第3話 夏の終わり

「二次会に行く人!」

 幹事の委員長が精算もして、みんなをまとめてくれる。

 酔った子たちは比較的ほとんど二次会に流れて行った。未恵ちゃんもそのひとり。

 二次会はどうせカラオケで、ノリが良くないと着いて行けない。

「依里、どうする? 未恵ちゃん、行っちゃったよ」

「未恵ちゃんにはどうせまた会うから。夏休みまだまだこっちにいるし」

「そっか。じゃあ」

 その時、電話が鳴って、相手は泰知だった。

 わたしは「ごめん」と哲太を避けた。


『もしもし? 今日は同窓会だってあんなに言ったのに』

『そろそろ終わる頃かと思って。依里が心配なんだよ 』

『そういうのやめて。わたしたち、別れ話の最中だし』

『だからこそ言っておかないと。依里がいちばんだよ。外にいるんでしょう? 友だちと一緒に帰りなよ。田舎は暗くて危ないから』

『そっちほど田舎じゃないわよ』


 プッと電話は切ってしまった。

 実際ここは首都圏で、東京に通うには少し無理があるけどなんにもない、というほどでもなかった。

 対して泰知の実家は、本当のところは知らないけど未だに『本家』や『分家』があるような土地柄だと話していた。

 新興住宅街に住んでるわたしたちと世界が違う。


「パワハラモラハラ束縛系浮気男?」

「やめてそれ、お願い」

 わたしは苦笑した。多分、実物はそこまで酷くない。マメで、浮気したというところが本当のところ。あんなにマメなのに、どうやって浮気してたのか不思議で仕方ない。

 悲しさは心の澱みと既に同化してしまっていた。

「泰知は浮気したけどそこまで悪人じゃないよ」

「⋯⋯実名が出ると重みが増すな」

「あ、ごめん」


 わたしたちは並んでとぼとぼ歩き始めた。無言だった。夜の闇が足元からそっと上ってくる気がした。夜気はまだうだるように暑かった。

 哲太は並ぶと思っていたより背が高くて「どうしたの?」という顔をした。少し襟足の長い猫背がちな背中、懐かしさと記憶が蘇る。

「哲太は変わらないんだね」

「依里は変わった。ちゃんと都会のお姉さんになった」

「どこが?」

 ちょっと前に立つと、わたしを上から下までじっと観察した。

「やめてよ、恥ずかしいじゃない」

「なんかさ、やっぱりみんなと同じような服着てても垢抜けてるんだよ。化粧とか?」

「そういうわけじゃないけど、少しがんばらないと周りの子に遅れを取るっていうのはあると思う」

 実際、東京の子はみんなキレイで、話しかけてみると気さくだけど眩しさを放っていた。

 特にキレイな先輩に声をかけると今度は反対で、地方出身のひとだったり。

 オシャレは努力なんだなと学んだ。

 まぁ、それで浮気されてたらどうしようもない。泰知の浮気相手はサークルの後輩で、それほど美人じゃないけど東京生まれ東京育ちの女の子だった。

 どっちにしても――。


「ごめん、からかうところじゃないよね」

「そうかも」

「悪かったよ」

「慰めるところだよ」

 そろっと手が伸びて、今度はわたしたちは堂々と手を繋いだ。距離が、すぐそこだった。吐息がかかりそうな。

「帰ろう」

 うん、と答えて、まぁここまでだよな、と少しシュンとする自分を見つける。まだ一緒にいたいなんて贅沢な気持ちを持っていい立場じゃない。わたしにはまだはっきりしない泰知がいる。


「ダメだ」

 角を曲がると人混みから逃れて、哲太がわたしの前に回った。そしてふわっと包み込むようにわたしに触れ、背中にギュッと手を回した。

「ダメだ、オレ。依里をすきだって気持ち、無いことにできない。夏の間だけでもいいから、一緒にいよう」

「⋯⋯夏の間、だけ?」

「東京に戻れば彼氏がいるんでしょう?」

「別れると思う」

「別れるならマメに連絡してこないよ」

「そういうのが二股じゃないの?」

「⋯⋯」

 哲太の腕の中は彼の汗でしっとりしていた。それでも不思議と嫌な感じはしなかった。昔からまるでよく知っているような――。

「どのみち依里は今、オレの腕の中だよ」

 思ったより鍛えられた上半身はクッションになってわたしを包み込んだ。ここにずっといていいのか、心の中の答えは出ないままだった。


 すっと哲太は一歩下がると、「悪かった」と言った。こういう時、謝られたらなんて言うべきなのか考えてしまう。

「別にいいの」、「気にしないで」、「うれしかった」、「ありがとう」?

 結局わたしはなにも言えず、黙って俯いたまま動けなかった。

「依里、泣いてる?」

 哲太はかがんでわたしを下から覗き込んだ。

「泣いてないよ」

「顔見せて?」

 顔に汗で張りついた髪をよけて、わたしは顔を上げた。そして――勇気を持って一言を告げた。


「哲太はあの彼女とまだつき合ってるから気をつけなよって」


 彼はそこで動きを止めて、目を大きく見開いた。そしてなにか小さな声で言った。

「未恵ちゃんか」

「地元のみんなは誰でも知ってるって。だから夏だけなんでしょう?」

「ちょっと待って。もう手が届かないと思ってた女の子がそばにいるんだ」

 その言葉はわたしを温めて、甘い響きを頭の中で反芻した。

 届かないのは、わたしからしても同じだった。これじゃ、いつまでも届かない無限ループだ。

「お互いに精算して⋯⋯」

「それができたら今、別々じゃないと思う」

「じゃあ」

「彼女は短期留学中なんでしょう? それなら、夏の間だけなら」


 わたしは哲太の手をギュッと、離れないように握った。きっと精算できないのは哲太の方だ。

 普通の女の子に見えたあの子は、哲太には特別なんだろう。わたしにはわからないけど。

 ⋯⋯わたしは泰知の特別なんだろうか?

 難しいことはわからない。聞く耳を持たないでいたけど、東京に帰ったらこの問題から取り組まないといけない。逃げ場はないんだ。あの時の哲太のあの子のように――。

「花火、楽しみ」

 哲太はもうなにも言わなかった。でも、手は強く繋がれたままだった。

 ボタンがひとつかけ違えば、わたしたちはひとつになれたのかもしれない。でもそれは今ここにない奇跡のようなものだ。


 ◇


 花火は上がった。

 かわいいキス。ふたりで初めてのキスだ。

 わたしは耳まで赤くなる。まるで、なにも知らない高校生のように。

 そしてふたりで金魚をぶらさげて――。


 夏は終わる。


(了)


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8月の金魚 月波結 @musubi-me

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