第31話

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 電車で移動していた。

 最寄りの駅で東武線に乗って、浅草方面をめざしている。

 三崎京香とは、北千住駅で別れていた。

「──それで、かつて中国人の殺し屋だった華西の会長が、今夜パーティーに顔を出すというの?」

「ああ」

 電車のなかでするには物騒な話だったが、車内は閑散としているので、聞かれる心配はないだろう。

「だがそれは、おれたちには関係のないことだ」

「……」

 たしかに、伊能にはない。

 が、陶子にはある。

 東京スカイツリー駅で降りると、タクシーを使って及川忠文がかつて働いていた工場へ向かった。

 すでに及川は釈放されている。被害にあった店との示談が成立したこともあって、起訴猶予になったそうだ。身元引受人は、あの工場の社長だという。

 社長から及川の居所を教えてもらおうとしたが、その必要はなかった。及川は、ここで働いていた。身元引受人になる条件だったようだ。

 応接室のような部屋に通されて、社長も立ち合いのもと、聴取をおこなった。

「いまから言う事件のこと、ご存じですか?」

 以前、警察署で会ったときよりも、血色がよく、少し若返った印象がある。労働が、この男性の生活意欲を向上させたのかもしれない。

 陶子は、森元拓が犯人とされている一家殺人についてたずねた。

「……その話なら、まえに言ったよ」

 ボソッとした口調で及川は答えた。

「まえに?」

「取り調べで……でもよ、そんときの刑事に脅されたんだ。その話はするなって」

 おそらくその取調官は、倉田によって最初に殺害された水野裕司のことだろう。

「それで怖くなっちまったんだ……だから、もうあそこらへんには近寄りたくないんだ」

 そのことがあったから、多摩地区で盗みをすることはなくなったのだ。

「そのときに、なにを目撃したんですか?」

「事件のあった家に入ろうと思ったんだ」

 盗みに、という意味だろう。

「それで?」

 伊能がうながした。

「見たんだ……」

「だれを?」

「それは、わかんねぇ……」

 どうやら盗みに入ろうとした家のなかから、だれかが出てきた。及川は、その人物を目撃した。

「顔は覚えていますか?」

「いいや。でもな、みせられた顔じゃなかったんだ……それだけは、まちがいねえ」

「写真を捜査員からみせられたんですか?」

 及川はうなずいた。たぶん、その写真は森元拓のものだろう。現場から出てきた人物が森元ではないと捜査本部はわかっていたが、捻じ曲げられた。

「これを見てください」

 陶子は、空港で北島から受け取っていた倉田の写真を及川にみせた。

「どうですか? この男性に見覚えはありますか?」

「……そうだ、こんな顔だった」

「本当ですか!?」

「ああ。まちがいねえ」

 記憶が鮮明によみがえったように、瞳が輝いていた。

「その男が犯人なのか?」

「そうです」

 もう死亡していることは、いまはふれないでおく。

「そうか……やっぱり、そういうことだったのか」

「このことを、証言してもらえませんか!?」

「でもよ、あんな怖い刑事がいたんじゃ……」

「安心してください。その警察官は、すでに退職しています」

 殺されていることも、伝えるべきではない。ますます恐怖をあたえてしまう。

「あなたの安全は保証します。お願いします!」

「わかったよ。訊かれたら、ちゃんと答える……」

 これで、決定的な目撃証言が用意できる。

「約束します。そういう機会があったら、必ず本当のことを証言させます」

 社長もそう言ってくれた。

「これで、おれたちの事件は終わったな」

 工場を出て、伊能が口を開いた。

「倉田の意思も尊重したことになる。まあ、やつのしたことが許されるわけはないが」

「そうね……」

「で、どうする? 本業はここまでだ。ここからさきは、やらなくてもいいことだ」

「……」

 陶子は、瞳を伊能に向けた。

「行くか?」

「もちろんよ」

「どちらの味方をするつもりだ?」

「敵とか味方は関係ない。犯罪は止めるし、暴くべき罪はおおやけにする」

 陶子は、きっぱりと宣言した。

「パーティー会場に入る手はずはあるか?」

「どうにかなるでしょ」

 政財界のパーティーに出席などしたことはないが、身元さえしっかりしていれば、どうにか潜入できると考えていた。芸能人のパーティーではないのだ。厳しくチェックはされないだろう。

