夢への戦いはこれからだ


「えっと、この予算の書類、先生に出してきますね」


 わたしはそう適当に言って、適当にプリントを何枚かつかんで生徒会室の扉を開ける。



 廊下に出てから扉を閉めると、全身から力が抜けた。


「はあ〜〜…………」


 生徒会室の隣は倉庫になっており、出入りする人は少ない。もし人が入ってきても、積み上がった段ボール箱の陰にいればすぐには見つからない。


 わたしはそんないつもの隠れ場所まで足を運んでから、緊張の糸を解く。


「はあ〜〜…………」


 再びため息が口をついて出る。力ないわたしの背中は壁にもたれかかり、そのままずるずると重力に引かれて下がっていく。



 ……なんとか取り繕えただろうか。


 あの様子だと相当生徒会メンバーは動揺していた。副会長はわかりやすく引いてたし、竹内先輩と圭君は間違いなく興奮している。二人とも誰もいないところだったらきっとティッシュを取り出していただろう。会長だってどこまで平然としていられるか。


 でも、どうやら容疑者は男子三人で確定のようだ。他に疑われてもきっと男子。わたしが適当な理由をつけて生徒会室から出ていっても、誰も止めなかった。わたしを追及する人はいなかった。


 ……その点は一安心だが、どうやってネタ帳取り返そうか。


『ももふと☆ぱい太郎』がわたしーー灰崎 梢子のペンネームであることは、絶対の秘密なのに。



 ***



 きっかけは10才のときだった。


「お兄ちゃん、宿題の分からないとこ教えて……あれ、お兄ちゃんいない」


 そう言いながら何とは無しに入った、7才上の兄の部屋。


「あっこれ、無くした充電コード……お兄ちゃん、勝手に借りパクして……」


 わたしは床に落ちてた充電コードを拾い上げようとして、めくれ上がったカーペットに足を取られ、身体が床に叩きつけられる。


「……痛い……お兄ちゃん、部屋片付けないんだから……?」


 その時、床に倒れたわたしの視線の先に何かがあるのが目に止まった。

 ベッドの下、手も入らないようなわずかな隙間。自販機の下かのようなそのスペースに落ちているのは……薄い本?


 全く、学校で使う小冊子とかだったら大変だ。

 わたしはお兄ちゃんの机の上に置きっぱなしになっていた30cm定規をベッドの下に差し込む。


 定規を動かして押し出してやると、薄い本はベッドの下からあっさりと姿を表した。そこにあったのは……



「……なにこれ……」


 表紙に描かれていたのは、あるキャラクター。

 そのキャラクターの顔には見覚えがあった。確かお兄ちゃんが時々パソコンでやってるゲームのキャラクターだ。


 ……だけど、こんなにおっぱい大きかったっけ?


 こんなに足細くてスラッとしてたっけ?


 そして何より、なんで全裸なの?



 ーーでも。


 頭に浮かんだそれらの疑問を全て消し飛ばす感情が、わたしには芽生えた。



 でも、美しい、と思ってしまったのだ。

 現実にはまず、ほぼお目にかかれないであろう身体のライン。

 その理想的なプロポーションは、当時10才のわたしを目覚めさせてしまった。



 それからわたしは、お兄ちゃんの部屋の中を探してそういう絵が描かれた本を全て自分の部屋に持ち帰り、毎晩眺めた。


 そのうちお兄ちゃんのパソコンを貸してもらえるようになると、片っ端からそういう絵を検索して回った。特に好みのやつは自分のスマホで写真を撮って、寝る前や、登下校中に眺めていた。


 ところで、わたしは元より絵を描くことに自信があった。一回だけだけど、市のコンクールで賞を取ったこともあった。



 ……だから、そういう絵を、そういう漫画を自然と描くようになった。


 自分の手で、理想の女性の身体を、理想の美しいボディラインを描き上げる……そのためには、それを職業にしてしまうのが一番早い。



 わたしの夢は、男性向け18禁漫画家だ。



 ***



 で、その夢のために、せっせと描きためていたネタ帳を、今生徒会メンバーに見られているわけである。



 こんな夢、普通じゃない……一応、わたしにもその自覚はある。これを夢にしてるのも普通じゃないし、女子高校生の抱く夢としてはもっともっと普通じゃないというのはわかっている。

 このことを周りに話したら、わたしの周囲からは潮が引くように人がいなくなってしまうだろう。それはやっぱり嫌だ。


 ……だからこそ、どうやってネタ帳を取り返せばいいか考えているのだ。


 というか、なんで学校に持ってきちゃったんだろ、わたし。

 つまらない授業の合間に描くにしてもリスクがあるし、おまけに生徒会室に忘れるとか、もう自殺行為だ。


 昨日家に帰ってカバンを見たらネタ帳が無かった時は、顔面蒼白だった。

 そしてさっき、副会長がネタ帳を見つけ出して、もう一度顔面蒼白になる。


 あのときの心臓の鼓動の速さは、間違いなく人生で一番だっただろう。



 ーー幸いなのは、わたしが描き手だとは全く思われていないことである。


 とりあえず、ほとぼりが冷めるのを待つか?


 いや、もしあれが先生の手に渡ったら、回収はさらに面倒なことになる。わたしが場所を把握できているうちに取り戻したい。


 ……だけど、だ。

 ここでわたしが、『とりあえず、ノートは生徒会室で保管しておきましょう』とか言ったら目立ってしまう。さっき首を突っ込んでこなかったことが、逆に怪しまれるかもしれない。

 本当は、何を言っても疑われるのが怖くて黙っていたのだけど。

 これでも普段は、『絵ぐらいが取り柄な普通の高校一年生女子』で通っているのだから。


 となると、人知れず秘密裏に取り返すしかない。

 生徒会室で色々言っている圭君や先輩たちの目を盗んで、ネタ帳をわたしのカバンに戻してしまうのだ。



 すー……はー……



 わたしは一つ深呼吸をする。

 気持ちを落ち着けて、呼吸を整える。


 何か間違いがあったら、もし『ももふと☆ぱい太郎』先生の正体がバレたら、わたしの高校生活は終わる。そんなわけにはいかない。


 立ち上がり、倉庫を出る。



 これはわたしにとって、人生最大の戦いの始まり。


 ーー生徒会室の扉は、いつもよりずっと重かった。




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生徒会室から性癖丸出しのノートが見つかった件 しぎ @sayoino

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