大切な貴女の守り方

@mitsuya_MSMC

第1話

「だいぶ自然に笑顔作れるようになったね。今更だけど」

 部活の時間中、小都莉をデッサンしていてふと思った。

「えっ、そうかな…?」

 初めて話した時は笑顔とかそんな次元のものじゃない、もはや表情があるのかこの人はという感じで、表情は疎か一言二言話すのも精一杯の様子だった。それが今では人並みに話ができるようになって、その話題に対応する表情も自然に出るようになった。

 私が育ての親の様な感覚になって何だかむず痒くも嬉しくもある。

「まぁ、まだ私の前だけなんだけどね〜その笑顔出来るの」

「これから頑張る…」

「あははっその調子!」

 素敵な笑顔なんだからもっとみんなにも振り撒いてやれよとは思うけれど、私だけに見せてくれるものだと思うと少しだけ独占欲がくすぐられる。


「じゃあ今日はここまでにしよっか。モデルお疲れ様」

 小都莉はほっぺが固まると言いながら凝った両頬をぐりぐりほぐす。

「明日はむぎちゃんモデルさんやってね」

「ごめん! 明日用事あってさ、そんな訳で部活行けないのよ」

 そう言うと小都莉は顔を顰めた。

「最近むぎちゃん用事多い…」

「ごめんごめんそんな拗ねないで。いやぁ最近母親に無理矢理塾入れられてさ。私としては今すぐにでも辞めたいんだけどね、めんどくさいし」

「用事って塾だったんだ。それなら素直に塾って言ってくれれば良いのに」

 勉強嫌いの私が母親の命令とは言え柄でもない塾に入ったと豪語するのはなんと言うか、気恥ずかしい。塾入っといてその学力ですか、となりそうで。

「という訳なのだ」

「これからは隠し事しないで」

 小都莉は小指を差し出し『約束しろ』と今までにない真面目な表情で言外していた。

 そんなに重大な事柄でもないと思うけど小都莉の顔を見るにそういうものらしく、無碍にするのも悪い気がして指切りをする。

「どう? これで安心?」

 うん、と小都莉は朗らかに微笑んだ。


「ただいまー」

 玄関を開けると同時に、外まで漂っていたスパイシーな香りがより一層強まる。

 今日の晩御飯は間違いなくカレーだ。

 餌に誘き寄せられた魚の如く台所へ向かうと案の定カレーが作られていたが、まだ完成してない状態だった。

「おかえり。カレーあとちょっとだから待っててね」

 香りで活発化した腹の虫が鳴り止まないので出来上がる間に冷蔵庫にあったプリンをお腹に与えるとする。

「誰のか知らないけどいっか。腹減ってんだこっちは」

 リビングに向かい椅子に腰掛けるとこれまた匂いに釣られたモモがへっへっへっと舌を出しながら快活に足元へ歩み寄ってきた。

「ごめんねぇこれ人間用だからわんころのキミは食べちゃダメなの」

 食べたい食べたいとマズルを突き出すモモを雑に撫でながら牽制していると、これに腹を立てたのか腕をガブリ、

「いったぁ!? メッ! だよ噛んじゃメッ!!」

 甘噛みとは言え不意に噛まれると存外痛い。その上少し跡が付いた。

 傷跡を気にして落胆していると今度は後ろからドスドス体重をかけながら間隔広めに向かってくる人が、ギーーーーッ!!

