勇者を魔王城へ導く案内人となったのは、魔族の裏切り者でした。

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とある勇者の物語


「魔族を僕の案内役にするってどういうことですか!」


 謁見の間に勇者グレンの怒声が響き渡る。


 だが王を含めて、彼以外の者たちは誰一人として驚いた様子を見せていない。


 それどころか一同の視線はグレンではなく、彼の隣に立つ女性へと向けられていた。



「前任の勇者は全員、魔王城に辿り着くことなく死んだ。もはや手段を選んではおれぬ」


 王の言葉にグレンは唇を嚙むと、隣の女を睨み付けた。


 年嵩としかさはグレンより幾つか上だろうか。褐色肌に黒髪。そしてが生えた隻腕せきわんの女だ。華奢な体は戦闘に長けているようには見えない。


 だがグレンの殺意のめられた視線にも全く動じないあたり、だいぶ肝は座っているようだ。


「……お前は僕より強いのか?」

「ああ」


 失った右腕の袖をたなびかせながら、魔族の女は躊躇ためらいもなく答えた。その口調には挑発の色もなければあなどりもない。心の底からそう答えたのがうかがえた。


(随分と舐めてくれたな)


 この女が魔族の中でどれほど強いのか知らないが、こちらも勇者として厳しい鍛錬を重ねてきた。ましてや魔族を相手に負けられるはずもない。


 「それなら」とグレンは腰から剣を引き抜き、女の喉元へ剣先を突きつけた。



「お前を殺して、僕はひとりでも平気だと証明する」

「ほう、それは良い考えだ」

「……何だと?」

「もっとも、それが実現可能だったらな」


 女が発した予想外の言葉に意表を突かれ、グレンの手元が揺らいだ。その隙に女の細い指がつかを握りしめているグレンの手に伸びたかと思うと、そのまま剣を奪い取った。


 反射的に剣を取り返そうと手を伸ばすも、それよりも早く女は後ろへ下がり構えを取る。


「ぐっ、不意打ちとは卑怯な真似を!」

「ほう? 戦場で敵が正々堂々と戦ってもらえるとでも?」


 女が左手の剣をグレンの足元にガシャンと放り投げると、彼は顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。



 そんなやり取りを見ていた国王は、やれやれと溜め息を吐いた。


「これで分かったであろう、勇者グレンよ。大人しく魔族の女と共に、魔王を討伐してまいれ」

「へ、陛下……!」

「余は前線に送る兵の調整や内政で忙しい。あまり駄々をこねるな」


 王はそれだけ言うと、グレンたちに早く出て行けと催促する。


「……分かり、ました」


 グレンは不満を胸にしまい、しぶしぶ返事をすると謁見の間をあとにした。



 ◇


「おい、魔族女。アンタの名前は?」

「……我々に名を付ける習慣はない」


 魔王城に向け、森の中を歩く勇者たち一行。旅の道中、魔族の女は感情を表に出さなかった。表情や態度、声色ひとつ取っても、平坦そのもの。


「はぁ? それじゃアンタのことは何て呼べばいいんだ」

「好きに呼べ」


 そんな素っ気ない魔族の態度に、グレンはますます苛立ちをつのらせる。


(この変人め。魔族は誰もがこうなのか?)


 彼女は戦闘面でも異質だった。剣を扱うグレンとは、まるっきり戦闘スタイルが異なる。


 魔法だけでなく時にはマジックアイテムで敵の動きを封じたり、罠を使って奇襲を仕掛けたりと、おおよそ使えるものは全て利用していた。



「お前に魔法の使い方を教える。そして魔王討伐までに、この技術を完璧に習得するんだ」


 彼女はそんな指導をグレンにした。そして同時に「私が許可するまで、決して相手の命を奪ってはならない」とも。


「僕にはすでに師匠が居るんだ。アンタの教えなんて要らない。ましてや魔族の戦い方なんて……」

「ならば私に勝て。それまではこちらの指示に全て従ってもらうぞ」


 あの一戦からグレンは一度も勝てていない。魔族の女は左腕しかないにも関わらず、相も変わらず圧倒的な強さを誇っていた。


(いずれ僕が格上であることを証明してやる……!)


