スカートの奥のリアリティ

桜野うさ

第1話


 うちの寝室のベッドの上で、女子高生がスカートをたくし上げていた。

 紺色のプリーツスカートから惜しげもなく晒されているのは、眩しいほどに白いぱんつだ。縁にはレースが、右の骨盤部にはピンクのリボンがついている。いいセンスだ。俺が選んだのだから当たり前だが。

 生のぱんつは素晴らしい。ネットで拾える画像にはないモワッとした温もりと、求めていた「リアリティ」がここにある。俺の右手はストップする機能が壊れたように動き続けていた。

「もうちょっと股、開いてくれる?」

 ベッドが軋み、スカートが揺れた。

「うん、ばっちり。その姿勢をキープで」

 女子高生は頼んでもないのに制服姿で現れた。自分の価値をもっとも高める衣装だと知っているのだろう。

 胸元まで伸ばされた髪はゆるいウェーブがかかっていて、メイクもバチバチに決めていた。街でよく見かける量産型の髪型とメイクだ。だけど彼女には、量産型にはない妙な存在感、ヒロインのオーラがあった。そして「世の中に静かに失望している」目をしていた。

 彼女は「ミユ」と名乗った。偽名だろう。本名はミユキかもしれないし、ユミかもしれないし、カオルかもしれなかった。現役女子高生で十七歳だと紹介されたが、本当は俺と同じでアラサーだったりしてな。

 ミユとは出会い系アプリで知り合った。俺は彼女の二時間を、三万円で買った。

 彼女のプロフィールにある加工された写真もよかったが、実物の方が三割増しで可愛かった。なんでこんな可愛い子が出会い系アプリを使っているのか俺にはわからない。街を歩くだけでいくらでも男と接点が持てそうなのにな。

「すごぉい」

 ミユは俺の膝の上にあるスケッチブックを覗き込んで言った。

「お兄さんって絵が上手なんだねぇ」

 リップグロスでぷるんぷるんになった唇から漏れた声は、猫の鳴き声に似ていた。実際にこんな舌足らずな喋り方なのか、実際よりバカに見せるための演技なのか。

 スケッチブックには、スカートをたくし上げたミユのデッサンが途中まで描いてある。俺は夢中で動かしていた右手を止め、握っていた鉛筆をスケッチブックの上に置いた。

「お兄さん、もしかして漫画家さん?」

「だったらどうする」

 マスカラを塗りたくったまつ毛が濃い影を落とす大きな目が、期待したように見開かれた。

「ミユのために可愛いイラストを描いて欲しいなぁ」

「こんなおっさんが、可愛い絵なんて描けると思う?」

「描けるかも? 今はほら、ハイパーシティーだしぃ?」

 ダイバーシティと言いたいんだろう。素でバカなのかもしれない。だけど鋭い。俺は漫画家だった。

「ミユちゃんは漫画とか読むの?」

 デッサンを再開する。この二時間は有意義に使いたい。

「んー、昔は友達から借りてかなり読んでたよ」

「ふぅん。やっぱり少女漫画?」

「うん。ミユ、少女漫画大好き! 今は、お勉強が忙しいからぜんぜん読めないけど」

 俺の描いた漫画も読んでくれてた? と、尋ねたい誘惑に駆られたがぐっと堪えた。未成年を買うなんてヤバいことで正体をバレるのは不味い。

 俺の名前は「早乙女さおとめキララ」。もちろんペンネームだ。本名だったら恥ずかしすぎて引き籠りかヤクザにでもなっていただろう。ペンネームでもかなり恥ずかしい。「こういうの考えるセンスがないんで、そちらで決めてください」当時の担当にそうお願いしたのを後悔して早十年だ。

 早乙女キララはメルヘンチックで可愛らしい絵と、乙女趣味全開のセンス、繊細な心理描写を高く評価されていた。そのせいか、漫画を読んだ大半の人間からは若い女だと思われた。実際は二十八歳の男だ。残念ながらイケメンからは程遠い顔面をしているし、運動不足でお腹もふっくらしている。