 立ち所に顔を爪で引っ掻かれた。堪らず顔を両手で覆った。

「いってえな! いきなり何すんだてめえ!!」

「何でお姉ちゃんが私のプリン食べようとしてんの!」

「お腹減ってたんだよ! ていうか顔は無いだろ!!」

 逆ギレも虚しく「ダメッ!」と妹に思い切りプリンをぶん取られる。

 顔引っ掻く前に口で言えば良いのに。初手で引っ掻きなんてとんだ暴力的な妹だよ。

「あーあ、腕にも顔にも傷が…痛い……」

 乙女の柔肌が一夜にして台無しになってしまった。




 次の日、学校に着くと下駄箱ですれ違う友達みんなに傷を心配された。結構目立つ傷故に私としても跡が残らないか心配になってくる。

「お前どうしたんだよそれ喧嘩でもしたのか?」

「むぎ、不良少女になっちゃったか…」

 コイツらが思ってる程大層な理由で出来たものではない。

「誰が不良だ。昨日家で色々あっただけだから」

 文句を垂れつつ上履きに履き替えると、前屈みになった拍子にスクールバッグのポケットから二つ折りにされているノートの切れ端がひらひら舞い落ちてしまった。

「お、これが昨日の果たし状?」

「だから喧嘩じゃないっつーの…あ、ちょっと!」

 自分で拾い上げる前に結衣に切れ端を取り上げられてしまった。

「返せー!!」

 飛び跳ねて奪取を試みるもあまりの身長差に伸びした手が虚しくも空を切るだけだった。側から見たらまるで虐められているみたいだ。

「ほれほれ〜取ってみぃ〜」

 結衣の無駄に高い身長はバレー部内だけで有効活用して欲しいと思った矢庭に鋭く、何かに突き刺される様な感覚に陥った。

 誰かに見られている、そんな感覚。

 周りを見渡してもこちらを注視してる人は見当たらない。

「むぎどうしたん?」

 結衣の隣でニヤニヤ見ていた夏織に言われてようやく意識が元の場所に戻る。

「ん、いやー別に」

 さっきのは恐らく気のせいだろう。

「それでさ、このラブレターは何よ」

「ラブレターでもないわ。あー…それ一年の頃に小都莉から貰ったやつ」

 高校に上がって初めて会話を交わした、私は口談で小都莉の方は筆談だったけれど、その記念すべき第一号がこの切れ端だ。

 ただこの切れ端を貰うのにも結構時間が掛かったのだ。当初の小都莉は話しかけても俯きがちでうんともすんとも言わない無口無感動な子だった。『隣よろしくね』と声をかけても多少は顔を向けるけど直ぐに元の位置に戻ってしまう。目も泳ぎがちだったのを覚えてる。何というか虐待された子犬の様だった。誰の事も信用しない、誰にも心を開かない。憶測だけど過去に嫌な経験をしているのだと思う。仮に本当にその様な経験しているのだとしたら思い出させるのも不粋なので、聞きたくないと言えば嘘になるけど一度も触れた事はない。

 毎日挨拶などを欠かさない私は相手からしたらだいぶ厄介者だろうなと薄々感じるが、こういうタイプの人は自分の世界を築いてるせいか話し出すと存外に面白く、故に近付きたくなる。

 その甲斐あって、ようやく心の扉を開いてくれた小都莉の初返事。

『おはようございます』

 ノートの切れ端には耽美な字で淡々と書かれている。

 おまけに不器用なりにも魅力的な笑顔も向けてくれたのは記憶に新しい。形として残せないのが勿体無いくらいだ。

「お前あの根暗女と文通してたの?

「根暗とか言うな私の友達だぞ」

 友達の友達とも仲良くするべき、とは思わないけどそういう評価を下されるのは聞いてて面白くない。ムッとしながら切れ端を結衣から奪い返して足速に教室へと向かった。

 私と小都莉は高校で初めて会った為、小中学時代の彼女の事は何一つ知らない。彼女と同じ学校だった結衣と夏織が総評するに誰から見ても根暗という印象なのだろう。その人が感じる印象なのだからそこは否定しない。ただ、根暗だと一蹴するには勿体無いくらいの人材である事は私が証明済だ。彼女は中々に電波的で甘えん坊な人だと歩み寄らずして誰が知り得るだろうか。この面を知らないとはつくづくみんなは損している。

 あとは…顔立ちがこれがまた良くて、髪質も良くて……

 閑話休題。

 事実、心を開いてからの進展は早かった。同じ趣味を持っていて互いに美術部に入部したのも要因として大きい。当初では想像出来なかった口談での会話は勿論、表情だって柔和になった。常に受け身だった会話も自発的に行えるようになった。何も無い所からのスタートだと考えると非常に目覚ましい成長であるのは間違いない。