 グレンは焦りと怒りを表情ににじませながら、拳をグッと握り締めた。



「――お前は殺気が漏れ過ぎなんだよ」

「うわっ!?」


 気を取られていた隙に、前方を歩いていたはずの魔族の女がグレンの背後に立っていた。


「敵はいつどこに現れるか分からない。油断するな」


 彼女の手には小さな魔物の死骸が握られていた。どうやら隠れていた魔物を倒してきたようだ。



「そんなバカな……いつの間に……!?」

「まったく、先が思いやられるな」


 そう言うと女は魔物の死骸から取り出した『対価石』を放り投げた。それはグレンの足元までコロコロと転がっていく。


 これは魔の力が具現化したマジックアイテムで、使用者の功績に応じて宝石に変化する。こんな小さな石でも、世間の傭兵たちはこいつで財を得ていた。


ほどこしを受けるなんて、勇者のすることじゃない……!」

「そうだな。今のお前は勇者という看板をぶら下げた、ただのガキだ」


 その言葉にカッとなったグレンは『対価石』を手に取り、投げ捨てようとする。


「持っておけ。今後の旅で食事や宿をとらぬというのなら、話は別だが」

「……ちっ、わかったよ」


 勇者が無銭飲食はさすがにマズい。投げようとした直前で考え直し、胸のポケットへと仕舞い込んだ。


(今に見てろよ……!)


