながらの忍耐。」

 極寒の吹き曝し、‐60度の環境の中、足の甲の上に置いた卵を、ほぼ直立したまま、卵を落として割らぬよう、大地に接して凍らさぬよう、細心の注意を払いながら温め続けるそうだ。但し、温め過ぎないようにもしている。メスが戻るより先にヒナが孵ってしまうと与えるエサがない。お腹の中をエサで一杯にしたメスが戻るまではヒナが孵らないように調整するという。

 「会社が求めているのは女性なんだけどね。なら、ペンギンウーマンか?」

 俊介は、会社は求める人財に「女性進出」をうまく利用しようとしている、とさらに続けた。

 ここ数年、女性社員が急速にリーダー職に持ち上げられている。無論、そのこと自体は正しいことであろう。一方で、役員クラスが男性、しかも年寄りばかりというのは変わっていない。文科省と繋がっているからだという噂は絶えないが、一般職ならとうに退職させられる年齢、そう、定年のない彼らは事実上の永年役員だ。彼らは、こちらがどんなに懇切丁寧な事前資料を準備しても、一切目を通さずに会議に出る。そして、そのときに思いついたことだけを口にする。自分が前回と正反対のことを言っても気づきもしない。事前に見ないくせに、その場で見た資料に文句は多い。俊介は、ここが代替わりすることは早々ない、ましてや、女性がここに加えられることは絶対ない、ここの顔ぶれを変えないカモフラージュとして、要職ではない部署のリーダーに女性を当てている、と断言する。

 リーダーに登用された多くの女性社員、ほとんどが数名しかいない小さなチームのリーダーは、見ていても可哀そうになるくらい、役員たちに従順であり、従順であることに喜びを見出しているかのようだった。

 「今まで冷たい待遇を受けていた分、意気に感じちゃっているのかなぁ。よく考えれば、わかりそうなもんだけど。役員や重職のリーダーに女性は登用されてないのに。」

 「女性を馬鹿にしているように聞こえます。」

 漸く泣き止んだルカが反論した。

 「ごめん、ごめん。本当にそんなつもりはないんだ。女性をいいように使っている会社が嫌なんだよ。」

 「会社だって、そんなすぐにばれるようなことはしないでしょ。」

 「そう、そこなの。確かにこの先、永年役員はなくても、何人かは女性社員を重要ポストに就けると思う。多分、数年内に会社初の女性社長も作るでしょ。」

 「そうかなぁ。」

 「あなた、そのラインに乗ってるよ。」

 「絶対にないよ。私、頭、よくないし。」

 「そうは思わないけど。頭の良し悪しは二の次、大事なのは見た目。傀儡社長でいいし。」

 「らいらい?」

 「傀儡(かいらい)。操り人形っていう意味。」


 俊介は再び、ルカを胸から離した。俊介の部屋着、胸のあたりがルカの涙でべっちゃべちゃになっていた。

 ルカを真っすぐに見つめてくる。

 「俺ね、あなたが好きです。結婚してほしい。」

 ルカはまた泣きそうになる。

 「でも、あなたは結婚の話をしようとするといつも話、逸らすでしょ。自惚れだったら申し訳ないけど、俺はあなたから好かれていると思っている。あなたが結婚をしぶる理由って仕事くらいしか思いつかない。」

 ルカは必死に首を横に振った。

 「高松に旅行した時も、おかん…、うちの母親と会うのを断ってきたやん。」

言葉がなかなか出てこない。

 「俺と結婚したら、女性社長のラインは切れるよ。自慢じゃないけど、俺はじいさんたちからは嫌われてるし。だから、すぐに返事をくれとは言わないけど、今までよりはもう少し真剣に…」

 「…くん」

 「結婚ことを考えて…」

 「俊くん、」

 「何?」

 「おバカ。」

 「えっ?」

 言葉がやっと出た。

 「あなた、ほんと、おバカね。普段は賢いのに、」

 「何??」

 「私、俊くんのこと、大好きだよ。多分、俊くんが想像してる何倍も好き。」

 「…」

 「私が仕事を理由に俊くんのことを諦めるとか、本当にそう思ってるの?」

 「いや、だって、仕事になると馬車馬みたいになるじゃん。」

 「だとしても、仕事は仕事。今は生きるために仕事は辞められないけど、俊くんと結婚できるんだったら、仕事は辞めたっていいよ。言っておくけど、私、出世したいなんてちぃーっとも思ってないからね。」

 「じゃぁ、何で?」

 「うん、結婚の話は逸らしてたかも。ごめんね。それには理由がある。それをきちんと話すための準備をする時間をください。」

 ルカは必死に考え出した。

 -俊くんとずっと一緒にいるためにはどうすべき?