「本当は面白い子なんだよ」と一人で呟いた。

 教室に入るとここでも心配される。まぁ心配されるだろうなと思った。何せ相手はセンシティブマインドの小都莉だ。

「腕…それと顔……」

 口数は少なくとも大いに心配してくれてるのが伝わってくる。何故なら今にも泣きそうな程声が震えていた。

「小都莉がそんな弱々しくなってどうすんの。ペットに軽く噛まれて妹に引っ掻かれただけだし大丈夫だから」

 小都莉の手を握って『大丈夫だよ』と言葉と感覚で伝えて安心させる。

 言葉の情報より感覚的な情報の方が受け取り易いのか、こうでもしないと彼女は落ち着かない。

 未だ困り眉ではあるけれどさっきよりはマシなっている。本来介抱されるのは私の方なんだけどなと思う気持ちはこの際忘れる事にする。

「何だお前ら付き合ってんのか」

「うわ、うるせーやつが来た」

 昇降口で抜かした結衣と夏織が今になってやって来た。タイミングというのを考えて欲しい。

「むぎ耳赤いぞ」と去り際に夏織に言われて慌てて誤魔化すように耳を手で覆って隠すと確かに熱かった。羞恥を意識の外に追いやってるのに指摘しないで欲しい。

 何気なく手を握っているようで実は結構恥ずかしい。

 私も多少は頑張っているのだ。

「ってあれ?」

 気付かないうちに小都莉が消えていたので周りを見渡すと既に自分の机に戻っていた。

 集団になると相変わらずな彼女だった。


 いつも通りの退屈な授業を終えて放課後を迎える。

「じゃ、今日は塾だから帰るね」

 小都莉に挨拶をして下校しようとした所、

「私も一緒に帰る」

「部活は…まぁいっか。うちらの部緩いし怒られないか」

 一年と三年生にも幽霊部員いるくらいだからこんな些細な事じゃお咎めは無しだ。運動部には絶対に無いであろうこの緩さが魅力的なのだ美術部は。

 しかし、これを逆手に取られて母親から塾通いを強制させられてしまったのだが。難関大学受ける訳でもないし今からそんなに張り切らなくても良いのに。


「それにしても何で小都莉もお帰りに?」

 日は暮れても未だじっとりと暑い帰路の中、小都莉に突発的な休みの理由聞いてみた。

「デッサンのモデルいないし…」

「他の人にモデル頼めば良かったじゃん。それか人物じゃなくてもさ」

「それは嫌」

 つまり私がいないから描く気が起きない、と。私を描きたかっただろうに何だか少し申し訳ない。

「明日は部活行けるから」

 ひぐらしのなき声を聞きながらたわいもない話をしつつお互いの家へと歩を進める。

 私はこれから塾だと考えると足が重くなる感じがした。暑さのせいか余計にだるく感じる。

「あの、嫌なら答えなくて良いんだけどさ」

 そしてこれもたわいもない会話の一つで、何となく、今朝の回想でふと考えたから、根暗という評価が気に食わないから、魔が差して、衝動的に…そんな言い訳を心の中で並べて自分を納得させて、

「小都莉って過去に虐められた事ってある…?」

 “虐め”

 決して気分の良い言葉では無い。聞くのも憚られる不快必至の話題。だから聞いてはいけない。しかしながらそれを百も承知で聞いた。綺麗事無しに端的に言うと、興味があるから聞きたい。二律背反もいい所だ。自分の興味を満たすには相手に不快な思いをさせなければいけなかった。

「……」

 小都莉の表情はたちどころに曇り、ばつが悪そうに押し黙った。察するに過去に何かあったのだろう。

 そりゃそうだ、誰も暗い過去なんて好んで話をする人なんていない、そんな事分かってるはずなのに何で聞いてしまったんだと後悔した。罪悪感も芽生えた。

「ごめん、変なこと聞いちゃったね。今の聞かなかった事にし…」

 慌てて誤魔化している最中、突如小都莉に抱き寄せられた。

「えっ、あ?…え!?!?」

 みるみる内に体温が上昇し、つま先から頭までが沸騰しかけているのを感じる。

 怒られるなら理解出来る。ただ、抱き付かれるのはあまりに予想外の出来事で前後の辻褄が合わず頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 わっわっ、うわ、すご、小都莉良い匂い…やらかぁ……