 出版社の意向で俺の性別と年齢は非公開だったからファンは夢を見放題だ。男からのファンレターに「漫画も近況報告も可愛すぎて恋しちゃいました」と書かれていたときは失笑した。ファンの夢を壊さないために、売れっ子のわりにサイン会が開かれたことはなかった。

 自分で売れっ子とか言うなって? 俺の出した漫画には、累計発行部数が一千万部以上で、アニメ化したものもある。売れっ子なのは客観的事実ってやつだ。まぁ、最後にヒット作を出したのが五年前だから、売れっ子の前に「元」を付けなければいけないが。

 五年前にアニメ化まで行った漫画は「マジカル☆みるく」という魔法少女ものだった。主人公のみるくを筆頭に、個性豊かな五人の女子中学生が変身してこの世の闇と戦う内容だった。

 女児向け漫画、アニメを何作も研究し、自分なりの王道ストーリーを練り上げ、キャラクターデザインも凝りまくった。おかげで女子小学生を中心に大ヒットした。

 女の子同士の関係を濃く描いたおかげで、大きいお友達にも大ヒットした。同人誌という名の薄い本が相当出回ったらしい。俺のところにもかなり送られて来た。こういうのって、作者に黙って描くもんじゃないのか?

 マジカル☆みるくがアニメ化した頃、自分の才能を疑っていなかった。少女漫画で一生食っていけると思っていた。漫画が売れなくなる日が来るなんて考えもしなかった。

 最後の連載が終わって一年経つ。この一年は読み切りすら雑誌に掲載させて貰っていない。正直、焦っている。

 一年間なにもしていないわけじゃない。十六ページの漫画のネームを毎週欠かさず作り、色んな出版社に持ち込みしていた。

 ある大手出版社の男の編集者、後藤ごとうに新作ネームと原稿を見せた日のことだ。出版社のビルに設けられた打ち合わせブースで、後藤と俺は小さな応接セットで膝をつき合わせた。打ち合わせブースは立派な作りで、ブース数も多い。隣でも漫画家と編集者が打ち合わせをしているようで、声が漏れ聞こえていた。

 後藤は俺の渡したネームと漫画原稿をじっくりと読んだ。俺はベテランらしく落ち着き払ったように振舞っていたが、心臓は激しく脈打っていた。褒めて欲しい。できれば。ほんの少しでもいいから。

 ネームと漫画を読み終わった後藤は、開口一番にこう言った。

「小手先で描いてませんか?」

 鋭いひと言だった。痛いところをついて来るやつだ。

「絵は上手いですよ。話作りやコマ割りもこなれています。自分のウリをご存じのようで『早乙女キララっぽさ』もちゃんとあります。悪く言えば、変に守りに入っていてつまらないです」

 後藤が発言するたびにメンタルが削られた。思い当たる節がありまくりだったからだ。

 俺は「通るネーム」を目指していた。「今どきはこんな話が受けそうだ」とか「早乙女キララに求められている作風はこれだ」とか、あざとい計算ばかりしていた。「どうしてもこれが描きたいんだ!!」というパッションは一ミリもなかった。

「早乙女先生の過去作は全部読みましたけど、昔の方が断然いいです。技術は未熟でしたが、勢いがありました」

 本当に、鋭い奴だ。なにも言い返せず、俺は「はい……」と、空虚な返事だけをしていた。

「いっそ新しい分野に挑戦しませんか? 年齢的にも、そろそろ少女漫画でやって行くのはきついですよ」

「新しい分野ですか」

「例えば青年漫画に転向するとか。うち青年誌も出しているんで、上に言っておきますよ」

「俺は少女漫画を描きたくて漫画家になったんです」

「気持ちはわかります。ただ、先生はもう仕事を選べる立場じゃありません」

 後藤の言葉に、俺はテーブルの下で硬い握り拳をふたつ作った。こいつの言う通りだ。今の俺は売れていない。

「……青年漫画風の絵を描いて来るので、見てくれませんか」

「いいですよ。一週間くらい待ちましょか」

「三日でやります」

 後藤は俺を見直したような顔をした。

 打ち合わせのあと、ダッシュで書店に行き、大手出版社の青年誌を三冊買った。一冊は、後藤が勤めている会社のものだ。

 帰宅してすぐ、購入した雑誌とスケッチブックを仕事用のデスクに広げた。雑誌をめくり、気に入った絵をいくつかピックアップして模写した。まずは得意な女の子。続いて青年、おっさんと描いて行く。悪くないデキた。仕事では女の子受けするデフォルメ絵ばかり描いて来たが、リアルな絵が描けないわけじゃない。デッサンはこれまで数万枚描いた。

