第4話 「その天使、誘う。」

 硝煙と紙タバコの臭いが充満したこの部屋には、ロシアン・マフィアとの取引で用意された商品が3人とオレだけ。取引の時間まであと1時間ほどだが、丁度酒が切れちまった。


「オイ、ジョニー、いるかー?」


 一緒に留守番をしているジョニーはすっかり眠りに落ちて、隣の部屋か多分そこら辺の床で寝てる。

 オレはダン。南北アメリカの4分の1の首輪を引いてるマフィアのファミリーの1人だ。ロシアン・マフィアとは、売春、薬物売買なんかで最近関わりを持つようになった。だが最近になってから組織をデカくするために、マネーロンダリングで金を稼ぐため、商品という名の人間をチャイニーズマフィアに横流しするらしい。


「ダン、酒はあんのかぁ〜?」


 フラッフラで足元のおぼつかないジョニーが、虚ろな目のままでこの部屋の中まで歩いてきた。すぐ出入口の前で倒れ込んだが。


「買いに行きてぇなら、取引が終わってからだぞ。」


「なぁんでだよぉ、ダン〜、今日来るのはただのカポだろぉよ……」


 カポ(カポレージム)とは、マフィアのボスの下に着く小集団のリーダであり、稼いだ金や貢ぎ物をボスに献上する重要な役割を担っている。


「カポだろうが、オレらの組織も拡大するってボスが言ってた。シッポは振っといて損はねぇさ。」


 ダンはガラスの机の上に手を伸ばし、取引に備えて拳銃の整備を始めた。机の上には空の酒瓶やら、タバコやら、食べかけのピザなんかが散乱している。

 イビキをかいて眠りに落ちたジョニーを横目に、そろそろ幹部たちがここへ帰ってくる頃だと時計で確認した。取引の前に一服したくなったオレは外に出た。


「ふぅ、さみぃな。今夜は。」


 今夜は、といっても今は深夜3時、取引は5分程度で終わる。家に着いて眠る頃には朝日が昇る頃だ。

 玄関前の蛍光灯を頼りにタバコに火をつけた。しかし吸い始めた途端、火は消えてしまった。


「ハァイ、元気か、兄弟?」


 肝が冷えたが、咄嗟に机の上の拳銃を持ってきておいてよかった、と思った。どう考えても手ぶらの白いスーツの変な奴。白人にしてはタッパが足りねぇ。

 タバコから手を離し地面に落ちるまでの時間で、目の前に現れた人間に拳銃を向けた。


「ハハハ、撃ってもいいよ。無駄だろうし。」


何者ナニモンだよアンタ……ここはお前みたいな人間が来るところじゃねぇぞ、帰んな。」


 凍てつくような空気をまとうそいつの顔は、死神のように血の気がなかった。


「はァ……最近の人間は名乗らせてもくれないんだな。オレはブルー。天使だ。」


「アァ? ……はははっ、くっ、そうかよ、気をつけて帰れ。ヤク中に撃ち込むタマはねぇぜ。」


 顔に血の気がなかったのは薬物のせいだとわかったオレは、憐れみなのか撃つ気にもならなかった。放っておいてもコイツはもうすぐ死ぬ。弾の無駄だ、と拳銃を下ろした。


「なぁ、知っているか。死者を天上へといざなうのは死神ではないことを。」


「……まぁ、確かにどの絵を見ても、死者は天使に手を引かれて上に昇ってる、かもな。」


 どうせ取引までは時間もあることだし、一服のついでに頭のおかしいヤク中の話に付き合うことにした。

 吐き出した煙が空に昇っていくのを見送りながら、星一つない真っ黒な夜空を見上げた。


「ブルー、っていったか。お前がもし天使なら、俺の魂を天国に連れて行ってくれんのかよ。」


「まぁ、気が向いたら、な。」


「そりゃ、もうムリだな。オレは、殺しすぎた。遅すぎたな……。」


 ヤク中の方に目をやったが、奴はもうすでにそこから消えていた。現実だったのか、もしかしたらオレも酒を飲みすぎたのかもしれねえ、なんて頭を搔く。


 その後はいつも通り取引をやって、今日もなんだかんだ生き残るはずだった。しかしどこからか情報が漏れ、オレたちファミリーと敵対している勢力に取引の話がバレた。仕舞いには襲撃され、オレは腹に1発、足に2発食らった。ジョニーは俺が這いずって建物の中に入る頃には冷たくなっていた。オレは壁に寄りかかり、そのまま床に座り込んだ。


「ヒィッ……」


 今回の取引に使う予定だった商品が1人、物陰に隠れて生き残ったらしい。まだ12ぐらいの女子ガキだ。


「嬢ちゃん、逃げな。なるべく遠くまで走れ。さ、急げ。」


 ここには冷たくなったジョニーと数人の幹部、ロシアン・マフィアは全員逃げ延びたようで、オレが死んだ後もまた一悶着ありそうな予感がした。

 逃げた女子ガキは礼の1つもなかったもんだ。こんな良心的なギャングはなかなかいないんだがなぁ。

 ふざけていると意識が遠くなってきた。


「よぉ、兄弟。順番が回ってきたな。」


 すぐ隣にはあのヤク中が立っていた。涼しい顔で、この惨状を見渡している。血や硝煙の臭いが充満しているこの部屋には、このあと警察が入って、オレは身寄りがないからそのままどこかに誰かと埋められる。オレだけの墓には入れねぇ。


「なぁ、ブルー。連れて行ってくれよ。オレは身寄りもねぇし、どこへも行けねぇんだ。天国じゃなくていい、どこでもいい、んだ……」


「えぇ、天界には銃も血もありませんから。きっと、気に入ると思いますよ。」


 ダンはその言葉を聞いて、子どものように安心しきった顔で眠りについた。

 天使はまた顔色一つ変えず、仕事に取りかかる。


《ダン・ブラウン、23歳。天界法第1条にのっとり、報告。天界裁判所で判決を受けた後、天界役場に天界での居住地の申請の許可を求む。なお、判決内容によっては、地獄での刑期を終えてからとする。以上。》


 鼻を突く硝煙と血の臭い、床や壁、そこら中に飛び散った血と銃弾の跡。天使になればこんな光景を目にすることもある。


「服が汚れそうだし、早く帰るかな。」


 天使はその他の死者の報告書を書いたあと、その家を後にした。

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その天使、私情にて。 夕霧 @KASUI0908

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