 これ私も腕回した方が良いのかな、と驚きよりも欲望が上回ってしまっていた。

「気付か…………めんね。必ず助……から」

 抱き合ってる最中、小都莉が何か呟いていたが、何を言っているのかいまいち聞き取れなかった、というより液状になった頭でそこまで気を回せなかったのというのが正しい。

 暫くして身を離した際に小都莉を顔を覗き見てみると、私の上がり切った気持ちとは裏腹に小都莉のそれは酷く悲しげに見えた。

 冷静になってやっぱり、あんな事言わなければ良かったと再度痛感する。

 夕暮れの景色に溶ける彼女の後ろ姿をぼうっと見遣って、“ごめんね”と謝罪の言葉を呟いた。


─カナカナカナ…


 今日は心なしかひぐらしのなく声が鮮烈に聞こえる。


 後日、小都莉は学校に来なかった。ホームルームでは体調不良だと連絡されたが恐らく本当の理由は昨日の事だろう。

 まずった、といよいよタブーに触れた事への責任がのし掛かる。

 小都莉に謝罪の連絡をするべきか、それとも本当にただの体調不良だったら気まずい。

 取り敢えず小都莉に『大丈夫?』と、あえて“何が”についてを指さずにメッセージを送ってみると、程なくして返信が来た。

『うん』と“気にしてないよ”なのか“体調は大丈夫”の意なのか卑怯な往信をした私には判断がつかなかった。

 これ以降の返信は放課後になった後も一通も無く、ただただ自分の不安を増長する形になってしまった。




「そういや最近むぎの相方見ないね。本当に体調不良なのかな? ズル休みだったりしてね」

「小都莉はそんな事する子じゃないし、体調不良だって先生も言ってたし…」

 小都莉が学校を休んでから一週間が経った。夏織が気にする様に、私も心配になって先生に聞いてみた事もあったが、先生自身も体調不良としか言われてないみたいだった。それならと本人に直接聞いても一貫して体調不良だ、と。

 嘘だ。

 隠し事は無しだと約束したばっかりなのに。

「あのさっ」

 自分の席に戻ろうと踵を返した夏織を呼び止めてこの間の出来事、小都莉は虐められた事があるのかと聞いた事を話した。その出来事が今、小都莉が休んでいる原因かも知れないと言う事も含めて。

「んーまぁ、あったね。小学生の頃は悪口とか言われてたけどみんな最終的に避けてたって感じ。昔から小都莉って話しかけても何されても反応しない子だったから」

 疑惑は確信に変わった。あの質問で傷付けてしまったのだと。

「やっぱりあったんだ」

 虐めの事実があったのにも関わらず何故その風潮を無くそうとしなかったのかと怒りを覚えたが、小都莉も小都莉で人を無視するのはよろしくないと考えて怒りを相殺する事にした。ここで夏織に怒っても仕方がない。

「けど、聞かれて不快になったとしてもここまで心に傷を負う程のものかねぇ? ちょろっと聞いただけでしょ」

「夏織って虐められた事ある?」

「え? いや無いけど」

 私たちは虐められた試しがない。だから小都莉の感じる痛みを真に理解する事は不可能なのだ。もしかしたら思ってる以上に深く傷付いてるかも知れない。

「その程度で、だなんて簡単にそう言い切るのは良くないよ。嫌なものは嫌なんだから」

「あぁ悪い。てか前から思ってたけど、むぎって小都莉の事好きだよね」

 夏織に『変人同士お似合いだな』の意を含んだ様な意地の悪い顔で言われ、

「もちろん、めっちゃ好きだよ」

 知られているのなら隠す必要は無い、照れ隠しにおどけて言ってやる。

 明日直接小都莉に謝罪しに行こう。再び仲を戻せるように。




 しかし、どうしたものか。友人と喧嘩…紛い? をしたことが無いので仲直りを経験した事が無い。改めて謝罪というのを考えてみると意外とこれが難しい。立場が上の人にごめんなさいするのとは訳が違う。どの様な面持ちで行けば良いのか、深刻そうに? 『めんごめんご』的ラフに? そもそも『ごめんね』『いいよ』とそんな単純に終わるものなのだろうか。小学生じゃあるまいしそういう訳にもいかないか。

 休日は朝起きてから今に至るまで、ずっとそれらについて考えを巡らせていた。時刻は19時、答えはまだ出てない。答えの無い問題に答えを求めるのも変な話だけど。ただ、正解でなくともそれに近い行動が取れるような後ろ盾となる筋道が欲しかった。思慮の浅い行動を取った結果こうなってしまっているのだから己の考えだけで臨むのが怖いのだ。別に関係がこのまま消滅して良い相手なら細部まで思い悩む事はない。相手は小都莉で関係を絶ちたくない思えるくらい大切だからこそだ。

