第二章14 『狼人間は笑う』
金色の髪が真っ赤に染まる。時間がゆっくりと流れ、タツヤの胸中を埋め尽くすのは後悔の念だけだ。
何故ミリアに危険な役目を押し付けてしまったのか。敵の手の内を全て把握したと思い込み、油断していたのかもしれない。その慢心が、仲間を殺すのだ。一年経った今でも自分は何一つ変わってなどいなかった。
力も無く、仲間を犠牲にする事しかできない愚かな傭兵。愚者は経験から学ぶというが、同じ事を繰り返すのなら自分はそれ以下である。募る後悔を胸にして尚、仲間を失い続けるならいっそ...
「俺は...」
「なんて顔してるんですか。言ったはずですよ、今のわたしは無敵だって。」
ーーそれは力強い仲間の声だった。
よく通る澄んだ声音がタツヤの心の暗雲を吹き飛ばす。彼女は頭を撃ち抜かれ、この世から消え去る運命にあった。
しかし彼女は仲間に言ったのだ。「信じて」と。だからこんな所で儚く散るわけにはいかない。
「ミリア!!」
「意味不明。確実に脳を破壊したはず。」
「残念でしたね。わたしには妖精のアーちゃんがついているんです。」
つまりミリアの傷を即座に治癒したのは、彼女の契約獣である妖精だったというわけだ。妖精を先に始末しないと彼女は実質無敵ということである。今までミリアが致命傷を受けた所を見た事がなかったので、それはタツヤも知らない事実であった。
もしかしたら離れた味方を即座に回復出来るのも、妖精がいてこそなのかもしれない。
「では、おやすみなさい。良い夢だといいですね。」
そしてリーナスのドローンがもう一度短射程レーザーを放つ前に、ミリアが睡眠魔法を発動する。神経に作用するこの魔法は治癒魔法と近いものだが、原理が複雑な為、必ず対象に触れる必要があるのだ。
「油断...した...。」
リーナスが意識を失い、その場に倒れる。それに伴って彼女に追従していたドローンも機能を停止したようだ。どうやら、ドローンはリーナスのフィロアを動力源にしているらしい。その在り方は契約獣とよく似ている。
「ほんとにヒヤッとしたぞ。あんな無茶な戦法、もう使うなよ。」
「それタツヤが言います?四肢を吹っ飛ばされた仲間を見るわたしの身にもなってください。」
「あれは、その、急所だけは防いでるから。」
口を尖らせて先程の行いを批判するタツヤに対して、ジト目を向けたミリアが痛烈なカウンターを返す。たしかにタツヤも無茶ばかりするが、それでも大切な仲間には傷ついて欲しくないのだ。
同様にミリアもタツヤには無事でいて欲しいと思っているのだが、異常なまでに自身の命に無頓着な彼は、その事に気が付かない。
「あれ、もうあの三人やられちゃったの~?まぁ新しく入隊したばっかりだし仕方ないか。」
リュカと激しい戦闘を繰り広げながらも、ラスティは横目で周囲の状況を見る余裕があるようだ。おそらく実力は彼女の方が上だろう。だから早急にリュカを援護する必要がある。けれどもアイザックに身動きを封じられているセレイネの事も心配だ。
「俺はセレイネを助ける。ミリアはリュカの事を頼む。」
「分かりました。博士とフェルナちゃんのことは任せてください。」
そしてタツヤ達は二手に分かれる。セレイネを解放するにはアイザックを無力化するのが一番手っ取り早いだろう。
「今あいつをぶっ倒して助けてやるからな。」
「待ってタツヤ。わたしの事はいいから、あの男から離れて!」
「何言ってんだよ。仲間を助けるのが最優先だろ。」
セレイネの忠告を無視して、タツヤはアイザックと対峙する。たしかにセレイネを一瞬で無力化するくらい彼は強いが、だからといってこの状況を放っておくわけにもいかないのだ。
