コミカライズスタート記念書き下ろしSS

ワケあり妻の愛しの英雄様



 お茶の時間になって、テネアリアはいつものように執務室に押しかけて、仕事中のユディングをソファへと誘った。皇帝であるユディングは多忙を極める。敵は内外におり、火種はあちこちにくすぶっているからだ。彼は放っておくと寝食を忘れ、いつまでも仕事をしている。だからこそ、休憩をさせるのは妻である自分の役目だと自負しているほどだ。


 そうして今回も有無を言わせず休憩にかこつけたテネアリアは、いつも以上に意気込んでいた。淹れられたお茶などそっちのけで、テネアリアはユディングの隣を陣取りながら、仕度をさっさと済ませやや離れた位置に控えたツゥイを見やる。


「いい、よく見ていなさい」

「え、本当にやるんですか?」


 困惑顔のツゥイを剣呑けんのんな瞳で黙らせて、テネアリアはユディングを見つめる。


「少しよろしいですか、陛下」

「なんだ」

「ユディング様」

「なんだ?」


 仏頂面のユディングの短い返事に、テネアリアはどや顔をツゥイに向ける。


「ちゃんと見ていた? 陛下と呼べばきりっと凛々りりしくなるし、ユディング様と呼べば表情が優しくなるのよ!」


 テネアリアがユディングを呼んだ時の表情について意気込んで語る。熱の籠もった声になるのは仕方がない。誰よりも愛しい旦那様のことなのだから。


「え、いえ、全くわかりませんが……今にも首を狩りに行きそうな風情じゃないですか……っ」

「妃殿下、私にもわかりません」


 ツゥイが真っ青な顔でのけ反れば、サイネイトが苦笑しつつ答えた。


「ええ? どうしてわからないのかしら」


 ツゥイならともかく、長年傍にいるサイネイトですらわからないなんて。

 テネアリアはなんと説明すれば、愛しい夫の表情の違いを彼らが理解できるようになるのか悩む。


「おい、なんの話だ……」


 眉間に皺を寄せてユディングがうなるように問えば、テネアリアはふふっと笑う。


「私がユディング様を大好きって話ですわ」

「――っな……」

「あ、今のはわかりました、照れていますね。お前、本当に妃殿下に愛されてるなあ」


 にやにやと笑いながらサイネイトが揶揄からかうと、ユディングは苦虫を一万匹以上噛み潰したかのような顔をする。


「ひっ、怒るのをやめてくださいぃぃ――」


 ツゥイが頭を抱えて震えている横で、サイネイトがゲラゲラと笑う。


「確かに照れている顔には見えないよなあ。そういえばお前、首を狩るためには剣の手入れが重要だとよく言っていたな。ほら、あの話を侍女殿にしてあげればいいだろう」

「もう、意地が悪いですよ」


 テネアリアは呆れてサイネイトをたしなめた。ツゥイをこれ以上怖がらせないでほしい。なんとかユディングの良さをわかってもらおうと必死だというのに。

 穏やかで素直なユディングの友人のくせに、サイネイトは本当に性格が悪い。


「なぜここで剣の話をするのかわからないが。首を一刀両断するためには、よくがれた剣がなければコツが必要だと話しただけだろう。血に濡れた剣は切れ味が悪くなる」


 ユディングが不思議そうに首を傾げつつ説明したので、テネアリアも思わず尋ねてしまう。


「コツですか?」

「ああ。狙う位置と角度が重要だ。でなければ骨で止まるから、半分ほどしか――」


 淡々とした口調で夫の口から血なまぐさい話が出てきた。


「ぎゃああああ」

「まあ、さすがはユディング様ですわね! そんな一瞬の隙を見逃さないなんてっ」


 首狩り皇帝の異名は伊達ではない。

 ツゥイが雄たけびじみた悲鳴を上げる横で、テネアリアは瞳をきらきらと輝かせた。彼は物心つく頃から戦場を駆けずり回り、皇帝の地位についてからも絶え間なく戦場に立つことを余儀なくされた。その中で辿り着いた生存戦略なのだとしたら、愛しさしかない。


「はは、妃殿下はさすがですね」

「侍女の反応の方がいつもの光景だな」


 サイネイトが楽しげに告げれば、ユディングは平静のまま続ける。


「だから、お前は妃殿下に愛されているって言っただろう」

「ええ。愛していますわ、ユディング様」


 なぜか自信に満ちた皇帝補佐官に思うことがないわけでもないけれど、今はユディングを納得させるほうが先決である。


「……そうか」


 そっけない相槌の中に、戸惑いが揺れている。ツゥイの反応が平常すぎて信じきれないといった様子だ。

 

テネアリア自身ですら己を面倒くさい女だと思うのに、そんな自分をあっさりと受け入れてくれた度量の広さと優しさがユディングの可愛らしい一面でもある。

 周囲から恐れられることに慣れすぎて、テネアリアを信じきれないのだろう。


 それならば、何度だってテネアリアは伝えるだけだ。


「誰よりも、何よりも、貴方が私の唯一の愛しい旦那様です。心の底から只管ひたすらに愛していますわ、ユディング様」


 テネアリアの国に伝わるおとぎ話のように、ひとりぼっちの塔から救い出してくれなくても、ユディングが英雄であることに変わりはない。

 彼の紅玉の瞳を一目見た瞬間から、その瞳に魅了されて落とされたあの時から。


 姫は恋に落ちたのだ。


 一方的で身勝手で、だからこそ純粋に。

 乙女の一途さを信じられないなんて可哀想で憐れで――だからこそ、愛しさが増す。


「そ、そうか」


 短い応えに照れている響きを感じて、テネアリアはより笑みを深めた。

 時間をかけてユディングを甘やかし、そうしてテネアリアに骨抜きになればいいのに。


 先は遠そうだけれど、彼の反応を見れば可能性がないわけではなさそうだ。

 力技は得意だし、手に入るだろう未来を思えば焦ることもないし。

 テネアリアはユディングにくっついて、彼の体温を思う存分に堪能するのだった。


 ――そんな主人たちを傍仕えの二人はなんとも言えない表情で、見守るのだった。

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