 小都莉に会いに行くってだけでこれ程緊張した事はない。手汗も滲んでくるしお腹も痛い。身震いもしてくる。行く決意はあるものの覚悟の準備が未だ出来ておらず、時間が経つ毎にそのハードルが上がってくる様な気がしている。19時だし行くのも迷惑かな、と逃げ道を考えるくらい及び腰にもなっている。自分で行くと言っといて渋るなんて甚だおかしいとは分かっているが頭の理解と身体の納得は全く別物だった。

「…よし、行こう。取り敢えず行こう!」

 自分を鼓舞して無理矢理行くよう促し、ようやく立ち上がれた。しかし、玄関のノブに手を掛けたと同時に固定電話が鳴り響いた。

「タイミング悪いなぁ…」

 文句を言いつつ受話器を取り「もしもし」と応対をすると聞いた事のある声が受話器から流れてきた。

「もしかしてむぎちゃん? ごめんなさいね夜に電話かけちゃって」

 声の主は家に遊びに行った際によく聞く夏織の母親の声だった。しかしその声はどこか憔悴気味といった様子に感じられた。

「どうしました?」

「夏織…むぎちゃんの家に泊まってたりしない?」

「いや、いないですけど…夏織がどうかしたんですか?」

「そうよね…ごめんなさい」

 夏織の母親はいないと聞くと心底落胆する様にため息をこぼした。

「……昨日から夏織が帰って来ないの」

「帰ってこないって家出してるとかですか?」

「それが夏織と電話すら繋がらなくて分からないの…」

 聞いた途端、廊下に溜まっている湿度のある熱気がより淀んだ気がしてじっとりと撫でるように背中に嫌な汗が流れた。

 状況の判明してない行方不明、最悪の事態が脳をよぎる。頼むからそうであっては欲しくない。

「私もさっき連絡が来て知ったんだけど、行方不明になってるの夏織だけじゃなくて結衣ちゃんもなの」

「そんな…」

 昨日まで話していた人達がいきなり行方不明になりました、と言われても正直現実味が湧かない。月曜日学校に行けば普段と変わらず教室にいたりはしないだろうか。実はタチの悪い冗談でしたというのにもなってくれないだろうか。

「お願いなんだけど夏織と結衣ちゃんに関する情報、本当に些細な事でもいいの、もし何か聞いたりしたら教えて欲しい」

「分かりました。私も周りに知ってる人がいないか聞いてみます」

 物騒な話をしてごめんね、と話はそれで終わった。

 小都莉を蔑ろにする訳ではないが、今の話を聞いて頭はそれ一色になってしまっていた。友達が失踪したなんて話を聞いては気が気でない。それにとても今一人で安全に外出出来る状況ではない。小都莉には悪いけど謝罪はまた後日に回して今は私に出来る事を急がなければいけない。

 取り敢えずスマホで結衣と夏織に電話をかけてみた、が案の定応答は無かった。無駄だと予想はしていたが、万が一でも可能性があるのならばかけずにはいられなかった。

『メッセージ見たら返信して』

 二人にメールを残す。手掛かりが無い以上聞き込みと返信が来る事に望みをかける事くらいしか出来ない。

 結衣と夏織の失踪は間違いなく第三者が関わっている。学校や家庭にトラブルなんてこの二人に限ってそんな事はないだろうし家に何日も帰らずに遊び惚ける奴らでもない。結託して意図的に身を晦ましたという線は考え難い。そして二人が見つかってないという事はこの事件を引き起こした犯人もまた捕まらずに何処かに存在している。

 知らない街で知らない人の失踪事件なら他人事として危機感を持たずに聞き流してしまうかも知れない。正直な所、私がそうであるように大半の人もそうであると思う。しかし今回は自分の住む所で親しい友達がその目に遭っている。目を逸らす事は不可能だ。次狙われるのは自分かも知れないし、他の友人かも知れない。