タツヤに銃口を向けられても、白髪の青年はヘラヘラとしている。
「さて君はどんな能力を見せてくれるのかな?」
「なんでちょっと楽しそうなんだよ。気色悪ぃ。」
眉を顰めてタツヤがアイザックに向けて銃弾を放つ。しかしその全てが彼に到達する前に急に減速して、床に衝突してしまったのだ。その光景はまるで、弾丸が床に吸い込まれていくようであった。
アイザックのシールドにすら到達しないのなら、どれだけ撃っても無駄である。
「普通に銃弾無効化するのかよ。なら直接殴るしかねぇな。マリー!」
「待ってたわよ!人間ピンボールの時間ね。」
霊視の力を覚醒させたタツヤは亡霊マリーに合図する。本当にこの1年間、彼女には助けられてばかりである。たくさん呼びすぎて、何故かタツヤ自身でも1つくらいはバネ足場が出せるようになった程だ。流石に複数のバネ足場を使うには彼女の助けが必要ではあるが。
アイザックは真下に生成されたバネ足場を踏んでしまい、宙に舞う。
「自分以外の対象にも効果があるのか。面白い能力だね。」
「そりゃどうも。これは俺の大切な仲間の能力だ!」
そして打ち上げられたアイザックに向かって、タツヤがバネ足場を踏んで高速で近づく。対してアイザックが起動したのは防壁を展開するドローンだ。リーナスのものより少し大きく、その分防壁も厚い。それによってタツヤの初撃は防がれてしまった。だが、
「これで全体に防壁を展開するしかねぇよな!」
アイザックの周囲には彼の方を向いた無数のバネ足場があったのだ。タツヤはそれを踏みながら、連続攻撃を繰り出す。縦横無尽に空中を舞う彼を捉えられる者などいない。
高速でどこから飛んでくるか分からない斬撃に対して、アイザックは全方位を防御するしかないのだ。しかしその分、耐久力が落ちてしまうため、防壁が壊れるのも時間の問題である。
「面白いものが見れた。ーーそれじゃあ遊びはもう終わりだ。」
しかしアイザックの一言で、タツヤの優勢は一気に覆る。突然バネ足場と共にタツヤは床に叩きつけられてしまったのだ。まるで巨岩が背中にのしかかっているような感覚に、タツヤは苦痛の声を上げる。
「なんだ...これ?魔法、いや固有能力か!?」
「どちらでもないよ。だがそんなものが存在する不安定な世界だからこそ、僕も力を持てたわけさ。では一緒に破滅の始まりを見るとしよう。」
リュカ達の方を見ると、そこでも状況に変化があったようだ。リュカと共闘していたミリアに対して、外から何かが撃ち込まれる。おそらく狙撃手によるものだろう。
並大抵の攻撃なら一瞬で完治してしまう彼女だが、今回撃ち込まれた弾丸の正体を知って顔を青くする。
「これは強力な麻酔弾!?ダメ...解毒が追いつき...。」
そのままミリアは意識を失ってしまう。続けて彼女の妖精も消失してしまったようだ。傷は即治療出来るが、複雑な状態異常だとそうもいかない。彼女の弱点は気絶攻撃なのである。
偶然かは分からないが、初手でミリアを気絶させ、セレイネを拘束した黒騎士は実に合理的だったというわけだ。
「新米も戦闘不能になっちゃったし、そろそろ本気出しちゃうか~。本当は悪役みたいでこんなことはしたくないんだけどね。」
それからラスティが嫌そうな顔で能力を発動する。床から生えてきたワイヤーフックが、リュカの背中に掴まっていたフェルナに引っかかったのだ。そのまま彼らは引き離されてしまう。
「あっ。」
「フェルナ!!」
無防備になったフェルナに向かってラスティが狼のような目で迫っていく。そしてショットガンの銃口が幼い獣人の頭を狙った時、その前に立ちはだかったのは赤い毛並みをした狼人間だ。だがその行動こそが、ラスティの真の狙いなのである。
