【17000PV】アオの音🎺 〜ジャズビッグバンドと独りぼっちの少女〜

伊矢祖レナ

1ST CHORUS:高校編

第1話 退部届


 雷が落ちた。


 一瞬、そう錯覚した。


 雷鳴の如く轟いたのは、管楽器の咆哮。


 十三本の金属管によるロングトーン、ベースとドラムスからなる強烈なリズム、ピアノとギターの散らす煌びやかなコードが、大宮ソニックシティ大ホールを制圧する。


 満員の観客と審査員の視線をものともせず、過激なほどに白熱していく演奏。

 客席でその熱演をきいていた彼女は、未知の興奮に爆発寸前だった。


 大学生ビッグバンドの甲子園――ヤマノビッグバンドジャズコンテスト。


 その大舞台に立ち、会心の演奏をする憧れが、心に津波のように押し寄せる。


 この舞台でなら、後悔を晴らせるかもしれない……

 このバンドでなら、掴み損ねた青春を取り戻せるのかもしれない……


 圧倒する音の奔流に紛れるように、彼女の呟きがポツリと零れ落ちた。


「私も、ここに出たい……」



   ◇



 今、県立川西高等学校の吹奏楽顧問である佐伯里佳子の机の上には、封筒が一封置かれている。


 『退部届 金海いちか』と遠慮がちな文字で書かれたそれを一瞥してから、彼女は、前に立つ生徒を見上げた。


「金海さん、コンクールのメンバーだったよね?」

「はい」

「もう大会二週間前だけど、どうするの?」

「後輩が吹けるので、代わってもらいます」

「急に代わるったって、後輩の子が可哀想じゃん」

「でも、私がいると士気を下げるので……」


 夏休みの職員室は、ガランと広く、空気は澱んで動かない。

 冷房の効いた部屋に響くのは、校舎裏の雑木林から聞こえる蝉たちの合唱と、出勤している教師たちがキーボードを叩く音だけ。


 問題の原因たる金海いちかは、顧問の机の上に視線を泳がせたままでいた。


 里佳子は小さく息をつき、シャツの袖を捲ると、腕組みして背もたれに体を預ける。


「なに、誰かと喧嘩でもしたの?」

「いえ、そういうわけじゃないですけど」いちかはわずかに言い淀む。「……コンクールに乗り切れなくて」

「どういうこと?」

「なんか、なんでみんなコンクールに必死になってるかわからないっていうか。楽器って辛い思いして吹くものなんだっけ、みたいな」

「ふーん?」

「なんか、ついていけないなっていう……」


 いちかの声は尻すぼみに小さくなっていく。


「でも、金海さんは大会に出る以上、オーディションで落ちた他の子たちの想いも背負ってる訳だよ。それはわかるよね?」

「それも実は、よくわからなくて……」

「あら……」

「こんな奴一人でもいると、きっと勝てないから。私がいない方が部活の為になると思うんです……」


 小刻みに震えるいちかの指を見て、里佳子は困ったように眉を顰めた。


「先生楽器やったことないし、いまいちよくわかんないけどさ。他の子には話したの? やめたいって」

「いえ、まだです」いちかは首を横に振る。

「じゃあ先生より先にそっちでしょ。一旦これは返すから。少なくとも部長に話をつけてからまた来なさい」


 里佳子は退部届をいちかの方に押し返すと、いちかの表情は薄く曇った。


「部長、ですか……」

「なに?」

「いえ……わかりました」


 いちかは我が手に戻ってきた封筒にじっと目を落とすと、頭を下げて職員室を後にした。




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