 得体の知れない恐怖が下から這い上がってくる。

 小都莉はこれを知っているのかどうか定かではない。だけれど少なくとも話をするだけでも防犯意識を持たせる事は出来るはずだ。

 これ以上私の知っている人達が被害に遭うのは耐えられない。そう思うと私は再び電話を掛けていた。


─プルルルル、プルルル、プルルル…


 コール音が鳴り響く。

 しかし出ない。

 そんなはずはないと思っていても電話に出てくれないだけで焦燥感が募る。


─プルルル、プルルル、プルルル…


 何度かコール音が鳴った所で先程から何処からか籠った妙な音が耳に入ってくるようになった。

 一旦耳元からスマホを離して注意深く聞いてみる。

 その音の正体はスマホのデフォルト設定の着信音だった。しかし何処から。音の出所を探りながら耳を傾ける。

「…え? 何でそこから」

 後方に位置するリビングからではない、それは私のすぐ先にある玄関の向こう側からの音だった。

 恐る恐る玄関に近づいてドアスコープを覗いて見ると、そこには小都莉が立っていた。

「小都莉!? 何でいるの!」

 予想だにしなかった小都莉の来訪に軽くたじろいだ。しかし驚いて固まってる場合ではないと鍵を開けて小都莉を中に招き入れた。

「いやぁ、ビックリしたよ小都莉が家に来るもんだから。それにしても急にどう…」

 私の話に耳を傾ける素振りも無く小都莉はずけずけと家に上がり込んでは真っ直ぐリビング目掛けて歩を進めた。

「え、ちょっ、小都莉!」

 ドアスコープ越しからではよく見えなかったが、私を何て事のないただの通行人の如く通り過ぎた小都莉の姿を確認すると後ろ手には金属バットが握られていた。そのバットは損傷が酷く所々が大きく凹んで、そしてなりよりそれはおどろおどろしく赤黒く染まっていて小都莉が持っていてとても似つかわしいものではなかった。

 小都莉の態度と持っているバットにしばらく呆気に取られていると、彼女が向かって行ったその先で『カコーン』と何かをバットの芯で捉えた様な軽快な音が鳴り響いた。その直後にテーブルに何かが落ちた衝撃音と食器が激しく鳴り合う音が響き渡った。何事かと私もリビングへと急いでみると、

「おかあ…さん…?」

 母親がテーブルに突っ伏していた。しかも頭部から赤くどろっした液体が流れ出ていて今まさに血溜まりを形成されようとしていた。

 突然押しかけてきた小都莉がバットで母親を殴り殺した…? 普通母親の頭から血が流れている光景なんて見ないし、ましてや小都莉は人を殺す人ではない。夢の中でもそんなデタラメな出来事は起きない様な事が起きている。当然、まあそうなるよなと理解出来るはずがなかったし受け入れられるはずもなかった。

 何がどうしてこうなっているのか分からず呆然と立ち尽くしていると、小都莉がリビング最奥のモモが入っているゲージ前にいるのが見えた。

 何をしようとしているの、とバットを頭上高く振り上げている小都莉に向かって言いたかったが声が出ない事に初めて気付いた。喉が萎縮して出そうとしても出なかった。

 普段は滅多に吠えないモモが勇ましく吠えている。しかしその声は長くは持たなかった。

「お前がッ! 噛んだからッ! むぎちゃんのッ! 腕にッ! 傷がッ! 付いたんだッ!!!!!」


─ガンガンガンガンガンガン


 暴力のかぎりを尽くして乱暴な打撃音を響かせながら小都莉はゲージごとモモを叩き潰している。

「死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! 死ねッ! 死んでしまええぇぇぇええええッッ!!!」


─ガンガンガンガンガンガンガンガンガン


 こんなに語気を荒げる彼女を初めて見た。その様子はまるで何かに憑かれているみたいで、この人が小都莉本人だとは思えなかった。その剣幕に気圧されて私は成す術もなくその場にへたり込んでしまっていた。 

 ゲージを破壊する音は次第に水気や骨が折れる音が加わり更に不快なものに変貌していく。最早怯えるモモの声すら聞こえなくなって『ぐちゃ、ぐちゃ』と叩き潰される音だけが残った。