第七章

1

 2019年10月。

 月の最初の日曜日、ルカは駅前の真新しいビル、ワンフロアを借り切った明るく清潔感の溢れるオフィスに来ていた。案内されたのは間仕切りだけのブースではなく、きちんと壁で隔てられた小部屋で、机の上にはモニター画面と2つのキーボードが並んでいた。説明者用と客用のキーボードのようだ。

 受付で案内してくれた女性が、ほどなく飲み物を運んできてくれる。制服姿の女性は説明者用のキーボードを操作しながら

 「こちらのDVDをまず観ていただきます。会社概要、業務内容・実績などの説明となりますので、お時間を10分少々いただきます。DVD終了後に本日の説明担当者が参りますので、そのままお待ちください。」

 と話してくれた。

 ネットで「興味あり・来店希望」と入力したのは土曜深夜26時ごろのこと。8時間後の日曜10時には直接電話があり、13時にはオフィスで話を聞くことになった。仕事が早いのは好印象だ。

 DVDが終了して待っていると、ルカよりも一回りほど年上、ワインレッドのスーツ姿の女性が小部屋に入ってきた。名刺には「リーダー」とある。自分よりも若い人だと話しにくいかも、と心配していたルカにはありがたかった。

 「朝の電話をいただいた方ではないんですよね?」

 「はい。ネットアンケートの内容、お電話でお聞きした内容、踏まえさせていただき、本日のご説明は私の方で担当させていただくこととなりました。」

 「よろしくお願いします。」

 「詳しい説明は、この後、実際にマッチングシステムを体験いただきながら、と考えておりますが、現段階でご質問などございますか?」

 「登録される個人データの信頼性が気になります。うその情報を入れたりする人いないのかな、って。」

 「そもそもご入会いただけるのが厳重な審査を通過した方のみとなっております。こちらからお断りさせていただくことも正直、多少はございます。個人情報の登録にあたっては、学歴や職歴、資格や年収などはほぼ詐称することは不可能あると言ってよい、と自負しております。実際にご入会手続きに進まれた場合は、その際にご実感いただけるはずです。」

 「といっても、性格や内面的なことまでわかるんでしょうか?」

 「専門のアドバイザーがついて、そうした部分は見させていただいております。あとは、お相手の方とメールや電話のやりとり、ご希望の場合は実際にお会いいただくことで、お互いが直接ご確認いただけるところだと考えています。」

 流暢に回答をもらえるということは、よくあるQ&Aなのであろう。その分の対策はしているとも言える。

 「あと、段取りを無視して申し訳ないのですが、料金を大まかに知りたいです。」

 「承知いたしました。詳しい説明は後でさせていただきます。プランの内容にもよりますが、入会時に必要な金額はざっと30万ほどとお考えください。入会後は毎月、登録継続料が数万程度かかります。」

 「わかりました。じゃあ、入会しますので手続きを進めてください。」

 「えっ?入会手続きですか?」

 ここまで隙のなかった相手が初めて狼狽するような表情を見せた。

 「はい。ダメですか?」

 「い、いえ、そういう方は初めてなものでして…」

 「マッチングなんとかの体験も、もう結構です。」

 「あ、あの、電話でお聞きした福永様の最優先条件をもう一度、教えていただけますか?」

 「はい。契約結婚を望む人、です。」

 ルカは結婚相談所に来ていた。


 昨夜は、よく名前を耳にする大手業者のHPを数件見比べて、ルカの家から一番アクセスのよさそうな場所にオフィスを持つ業者のアンケートに回答している。

 「いつ結婚したい?」-すぐ

 「結婚するために恋愛は?」-必要ない

 「あなたの休日は?」-自分一人で過ごしたい

 「婚活したことは?」-ない

 ほかに「あなたの身長・学歴・職業・年収・結婚歴」「相手の希望年齢・身長・学歴・年収・結婚歴」などを入れた。相手の年齢や外見、結婚歴はどうでもよかったが、自分よりも年収があってほしい、早めに退職してほしくないことを考えると、年齢は35-45才、大卒以上、年収は自分の1.2倍以上と設定した。

 朝の電話では確かに「結婚するために、一番こだわりたい条件は?」と聞かれたことを覚えている。そこで「契約結婚を望む人」と応えた。この時の電話対応の方ではなく、わざわざリーダーが出てきたのはこのためであろうか。

 「しょ、少々、お待ちください。」

 この後、何とか入会手続きに進ませてもらうことができたが、担当者に席を外されることが何度もあった。上司と相談しているのであろうか。

 「リーダーって書いてあったのに。ここも女性リーダーがいっぱいいる会社?」

 俊介が言っていたことが思い出された。オフィス内、見える範囲には女性しかいなかったようだが、奥の会議室にはおじいちゃんたちがふんぞり返っているのかもしれない、そう想像すると笑えた。