 気づけば飲まず食わずで五時間以上模写をしていた。休憩がてらにふりかけご飯とインスタント味噌汁を食べ、寝るまでのあいだも模写を続けた。

 次の日は、雑誌からピックアップした絵の絵柄だけを真似し、キャラクターデザインやポーズは自分で考えて描いた。まずは女の子。青年、おっさん。立ち絵、戦闘絵、女の子のイラストだけはちょっと色っぽいのも。青年誌ならエロも大切だ。

 頭の片隅でもう一人の自分が呟く。本当にこれでいいのか? 漫画を描きはじめた理由はなんだった? 考えるな。仕事を取るためにはやるしかない。

 最後の日、新しい絵柄を模索し始めた。リアル過ぎると可愛くないし、デフォルメが効き過ぎても青年誌の読者の需要と合わない。スケッチブックのページを大量に消費し、一日がかりで青年受けしそうな絵柄を構築した。完成した新しい絵柄のイラストは、付け焼刃だが悪くない。……と、俺は思う。

 次の日、打ち合わせブースで後藤と再び膝を突き合わせた。後藤は俺の絵を真剣な表情で凝視していた。冷たい唾液が舌に溜まって行く。ごくりと飲み込んだ。早くなにか言って欲しい。褒めて欲しい。できれば。ほんの少しでもいいから。

「早乙女先生ってこういう絵も悪くないですね」

 散々もったいつけたあとで後藤は口を開いた。

「ヒロインはさすがに可愛いです」「青年キャラもなかなかいいですよ」「動きのある絵やおっさんも描けたんですね」

 褒め言葉の羅列に安堵の息をついた。

「しかし……」後藤はヒロインのぱんチラ絵を見ながら顔をしかめた。思わず身をのり出す。「ぱんつの描き方が童貞くさいです」

 予想を大いに外れた言葉に、間抜けな声で「どういう意味ですか?」と聞き返した。

「この人、本物のぱんつ見たことないんだなって感じです」

「いや、見たことありますよ。小二の頃、スカートめくりに遭遇しました」

 後藤は唇をもごもごさせた。にやけるのを堪えているのがバレバレだった。

「スカートめくりをしたんじゃなくて?」

「はい。遭遇しただけです」

 後藤はついに堪えきれなくなったと言わんばかりに拭き出した。

「そんなだからぱんつの描き方が童貞くさいんですよ。今度、お店紹介しましょうか」

「なんの店ですか」

「先生が素人童貞にジョブチェンジするための風呂屋ですよ」

「さ、最近のお風呂屋さんって転職もできるんですね」

 スーパー銭湯どころか、最早ハイパー銭湯の域ですね、あはは。とか適当に愛想笑いしつつ、提案を丁重にお断りした。

「早乙女先生、青年漫画はエロも大事ですからね。このままだと連載は獲れません」

 くそう、そんなにか。そんなにエロが大事なのか。

「またなにか描いたら見せてください」

 出版社からの帰り道、とぼとぼ歩きながら俺は考えていた。ぱんつの書き方が童貞くさいだと? 童貞だから仕方ないだろうが。――というのは言い訳に過ぎない。後藤は「ぱんつにリアリティがない」と言いたかったのだろう。

 べ、別に童貞を捨てる機会なんていくらでもあったわ! いや、いくらでもはさすがに言いすぎだな。三、四回はあった。稼いでいたし、スーパー銭湯だろうがハイパー銭湯だろうが行き放題だった。

