弓裔はセカイを救済する。
東夷の倭人
第一話 心生歓悦
私は弓裔。新羅国の北部、奈生にある小さなお家で、お母さんと二人で暮らしている。お父さんはいない。けど、そんなの今どき珍しくもない。眼帯の下にある左目は、赤ちゃんの頃にケガで見えなくなっちゃったらしい。その時のことをお母さんに聞くと、とても悲しそうな顔をして、何も言わなくなっちゃうから、私もそれ以上聞いてない。
家は貧乏だけど、今の暮らしには満足してる。どーせ周りのみんなも似たようなもんだし、お母さんは口うるさいけど、とってもやさしい。友達とはたまにケンカもしちゃうけど、いつも遅くまで一緒に遊んでいる。私が遅くまで外で遊び歩いたり、友達とケンカしちゃったりすると、お母さんは私のことをすごく叱りつけるけど、私はそんなのお構いなし。今日も友達と遊びに出かけているところ。そんなどこにでもいる普通の子供、それが私。
でも、私には秘密がある。私を育ててくれたお母さんとは、実は血がつながっていない。私の血のつながった父親は、この王国の王様で、母親も貴族のレディ。とある事情があって平民の乳母が私を預かって育てることになったの。それが今のお母さん。だって、私がそうだと思うから。そうだと思うから、そういう設定にしている。そういう設定だから、ホントにそうなの。
私の秘密はそれだけじゃない。実は、そんな王家の血を引く私の肉体も、現世に降り立つための『
そんな末法の世に新たな教えを示し導き、あまねく衆生を
私は文字を覚えて以来、いつも近くのお寺からこっそり紙をくすねて、この設定を5年にわたって少しずつ書き綴り、それは今や20巻に及んでいる。ここは製紙で有名な高句麗の旧地だから、高価な紙だけど量は豊富で、ちょっとくらいくすねたってバレやしない。もちろん、私の書いた設定は全部ホント。だって、私がそうだと思うから。
この私の設定を友達に話すと、なぜかいつもヒかれちゃう。それにはとっくになれっこだけど、それよりずっとムカつくのは、わかったような面をして、私にまとはずれな同情をしてくるやつら。今日も秘密の設定を友達に話してみたけど、またいつもみたいに言われちゃった。
「どんなにつらくても、私は味方だからね。」
なんにもわかってない!
私の設定は、私がそう思ったからそうなのに! 私がつらいからなんて勝手に決めつけないで! 私は私だから私なのに!! 私がお金持ちになろうと、私が王様になろうと、私は私のまま変わらない!! なんで友達なのにわかってくれないの!?
こんなとき、私の左目が疼く。眼帯の下にある左目を封印している『
気がつくと、私は友達に馬乗りになってぎりぎりとその首を絞めていた。ごめんなさい。こんなことしたくはなかった。でも、なんであなたは私の
友達は泣きながら帰っちゃったし、日もすっかり暮れていたから、そのまま私も家に帰ると、やっぱりお母さんに呼びつけられた。きっとケンカのことがバレちゃったんだ。
「今日という今日は、あなたにお話しておきたいと思います。」
でも、今日のお母さんは、いつもと少し違っていた。薄暗い中に見えるお母さんの顔はいつになく神妙で、唇は小さく震えている。
「実はあなたは、私の産んだ子ではありません。あなたは第四十七新羅王の憲安王と側室の間に生まれた子で、生まれてすぐに棄てられそうになっていたところを、乳母の私が助け出して育てたのです。」
えっ、本当にそうだったの?
……って、ホントに決まってるじゃん。だって、私がそう思ったんだから。なんで私が自分の設定を疑っちゃうんだろう。これはたぶん、
「あなたが生まれた時のことです。あなたの生まれた屋敷の屋根から白い光が天に向かってまっすぐに上って、生まれつき歯が生えていていたそうです。それが不吉だということで憲安王から殺されようとしていました。でも、王の命を受けてあなたを殺そうとしていた兵士は、きっと赤子を直接手にかけるのは忍びなかったんでしょうね。あなたの寝屋となっていた塔から投げ落とすことにしたようなのです。」
私の設定に乗っかった冗談? ううん、真面目なお母さんがそんな冗談を言うはずがないもの。それに私の思った設定よりもずっと詳しい。
「私は憲安王の側室、つまりあなたの母親に乳母として仕えていました。ちょうどあなたが投げ落とされた塔の下を歩いていたから、落ちてくるあなたを受け止めることができたのです。あなたの左目が見えないのも、その時に私の指が当たってしまったからなのです。」
ずっとうつむいて話を聞いていた私はこの時、思わず眼帯に手を当てた。私が母にせがんで黒地に入れてもらった赤の刺繡は、血と死の救済を意味する。
「あなたの正体が王室にばれてしまったら、私もあなたも殺されてしまうのです。それなのに、どうしてあなたは人の言うことを聞かずに、毎日外で変なことをしながら遊び歩いて、周囲といざこざを起こしてばかりいるのですか。どうか、これ以上おかしなことをしないでちょうだい。」
お母さんは喉から声を漏らして泣いていた。きっと、ずっと怖い思いをしながら私を育ててきたんだ。お母さんのことなんか全然考えずに、私は好き勝手に生きてきたのに。お母さんの話を聞いて、すっかり私の心は沈んでしまっていた。
でも、それ以上に、私はうれしかった。眼帯をなでているとじんわり心があったかくなる。この左目の傷痕が、血のつながらない私とお母さんを結ぶものだってわかったから。
「ごめんなさい、お母さん。」
私は、お母さんに申し訳ない気持ちと、うれしい気持ちでいっぱいになって、涙があふれてきた。
でも、私はそれを振り払わないといけない。
「私はお寺に入って、もう二度と帰ってきません。こうすれば、もう二度とそんなご心配をおかけさせずに済むでしょう?」
かつて『
そう、いつも妄想だと言われてきた私の設定が現実だったことは、母親の言葉によって証明された。やっぱり私は
お母さんは私を引き留めてくれたけど、私の決意は変わらない。だって、私には旧世界の終焉とともに衆生を新世界に導くという大いなる
さよなら、お母さん。私、
弓裔はセカイを救済する。 東夷の倭人 @toy_no_wjn
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