発売記念書き下ろしSS

緊迫した婚姻式の裏側




 真っ青な空の下、ツインバイツ帝国の皇城の中庭に建てられた小さな教会の祭壇の前で純白のドレスを身に纏いヴェールをつけた少女は、同じく正装をした逞しい大男の片腕にちょこんと腰かけて、静かに司祭の聖句を読む声を聞いている。


 彼女の小さな足は決して地に着くことがない。


 そんな新郎新婦を後方から取り囲むように参列する人々はいずれも恐怖に顔を引きつらせ、じっと固唾かたずを飲んで式の終わりを見守っていた。


 実際、華やかな婚姻式に参列する雰囲気ではない。

 さながら今にも死地に向かうかのような悲壮感が漂ってさえいる。


 だがそれも無理はないだろう。夫となる男はとても大柄で筋肉質なうえに、真っ赤な瞳を不愉快げに細め、式をり行う司祭を睨みつけている。髪色と同じ漆黒の太い眉の間に深いしわを刻み、高いりょうと彫りの深いようぼうが相まって伝説のオーガをほう彿ふつとさせる。つまり誰もが臆するいかついたいと容姿を持つ。


 そのうえ戦好きのオーガ、血濡れのあっ、首狩り皇帝などというおどろおどろしい異名を持つのだ。


 そんな男が不機嫌さも顕わにしている。今にも新婦の純白のドレスが深紅に染まるさんげきが起きそうだ。


 対して抱き上げられている少女は東にある小さな島国出身の十五歳の姫である。しかも年齢のわりに小柄だ。男の腕に腰かける姿だけであわれみを誘うほどにはかなげな風情を漂わせている。ヴェールを上げている花嫁は男の陰に隠れて表情まではうかがえないが、さぞかし震えているだろうことは容易たやすく想像ができた。


 だというのに、男は少女を少しも降ろす様子がない。

 なぜか腕に抱えたまま、婚姻式を続けている。


 神聖な婚姻式で司祭を前に、なぜ彼は少女を抱えたままなのだろうか?

 ピンと張られた細い糸の上を歩くような緊迫感を漂わせ、一種異様な雰囲気に包まれたまま、司祭は冷や汗を拭い震える手を必死に抑えながら聖書を掴んで、婚姻式を進めていく。

 そうして最後の聖句を読み終えた司祭は、達成感に溢れながら声を震わせた。


「これにて、神の前で二人は晴れて正式な夫婦と認められました」


 リーンゴーンと教会のてっぺんに取り付けられた鐘が鳴る。

 それとともに参列者たちは盛大に安堵の息を吐く。ひとまず流血は避けられたからだ。


 そんな周囲の安堵など全く意に介さずむっすりとした顔の新郎――ユディングは新婦であるテネアリアに耳打ちした。


「もう降ろしてもいいか」


 地を這うような重低音。

 低い低い声音は不機嫌さを隠しもしないほどに恐ろしい。

 だというのに、テネアリアは華奢な体を震わすこともなく、可(か)憐(れん)な小さな口を尖らせた。


「まだです。お仕事ならお邪魔はいたしませんが、今は絶対にダメですよ」


 鈴を転がすような可愛らしい声で、愛らしく文句を告げる。

 途端に、ユディングの顔はますます渋面じゅうめんになるけれど、気にした様子もなくテネアリアはご機嫌に足をプラプラと動かした。


 純白のドレスの裾が揺れて、つややかな靴の先が見え隠れしている。

 小さな足先からも彼女の小柄さは推測できるほどだ。


 けれど、少しも怯えを見せない姿にごうたんさがうかがえる。


「重いですか?」


 今度はテネアリアが問いかけた。

 ユディングは表情を崩すことなく、首を横に振った。


「重くはないが……」

「だったら、しばらくこのままでお願いしたいですわ」

「…………」

「他にも何かあります?」

「楽しいのか」

「もちろん」

「そうか……」


 それ以上の文句はないらしい。

 困惑しながらもテネアリアの好きにさせてくれるなんて、とても優しい旦那様である。


 内心でくふふと笑いながら、テネアリアは澄ました顔のまま、ユディングの横顔を眺めた。

 眉間の皺の深さまで測れそうなほど、近くにいる。

 温かい力強い腕を感じることができる。


 いろんな思いが詰まって、胸がいっぱいになった。

 これまでの道のりを思えば、感慨もひとしおだ。


 こうして実際に瞳を覗き込んで、言葉を交わして。

 これが二人の最初の一ページの始まりだと思えば、ますます感動する。


「このままどこまでも運んでくれますか」

「仕事をするまでだろう……?」


 不思議そうに答えるユディングに、テネアリアはしらけるどころかおかしくなってくすくすと笑ってしまう。


 そうですね、と返せば彼はほっとするだろうか。


 だとしたら、やっぱり今日はずっと抱えていてくださいと言ってみようか。

 ちょっとした悪戯いたずらごころを湧かせながら、テネアリアは笑い続ける。


 自分の言葉一つで彼がなんて答えてくれるのか、想像できることが凄いことなのだ。やっぱり現実は素敵だ。


 そんな二人の会話を、一番近くで控えていた皇帝補佐官であるサイネイトは物言いたげな表情で、口を閉じて聞いていたのだった。


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