「そこまで無鉄砲だとは」

 その考えを伝えたら、ため息まじりにあきれられてしまった。

「わかった。おれのほうで、どうにかする」

 陶子は、ムッとした。そのほうが心配だ。

「ま、とりあえず、パーティーに出る支度をしようか」



 夜になって、ドレスアップした二人の姿が帝鵬ホテルにあった。国内外のセレブが宿泊する一流ホテルの大広間では、日本経済を動かす重鎮たちが集っている。

「招待状はお持ちでしょうか?」

 パーティー会場となっている広間への入り口で、二人は呼び止められた。

「招待状は……ええと……」

 陶子は、しどろもどろになりながら、さがすふりをした。ただし、はた目には無表情だから、冷静に見えているはず……。そこだけが救いだ。

 なにか方法があると伊能は言っていたが、いまの状況をおもしろがって眺めている。

「どうしちゃったんだろ……」

 係員の視線が痛かった。

「あの、佐山さんからの紹介なんですが」

 知らない名前が、伊能の口から滑り出た。

「大変失礼しました。どうぞ」

 あっさりと道をあけてくれた。

「佐山ってだれ?」

 なかに入りながらたずねたが、伊能は答えてくれなかった。

 会場内は一言で表現すれば、豪華絢爛といった感じだった。こういうパーティーに参加するのは、もちろんはじめてだ。とはいえ、タキシード姿の男性はおらず、フォーマルスーツにとどまっている。伊能にタキシードを着せるかどうかを迷っていたが、スーツを選択しておいて正解だったようだ。女性のパーティードレスは華やかな装いが多いので、陶子もそれに負けていない。

 人数は、三百人ぐらいだろうか。会場の広さからいえば、そこまで密集はしていない。

「で、華西の会長は、どこ?」

 ここへ来るまでに、華西という企業のホームページを検索してみたが、会長の写真は掲載されていなかった。

「そこまでは知らない。ま、それらしい雰囲気でさがすしかないんじゃないか?」

 中国人で、大金持ち──そんなイメージで周囲を見回した。

 中国語のような言語を話している人物がいた。年齢は五十代から六十代。一見すると温厚そうだが、眼の奥に鋭いものがある。ビジネスでは容赦しないタイプの経営者像そのものだ。