 俺は童貞でいることを自ら選んだのだ。女の子を幻想のままにしておきたかった。非童貞になれば少女に夢を与えられる漫画家ではなくなる気がした。願かけのような思い込みだった。

 ぱんつをリアルに書きたいならモデルを雇えばいいだけだ。俺は出会い系アプリをインストールし、会員登録をした。アプリのプロフィールにはこう書いた。

「ちょっとエッチな絵のモデルを募集しています。ぱんつを見せてくれるだけでいいです。おさわりは絶対にしません。二時間三万円でどうですか?」

 一時間足らずで三人からメッセージがあった。三人のうちミユを選んだのは、写真からヒロインのオーラを感じ取ったからだ。結果として、俺の選択は正しかった。

 ミユとスケジュールを調整し、会うことになった。


 ぎっ、ぎっ。ベッドが軋む音が響いた。ベッドの上でミユがもぞもぞと両足を擦り合わせていた。

「足、だるくなった?」

「うん、ちょっと」

「ポーズ変えようか。四つん這いになって、こっちにお尻向けて」

 ミユは俺の言う通りにポーズを取った。モデルを使うと色んなポーズを色んな角度から眺められるからいいな。服の皺を描くのが苦手だが、見たまま描けばいいのは楽だった。絵を描くときはイマジネーションを働かせるだけでは限界がある。想像で描いた結果、体や服の構造を無視してしまうのはあるあるだ。

「助かるよ、ミユちゃん」

「本当に見るだけでいいんだぁ」

 ミユはこちらに顔だけを向けた。

「おさわり無しって書き込んだからな」

「そこは近畿応援、みたいなぁ」

 臨機応変だろ。関西応援してどうするんだよ。

「ミユちゃん未成年だろ。手ぇ出したら俺が捕まる」

「合意だったら大丈夫」

 ミユはころりとベッドに転がると、スカートを手繰り寄せた。「ねぇ……」裾が太ももの際を通過した。この体制だとぱんつはこんな皺になるのか、と、考えながらその光景を見ていた。

「ここまでして反応しないとか、お兄さんってゲイ?」

「いや、女の子が好きだよ。女の子は俺にとって神聖なものなんだ」

 ミユは小さく噴き出した。

「なにそれぇ、童貞みたい」

 みたいじゃなく、童貞です。しかもあと二年で魔法使いになれます。

「ミユちゃんはなんでこんなことするんだ」

「わかんない。嫌なこと忘れたいから?」

「今いる場所から逃げ出したいけど、逃げ出し方も、どこに逃げればいいかもわからないんだろ? だから連れ出してくれる誰かを待ってる」

 俺の言葉に、ミユの表情が曇った。

「……お兄さんって童貞のくせに、女の子の気持ちがわかるんだね」

 そりゃ、ずっと女の子の気持ちばかり考えて生きて来たからな。

「勉強が忙しくなくてぇ、ずっと漫画だけ読んでられる場所に行きたいかな」

「そんな世界、俺も行きたいよ」

「でもママは漫画なんか読んでるとパパみたいなバカになるって言うの」

 個性的な考えの母親だな。

 ふぅ。と、ミユは重いため息をついた。顔に疲れが見える。時計に目をやると、デッサンをはじめて一時間も経っていた。

「ちょっと休憩しようか。飲み物用意するよ」

「ミユ、タピオカミルクティーがいいなあ」

 なんで男の一人暮らしの家にそんなものがあると思った。いや、女の一人暮らしでも冷蔵庫にタピオカはないだろう。

「普通のミルクティーでいい?」

「しょうがないなぁ」

 不満げに唇をとがらせるミユを置き、キッチンに向かう。

 俺の家は二LDKだ。一人暮らしのわりに広いのは、仕事部屋を兼ねているからだ。アシスタントが来ても窮屈な思いをしないように、リビングが広い家を買った。今では家が広すぎて、もの悲しさに包まれてしまう。

 アシスタントが出入りしていた頃に買った、一人暮らしには大きすぎるポットに水を注ぎ、電源を入れた。湯を沸かしているあいだにミユ用のマグカップを探す。

 食器棚を覗くと、奥で白い正方形の箱が積み重なっていた。箱には濃いピンク色で、マジカル☆みるくの主人公、みるくの絵が印刷されている。昔描いた絵を見るのは照れくさい。

