第50話 笑って黒焦げ
季節は巡り、初夏。
既に気の早い太陽が苛烈な直射日光を注いでいて、これから来る本格的な夏を予感させる。
そんな屋外を歩いて我が家までやってきた海斗くんは、なぜか汗一つかいていなかった。
「こんにち……は……」
玄関先で挨拶する、夏服姿の彼。
涼やかに見えるのは、彼がインドアなタイプだからか、それとも汗も引くような数値を今しがた目にしたからか。
「えっと……模試、どうだった?」
恐る恐る、尋ねる。
今日は、模試の結果が返ってくる日であった。
彼は、仏頂面のまま口を開いた。
「うん……」
あまり芳しくなさそうである。
私の脳内は、瞬間的にどうやって模試から話を逸らすかに集中し始めた。
近頃は、滑るやら落ちるやらのNGワードを言わないように神経を使う日々だ。
「冬……あんまり勉強できてなかったから……」
「それは仕方ないよ! 大丈夫、これから巻き返せる!」
「うん……でも、最近は、もし医学部落ちてもいいと思ってるから……」
「えっ……?」
意外な発言に目を丸くしてしまった。
海斗くんは無口だけれど、決して弱気な子ではない。
落ちてもいいなんて、彼らしくないセリフである。
「あ、その……ネガティブな意味じゃなくてね……」
私の反応に気づいたのか、彼は顔の前で遠慮がちに手を振って続けた。
「俺、医者よりも前に、由実さんみたいになりたいと思ったんだ。血が繋がってなくても子供を救おうとしてくれるような、そんな優しい人に……」
彼の口から由実さんときいたのは久しぶりだった。
玄関の奥から子どもたちの遊ぶ声が響く。
由実さんは、結婚先の子供を愛して、轢かれそうになった子供を庇って亡くなった。
どれほど優しく、どれほど尊い行為か。
「生みの母と、育ての母。俺には二人の母親がいて、それは、贅沢で幸せなことだなって今は思うんです……だから、二人に誇りに思ってもらえるなら、職業はなんでもいいなって。あっ、勿論、医学部を諦める言い訳にしてるんじゃないよ……模試でへこんでるのは事実だけど……」
彼の声は尻すぼみになっていく。
が、私は目を細めてしまった。
「立派な考えだと思うよ」
去年の冬よりまた少し大人になった彼の姿を眺める。
君は、ずっと先を見ているんだね。
私なんかが心配することなんてなかった。
きっと君は、いいお医者さんになる……
「そ……それより、これ見てください……」
重くなった空気を払拭するかのように、彼は唐突に切り出した。
背負った鞄を前に抱えて、中から小さなタッパーを取り出す。
彼の自作の料理だろう、と蓋が開く前に見当がつく。
近頃、海斗くんは自炊に挑み始めていた。
亡き二人の母を心配させないように、一人で生きていける力をつけるためだそうだ。
いきなりシステムキッチンで練習できるとは、羨ましい限りである。
教習車がスポーツカーみたいなものだ。
しかし、良い道具は良い使用者によって初めて活きるものであり……
「わぁ、今日は見事に黒焦げねぇ」
私はタッパーの中身に感嘆してしまった。
彼は恥ずかしそうに頬をかく。
「気づいたら……こうなってて……」
なにを作る気だったのかしら。
この赤い欠片は人参……いやパプリカ……?
そう推理を始めてしまうほど、なかは炭だらけだった。
しかし、これもお母さんの想いを継いで挑戦した結果。
喜ぶべき失敗だ。
「お母さんの料理が下手とか、言えなかったね……反省した……」
彼がわずかに苦笑いしてみせる。
「親の心子知らずってね。案外似てるのかもよ、不器用なところとか、思い立ったら動いちゃうところとか、あと……」
「……あと?」
「ううん、なんでも」
私は、一言だけ飲み込む。
あと、恥ずかしがりで、面と向かって気持ちを伝えられないところとか。
「ちなみに、これは元々なんの料理だったの?」
「あ……餃子……の予定だったもの……」
「餃子……」
赤い欠片の正体がさらにわからなくなった。
皮の存在も見当たらない。
答えをきいて、ますます謎が深まるとは……
(お姉ちゃんが作ったときは簡単そうだったのに……やっぱりすごいな……)
無邪気な声が心に響き、つい笑ってしまった。
まだしばらくの間は、私が作ってあげないといけないらしい。
不思議そうな顔をする彼を前に、私は促した。
「さ、ずっと玄関にいてもしょうがないから。入って」
「あ、うん。ただいま……」
そこまで言って、しまった、とばかりに、口を噤む海斗くん。
――ただいま。
いつもの、お邪魔しますではなく、ただいま。
私は、彼が由実さんと言い間違ったときを思い出す。
この部屋が、私の存在が、彼の帰ってくる場所になれているのなら……嬉しい。
私は、恥ずかしがる海斗くんに微笑んで告げた。
「おかえり。温かいご飯、できてるよ」
― END —
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激かわホームレスの田村さんを助けたら、なぜか俺に懐いてベタベタしてくる件 〜臭いのでまずはお風呂に入れます。ちょ、裸で出てこないで!〜
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無口で照れ屋なキミと、心が読めちゃうワタシの食卓 伊矢祖レナ @kemonama
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