 通訳をともなって、日本人と会話を楽しんでいた。

「あれかしら……」

 その人物に近寄っていこうとしたら、伊能に肩をつかまれた。

「まて」

 伊能の視線のさきには、見覚えのある男性の姿があった。

 沼崎正二の息子──。

 三五年前の事件で犯人として名乗り出た男の息子にとって、本当の暗殺者であるこの中国人は、復讐をとげるべき相手なのだ。

 陶子は、近づく対象を沼崎の息子に変えた。

「やめておけ」

 耳元で伊能が囁いた。

「やらせてやれ」

「バカなこと言わないで! 犯罪行為を見過ごすわけにはいかないわ!」

 伊能の眼は、陶子がそう言うのをわかっていたようだった。

 陶子の前で、沼崎の息子が立ち止まった。

「そこをどいてくれ」

 あの通夜で出会ったときよりは、身なりのしっかりしたスーツ姿なので、危険な雰囲気は緩和されている。

「やめなさい! 復讐してなんになるの!?」

「復讐?」

 しかし沼崎の息子は、予想よりも落ち着いていた。

「そんなんじゃない。悪いのは、バカなオヤジだ」

「では、なぜこんなことするの?」

「けじめだよ。悪いことをした人間は、罰せられなきゃならない。罪の重さと罰の重さの均衡だよ。あなたは、それを調査しているはずだ」

「だったら、正規の方法で罰をあたえればいいでしょう?」

「そんなことができるのか?」

 その質問は挑戦的であり、かつ絶望的でもあった。

 だが陶子は、自信をもって答えた。

「できるわ」

「バカなことを……」

 沼崎の息子は、それを信じなかった。

「ね、そうでしょ?」

 陶子は、伊能に話をふった。

「できるんだよ、《長い舌ロングタン》」

「本気で言ってるのか?」

「ああ。もう時代は変わったんだ」

 それまであった攻撃的な眼光がうすれた。

「続きは、わたしたちがやる」

 伊能に目配せすると、彼がしなやかに動いた。

 華西の会長だと思われる中国人に向かった。

 それまで談笑していたその男は、伊能の接近を察知すると、大企業の重鎮ではありえないような迅速さで後退をはじめた。

 伊能は、逃がさない。

 逃走をあきらめた会長は、懐からなにかを取り出した。周囲で悲鳴があがる。

 拳銃だった。警戒はしていたのだろう。

 伊能は、ひるまなかった。

 引き金が絞られるまえに銃身をつかんで、ひねるように奪い取っていた。

 伊能の手のなかで、拳銃はおもちゃのように解体されていく。あの得意技だ。

 かつては腕利きの殺し屋といえど、伊能の相手ではなかった。いや、たとえ現役だったとしても、伊能に勝つことなどできないのかもしれない。

「ニーズオシェンマー!」

 なにをするんだ、と会長が抗議した。

「あなたには、尾木政夫という国会議員を殺害した容疑があります」

 陶子は言った。

「な、なんのことだ!?」

 流暢な日本語が返ってきた。やはり、この国で殺し屋として活動していたのだ。

「三五年前の事件です」

「知らん……犯人は捕まっているはずだ!」

 それを知っているということは、すくなくとも、どういう事件なのかは理解していることになる。普通、むかしおきた異国の事件など、覚えているわけがない。

「それに……犯人だったとしても、時効が成立してるだろう!?」

 現在は殺人の公訴時効が撤廃されているが、当時は十五年で時効が成立した。たしか中国にも時効制度は存在し、死刑にあたる殺人は二十年で時効になるそうだ。

 が、もちろんこれは、日本でのルールが適用される。

「成立していないことは、あなた自身がよくわかっているはずです」

 陶子は、冷静に告げた。

 足を洗い、中国で経済人として活動していたこの男性は、当然のことながら、ほとんどを中国本土で暮らしている。海外に逃亡していた場合は、その期間、時効が停止される。

 刑事訴訟法、基本中の基本だ。

「……」

「日本語、通じてますよね?」

 会長の顔は、蒼白となっていた。

 タイミングよく、会場内に姿をあらわした人物がいた。

シー宇辰ユーチェンだな? 三五年前の事件で事情を訊きたい」

 溝口だった。

 陶子は、思わず伊能の顔を見てしまった。さすがに作為的なものを感じた。溝口は、東京の所轄署のいち刑事にすぎない。尾木政夫の事件がおきたのは北海道だから、捜査をするにしても動くのは北海道警のはずだ。

「……私を抹殺するのか? 猿の御前が代替わりして、私を消したがっていたのは知っていた……それでも、殺されない自信はあったが」

 会長は弱々しくそう口にすると、伊能に視線を移した。

「まさか、おまえのようなバケモノがこの国にいようとは……サビついたとはいえ、この私にまったくの隙をあたえなかった……」

「安心しろ、代はさらにかわった。あんたが闇に葬られることはない。ただし、公正な裁判にかけられて、公正な罰をうける。あんたにとっては、そのほうが地獄かもしれないがな」

 伊能の言葉は、いやに冷たく聞こえた。

「そうか……いまではこの国の王は、おまえになったのか」

「さあね。だが、これまでのように罪と罰の均衡が崩れることはない」

 溝口に連行されていく会長の後ろ姿が、旧時代の終わりを感じさせた。

 周囲の混乱もおさまりかけたとき、陶子と伊能の二人に近づく人物がいた。まだその場で立ち尽くしていた沼崎の息子の横に並ぶと、その人物は静かな笑みをみせた。

 北島局長だった。

「はやり、あなただったんですね……」

 尾木政夫の秘書で、重傷を負った北島真司は、父親になるのだろう。

「ごくろうだった。君と伊能君は、完璧に仕事をこなしてくれた」

 伊能の表情をうかがったら、北島に対して覚えがあるようだった。

「あんたを小樽でみかけた。藤堂武彦を外に連れ出すためだな?」

「倉田哲人が失敗したということは、藤堂の証言をとれなかったということだ。私の仲間がかわりをやるはずだった……もちろん殺しではなく、証言を得ることだ」

 それは失敗に終わり、仲間ごと藤堂は殺害されてしまった。

「そうか、見られていたか……だがね、私のほうは君のことをもっとまえから知っていたよ」

「?」

「君の裁判には、何度か足を運んだ」

「そうか、小樽でみかけたときに、どこかで会っていたような気がした……そのころから、おれを利用しようとしてたのか?」

「どうだろうね」

 北島は、曖昧に答えた。

「まあ、ここじゃなんだから、場所を移動しようか」

 四人でホテルを出た。近くにあった小さな公園に足を運んだ。ささやかに存在する都心のオアシスのような場所だ。

「もう察してるだろうが、私の父は政治家の秘書をしていた」

 北島の語った内容は、おおむね、これまでに予想できたことだった。北島の父親は、事件で負った怪我がもとで、数年後に亡くなったそうだ。事件直後から北島は、犯人について疑問を感じた。沼崎正二に政治的な背景はなく、身代わりなのは、当時中学生だった北島の眼から見てもあきらかだったという。