 入会の手続きをしながら、いろいろ確認していった。もの凄い量の提出書類だったため、

 「残りはお家で書いていただいて、提出は後日で…」

 と何度も言ってくれたが、それは断って、取り寄せる必要がある書類以外、書けるものはすべてこの場で書いた。印鑑は持参していた。

 数時間作業となり、その間、担当者と一緒になって出てきた数人の社員全員が、ルカにかなり引いているのを感じたが、こればかりは仕方がない、とルカは開き直ることにした。

 「すみません。面倒くさい客ですよね。私も普段は営業しているのでわかっているんです。でも、ちょっと時間がなくって。本当にすみません。」

 料金プランについては、金額によってコンタクトを取れる制限人数が違うため、一番高い、会える人数の一番多いプランにした。

 その代わり、来月分を払う気はない。今月中に決めるつもりだった。


 入会手付きを済ませると、ルカから催促してその場でIDとPWを出してもらった。家に帰ると早速に自分のパソコンにIDPWを打ち込む。

 最初に自分の望む条件を入力した。但し、この段階ではあまり細かい条件は入れられない。「検索」を押すと、コンピューターがルカの出した条件に合いそうな相手を選び出してくれた。なんと、該当候補者が千の単位ではじき出された…。

 仕方がないので、可能な範囲でもう少し要件を絞り込んでみた。やっと該当者が100人ほどになってくれたので、ここから相手のページを個々に見ていくことにした。顔写真、全身写真だけでなく、趣味や性格などの自己申告している内容も載っている。ルカにとって相手の外見はどうでもよかったので、まだ写真はほとんど見なくてよかった。一緒に出掛けることなど、ほとんどないと思っている。但し、ここにも詳しいことはまだ書かれておらず、それ以上は相談所経由で先方に合意を取ってから、となる。数十人に対して「詳細プロフィール閲覧希望」ボタンを押した。

 翌日、深夜にパソコンを開くと、ルカが申請した「詳細プロフィール閲覧希望」の全員から既に「許可」が返ってきていた。そこには正式な卒業大学名や就職先の企業名、具体的な年収、家族構成などが載っていた。それらの情報を元に、何とか18人に絞り込むことができた。

 ここまでの作業は通販で品物を探すのとほぼ同じ、ルカにとっては手慣れた作業だった。普段、忙しくて買い物にほとんど行けないルカは大抵のものを通販で済ますため、マンションの宅配ボックスにはほぼ毎日のようにルカ宛の荷物が届いていた。その行為が母親とそっくりであることを、ルカ自身は意識していない。

 この18人全員にメールを送った。勿論、相談所経由のメールであり、相談所のアドバイザーも閲覧可能だ。個人アドレスなどのやりとりは許されていない。アドバイザーからは後から注意されたが、ルカはこのメールの冒頭に

 「私が希望するのは契約結婚です。」

 と書いている。

 驚くことに、18人全員から「それでもよい」という返信が、ルカがメール送信したほぼ翌日に送られてきた。

 -契約結婚でいい、という男の人、そんなにいるの?それだけ、アンケートの検索条件が優秀ってこと??

 ここに来るまでに、「子どもは望まない」「恋愛感情は不要」「一人の時間を大切にしたい」などを条件にしている人を選んではいる。

 最高値の料金プランであっても、1か月に直接会ってよい人数は10人までと決められている。先方から断ってくる様子がまるでないため、数回のメールやり取りだけで、ルカは18人を10人にまで絞った。



2

 条件

・私をそちらの戸籍に入れてくれること

・ペアローンで都内にマンションを購入すること(私の負担30~40%が理想です。)

 戸建てはNG

・どちらが死亡した場合、財産相続は要相談(私はマンション以外の財産は望みません。)

・どちらかが要介護者になった場合、施設に入れることを前提とする。基本、互いの介護は不要とする(応相談)

・生命保険については自己責任で。保険金の受取人は配偶者でなくてよい

・互いの専用ルームを持ち、専用ルームには鍵をつけること。シェアハウスの感覚が望ましい

・食事は自己責任で(私は料理ができません。)

・食事以外の家事全般は分担で。プライベートスペースに関しては自己責任で

・光熱費の分担は要相談

・子どもは作らない(そういう行為自体ができません。)

・上記が守られなかった場合のペナルティについては応相談

上記を承認いただけるならば、上記以外のことは基本的に善処します。

 

 土日も仕事が入ることが多いルカは、空き時間を利用して1人1時間ずつ、1週間で10人全員と会った。全員に同じ契約条件を提案、プレゼンしている。

 契約婚については急に思いついたわけではなく、3年前、都内への異動時に住宅ローンを断られた頃から考えていたことだ。個人でローンが組めないならば、保証人を自分で作るしかないと行き着いていた。