「その心臓、いただくよ。」
「リュカ!!」
ーーラスティのショットガンから放たれた弾は、リュカの左胸に風穴を開けたのだ。
泣き叫ぶフェルナの方を向いて、リュカは優しく微笑む。その眼差しは初めて彼が自分と出会った時に向けたものと同じもの。
そしてリュカはかつて彼女の母親から言われた言葉を告げる。この言葉は娘である彼女に受け継がれるべきなのだ。
「世界は君が思う以上に美しい。だから生きろ、フェルナ。」
次の瞬間、リュカは笑顔のまま、狙撃によって頭を吹き飛ばされる。そして彼は光の粒子となって消失した。
タツヤの体の中を燃え盛る怒りが荒れ狂う。その激昂に身を任せたまま、吠えた。...吠えるしか無かった。
「こんなの、あんまりじゃねぇか!いったいリュカが何をしたって言うんだよ!!」
「傭兵風情に知る権利なんて無いね。」
しかしラスティは彼の激情に対して、冷たい言葉を返しただけだ。彼女は任務を達成するために、次の標的に向けて発砲する。冷酷な軍人の姿がそこにはあった。
「私は...リュカの為に生きなきゃ...。」
だがフェルナは頭に集中シールドを展開して防いだのだ。今は亡き大切な人の願いに応える為に、彼女は必死に生にしがみつく。
しかしラスティは容赦なく、彼女のシールドに向けてショットガンを乱射しまくる。一発、また一発と撃ち込まれる度にシールドはひび割れていき、遂に最後の希望が硝子のように砕け散った。
「...君は生きてちゃいけない存在なんだよ。大多数の幸福の為に、一人を犠牲にする。ーーそれが世界だ。」
少しの沈黙が流れ、ラスティのトリガーを引く指に力が入る。そして弾丸が放たれようとした時、外から撃ち込まれたライフル弾がフェルナの心臓を正確に貫いたのだ。
「少し迷ったっていいでしょ。同じ獣人だし、思うところがあったんだよ。」
寂しそうにラスティはその場でぽつりと呟いた。もしかしたら通信機で狙撃手と会話をしているのかもしれない。
そしてフェルナの最期から目を背けるように、ラスティは黒髪の少年の方を見た。彼は相変わらずその場で喚き散らしている。
「こんなの間違ってるだろ!なんで俺たちの話をもっと聞こうとしないんだ!!」
「それは強者の特権だよ。ーーそして弱い君じゃ、世界はおろか、一人の少女すら救えない。」
ラスティの発言は的を得ていた。だからタツヤには言い返す言葉が何も見つからなかったのだ。
もちろん努力はしていた。それでもタツヤには守りたい人を守る力すらない。これでは世界を救うなんて夢のまた夢である。
「まだ足りないのか...俺はいったいどうすれば。」
タツヤが静かにそう呟いた時、突風が巻き起こる。そしてその風は倒れたフェルナを中心に渦巻き始めたのだ。
ーーそう、フェルナはまだ消失していない。
「どういうことだ!?何故フェンリルが消失していない。」
慌てたラスティが宙に浮いたフェルナに向かってショットガンを乱射する。同じく狙撃手もライフル弾を発射したが、謎の力によって弾道を逸らされてしまう。
タツヤもその光景をただ呆然と見ていた。怒涛の展開に理解が追いつかない。だがこれだけは分かる。あの力はフェルナの意思では無いと。
誰もがその存在に恐れ慄く中、ただ一人恍惚とした表情で眺めていたのはアイザックだ。
「ラグナロクにおいて戦神すら飲み込んだとされる最凶の獣。フェンリルに果たしてこの世界は耐えられるのか。ーーさあ実験の始まりだ。」
ーーそして終焉の獣が顕現する。
【第一章完結!】霊視傭兵の生きる道 早川 瀬乃 @369147369147
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