第6話 この子を守りたい
「や め て!!」
その時、少女は思い出した。
立派な母は、悪気はないがいつも厳しかった。
萎縮する少女に対して、周囲の目もまた、厳しかった。
『公女なのに。人並みの受け答えすらできないとは。将来、大公にもなろうという方が』
『全く、気が弱すぎる。繊細と言えば、聞こえはいいが、これでは』
『これくらいで。全く恥ずかしい、残念だーー』
少女の前で、堂々と交わされる会話。
自分は期待に応えられていない。
そう思った少女は、反論することなく、ただ視線を下に落とし続けたのだった。
* * *
そしてその『事件』は起こった。
少女には将来継ぐ、大公の地位に相応しい婚約者が選ばれていた。
公爵家の美しい次男、アルマンドである。
彼はうつむきがちで自信がなく、堂々と振る舞えない少女を本当に嫌っていた。
そんな彼が婚約を受け入れていた理由は、ただ1つ、将来、少女が大公の地位に就くからだった。
愛もないから愛人を作り、少女が大公になった時には心理的にいじめ抜き、離宮に静養という名目で幽閉し、自分が権力を握ろう、アルマンドはそう考えていた。
そんな時、大公である母の主催で夜会が開かれる。
少女は夜会で、婚約者であるはずのアルマンドが愛人の令嬢ビアンカを連れて堂々と出席している姿を見てしまったのだ。
元々見目良い姿のアルマンドに寄り添って立つビアンカは、ふわりとしたストロベリーブロンドの髪が可愛らしい令嬢である。
色白で、青い目は大きく、バラ色の唇は小さい。
まるでお人形のようで、アルマンドと2人並ぶ姿には華があった。
しかし少女のメイド達は、公式の夜会ということで、一生懸命彼女を美しく装ってくれていたのだ。
上質な素材で作られた、青いドレス。
控えめな光沢を放つドレスには、美しい金色の目をしているアルマンドに合わせて、金色の飾りが施されている。
いくら内気で人見知りの少女でも、けして見苦しくはないはずだ。
なのに。
少女はアルマンドを悲しげに見つめた。
そこまで軽んじられていたのか。
そこまでしても、自分が怒らないと思われていたのか。
『これでは、わたくしは公女ではなく、ただの道端の『雑草』のようではないか』
少女がゆっくりと会場内を進み、アルマンドの前に立つと、周囲は静まり返った。
それでも、アルマンドは少女をバカにするように頭を掲げて、張り付いた微笑みを浮かべている。
少女は小刻みに揺れる両足でしっかりと床を踏み締め、震える指先はぎゅっと拳を握ってこらえた。
精一杯の力を込めて、婚約者に言い渡す。
「アルマンド様。わたくしはこの扱いを認めないわ。この婚約はこれ以上続けることはできません。追って正式な文書を公爵家に届けましょう」
しかし、少女の精一杯の言葉にも、アルマンドは片方の眉を上げただけだった。
「なんだと? あなたのような、どこにも秀でたところもない、気も弱い、うつむいてばかりの公女と誰が結婚すると? 私を逃したら、あなたは一生誰とも結婚できないだろう。それにあなたから婚約破棄をするなら、公爵家は相応の慰謝料を求める!」
アルマンドの傲慢な言葉に、少女だけでなく、会場内の人々も息を呑み、ざわめき始めたのが感じられた。
少女は息を吸うと、一息に言葉を続けた。
「ビアンカ嬢との個人的な関係はそちらの不誠実さの証拠となります。大公家が黙っているとは思わないで」
震えながらも言い切った少女。しかし、彼女の気力もここまでが限界だった。
心臓の鼓動は早すぎて、もはや少女の手に負えなかった。
周囲の視界が一気に暗くなる。
『……様!』
『……!!』
薄れゆく意識の中で、慌てたように駆けつけてくる人々が見える。
ドレスの裾を持ち上げながら、恐ろしいくらいの勢いで走ってくるのは、母上。
そして、そんな大公を軽々とかわし、1人の騎士が駆けてくる。
それは、「どんなことがあっても、あなたをお守りします」
そう言って、少女に微笑んだ騎士だった。
* * *
みゃーん、という子猫の声に、少女の意識は戻った。
少女はこの世界が偽りの世界であることに気づいた。
自分を虐げる人々の前で、ずっと言いなりになっているのは、ある意味楽だった。
主張をする必要のない『雑草』でいるのは、楽だった。
この世界を作ったのは、わたし。
でも、もうわたしは下を向かない。
ビアンカは、容赦無く子猫の首を引っ張っていた。
子猫が泣くような悲鳴を上げる。
「……こんなことは許せない」
少女は震える右手を上げた。
「わたしは、認めない」
少女の右手が、ビアンカの手首を掴んだ。
「だめと言えないなら、認めているのと、同じだわ。だから、今度こそ言う」
少女はぎゅっと唇を噛み締めると、力いっぱい、ビアンカの手を振り払った。
「やめなさい、ビアンカ!!!」
少女の言葉と行動に、ビアンカも激怒した。
「『雑草』のくせに、何を言っているの? あんたの言葉など、誰が聞くと思っているの? 自分が変われると思っているの? いつもいつも、黙って、下を向いているだけなのに」
「雑草でも構わない。たとえ人に踏みつけられる『雑草』だって、わたしは自分をもっと好きになるわ。『雑草』だって、精一杯生きているんだから! この子猫だって同じなのよ!!」
少女が頭を激しく振ると、真っ白な、色味のない髪が宙に巻き上がった。
そして、現れた空色の目で、ビアンカとニニスを、正面から見据えた。
「この子を傷つけるのをやめなさい!」
パーン、とまるで鏡かガラスが割れたような音が周囲に響いた。
その瞬間、ぜいたくな屋敷も、ニニスも、ビアンカも、煙のように消えていった。
眩しいくらいの光が溢れ、少女はもはや目を開けることもできない。
それでも少女はしっかりと子猫を抱えて体を丸め、まるで嵐のような強風から、腕の中の小さな生き物を守ろうとした。
誰かが、少女に語りかけていた。
『そなたは変われる。さあ、言ってごらん。そなたは、誰だ? そなたの名前は?』
少女は答える。
わたしは、『
いいえ、違う、わたしは、わたくしはーー。
「わたくしはベルローズ。『美しい
その瞬間、一際強い風が吹き、ベルローズの体を吹き飛ばした。
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