 再び視線をそこに合わせるとモモであったでたろう肉塊が損壊されたゲージと同化していた。

 見るに耐えない姿にされたモモを目にしてあまりの凄惨さに涙と吐き気が止まらない。

「むぎ……はや、く…にげて……」

 すると、辛うじて生きていたお母さんの呻く声が聞こえた。

 良かった。まだ生きていた、と安心したのも束の間、直後に母親の頭部にバットが振り下ろされた。

「ひっ……」

 何一つ躊躇いのない行いに思わず息を呑んだ。


─グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ、グチャ


「むぎちゃんを縛り付けるなぁっ!!!」

 小都莉は叫び声を上げながら何度も何度も何度も何度もバットを叩き付ける。バットが頭を直撃する度に血が溢れ、潰れた肉や砕けた骨が飛散する。

「う…う゛っ」

 目の前で叩き砕かれる母親を見て再び強烈な吐き気を催して床いっぱいにビチャビチャと音を立てながら吐瀉物が広がった。

 口元を拭い顔を上げた頃には母親の頭は形すら無くなっていた。

 恐怖で全身の力が抜け落ちて呼吸すらままならない。

「大丈夫、すぐ終わらせるからね」

 小都莉はまるで敵意を感じさせない柔和な笑顔を私に向ける。鬼畜の所業をしているのに、どうして天使のような表情で物腰柔らかな接し方が出来るのだろう。やっている事と対応が乖離し過ぎていて頭の中がぐちゃぐちゃになる。

 あんた、人を殺してるんだよ?…終わらせるって何の事。

 そして小都莉は次いで足早に奏の部屋へと向かっていった。

『どうしてこんなことするの』『もうやめて』『止まって』『殺さないで』

 溢れ出る心情は声を伴わない。向かってくる車を目の前にして身体が固まって轢き殺される猫の気持ちが分かった気がする。

 妹の部屋からはけたたましい小都莉の怒号と妹の喚き声、バットを叩き付ける音で溢れかえっている。

 妹が殺されてしまう、早く助けないと。

 しかし恐怖に支配されて立ち上がれない、動けない。声が出ない。息が苦しい。

「お姉ちゃん助けッ………」

 妹の必死な叫び声は先程も聞いたバットの軽快な音と同時にぶつ切りにされた。

「ぅああああああぁぁぁぁぁあああぁぁあ゛あ゛ぁ゛あ゛!!!!!!!!!」

 動けず何一つとして抵抗出来なかった私はなす術もなく、ただ発狂する事しか出来なかった。

 ようやく出た声が叫び声だなんて、何の意味もない。叫んだ所で誰も助けられないのに。お母さん、奏、モモ。何も出来なくてごめんなさい…ごめんなさい。

 妹の部屋から出てきた小都莉は今までにない程綺麗な笑顔だった。その曇りのない笑顔の意味が分からない。

 嗚呼、今度は私が殺されるんだ、と近づいて来る小都莉を見て思う。もうどうなっても良いやと、どうしようもない自分に殆愛想が尽きていた。

「むぎちゃん、助けに来たよ」

 掛けられたのは私の想像とはかけ離れた言葉だった。助ける…? 私を何から助けに来てくれたの?

「遅くなっちゃってごめん…むぎちゃんが受けてる苦痛に今まで気付けなくて…」

 私が受けている苦痛とは、今見せられたこれ以上の苦痛ってあるの。彼女は一体、本当に何の話をしているのだろうか。

「あと今まで体調不良だとか嘘付いてて…それもごめんね。隠し事無しって指切りしてくれたのに」

 血塗られたバットを置いて、摩られるその手をよく見てみると小都莉の右手の小指が短く切り取られていた。約束を破った事への償いのつもりだろうか。

 ……狂ってる。

「でも、もう安心して良いよ。むぎちゃんの苦痛は私が全部取り除いたから。もう結衣と夏織達からは虐められる事はない。私も虐められた事あるからむぎちゃんの苦痛は痛い程分かるの。嫌だったよね、苦しかったよね…」

 結衣と花緒が行方不明になったのってこいつの仕業だったのか。バットが赤黒く染まってたのもあの二人の…

 そもそも私は二人から虐めを受けた事なんて無い。誰の話をしているんだ。

「それに妹と犬からも酷い仕打ちをされる事もない。お母さんからも何も強制されない。塾は勿論通わずに済む。むぎちゃんはもう自由なんだよ! これからは毎日一緒に部活行けるね。もし他にも望みがあれば言ってね。私が頑張って何とかしてあげるから。だってむぎちゃんは初めて私を気に掛けてくれた、私を退屈な世界から引っ張り出してくれた。大切な人だから。むぎちゃんが私を理解してくれる様に私もむぎちゃんを理解してあげられる。そんな大切な人が苦痛を受けるなんて私は嫌。だから今度は私がむぎちゃんを救う番」