 箱の中身は、マジカル☆みるくを連載していた雑誌の、応募者全員プレゼントであるマグカップだった。プレゼントとは名ばかりで、貰うのに二千円かかる。ミユの飲み物を出すのにちょうどいい。

 ミルクティーとストレートティーの入ったマグカップを持って、ミユのところに戻った。

「お待たせ」

 ミユは返事をしなかった。彼女はベッドのふちに腰かけ、白いソックスに包まれた足をぶらぶらさせながら、漫画を夢中で読んでいた。マジカル☆みるくの単行本だ。

 彼女の目が「世の中に静かに失望している」ものから一変して、夢の世界を心から楽しむ少女のそれになっていた。

 再び声をかけると、ミユはこちらに顔だけ向けた。

「お兄さんの家って早乙女キララ先生の漫画がいっぱいあるねぇ」

「早乙女キララ、知ってるんだな」

「そりゃそうだよ。マジ☆みくはミユが小学生の頃に一斉ブービーしたんだから」

 一世風靡(いっせいふうび)の間違いだろ。みんなで最下位獲ってどうするんだよ。

「小学生の頃、クラスの女の子みんなマジ☆みくの漫画持ってたよぉ。ミユも大好きだったから、高校生になってからバイトして全巻買ったんだぁ」

 ミユちゃんはどうして小学生の頃に持っていなかったんだ? その疑問は口にできなかった。ミユのカサブタを剥がしたくなかった。

「ならこのマグカップ、喜んで貰えそうだな」

 代わりにミルクティーを差し出した。途端にミユがかん高い声を上げた。

「マジ☆みくの全プレだぁ! ファンの子はみんな使ってたよ」キラキラした顔でマグカップを見ていたミユは、すぐに表情を消した。「……ミユは持ってなかったけど」瞳に暗い光が宿っている。「ママはミユなんかのために二千円も出してくれないの。今だってミユのことほったらかして恋人と遊んでる。パパはミユが小さい頃にママと離婚して、どっか行っちゃった」

 ミユは暗い光を瞳に宿したまま、じっとマジカル☆みるくの単行本を見つめた。

「ミユはねぇ、マジ☆みくのキャラクターでモカちゃんが一番好きなの」

 モカは主人公の仲間になる女の子のうちの一人だ。最初は敵として登場する。小さい頃に親に捨てられ、死にかけていたのを悪の親玉に拾われ、利用されている設定だ。一見クールかつ屈折した性格だが、悪の親玉を親代わりにしていて、ひどい仕打ちをされても健気に尽くしていた。

 作中でみるくに負け続け、悪の親玉から使えない認定をされて捨てられる。また捨てられたことに絶望し、行く当てもなく彷徨っていたところをみるくに救われて味方になる。そんなキャラクターだ。

 敵キャラが仲間になる展開は王道だし、天真爛漫な主人公が苦手な読者の受け皿になることを期待して登場させた。結果、一部の女児と大量の大きなお友達から支持された。人気投票では不動の一位だった。

「モカちゃんはいつも一人で頑張ってるから、ミユも頑張ろうと思えたの」

 モカの親は俗にいう毒親設定にしていた。ミユの母親もその類だろう。

「マグカップあげるよ。卸したばかりの新品だから安心してくれ」

「え、でも……」

「同じのたくさんあるから遠慮するな」

「マジ☆みくは人気だったから、全プレは一人一個しか貰えなかったはずだよ?」

 ミユは訝し気な顔をしている。このままだとマグカップを受け取って貰えない。

「作者だからいっぱい貰えたんだよ」

「作者って……」

「俺が、早乙女キララだ」

「嘘だ! そんなことあるわけない」

「これが証拠だ」

 俺はデスクに置いたスケッチブックを拾い上げ、新しいページにモカを描いた。連載は何年も前に終わってしまったが、今でも手が覚えている。

 スケッチブックをミユに見せると、彼女はきょう一番大きく目を見開いた。「嘘だ……」ミユは消えそうな声で呟いた。「お兄さんがキララ先生のわけない」

「まだ信じられないなら、みるくでもラテでも好きなやつ描いてやるぞ」

「お兄さんがなにを描いたってミユは信じないよ」頑な声色だった。「キララ先生はぱんつなんか描かないもん」大きな瞳が俺を睨みつける。「だってキララ先生は、女の子の夢を描いてくれる漫画家さんでしょう?」

