9話:訪問
ピンポーンと軽快な音が自分の緊張と反対に響き渡る。
「鳴らしちゃったけど、これ、絶対に阿久津が出てくるわけじゃないよな」
「全員阿久津だろう」
「そういう意味じゃねえよ」
アポをとっていないため家の誰が出てくるかわからない。阿久津ユリナ本人が出てくれることを祈り待っていると、
「……はい」
よかった。若い女性の声がした。本人かもしれない。
「あの、覚えてるかわからないけど、俺、皐月蒼汰。ちょっと聞きたいことがあって来たんだ」
「……皐月? 途中で引っ越した、あの皐月?」
「ああ。その皐月であってる」
「聞きたいことって何?」
インターホン越しのくぐもった声が不信感を帯びている。
「うん。滝里先生について……四年一組の時の担任だった」
「! ちょっと待ってて」
ドア越しに走ってくる足音が聞こえ、ガチャ、とドアが開いた。
「入って」
ドアから覗くのは懐かしい、意地悪な面影を残しつつ、成長した阿久津ユリナの顔だった。
彼女の部屋に案内され、俺とミカゲは隣同士、丸いテーブルを阿久津と対面するように挟み座る。
阿久津は一応来客とみなしてかグラスに飲み物を入れて持ってきた。
「麦茶しかないけど」
「ああ、すまん」
「そこの女の子は? 皐月の彼女?」
「えっ。いや」
「蒼汰の仕事仲間だ。今回の件に興味があってな。恋人ではない」
ミカゲが澄ました様子で渡されたばかりの麦茶を飲む。
あっさり否定するとは思っていたけれど、そこまで冷静だと取り乱した俺が恥ずかしいじゃないか。
「あっそ。どうでもいいけど」
阿久津は心底どうでもよさそうに答えた。
「で、聞きたいことって何」
「滝里先生が自殺したってことは知ってるか?」
「……ええ、歩道橋から自ら転落して死んだって聞いたけど。それがどうかしたの?」
「俺とミカゲは自殺じゃなくて殺人、誰かに殺されたと思ってる」
「!! 殺人事件ってこと?」
どうして今さら…
阿久津がうわごとのように呟いた。
「滝里先生さ、殺される前に阿久津の家に行こうとしてたらしいんだ。お前の家に行く途中で殺されたんだ」
「私の家に? なんで」
「御園影美の自殺のこと。お前がいじめていたことを言及しようとしていた」
「な……」
阿久津は黙り込む。
「いじめを放置していたことを先生は後悔していた。だから、影美への罪滅ぼしとしていじめていた奴らに事情を聞こうと回ってしたんだ」
「……」
「俺が思うに、阿久津。お前が一番影美を率先していじめていた。影美の自殺に関する情報は一番お前が持っている。それをバラされることを危惧する何者かが先生を殺したんじゃないかと思ってる」
ここまでは俺の推理。
さすがにミカゲの推理、阿久津が先生を殺した説はまだ決定しているわけではないし、言えない。
聞くなら、彼女から情報を絞り出した後だ。
「……は、何かと思えばそんな昔のこと」
阿久津は鼻で笑った。
「……なんだって?」
「自殺だろうが殺人だろうが、知ったこちゃない。それとあたしに何の関係があるわけ? 御園だって、いじめて死ぬ方が馬鹿だっつーの。昔のことをごちゃごちゃと蒸し返して……」
はあ、とどうでもよさそうにため息を吐く。
「バカみたい」
そんな阿久津に対して俺は怒りを覚えた。
「そんな言い方はないんじゃないか?」
「は?」
「まるで死んだ奴が悪いみたいな言い方だよ」
「自分から死んでるのは事実でしょう。それを被害者ぶって、今さら悲劇のヒロイン演じられても」
彼女にとって影美の死は完全に過去の出来事なのだ。
「お前にとっちゃ過去のことかもしれねぇ。でも、人が命を投げ出してしまってるんだ……お前のせいで」
「あたしのせい?」
いかん。
「お前のせいで影美は死んだようなもんだ。間接的な殺人だ」
感情的になるな。
「もしかしたら、先生のことだってお前の立場が不利になるから殺したんじゃないか?」
馬鹿か俺は。
ミカゲの推理を感情論で使っても意味がないだろ。
影美のことを蔑ろにされた怒りで我を忘れてしまった。
自分がこんなに感情的になるなんて。
は、と阿久津の方を向くと、彼女の顔は真っ青になっていた。
唇は震え、生気を失っている。ミカゲも黙って麦茶をすすっている。
「わ、悪い。言い過ぎた」
俺が謝ると「馬鹿者めが」とミカゲが毒づいた。
しん、と部屋が沈黙という名の静寂に包まれる。
自分が失言したことはわかってるし反省もしている。
感情的になったからといって、自分を怒らせた相手を犯人扱いするなんて言語道断だ。大人げない。
しかし、俺の唯一つの友達が侮辱されるのは許せなかった。
優しい影美が悪く言われるのを黙って聞いていられなかった。
「悪かった。俺が感情的になりすぎた。どうかしてた」