 奏とモモは殺されて当然の事をしただろうか。お母さんだってそうだ。殺されて良い理由なんか一つもない。私はみんなから酷い仕打ちなんてこれっぽっちもされてない。何が痛い程分かるだ。何一つ理解出来てないじゃない。それに私以外にも小都莉を気に掛けてくれてた人だっていた。差し伸べられていた手を振り払ったのは小都莉自身だ。

 もはや弁明する気力すら起きない。この人とは絶対に分かり合えない。私の一言で気に病んでいるのではないかと考えてた自分が馬鹿みたいだ。

 どこで間違えたんだろう。私が小都莉に無視されても歩み寄ったせいかな。私もみんなみたいに小都莉をどうでも良い人間として見れば良かったのかな。

 必要以上に近付いたのを今更後悔した。

 私が知っている小都莉は笑顔はこんなに上手じゃないし饒舌でもない。人の痛みを理解出来る子で酷いことなんかしない。

 何一つ理解出来てなかったのは私も同じだった。

「誤解のないように言うわ」

 大きく息を吸い込む。

「小都莉なんて心の底から嫌いだし死んで欲しい。私を理解しているような事言われたくないし、もうあんたの事なんか一つも理解したくない」

 逆上覚悟で言い放つ。今となっては小都莉が憎くて仕方がない。しかしそう思うと皮肉にも心が握り潰される様に痛んだ。今まで築いた関係がこんな形で崩れ落ちるとは思わなかった。本当はこんな事思いたくなかった。死んで欲しいと本心から思えるのが堪らなく嫌だった。嫌いになりたくなかった。

 小都莉、好きだったのに。

「え、むぎちゃん…? 嘘…だよね? 何で…だって私むぎちゃんの為にこんなに…こんなに頑張ったんだよ!」

 誰が頼んだこんな事。そんなのは私の為じゃなくて小都莉自身が作り出した『虐げられて可哀想なむぎちゃんを助ける私』という、こうであって欲しい理想を押し付けただけだ。自分の為にやった癖に、ヒーロー気取りも大概にしろ。腹が立つ。

 すると小都莉は途端に俯いて大粒の涙を流し始めた。

 何であんたが泣くの。誰の為の涙なの。気持ちが悪い。

「嫌いな人はこの世に存在しちゃいけないよね…」

 まるで肉体から魂が抜けた様に足取り悪くよろよろと台所へ向かって行くと、取り出したのは包丁だった。

「えへ、えへへへ」

 涙を流して不気味に笑いながら私に近づく小都莉。

 再度私は殺される覚悟をする。

「…は?」

 しかしまたもや予想が外れた。固く閉じた目を開けると、突き刺してくるであろうと思ったその鋒は小都莉の鳩尾に斜めに突き立てられていて、包丁の柄を私が両手で握らされていた。その上から小都莉も手を重ねる。

「さようなら」

 小都莉が言うと同時に、細い線からは想像も出来ない程の怪力で私の腕が持ってかれる。握られている所が痛いくらいだった。

「え……」

 瞬間、小都莉自身が自分の心臓に包丁を突き刺した。開いた傷口から勢いよく鮮血が噴出して手は愚か顔まで真っ赤に染まった。

「むぎちゃんが私を嫌いでも、私はむぎちゃんの事愛してるから」

 この期に及んで彼女は再び天使の様な微笑みを向けてくる。

「この感覚忘れないでね」

 すると小都莉は腕を思い切り回外させて心臓を抉った。まるで開けた鍵を再び閉めるかの様に。

 グリっと肉が裂ける感覚が包丁越しに私の手に嫌でも伝わって来る。胸元から噴水の如く絶え間なく溢れ出る血液は瞬く間に床が血の海を形成した。

 酷く気分の悪い感覚に私はそのまま気を失ってしまって、その後どうなったのか、もうよく分からない。




 私が思う小都莉、小都莉が思う私。

 どれだけ大切に思っていたとしても所詮は他人同士だった。

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大切な貴女の守り方 @mitsuya_MSMC

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