 不穏な空気の中、勇者グレンと魔族の女の旅は続いていく。



 ◇


 王都を出て数か月が過ぎ、二人は魔族の領域まで目前に迫っていた。


 国境に近付くにつれ、荒れ果てた村など戦争の足跡を見掛けることも増えてきた。



「……どこも酷い有様だったな」

「戦争とはそういうものだ」


 焚き火の前でグレンがポツリと呟き、獣肉をナイフでさばいていた魔族の女が短く返す。今日は国境付近での野営だ。


 最後に訪れた人族の街では、誰しもが憔悴しょうすいしきった顔を浮かべていた。


 ここまでくれば世間知らずのグレンも、事の深刻さをようやく理解した。

 自分がこの国の危機を救わねば――そんな使命感を燃やすほどに。



「グレン。変な気は起こすなよ」

「……分かってるよ」


 相変わらず、魔族の女はグレンにかせを掛け続けていた。不殺のおきては魔物や魔族のみならず、人攫ひとさらいや盗みを働く人族に対しても同じだった。


 この旅で彼がしたことと言えば、無償の人助けぐらいのものだ。たしかに感謝こそされはしたが、グレンの渇きを潤わせるには満たなかった。



「ところでアンタのナイフ、随分と上等だよな。そのつかにあるモチーフは何だ?」

「……これは桜の花だ」

「桜? そんな名前の花なんて聞いたこともないぞ」

「私も詳しくは知らん。だが大陸のどこかにあるそうだ」


 なんで魔族がそんなことを知っているんだ、という言葉が出かかったが、それは飲み込んだ。淡々と話すその顔に、少しだけ寂しげな表情が浮かんでいた気がしたからだ。


「それにしても、そんな小さな刃物で良く戦えるな」

「……これは振りかぶって斬るものではないからな。一突きで急所をえぐれたらそれでいい」

「暗殺用か? ははっ、いかにも姑息な魔族らしい」


 勇者が皮肉交じりに笑うと、魔族の女はいつものムスッとした顔に戻ってしまった。


「やはりお前は何にも分かっていないな」

「どういうことだ?」

「説明する気はない」


 それだけ言うと、魔族の女は捌き終えた肉を焚き火であぶり始めた。


「なんだよ、くそっ」


 勇者は何となく自分が馬鹿にされたような気がして、再び苛立ちを募らせた。




 その夜、寝ずの番をしていたグレンは遠くに小さな灯りを見付けた。


「――盗賊か」


 この辺りでは傭兵崩れが野盗となることも多い。人族の街では度々、人攫いが起きていると聞いた。


「丁度いい。僕の力を証明してやろうじゃないか」


 グレンは寝ている連れを起こさぬよう、そっとその場を抜け出すことにした。


 闇夜に紛れ、灯りのある方へと進んでいく。



「外道どもめ……」


 視認できるところまで近寄ると、そこでは若い女が巨漢の男に犯されていた。意識が無いのか、声もあげずにされるがままだ。


 周囲には、下卑な声を上げながら酒を飲む男たちもいる。


「お前たち! 何をしている!」

「うおっ!? 誰だ!?」

「……何だ、ガキじゃねえか」


 グレンが大声をあげると、見張りをしていた盗賊たちが次々に姿を現した。その数はゆうに15人は超えている。


 剣を抜くグレンを見て、男達はゲラゲラと笑い始めた。


「おいおい、危ないもん持ってるなぁ? そんなんで俺達とやりあうつもりかぁ?」


 リーダーらしき男がグレンの姿を見て、ニヤニヤしながら話し掛けてきた。



「僕はこれからお前らを殺す。僕が正義だ」

「何だと? おい、聞いたかよお前ら」

「今どきのガキは随分と威勢がいいじゃねえか」


 リーダーを始め、その場に居た盗賊たちはいっせいにナイフや剣を抜き放った。


「大丈夫、僕は勇者なんだ。こんな奴らなんて……」


 剣を握り締める手に思わず力が入る。だが――。


「ぐっ!?」


 その剣が振るわれる前に、グレンの後頭部に強烈な衝撃が走った。


「おう、悪いな。見張りは他にも居たんだよ」

「くそっ、卑怯者め……」

「はははっ、誉め言葉をありがとうよ。よし、身包み剥いで殺しちま……な、なんだ!?」


 薄れゆく意識の中。男たちの背後から一撃を叩きこむ黒い影を視界に入れながら、グレンはそのまま眠りに落ちた。



 ◇


 それから数時間後。


 先ほどの野営地で目を覚ましたグレンは、自身の無力さをなげいていた。


(僕はなんて弱いんだ……)