 その際、契約条件についても自分なりに調べながら、ある程度までは作り上げてもいた。俊介と会うようになって中断していたその作業を、今になって再開しただけの話だ。

 ペアローンとは、共働きの夫婦がローン上限額を上げるために組むことが多く、双方が互いの保証人となり、負担割合を夫婦で決めることができる。どちらかが死亡や要介護となる場合、該当者の残金支払いは免除となる。残った方のローンだけをそのまま継続、ということである。また、夫婦のどちらかが死亡した場合の財産は普通、配偶者がこれを相続することになるが、それは遺言状などの手続きを踏めば変更は可能だ。ちなみに、ルカが戸建てNGとしている理由は、庭の手入れなどで虫が出ると無理だからである。マンション、できれば虫の少ない高層階がありがたい。


 10人と会ってみて、男性社会と言われていても、男性は男性でいろいろ大変だということがわかった。

 「私の年齢で結婚してないと、周りからは白い目で見られるようになります。」

 「親戚からは、僕はまるで社会不適格者のように思われているみたいです。」

 「うちの会社、未婚の人間は出世できないのです。」

 という言葉を聞いた。

 未婚の理由を聞いたところ、数人が上げたのは「女性を愛せない」というものだった。その後に「形だけでも結婚したい」、「親を安心させたい」という思いが続いて語られた。中には、既に同居している男性のパートナーがいるので3人で一緒に暮らせないか、という人もいたが、これは却下した。


 誰にも相談できない状況で、10人の中からルカが選んだのは、18人に絞った際の通し番号で14番だった。14番と駅近くのコーヒーショップで会ったのは、10人中9人目だったはずだ。

 10分前にルカが待ち合わせ場所に行き、事前の約束通りに店員に名前を告げて待とうとした。

 「福永と言います。待ち合わせをするので、後から来る…」

 「福永様ですね。お相手の方は既にお見えですよ。」

 店員が教えてくれたテーブルに向かうと相手が立ち上がった。かっちりとスーツを着こなしている。

 「初めまして。私が…」

 ルカは14番の顔と名前とを初めて認識した。

 背が低い、というよりも全体的にルカより一回り小さい。年齢はルカの1つ上、35歳のはずだが、40歳と言われれればそうだし、30歳と言われてもそう見える年齢不詳な顔つきをしている。なんとなく、爬虫類を想像させる顔つきだ。

 ルカはそれまでの8人にもしたように、自分の希望条件をより詳細に説明した。そのやりとりの中で、少なくとも頭の回転は速いと感じることができた。会話に無駄がない。

 「潔癖症です。掃除はまめにやります。」

 「お店で売っているもの、出てくるもの、母親が作るもの以外、人が作るものは食べる気がしません。」

 「人との接触が苦手です。相手が好きな人であっても触れることはできません。性行為は到底無理です。」

 「子どもは望みません。既に兄夫婦に子どもがいますので、両親が私に後継ぎとしての孫を望むことはないはずです。」

 「出世のためには結婚が必要だと考えます。」

 「家族、親族もうるさいので、形式上の婚姻を望んでいます。」

 「別に別居婚でも問題ありませんが、一緒に住むためのマンションを購入するなら、駅近であることは譲れない条件になり、今の自分の収入だけでは難しいため、ペアローンはこちらとしても妥当な条件です。」

 話しやすいとは思ったが、一つ分かったことは黒目が小さいということ。笑顔を浮かべているようで、その奥の黒目は笑っていない。年齢不詳なのも、爬虫類を思い出させるのも、そのせいかもしれない。

 その後、10人目とも会って、総合的に判断した結果、14番に決めた。顔つき、目つき含め、外見は大きな問題ではなかった。しょせんルームメイトだ。険悪になるのは困るが、互いに深く干渉する関係になるつもりはない。


 「結婚が決まりました」と相談所に報告したのは、最初の訪問、入会した日から約3週間後だった。ルカは目標通り、一ヶ月以内にそれを決めてしまった。

 いくつかの書類手続きが必要であるとのことで、再び、ルカはオフィスを訪問した。

 「おめでとうございます。」

 出てくる社員の顔が誰も彼もひきつっているように見えたのは気のせいだろうか。

 「ご成婚された皆様にささやかではありますが、お祝いの品をご用意させていただきます。」

 と慇懃に言ってくるのを断るのにかなり苦労した。


 その数日後、14番から送られてきた婚姻届けにサインをして、一人で区役所に届けに行った。14番は水戸(みと)という姓だった。ルカは戸籍上、水戸瑠伽になった。



3

 2019年12月21日、土曜日。

 ほぼ朝一の新幹線でルカは大阪に向かった。この日にしかお互いの都合がつかなくてよかった、とルカは思っている。明日には東京に戻らないといけないので、24日のクリスマスイブは一人で過ごす。今日が24日だったら、とても話はできそうにない。