「……」
「でも、お前がやったことは許せない。影美を苦しめたことは絶対に忘れない」
「……」
うつむく阿久津は何も言わない。
俺の失態で、場は完全に凍りついてしまった。阿久津は黙ったまま、口を開くどころか顔を上げようともしない。
こうなったら事件のことを聞くことも難しいだろう。手詰まりだ。
互いの呼吸が聞こえるほどの静寂。
「……もう限界」
それを破ったのは、阿久津だった。
「あの時から、ずっとそう」
そう言って肩を震わせる。
「あたしはずっと解放されないまま……あれから生きた心地もしなかった!」
「阿久津?」
「今日だって“あの人”が家に来て……」
あの人。
その言葉にミカゲが反応する。
「誰かに口止めされているのか?」
「……!」
ビクっと阿久津の体が強張る。
肯定ともいえる反応に、俺とミカゲは阿久津を見つめた。
しまった。口を滑らしたことに対しての焦りを感じたのか、阿久津はそれ以降口を開こうとしない。
「お前を口止めしている奴がいるってことだよな」
「そして、そいつによって君は私たちと板挟みの状態になっている」
「……っ」
俺たちの視線を受ける彼女は最初黙ったままだったが、数分すると重い口を開いた。
「……御園が自殺した時、警察が動いた」
阿久津は語りだした。
「御園が自殺した時、警察は当時の中学のクラスメイトたちに事情を聞いて回った。けれど皆黙秘したわ。皆が御園をいじめていたもの。クラス全員がグルだった」
「……」
「……」
俺とミカゲは黙って聞く。
「結局何も情報も得られないことから、御園の自殺は個人の問題として有耶無耶にされた。死人に口なし。これ以上突き詰めようがなかった。これでこの騒動はおしまい。そう思っていたのに」
滝里杏奈が自殺事件について動きだした。
「滝里は御園を受け持った時のクラス……四年一組の生徒に御園について事情を聞いて回っていた」
小学校の頃の担任が、今更動いたところで何も起きない。
だって、あの人は「皆」に御園のことを口止めしていたもの。
だから、絶対大丈夫。
そう思っていたのに。
「滝里は最後にうちを訪れる予定だった。当然といえば当然よ。彼女は私が一番御園をいじめていたことを知っているし。最後の砦にでもしてたんでしょう」
当然、私も黙秘を貫こうと決意していた。
小学校でも中学校でも、私は御園をいじめぬいた。
だからって、事情を聞かれたくらいで自分から懺悔するものか。
自分がいじめた主犯です、なんて自ら吐露するバカはいない。
何も困ることなんかない。
あんな教師の自己満足の行動なんかで私の日常が壊れるなんてことはない。
「なのに“あの人”は、滝里を殺した」
いつまでもうちに訪れない元担任を待っていたら、かわりにあの人がうちに来た。
先生を殺したという土産をぶら下げて。
「あの人がうまく殺したのか、滝里の死因は自殺と認定された。誰も殺人だとは疑わなかった」
「それに」阿久津が切れ長な瞳を伏せて言う。
「滝里の死は御園の呪いと騒がれた。御園が当時いじめから助けてくれなかった滝里をあの世へ連れていったって」
呪い。
非科学的で証明しようのない、なのに人々が恐れ、信じる類。
呪いというワードは皆の意識は持っていき、結果真実から遠ざける役割を担ってくれた。
「呪いとして片付けられた今も、あの人は口止めにやって来る。滝里を殺したことを私だけが知っているから」
でも……本当にこれって呪いなのかも。
「阿久津?」
ぶつぶつと下を向き呟き出す阿久津を見て声をかけるも、
あっはっはっはッ!!
阿久津は急に大声で笑いだした。
壊れた玩具のように、ガクガクと。震え、涙を溢し、彼女は叫ぶ。
「そもそも御園が悪いんだ! あいつが自殺なんてするから。変な死に方するから。だからこんな面倒なことになったじゃん! 私を苛立たせていじめさせて、御園が悪いんじゃん! 御園こそが負の連鎖を作り続けてるんだッ!! 今だって! あいつのせいで! あいつさえいなければ!!」
「……ッ!! こいつ」
怒りで目の前がグラグラ揺れる。
こんな奴らのせいで影美は!
「蒼汰」
俺の腕を掴む冷たい手。ミカゲの手だ。
「感情的になってはダメだ」
「……でもッ!」
見るとミカゲは真っ青な顔色をしていて。俺を見つめ小さく首を降った。
「っ!!」
それ以上何も言えなくなった俺に代わってミカゲは阿久津に問いかけた。
「で、その人物とは誰なんだ?」
阿久津は自嘲気味にふっと笑った。
「皐月も知ってると思うよ。だって、あの人の名前は……」
阿久津は滝里先生を殺した犯人の名を告げた。
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