 返り血で真っ赤に染まった彼女に「そのまま安静にしていろ」と言われたが、そんな言葉はむしろグレンの心を追い詰めた。


「あのとき、頭が恐怖でいっぱいで動けなかったんだ。自分が死ぬことも、誰かを殺めることも怖かった。僕は勇者失格だ……」


 落ち込むグレンを見て、魔族の女は呆れ交じりに笑う。


「お前はそれでいい。誰かを殺して平気なやつなんて、ただのクズだ」

「じゃあ、平気な顔で殺戮を繰り返すアンタ魔族はどうなんだよ」

「……私は救いようのないクズだよ」


 予想外な返答。てっきり言い返してくると思っていたグレンは面食らってしまった。

 それに彼女が自身を何かで表現したのなんて、これが初めてだ。



「なぁ、どうしてアンタは魔王や同族を裏切ったんだ?」


 聞くなら今しかない――グレンはそんな気がした。


 魔族の女は何かを言おうとして思い留まり、口を閉ざす。


「頼むよ。僕はアンタのことを誤解したくない」


 長い無言のあと。魔族の女は諦めたかのように、深い溜め息を吐いた。



 ◇


「自分で言うのもなんだが、本当に魔族らしい魔族だったよ」


 恐怖と力で支配する魔族の中でも、彼女は一目を置かれるほど優秀な兵士だった。魔族らしく他人をかえりみず、自身の力を高めるためだけに生きてきた。


 だがそんな目立った存在が、はたして周囲からどう思われるか。



「言っておくが、先に裏切ったのは同族の方だ」


 魔族も決して馬鹿ではない。正面から敵わなければ、搦め手を使えばよい。


 人族との戦いの最中に背後から襲われた彼女は片腕を失い、命の危機に陥った。


「私はこのまま朽ち果てるのかと、生まれて初めて絶望したよ」


 魔族の女は自嘲する。


 家族も居らず、墓に刻む名もない。これまで強さだけが誇りだった彼女にとって、何も残らないことが死よりも恐ろしく感じられた。



「でも死ななかった。……あろうことか、私は戦場で人族の男に救われたのだ」


 魔族の女はその時のことを思い出し、スゥと目を細める。


「人族が魔族を!?」

「もちろん私はこばんださ。だが相手は聞く耳を持たなかった。あれほど真剣に口説かれたのは生まれて初めてだよ」


 魔族の女はうんざりとした表情を浮かべた。だがその語り口調はどこか楽しそうだ。


「なんだか意外だな。アンタがそこまで他人に気を許すなんて」

「その将軍は、私の理屈をねじ伏せるほど強かったんだ」


 剣の腕だけではない。人徳にも恵まれていたと魔族の女は言った。



「そうして私は生かされてしまったわけだ……ふふっ、人族にほだされた魔族の女なんて笑いぐさだろう?」


 あろうことか、彼女は一振りのナイフまで貰い受けてしまった。彼は貴族出身で、その家に伝わる大事な家宝だったそうだが……。


「その男は名前が無い私を呼びづらいと言ってな。このナイフと共に『サクラ』という名を与えてくれた」

「サクラ? じゃあ……」

「……あぁ。桜の話はソイツから聞いた」


 魔族の女――サクラはうれいを帯びた顔で笑った。



「将軍とはその後、どうなったんだ?」

「奴は戦場に帰ったよ。今ごろは前線で魔族を殺して回っているだろう」

「……そうか」


 グレンは「再会したくないのか」という言葉をえて飲み込んだ。


「私はこの恩を返したい。死ぬはずだった自分の命を、彼の願いを叶えるために使いたいんだ」


 だから彼女は裏切り者の汚名を被ってまで、勇者の案内役をかってでたのだろう。


 グレンはただただ驚いた。あれほど冷酷だと思っていた人物が、ここまで情熱的な想いを秘めていたとは――。



「……その将軍の願いって」

「魔王討伐だ」


 虚空を眺めていた視線をグレンに戻すと、ニヤリと笑みをこぼす。


「だけど、それは――」

「もちろん、彼も分かっているさ」


 その将軍がどれだけ強くとも、魔王を殺すことはできない。魔の神に選ばれた王を殺せるのは、人の神に選ばれた者のみ。


「だから私は、何としてでもお前を魔王の元に送り届けねばならぬ」


 彼から譲り受けたナイフを大事そうに撫でながら、サクラはそう語った。



「このナイフは本来、自決用――覚悟の証なのだ。目的を果たせぬのならば、私はコイツで自害する」


 ギラギラとした狂気じみた瞳で見つめられ、グレンは底冷えするような恐怖を感じた。以前彼女に「何も分かっていない」と言われた真意が、そこに見えた気がした。


(僕にここまでの覚悟があったか……?)


 いや、覚悟が無かったのは己だけだ。現在も前線で戦っている兵たちなんて、とっくに死を受け入れているに違いない。



「さて、話はここまでだ」


 サクラはナイフをグレンの手に握らせると、おもむろに立ち上がった。


「おい。大事なモンなんだろ?」

「お前に預けておく。明日からは魔族領だぞ、しっかり休んでおけ」


 気遣ったセリフを口にすると、彼女はどこかへ歩いて行った。グレンの代わりに夜の番をするのだろう。



 やがて焚き火は消え、辺りは再び静寂に包まれた。


 だがナイフを握り締めるグレンの黒い瞳には、煌々こうこうとした深紅の炎が灯っていた。



 ◇


 魔族領の旅路は、思いのほか順調だった。


 その最大の理由は、やはりグレンだろう。

 サクラの指示を守るだけでなく、自分なりに考えて行動するようになった。彼の中で、何か心境の変化が起きていた。


 そんな順調な旅路が一転したのは、魔王城を目前にした頃だった。



「あいつらは守備隊か?」


 城壁の周囲を、鎧姿の魔族たちが闊歩かっぽしている。


「いかにも」


 サクラも警戒しているのか、ジッと彼らを見つめていた。


「騒がしいな。何か揉めているようだ……グレン」

「気付かれないよう、近くで探ってみよう」


 これまでのグレンであれば、問答無用で飛び出していただろう。しかし今の彼は無闇な戦闘などしない。慎重に、それでいて大胆に敵へと迫っていく。


 兵士たちは二人に気付いた様子もなく、何かを話し込んでいるようだった。



「ついにこの城の近くまでやってきたらしいぞ!」

「我らも前線へ向かわねば!」


(なっ、僕たちの存在がバレた?)