 俊介とは9月に会ったのを最後に、あれからずっと会えていない。9月中に引っ越しの荷物出しまで終わらせたこともあって、俊介は10月に東京へ帰ってこなかった。新大阪駅に近い2Kを借りたことは聞いている。頻繁にメールでやりとりはしていたし、週末の夜には電話もしていたが、どっちも途中でルカが寝落ちして終了となるのが常だった。それくらい、ルカは毎日くたくたになっていた。

 昨日のうちに俊介には

 「大事な話があるから。」

 とだけは伝えている。


 お昼前に新大阪駅に着くと、改札口の向こうに俊介が立って待ってくれているのが見えた。3ヶ月も経っていないのに懐かしくて、それだけで涙が出た。

 新大阪駅の東口は随分と人通りも少なく、昼間でも寂しい感じがした。俊介の後ろについて東口の階段を下りると外に出た。風が冷たい。ほぼ階段のすぐ横に俊介は自転車を停めていた。東京ではどんな小さな駅でも考えられない。この辺り、歩いていける範囲にスーパーがなく、こっちに来てすぐに中古を買ったのだそうだ。ルカのカバンをカゴに入れて、二人乗りをする。ルカは久しぶりに俊介に抱き着いた。やっぱり涙が出た。

 自転車で5分くらい行ったところに俊介の住むマンションがあった。新築の最上階の1DK、それでも東京時代の2Kの木造コーポより家賃は2万ほど安いという。部屋に入って、思いっきり抱き着いた。ここでは嬉しさが勝ったので、泣かずにすんだ。

 事前に俊介からは、大阪で食べに行きたいお店があるか聞かれていたが、ルカは、俊介の手料理を食べたいと返している。だからなのか、部屋に入ると、既におにぎりとお味噌汁とを用意してくれていた。海苔を巻いてるおにぎりが梅干しで、巻いてないのはツナ。俊介が覚えているのかどうかはわからないが、ルカは覚えていた。初めてのデートで作ってくれたおにぎりと一緒だ。お味噌汁は豆腐とワカメ、俊介の一番のお勧めの具だった。

 食べながら、ルカは号泣してしまった。俊介は何も言わず、ルカの背中をずっとさすってくれた。

 その後、夕飯の買い出しをしに二人で外に出た。ルカが自転車を漕ぎ、俊介はその横を走る。途中、淀川沿いを通った。急に俊介が全力で走りだしたので、ルカは必至にペダルを漕いで追いかけた。俊介が声を出しながら走る姿がやたらおかしくて、いつの間にか笑っていた。

 食事を作る間、ルカはずっと俊介の横を離れずにいた。いつものようにお手伝いができないのは不甲斐なかったけど、一秒でも長く近くにいたかった。早めの夕飯を済ませると、ルカがお茶を入れた。これだけは自分でやりたくて、とっておきの日本茶を持ってきていた。

 そして、ルカは話し始めた。

 「私、頭はよくないけど、俊くんとこれからもずっと会える方法を必死に考えたの。うまく話せないかもしれないし、信じたくない話かもしれないけど、聞いてね。」

 俊介に話していなかった中学以前ことを話した。

 物心ついたころから虐待を受けていたこと、家の中では自由に歩くことが許されていなかったこと、満足に食事もさせてもらえなかったこと、学校ではいじめられていたこと、誰も助けてくれなかったこと、今はそんな親の面倒を見ないといけない状況になっているということ、そして、母親がいなくなったあの年のことも話した。



 小6の夏、急にいなくなった春香はそれきり帰ってこなかった。ルカはいつ帰ってくるかわからない春香の姿におびえながらも、冷蔵庫やリビングに残されていたカップ麺やお菓子、アイスに手をつけることで生きながらえていた。二学期になり、学校の給食が食べられるようになったことで、いくらかそのペースが緩やかになったとはいえ、家の食べ物は確実に減っていった。残っていたネコのエサにも手をつけるようになった頃、雄二が夜に時々、平屋にやってくるようになった。いつも必ず酔った状態だった。

 「瑠伽ぁ、瑠伽ぁ」

 ルカの名前を大声で呼びながら入ってくる。

 「お前、ママをどこにやった?ママを出せ!」

 ルカを見つけると、顔を鷲掴みにしたり、タバコを押し付けようとするので、

 「まだ帰ってきてません。」

 できるだけ父親の機嫌を損ねないよう、笑顔で応えるようにしていた。

 春香がいなくなって、雄二は平屋のどこででもタバコを吸うようになっている。血走った眼を近づけられるのも、酒臭さの混じったタバコの煙を吹きかけられるのも怖かった。

 それでも、いつの間にか、ルカは雄二の帰りを待ちわびるようになっていた。ときおり、いくらかの弁当や総菜、菓子を持って入ってくることがあったからだった。

 「俺はお前の父親だからな。俺が面倒、見てやる。」

 そういう時は、気持ち悪いくらい優しい声で話しかけてくる。

 「だからお前も、俺の言うことをちゃんと聞けよ。」

 「うわー、おいしそう。ありがとう。」

 やはり、ルカは笑顔で応えていた。


 その年の12月24日、小学校が冬休みに入って給食が食べられなくなり、家のカップ麺は既になく、スナック菓子やネコのエサでさえ底をつきそうで、ルカはどうしたらいいか、心底途方に暮れていた。数日、姿を見せていない父親が今日は何か持って帰るのではないか、クリスマスを家で祝ったことなどないのに、何かご馳走を買ってくるかも、とまで期待してしまい、結局、そのまま寝てしまった。

