美しき薔薇姫は騎士の前に微笑み立つ 〜わたくしはもう、あなた方の言いなりにはなりません〜

櫻井金貨

第1話 わたしは『雑草』

 わたしの名前は、『雑草ざっそう』。

 平気で踏みつけて構わない存在。

 それが、わたしなのだ。


 * * *


 『雑草』の1日は、夜明け前に始まる。


 屋根裏部屋で目覚めた少女は、古くて傾いたベッドから降りると、まるでボロ雑巾ぞうきんのような服を頭から被った。


 茶色で、薄汚れていて、肩はぶかぶかなのに、袖丈そでたけ着丈きたけは短く、細い手足がにゅっと突き出ている。


 鏡がないので、曇った窓ガラスの前に立ち、目をこすり、必死で髪に指先を通して、整えようとする。


 汚れて、ところどころもつれた色味のない白い髪は、もっさりと背中に垂れている。

 前髪は長く、顔に被さっていて、目元は全く見えない。


「……よし」

 少女は自分を奮い立たせるように呟くと、急いで部屋を出て、階段を降りて行った。


「遅いじゃないの、『雑草』!」


 少女がドアを開けた途端、この屋敷の令嬢であるビアンカがヘアブラシを投げた。


「申し訳ございません、お嬢様」


 少女は床に落ちたヘアブラシを拾って、ドレッサーの上に戻す。

 ビアンカには彼女付きのメイドがいるのだが、なぜか『雑草』に細々としたことを命じるのを好んでいた。


「お茶を取り替えて」

「髪をブラシでかして」

「別のドレスを出して」


 ビアンカは、ふわりとした豊かなストロベリーブロンドが可愛らしい少女だった。

 色白の肌に、大きいな青い瞳。つん、とした小さなバラ色の唇をしている。


 そんなビアンカは表情も変えずに、次々とあれを出して、これを探して、と命令を出し、少女は「はい、お嬢様」と言って取り掛かる。


 しかし、大抵は、ビアンカの呆れ果てた、と言いたげな一言で終わるのだ。

「本当に、あんたは何をさせても不器用ね、『雑草』」


 ビアンカと『雑草』と呼ばれる少女は、歳の頃は同じくらいに見えた。

 しかし、共通点はそれだけだった。


「どれだけ時間をかけてるの。もういいわ。さっさと掃除そうじでもしに行きなさい」


 れたビアンカが手招きすると、メイドが手早くドレスのリボンを直した。

「朝食に行ってくるわ」

 ビアンカはそう言うと、にやりと笑って少女を見た。

「もちろんあんたは仕事が済むまで食事を取るのは許さないから。『雑草』」


 ビアンカの部屋を出た少女には、長い1日が待っていた。

 家政婦長に命じられたのは、屋敷の女主人である、ニニスの部屋の掃除だった。

 ニニスは少女の父の後妻であり、義母に当たるが、少女は『お義母様』と呼ぶのを許されていなかった。


 『奥様』と呼ぶように命じられている。

 ニニスの娘であるビアンカも義妹であるが、『お嬢様』と呼ばなければならない。

 それからの数時間、少女はただひたすらに言い続けた。


「はい、奥様」

「申し訳ございません、奥様」


 それだけが、彼女に許された言葉だった。


 ニニスの部屋には、高価で繊細せんさいな飾り物が多い。

 ニニスが監視する中、少しでも音を立てたり、不必要に部屋の装飾品に触れると、少女はニニスの持つ扇で体を叩かれたり、床に突き飛ばされたりした。

 

 ニニスの部屋が終わり、長い廊下の掃除に取りかかる。

 そんな長い午後は、頭の上から浴びせられたバケツの水で終わった。


「お疲れ様、『雑草』。その水がこぼれたところをちゃんといておきなさい。そうしたら今日の仕事は終わりにしていいわよ」


 少女が顔を上げると、そこには、ストロベリーブロンドを揺らすビアンカがメイドを従えて立っていた。

 ビアンカは愛らしく首を傾けると言った。


「あんたの食事、残っているといいわねえ……」



 * * *


 少女は、ギシギシ音を立てる急な階段を、ゆっくりと登っていた。

 右手には小さなコップを、左手にはパンを握っている。


 今日は、朝食も、昼食も食べていない。

 そんな少女にコックが与えてくれたのは、硬くなったパンと、ふちの欠けたコップに入れた薄いスープだけだった。


 少女は疲れて棒のようになった足を、必死で持ち上げて階段を上がる。

 裏階段を一番上まで上がり、ようやく屋根裏部屋のドアを開けた時には、ほっとした。


「服がれてしまったわ。着替えなきゃ……。でも、着替えがない。明日までに乾くといいけど」


 少女は服を脱いで、窓枠に掛ける。下着姿の上に、薄く汚れた毛布を被った。

 無言で固いパンを割り、口に含むと、コップの中身を飲み込んだ。

 食事にかかった時間は、ほんの数分。


「ともかく寝よう。寝れば……明日になれば、なんとかなる……明日はきっと……」


 少女の長い1日がようやく終わる。少女はベッドに倒れるように横になり、眠りに落ちた。

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