 二人が魔族領に来たのはほんの数週間前。まだ魔王軍にもその存在は知れ渡っていないはずだった。


「おい、どうするサクラ……サクラ?」


 グレン以上に、隣にいたサクラが取り乱している。そんな彼女を見たのは初めてだった。


「違う……私たちではない。あの男だ……」


 サクラは何か思い当たったらしい。彼女がここまで動揺する相手と言えば――。


「あの男って……まさか将軍か? でもどうして勇者だなんて」

「おそらく我々が魔王城に近いと知り、自ら陽動を買って出たのだろう」


 普段は冷静沈着なサクラの声が若干震えている。それも怒りと喜びが混ざり合ったような、奇妙な表情で。



「僕はこのまま城に乗り込む。アンタはどうする?」

「私は……」


 問いかけに対し、サクラは口ごもる。


 その迷いを見透かすかのように、グレンは言った。


「あとは僕に任せてくれ。サクラは勇者を助けに行くといい」

「なっ……!?」


 なにを馬鹿なと言わんばかりに、サクラは目を見開く。


「何を言う。それに勇者はお前だろうが……」

「僕はただ、自分のためにやっているだけだ。誰かのために命懸けで戦い続ける人こそ、本当の勇者だろう。この旅で、サクラからそう学んだよ」


 彼は不敵にもニッと笑った。



「だが……」

「大丈夫。僕ひとりでも、絶対に魔王を倒してみせる。……命に懸けても」


 グレンは桜模様のナイフを握り、真摯な眼差しを向ける。それを見たサクラは思わず言葉を失った。


 そして彼女は意を決したように頷く。


「すまない。恩に着る」

「そこは謝罪よりも、他にほしい言葉があるんだけどな……」


 グレンは苦笑すると、サクラに拳を突き出した。


「ふっ、お前にさとされる日が来るとはな。――感謝する、我が友よ」


 サクラも同じく左腕を出し、二人はコツンと軽く拳を合わせた。


「……死ぬんじゃないぞ」

「そっちこそ」


 互いに頷くと、それぞれ背を向け別々の方角へと駆けていった。


 おそらくこれが、今生の別れとなると知りながら――。



(僕だけでも、絶対に成し遂げてみせる!)


 まずはこの城のどこかにいる魔王を見つけ出さなくてはならない。


 サクラから学んだ知識と旅の経験を活かし、隠密行動で魔王城を突き進む。


(ここか……)


 グレンは大広間に辿り着いた。


 中央には巨大な玉座がえられていた。そこに鎮座している者は、禍々まがまがしい黒い鎧に身を包んでいた。おそらく奴が魔王だろう。

 筋骨隆々で威圧感を放っている。並の人間であれば、相対するだけで気圧されるに違いない。



(他の魔族たちとは違う……まともにやり合えば危険だな)


 しかし今のグレンには関係ないことだった。


 正面から戦うことが彼の役目ではない。卑怯者だと言われようが今さら善人ぶるつもりは無いし、彼には揺るがぬ信念がある。


(サクラ……)


 腰に差したナイフの重みを感じながら、グレンは一歩を踏み出した。


 ――そうして勇者と魔王の戦いが始まった。



 ◇


(さて、どうしたものか……)


 玉座の間において、魔王とグレンは睨み合っていた。


 それも戦いが始まってから、すでに一時間以上が経過している。最初は余裕を見せていた魔王も満身創痍となり、互いに喋ることもなくなっていた。


(まずいな、打てる手が無くなってきたぞ……)


 罠にブラフを使った体術、それに加えて魔法や剣術の混合技。サクラから教えられたありとあらゆる技術を十全に使い、幾度となく魔王に深手を与えていた。


 だが魔王の最も恐るべき力は、その再生力にあった。


(あと一手が足りない……)