 気がつくと、部屋は真っ暗だった。明かりを点けたままにしていたはずなのに。動こうとしても横向きに寝た状態のまま、起き上がれないことに気づく。後ろから羽交い絞めにされていた。

 耳元で荒い息遣いが聞こえる。何かぶつぶつ言っていた。

 「ケーキ、買ってきたぞ。いい子だな。」

 「静かにしろよ。」

 酒臭い。怖くて声も出せなかった。

 「俺はお前の父親だからな。お前が可愛くて仕方ないんだ。」

 「誰にも言うなよ。言ったらどうなるかわかってるな。」

 後ろから服を押し上げられ、胸を直接揉まれた。

 「お前のせいだ。お前が悪い。」

 「ママの代わりをお前がやるんだ。」

 耳から首にかけて気持ち悪いものがべちゃべちゃと這っている。それが胸にまで動いて、父親の頭が見えた時、ルカは完全に動けなくなり、声も発せなくなった。

 父親の頭がルカの下半身、股間にまで動き、ルカの下着がはぎ取られた。

 ここでルカは体の感覚を失った。意識は上空へ抜け出し、自分を遥か上から見下ろしているような感じになり、これは夢なんだと思った。

 翌朝になっても、自分に何が起きたのかよくわからなった。いつものように一人ぼっちで目を覚ますと、下半身に何も身に着けていないことに気づいた。

 起き上がるとテーブルの上に箱が置いてある。中はぐずぐずに崩れたクリスマス・ケーキだった。

 ルカは貪るようにケーキを食べた。



 「私ね、家からも父親からも逃げられないの。逃げてきたつもりだったけど、ずっと勘違いしてたみたい。これはもう呪いだね。私、前世でよっぽど悪いこと、したのかな。」

 ルカは淡々と昔のことを話した。途中から横で俊介がずっと泣いている。

 「泣かないで。」

 ルカは俊介の頭を撫でた。いつも俊介がそうしてくれるように。

 「だからね、私は呪われているの。この呪いに、俊くんや俊くんのママや妹さんを巻き込むわけにはいかないの。ずっと考えてたんだよ、俊くんを巻き込まずに、でも、俊くんとずっと一緒にいられる方法…。だから…」

 俊介が少しだけ顔を上げようとしている。

 「俊くんとは結婚しない。」

 俊介が動きを止めた。

 「好きって言ってくれて嬉しかった。結婚しようって言ってくれて嬉しかった。指輪も嬉しかった。この指輪は一生外さない。」

 ルカは自分の左手を俊介に見せた。

 「ごめんね。結婚はできないよ。」

 その手で俊介の手を握る。

 「でも、俊君とはずっと一緒にいたい。それが呪いには負けないってこと。私、生きるって決めたの。」

 やっと俊介が顔をルカの方に見せてくれた。

 「ううん、生きるって決めたのはだいぶ前だけど、ただ生きるだけじゃなくって、自分のやりたいように生きる。それが、俊くんとこれからもずっと会うってこと。」

 不思議そうにルカを見る。

 「もし、俊くんに好きな人ができて、私とはもう会えないって思ったらそう言って。その時が来たら、私、それでいいから。でも、それまでは私と今までと同じように会ってほしい。そのための道を選んだの。考えたの。」

 ルカはこの10月からのことを全部、自分の気持ちを全部、話した。既に入籍したこと、マンションも購入して、来週末にはそこに引っ越すということも。

 「私なんかのために泣いてくれて、ありがとね。」

 全部話してルカはこらえきれなくなり、泣いてしまった。俊介はずっと泣き続けている。本当は今日、俊介に抱いてもらう覚悟をしてここにやって来たのに、言い出すこともできず、二人で一晩中泣き続けた。



4

 年末、12月27日まで仕事をしたルカは、28日に購入したマンションに引っ越した。

 14番、水戸氏とは面接のような対面以来、メールと電話でしかやりとりしていない。マンション購入のための打ち合わせはメールで行い、水戸氏が下見してきた物件を別日にルカも見に行って、互いの感想をやりとりすることで決めた。ペアローンの手続きはすべて郵送で行っている。新居への引っ越し日が、水戸氏との2回目の対面となった。