 だが、事件はそのまま沼崎の犯行と断定され、無期懲役の判決とともに幕を下ろされた。

 北島のその後の人生は、真相を求めることのためについやされた。その過程で、沼崎の息子とも出会った。彼は事件当時、まだ小学生にもあがっていない幼児だった。それでも、父親が無実なのを知っていた。家族の面倒をみるという約束を信じて、身代わりを承諾したのだ。

 成長した二人は、すべてのことを仕組んだ『猿の御前』を打倒し、この国に正義を取り戻すため、動き出した。

 一方は法務省の官僚。

 一方は裏社会を生きて。

「局長の目的は、達成されたんです……よね?」

「どうだろうね……」

 本当に、わかっていないようだった。

「わたしの仕事も、終わりですか?」

「考え方による」

「?」

 その答えに困惑していると、北島は続けた。

「今回の件は、これで終わりだ。だが……罪と罰の均衡がとれていない案件が、まだこの世には隠れているかもしれない」

 それを、わたしにどうしろというのだろう……陶子は、思った。

 口には出さなかった。

「部署は、解散しないということですか?」

「そういうことだ」

 罪と罰の均衡を追求することによって、はたしてなにが待っているというのだろう。

 ゴールが見えない道を、ひたすら進んでいくようなものだ。

「おもしろいじゃないか」

 陶子の迷いを吹き消すように、伊能が声をあげた。

「人生なんて、所詮はそんなものだろ?」

 達観したようなセリフが投げやりに聞こえないのは、この男の生き方を知ってしまったからだ。

 陶子は、覚悟した。

 伊能を巻き込んだ以上、自分も普通の生き方はできない。

「また、危ないめにあいそうね」

「安心しろ。あんたの身は守ってやる」

 この男の宣言は、必ず実行される。

 それよりも心配なことがあった。

「……やりすぎないようにね」


     * * *


 わたしは、ようやく理解した。伊能こそが、わたしにとって背青うべき業なのだ。




      エピローグ


「では、最後の質問です」

 不快な質問攻めが、ようやく終わるようだ。

 渉は辟易しながら、これまでの時間を耐えていた。

 眼の前には、監察官と名乗る法務省の人間がいる。香坂陶子の監査をするために協力してほしいと、どこかのビルの個室に連れ込まれていた。

「香坂陶子は、法律に違反しませんでしたか? もしくは、法律は遵守していても、モラルを逸脱したことはありませんでしたか?」

 最後の質問だけあって、ずいぶん直接的だった。これまでは過去を振り返って、遠回しな質問が多かった。

「ないんじゃないの」

「本当ですか?」

「かりに、おれがなにかをやらかしたとしても、あの女は道を踏み外さないだろう」

「確信がおありですか?」

「あるね」

「なぜ、言い切れるのですか?」

「道をそれる人間は、ずるくて器用だからだ。不器用な人間は、まっすぐにしか進めない」

「香坂陶子は不器用だから、道を踏み外さないと?」

「そういうことだ……それと世の中のすべては、二通りに分けられる。不快なものと、そうじゃないものだ。あんたは不快だ」

「言っている意味がわかりませんが……」

「この調査は、嘘だろ? 香坂の調査じゃない。おれを調べるためだな?」

「……」

「で、おれは合格したのか?」

 監察官は答えなかった。

 もとより、この男に言ったのではない。

「いるんだろ?」

「さすがね」

 部屋に、女性が入室した。

 香坂だった。

「なんなんだ、これは?」

「更生調査室を継続するためには、秘匿性を守る必要があるのよ。あなたが職業上、知り得た事実を他人にしゃべらないか、テストさせてもらったの」

「ひどい話だ」

「あら、あなただって途中から気づいてたでしょ?」

「おれを信用してないってことだな?」

「怒った?」

「あたりまえだろ」

「でもあなたは、わたしと行かなければならない……もう同じものを背負ってしまったのよ」

 最初に《業を背負う》と話したのは、ほかでもない渉自身だった。

「これからも、よろしくね」

 香坂はそう言うと、右手で握手を求めた。テストは合格したらしい。

 不服ながらも、香坂の手を握った。

「ようこそ、更生調査室へ」

 香坂は笑っていた。瞳の色で、それがわかる。

 すると、香坂は眼をつぶった。

「わたしの顔、どう見える?」

 鏡。

「そうか……」


 おれが笑っているのか。

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断罪の行方 てんの翔 @sashika

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