 真正面から責めるようにこちらを見る瞳は、俺がこれまで夢を見せて来たすべての少女のものだった。思わず、視線を逸らした。

「青年漫画に転向しようと考えてるんだ。少女漫画を描いていい年じゃないんだよ」

「昔みたいに面白い少女漫画を描けなくなったから、言い訳してるんだぁ」

 なにも言い返せなかった。どういう作品が受けるのか。俺らしいのか。小賢しいことばかり考えて、心から描きたい漫画を忘れていた。そんな俺の作品が面白いわけない。

「先生の漫画は全部読んだよ。キララ先生の漫画、大好きなの。嘘ばっかり描いてるから」どこか歌うような口調でミユは続ける。「女の子はあり得ないくらい可愛いし、ストーリーはご都合主義だし、恋愛描写はリアリティないし」

「これからはもっとリアルに描くよ」

「だったらミユ、キララ先生のファン辞めるね」

 ミユは失望と寂しさの入り混じった声で言うと、マグカップを、ベッドのサイドテーブルに置いた。

「キララ先生の漫画があったからつらいことも耐えられた。リアルなんて、現実だけで十分だよ」

 泣き声に近いミユの声を聞いて、はじめて他人のために漫画を描いた日のことを思い出した。

 小学二年のときだ。俺のクラスには、男子からいじめられている女の子がいた。無理やりスカートをめくられたりしていた。どうして自分ばかりがいじめられるのかと彼女は嘆いていた。俺は理由を知っていた。その子はクラスで一番可愛かった。

 俺は彼女を主人公にした漫画を描いた。いじめられっ子の主人公が魔法のリップで化粧をすると、小学生から大人の女性に変身する。色気のある美女だ。大人の女性になった主人公に、意地悪な小学生男子は軽くあしらわれてしまう。

 彼女にその漫画を見せると、愉快そうに笑っていた。それから彼女は漫画みたいに、男子生徒を軽くあしらうようになって、いじめはなくなった。

 目の前の女の子を笑顔にしたい。それが他人のために漫画を描きはじめた理由だった。なのに今の俺と来たら。

「……ごめん」

「謝るのはミユの方だよ。ひどいこと言っちゃった。キララ先生はこれまでたくさん夢を見せてくれたのに」

「それは違うぞ」

「えっ?」

 俺はスケッチブックから、ミユのデッサンが描かれたページを切り離した。

「君たちに夢を見せるのは、これからもだ」

 切り離したページを勢いよく半分に破った。すかっとするような、耳障りのいい音が響いた。

 ミユは俺の行動に目を丸くしている。構わず、やけくそのようにページを細切れにちぎった。リアルなぱんつがバラバラになって行く。好きを貫けない自分の弱さも一緒にバラバラにしてやった。

「あーあ、せっかく描いたのに」

 ミユは季節外れの雪のように散らばるデッサンの残骸を、もったいないと言いたげに見つめた。

「いいんだ。こんなの描いてる俺は嘘だから」モカを描いたページだけは綺麗にスケッチブックから切り離してミユに差し出した。「どうせ嘘なら、ミユちゃんたちが笑顔になれる嘘を選ぶよ」

 ミユは顔を上げると、こちらを向いて尋ねた。

「また、現実ここじゃないどこかに連れてってやる」

 今度は彼女の視線から逃げずに言った。

「キララ先生の次回作、楽しみにしてるね」

 ミユはスケッチブックのページを受け取りながら、夢の世界を心から楽しむ少女の顔で笑った。

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スカートの奥のリアリティ 桜野うさ @sakuranousa

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