 彼は早々にさとった。このままではジリ貧になり、敗北するのは自分であると。



 そして十数分後。

 恐れていた事態が起きてしまった。


 万策が尽きたグレンが、先に膝をつく――が。


「ぐっ!? どう、してアンタがここに……!?」


 眩む意識の中で視界に飛び込んできたのは、さっき送り出したはずのサクラだった。



「……お前は本当によくやってくれたよ」


 ここまで走ってきたのか、サクラの息は相当に乱れていた。よく見るとあちこち傷だらけで血を流している。


「なに、を……」


 サクラは倒れ伏すグレンの胸元から、一つの小さな石を取り出した。


 旅の当初にサクラから与えられ、結局使わずに取っておいた対価石だ。


「これは金と交換する以外に、もうひとつの使い方があってな」


 対価石――別名、神の恩寵石。この石の本質は、所有者に応じて願いを叶えること。持つ者の徳を溜め込み、それと引き換えに相応の力を引き出すことができる。



「そんな大事なこと、どうして……」

「己で勇者としての自覚を持たねば、何の意味もないからさ」


 役目を与えられた者が勇者になるのではない。正義を語るなら、何が善なのか自分の答えを出さねばならぬ。


 そしてこれまでグレンに殺しを一切認めなかった、本当の理由がそこにあった。


「だが相手も魔神の眷属だ。相応の対価が必要になる」

「まさかアンタ、自分を犠牲にして魔王を倒そうっていうんじゃ……!?」


 グレンは信じられないものを見るような目で、サクラを見つめる。



「やめろ! 僕は勇者なんだぞ! その役目は僕のモノだ……!」

「いいから私に任せろ。貴様は生きるんだ、グレン」


 サクラは微笑むと、対価石に祈り始めた。


「神よ、私の存在と引き換えで構わない! この者達に平穏な未来を、どうか……」


 グレンも必死に止めようとするが、その体では床で藻掻もがくことしかできない。そうしている間に、無情にもその願いは神に届いてしまった。


 対価石は眩い光を放ち始め、サクラを包み込む。そして部屋全体が閃光で満たされた。


「サクラァァアア!!」


 悲痛な叫びに応えるものは無く、やがて光が収束していく。


 そして誰も居なくなった部屋に、グレンの嗚咽だけが残された。



「ううっ、どうして……」


 こうして魔王を倒すという願いは果たされてしまった。


 ひとりの勇気ある者を代償にして――。



 ◇


「おい、大丈夫か!?」

「……あれ?」


 呼び声と肩を叩く衝撃で、グレンは目を覚ます。


 そこは瓦礫の部屋に敷かれたシーツの上だった。いつの間にかグレンは気を失っていたようだ。


(あれからどうなった? 魔王と戦って……それから……)


 記憶は曖昧だが、どうにか状況を把握していく。むくりと身体を起こすと全身に鈍痛が走った。あばら骨も何本か折れているに違いない。



「どうした? どこか痛むのか?」

「!? あ、貴方は……!」


 心配そうに男がグレンの顔を覗き込んできた。それよりも彼の腰元にある剣を見て、グレンは思わず息を呑んだ。


 その柄にある家紋には見覚えがある。間違いない、サクラから託されたナイフと同じものだ。



「我々は王命で勇者を援護しにきたのだが……。いやはや、素晴らしい武の使い手だ。たった一人で城を制圧してしまうとは」

「違うっ、サクラが倒したんだ! 貴方なら分かりますよね!? 魔族のサクラです、あの人が魔王を――」

「サクラ? いったい誰なんだそれは」


 そんな、とグレンは声を詰まらせた。


 目の前にいる男は間違いなくサクラと面識があるはずだ。それなのに彼女のことを何も覚えていないなんて、そんな馬鹿なことがあっていいはずがない。


(まさか、記憶すらも消された? でもどうして自分だけが覚えて――)


 彼の中に疑問と絶望が沸き起こる。


 だが全てはもう、終わってしまったあとだ。



「ん? それは俺の家紋がついたナイフじゃないか。どうしてキミが?」

「……拾ったんです。どうぞ、お返しします」


 アンタに恩を返すために、全てを懸けた女が居たんだぞ――そう怒鳴りつけてやりたい気持ちは、自然と蘇ってくる彼女との旅の思い出で上書きされた。ここで彼を殴り、事情を説明したところできっとサクラは喜びはしないだろう。


(それにサクラはもう……)


 喪失感で半ば放心状態のグレンがナイフを差し出すと、男はいぶかしげにそれを受け取った。


 鞘から刀身を抜くと、その美しく研がれた刃があらわとなる。それを見た将軍が突然、ポロポロと涙をこぼし始めた。


「――っ、すまない。なぜか分からないが……」


 そう言いながらも、透明な雫が次から次へと地面を濡らしていく。髭の生えた大柄な男が声を殺して泣くさまを、グレンは無言で眺めていた。



「……そのナイフ。どうか肌身離さず、大切にしてあげてください」


 それだけ言うと、グレンはヨロヨロと起き上がる。痛む体を引き摺るようにして、その場から歩きはじめた。


「お、おい? どこへ行く!?」


 だが去っていくグレンの後ろ姿を、将軍は呆然と見つめることしかできない。


「どうしてキミまで泣いて……」


 魔王討伐という重たい荷物から解放されたというのに、彼の背はあまりにも悲しげに見えた。



 ◇


 魔王討伐と勇者の帰還。

 悲惨な戦況報告ばかり続いていた王都は歓喜で大いに沸いた。


 王は功績に相応しい報酬をと勇者グレンに申し出たが、彼は断ってしまった。


 そのかわり、彼は一つだけ領地を貰うことにした。

 そこはかつて、魔族の女と勇者が旅の途中で立ち寄った小さな村だった。



 役目を終えてただのグレンとなった彼は、村はずれの景色のいい場所に一本の木を植えた。そして残り長い生涯を閉じるまで、彼はその木の傍で穏やかな日々を過ごしたという。



 こうして世は平和になり、ある勇者の物語は終わりを告げた。やがてグレンの死後から数十年の時が経ち、いまや勇者を思い出す者は誰も居ない。


 だが満開となった桜の木は現在も、村を訪れる人々の心を温かく満たし続けている――。




――――――――――――――――――

短編としては過去最大級に悩んだ作品です。

ですが満足のいく内容となりました。


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