第2話 「その天使、天使らしく。」

希望のぞみちゃん、おはよう。」


「おはよ、山田さん。」


 白いシーツ、枕、部屋全体からは嗅ぎ慣れた薬の臭いがする。窓を開けても変わらない、この臭いは。この"病人"の臭いだけは。

 もう何回目か、最早家族より顔を合わせる看護婦と軽く挨拶を交し、また私は窓の外の空を見た。


「今日は調子よさそう?」


「うーん、どうだろ。でも元気だよ。」


 私は生まれた時から病気だった。医者からは18歳まで生きられるかどうかわかりませんね、なんて呆気なく言われた。不治の病にかかった私は10歳からこの病院で生活している。母や父は私の様子を見に、仕事の合間を縫って来てくれているようだ。


「じゃあ、希望ちゃん、また後で来るからね。」


 にこりと微笑み、忙しそうに部屋を出ていく看護婦を貼り付けたような笑顔で見送った。

 この現実世界から切り離されたような純白が、私の心を蝕んでいくような気がした。空の青さえ、私には遥か遠く、見ていると生まれた意味を考えた。


「やぁ、こんにちは。」


 足音も無く、私の目に現れた男性は白いスーツ、白い靴に身を包んだ、白髪の若い男性だった。


「こ、こんにちは……あの、お医者さんでしょうか?」


「おや、これは失礼しました。私はスミレと申します。天使として、あなたの魂を導くため天界より派遣されました。」


「て、天使……?」


 爽やかな風が吹き込む午前中。どこへも行けず死ぬ私。そして突然、現れた天使。

 驚いた反面、なぜか安堵した。そしていつまで生きられるかわからない私にとって、天使という存在はそう遠い存在ではなかったのだ。

 私は天使と名乗る「スミレ」を、病室を訪ねる話し相手として迎え入れた。スミレの声は讃美歌のように、聞いていると心地よいものだった。


「スミレさんは、天使なんですよね?」


「ええ、天使です。」


「私、もう、時間が無いのでしょうか? 」


 ベッドの横の丸椅子に腰かける天使を見ると、窓の外を飛び回る鳥を見ているようだった。天使は何も言わなかったが、きっと彼が現れた、ということはなんだと理解した。

 私は気まづい空気に耐えられず、思わずベラベラ話し始めてしまった。


「ま、まぁいいんですけどね! 長く生きられるとは、思って、なかった……ので。」


 その言葉の続きを、言いかけて、やめた。こんな時にヘラヘラして、ベラベラ聞かれていないことまで話して、変な子だと思われただろうな。

 俯く私に、天使が右手を差し伸べた。


「外に出ませんか。今日は良い天気ですし、鳥たちも、歌っていますよ。」


 天使の顔に目をやると、私の癖である張り付けたような笑顔ではなかった。同情でもない、善意でもない、ただ確かな優しさを含んだ瞳に、心を奪われた。


「少しだけ、なら……。」


 そこから少しだけ中庭に出た。青空を自由に飛び回る鳥たちが羨ましかったけど、そんなことより外を歩けることが嬉しかった。中庭には名前も知らない綺麗な花が沢山咲いていて、私もこの花のようになれたらな、と思った。


「今日は本当に、いい天気ですね。」


「本当に、そうですね。ふふふ、少しだけでも外に出てよかった。私、まだ頑張れそうです。」


「そうですか、それはよかった。」


 天使は、子どものようにはしゃぐ私を見て、少しはにかんだ。その天使に見守られながら、ちょっとだけ走ったりした。急に悪化するといけないから、ちょっとだけ。


「ねぇ、スミレさん! また明日も来てくれる?」


 少し遠くで花を見ていた天使に向けて、柄にもなく大声を出した。


「ええ、それは構いませんが……今日は夜まで、お供しますよ。」


「え!! ほんとに!?」


 その天使と病室に戻り、外が真っ暗になって、消灯時間を過ぎても話し続けていた。まだ学校に通っていた頃の話、小さい頃飼っていた犬のルルの話。もし長生きできたらやりたいことの話。理想の彼氏像の話。まだ繋がりのある友達の話。お母さん、お父さんの話。


「スミレさん、今日はこんな時間までありがとう。また明日も、沢山話そうね!」


「ええ、沢山、聞きますとも。」


 そう言うと、天使は泡のようにフッと消えた。明日に備えて、私は早く寝ようとベッド横のライトの電気を消した。明日はどんな話をしようか、考えるだけで楽しかった。もう、生まれた意味とか、どうでもよくなっていた。





うしおさん、残念ですが……この度はご愁傷様でございます。 心よりお悔やみ申し上げます。」


「うっうぅ……希望、のぞ、みぃ……ごめんね、ごめんねっ……」


 外から見る病室からは泣き崩れる女性とその女性をなだめる男性、数人の白衣を着た医者の姿が見えた。

 その様子を静かに見守り、また顔色一つ変えずに仕事にとりかかる天使が1人。


「◯◯〜、仕事終わったら昼メシ行こーぜ。」


「いいよ。今日は何にする?」


「うーん、カツ丼!! じゃあ、先に行ってるわ!」


「おっけー。」


 △△は最近カツ丼にハマっているのか、そればかり食べている気がする。別に食べたところで栄養になったりしないのだが、物好きなヤツだ。

 ◯◯はすぐに報告書を書き始めた。


うしお希望のぞみ、15歳。天界法第1条にのっとり、報告。生前の持病により、天界裁判所へ魂の転生について、天使長に【100年以下の寿命追加】の申請の許可を求む。以上。》


「僕もカツ丼食べよーかな。」


 天使の仕事は多岐に渡り、次回の転生についても多種多様な申請が可能である。でもそれはまた別の話で……

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