 少ない荷物とはいえ、荷ほどきもままならないまま、その日の夜から、水戸家の千葉県にある実家に呼び出されている。盆正月は親戚中が集まるのが習わしで、それに従うというのが、向こうが出してきた契約内容の一つだった。

 当人ら以外は契約婚のことを知らないので、親族中から「式はしないのか」「子供はすぐにでも生んだ方がいい」「二人の成り初めを話せ」などと何度も絡まれ、ルカは随分と困惑した。契約通り、親族の前ではルカは妻役を演じるつもりだが、肝心の水戸氏は夫役として助け舟をよこすでもなく、ただ黙っているだけだ。中には「誓いの口づけをここで」と言い出す親族まで出てきて、中学生かと返したくなった。途中から「これは水戸学校の教師の慰安旅行につきあっているだけだ。これも仕事だ。」と割り切るように努めた。

 解放されたのは年の明けた5日の日曜日で、片付いていないマンションに帰ってきたのはその日の夕方だった。明日には仕事が始まる。

 転居届も転送願もきちんと出してきたこともあり、郵便ポストや宅配ボックスには早くも年賀状をはじめとした郵便物や宅配荷物が大量に溜まっていた。その中に差出人の書いていない手紙が混じっていた。宛名の字を見るだけで、ルカにはすぐに分かった。年末から連絡がつかなくなっている俊介からだ。メモくらいは見たことあっても、俊介に手紙をもらったのは初めてだった。

 早々にルカは自分の部屋に入り、鍵をかけた。部屋の中、荷ほどきは全くと言っていいほど進んでいなかったので、前の家から持ってきた一輪挿しは窓側の床に直に置いていた。一緒に持ってきた、まだ蕾の梅を一輪活けていたのに、一輪挿しごと倒れて、梅がすっかり枯れているのが目に入った。そのままに、ルカは手紙を開く。


ルカさん

この間はいろいろ話してくれてありがとう。話すのもつらかったね。

あれからの数日間、ずっと眠れません。月曜から仕事をしている間だけは冷静になれましたが、夜になると、この夜が明けずにずっと続くのではないかという感覚に襲われ、朝が来たことに救われるような毎日が続いています。苦しいです。あなたが10月から、以前にもまして仕事に没頭していたのは、これと同じような状態だったからでしょうか?数日だけでこんなに苦しいなら、これまで、あなたはいったいどんなに苦しい思いをしてきたのでしょう。ぜんぜんわかってなかったです。ごめんなさい。

ずっと後悔しています。なんでもっと早くに、積極的に話を聞こうとしなかったんだろう、と。ずっと怒っています。なんで何もしてあげられないのだろう、と。ずっと泣いています。なんであなたはあなた自身が泣くような選択をしたんだろう、と。

あなたを縛り付けているもの、家、家族、これはあなたが言う通り、呪いだと思います。泣くような選択をするしかなかったほどの呪いです。それなのに、私に微笑みかけてくれるあなたが、たまらく愛しく、そして哀しい。

あなたの食生活や体質が、普通の人と違う理由がやっとわかった気がします。就職することで、やっと家から逃げ出せたあなたは、昔のことを「へいき」と言いましたが、その間、耐えに耐えた精神は体に異常をきたすことでSOSを発していたのではないでしょうか。その後、自分の力で10年ほどかけて、精神も体もやっと普通に戻りつつあったのだと思っています。

これからも、あなたは「へいき」と言うのでしょう。だけど、またしても耐える生活に自ら飛び込むのはなぜなのでしょうか。しかも、この先ずっと…。

今後は会えるとしても、大阪で会うくらいで、私が東京に行っても、あなたの家では会えないということですね。あなたが入れてくれるお茶が、いや、お茶を入れてくれるあなたが大好きでした。

相手の方がどんな方なのかは知りません。知りたくもありません。いい方であれと祈るだけです。その点についても、やはり「へいき」と言われるのでしょうが、一つ屋根の下で、あまり知らない男性とこれからずっと暮らすのですよね。極端に聞こえるかもしれませんがDV、物理的なものではなくても、精神的なものも含めて、心配です。あなたは怖くなると固まってしまいますよね。抵抗できなくなりますよね。何らかの不具合が生じた際に、やはりあなたは耐えることを選んでしまうと思っています。あなたに何かあっているかと思うだけで、私の心が壊れてしまいそうです。

「耐える」、これはあなたの意志ではなく、あなたの体に染みついたものです。はたして、呪いです。

いくらあなたが「へいき」と言っても、心が、体がとても耐えられなくなることが心配です。しかも、優柔不断なくせに変に強情なあなたは、既にこの先の一生ずっと「耐える」ことを決めています。もう耐えることから逃げてほしい。

なんであなたがこんな理不尽な目に合わないといけないのでしょうか。そこから逃げるため、というのはわかります。でも、逃げられていません。結局、あり得ないような道を選んでいます。何もできない自分に腹が立って、心が擦り切れそうです。この苦しみも、あなたの呪いも、断ち切る術を私は持ち得ません。無力な自分が嫌になりました。そして、あなたと違って、この辛さに「耐える」ことはできそうにありません。せめてもの抗いとして、あなたの呪い、持っていくつもりです。

初詣ででも、金刀比羅さんでも、あなたとの結婚をお願いしてました。叶わなかったぁ。

どうか、どうか、幸せになってください。 俊介


 ルカがベッドに泣き崩れていたところ、急にドアが開いた。

 「あのさ、ずっと君を見ていて、僕は自分が間違っていたことに気づいたよ。」

 鍵をかけたはずのドアが大きく開かれ、14番が入って来た。

 「僕は他人には触れたくないと思っていたんだけど、君はもう他人じゃないんだよね。君とならうまくやれそうな気がしてきた。これからの時間も長いわけだし、お互い、いろいろ仲良くしようよ。」

 酒の臭いがした。顔は無表情なのに、奥の黒目だけがヘラヘラ笑っていた。

 

 

 2020年1月、月曜日、仕事始め。

 全社一斉のオンライン朝礼が開かれた。各自、自分の席に座って、パソコンの画面に流れる社長はじめ数人の役員の新年の挨拶を聞かされる。

 「皆さんの昨年の努力が、新年となった今、年度末までの数か月で花開き、実を結ぶことが既に見えております。そして迎える新年度、会社は新しい改革に着手します。キャリアのある社員の皆さんは当然のこと、若い皆さんや女性の皆さんがより活躍できる場を…」

 大体の話の内容は毎年同じものだ。

 全社朝礼が終了すると、いつも通りのチーム朝礼が始まる。そのまま自席に座って、パソコン画面を見ながら、年末の報告を一人ずつ共有していった。まるで休みなどなかったかのように皆、淡々と報告をこなす。

 途中、人事から緊急の一斉通知が届いたので、ルカは反射的にメールを開いた。


 死亡急報を送付いたします。内容確認をお願いいたします。

 対象社員名:関俊介さん(大阪支局)

 故人続柄:本人


 メンバー全員の報告が終わった。司会担当者がルカの方に顔を向ける。

 「年末の報告は以上となります。それでは、リーダーに新年最初の挨拶をお願いします。福永さん、今年もニコニコですね。」

 ルカは笑っていた。

 -現実は残酷だ。そして決して変わらない。



終章

 GWの上野動物園、ついこの間まで満開に咲き誇っていた桜の花が、もう探さないと見つけられないほどしか残っていない。代わりに青葉がまぶしいほどに勢いを増している。

 「卵焼き、ちょっと失敗した。ごめんよ。甘い卵焼きでよかった?」

 俊介が手で卵焼きをつまみながらこっちに向いた。

 「ナゲットは冷凍もんだから。」

 お箸も持ってきているとのことだったが、全部手でつまめるものだというので、二人とも手でぱくついている。

 「おにぎり、海苔巻いてるやつが梅干しで、巻いてないのはツナ。海苔はパリパリが好きなら別に持ってきてるから、巻いて食べて。」

 「きれいな三角おにぎり!自分でにぎったんですか?」

 「にぎる以外におにぎりをどうやって作るのか教えてほしいわ。」

 「買う以外におにぎりの入手方法を知らないものですから。」

 「いったいどんな食生活を送ってきたん?」

 ルカは両手に一つずつ持って、交互に食べた。

 「やばい。」

 「ご主人様のために『美味しくなーれ』ってにぎってますので、美味しいと思います。」

 「なにそれ?」

 「メイド喫茶、知らんか?」

 「知りません。」

 「知らんことがいっぱいやん。」

 「すみません。」

 「謝るとこでない。なんでも新鮮でいいな、って言っている。」

 「新鮮?」

 「そう。前途洋々とも言う。」

 「前途洋々かぁ。いいですね。」

 「いいでしょ。」

 「ありがとう。」

 本当にありがとう。


 完



この作品はフィクションであり、登場する団体名、個人名は全て架空のものです。

なお、執筆に当たり、以下の書籍を参照させていただきました。

社会的養護:春見静子、谷口純世、加藤洋子、光生館 2011年9月20日初版

ネグレクト:杉山春、小学館 2004年11月20日初版

虐待死 なぜ起きるのか、どう防ぐか:川二三彦、岩波書店 2019年7月19日初版

鬼畜の家 わが子を殺す親たち:石井光太、新潮社 2016年8月20日初版

性なる家族:信田さよ子、春秋社 2019年5月30日初版

ジソウのお仕事:青山さくら、川松亮、フェミックス 2020年1月10日初版


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それでもあなたは自分が私の父親だと言う 馬永 @baei

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