第30話

       30


 結局、おれがなにをしたか?

 それは聞かない約束だろ?

 知らないほうが、あんたたちのためでもある。


     * * *


 溝口が運転席に、渉が助手席についた。

「どうした? 話ってなんだ?」

「まあ、いろいろとな」

「昨夜は、なにしてたんだ? 彼女、心配してたぞ」

 溝口はあくまでも、とぼけるつもりのようだ。

「もう芝居はいい」

「なんのことだ?」

「あの女は、おまえのことを信じているようだが、おれは最初から信用などしていない」

「だから、なんのことなんだ?」

「少し考えればわかることだ。殺し屋が、倉田一人のわけがない」

 倉田は、渉とほぼ同じ時期に逮捕され、刑務所に入っていた。そのあいだの消し屋が、どうしても必要になる。

 猿渡の祖父よりも、世代交代した父親のほうが用心深く、そういう力技を使わなかったとも考えられるが、そうではない。そういう人間のほうが、裏で動く人間を欲するのだ。

「倉田以外にもいるというのか?」

「高木虎雄を殺したのは、倉田ではないだろう。北海道にいたんだから。検事の藤堂武彦もちがう。藤堂が殺害されたのは、倉田が大怪我を負ってからのことだ」

「意味がわからん。どうやら、倉田ではムリな犯行があると言いたいようだが……。倉田がずっと北海道にいたとはかぎらんし、腕利きの殺し屋というのなら、傷ついていたとしても、仕事をやり遂げたのかもしれん」

「まえにも言ったが、瀕死の倉田を看病していたのは、ほかでもない、彼女だ」

「そうなのか?」

 喫茶店でそのことは聞いているはずなのに、倉田は初耳のように反応していた。

「おまえは、ことの裏側までよく知ってるだろ?」

「さっきから、本当になんなんだ? なにが言いたい? まるで、おれがそのもう一人の殺し屋の仲間だと主張したいようだな」

「いいや、仲間なんかじゃない。おまえが、殺し屋なんだよ」

「けっさくだな! なにを言い出すかと思えば」

「さらわれた藤堂を、そのさらった連中ごと焼き殺した。だがおまえは、倉田の始末はべつの人間にやらせた。彼女がいっしょにいることを知っていたからな」

 あの巨漢の殺し屋をよこした。

「彼女も殺そうとしていたんだろうが、失敗したときのための保険として、おまえはあくまでも正体を隠した」

「伊能、おまえ、長い刑務所暮らしで、妄想障害におちいったんじゃないか?」

「なにくわぬ顔で東京にもどり、高木を始末した。黒幕にとって邪魔な人間は全員、消したことになる」

「くくく」

 それまでの態度が嘘のような笑い声が、狭い車内に響いた。

「そこまでわかってるのなら、とぼけてもムダだな」

 渉は思わず、正面ゲートのわきに立っている香坂に眼をやった。いつのまにかやって来ていた森元拓の娘──三崎京香と話し込んでいるところだった。

 あの位置からでは車内を見通せないだろうが、それでもいまのこの男の歪んだ顔をみせないですんだことに安堵していた。

「いつからだ? おまえが正式にやりだしたのは」

 この男に逮捕されたときには、まだ殺しを請け負うことまではやっていなかったはずだ。

「倉田が刑務所に入ったから、かわりが必要になったんだよ。それでおれにお鉢がまわってきた。言い訳しておくが、おまえをパクったときは、まだ真っ当な警官だったさ」

「もう雇い主は死んだ」

「ああ、知ってる。連絡が来た。ドライブ中にな」

 佐山が知らせたのだろう。

「こっちにも、いろいろと派閥があってな。おまえが持っているという音声データを奪おうという一派に追いかけられていた。まあ、おれがいたから、実際に襲ってくるようなマネはしないとわかっていたが」

 渉は、ポケットからICレコーダーを出した。

「だが伊能、どうしておれが彼女を守ると思った?」

「おれがこれを持っていれば、絶対に奪うことはできないと、おまえはわかってる」

「なるほどな。素人なら、彼女を人質にして交渉すればいいと思うだろうが、そんなことをすれば、それこそおまえの逆鱗にふれる。それよりも、守ったほうがすっと得だ」

「最終的には、どうやってこれを手に入れるつもりだった?」

「そこまで考えてない。ただ、おまえに狙われることだけは避けたかった。ある意味、おまえらが黒幕と呼ぶ人間よりも恐ろしいからな」

「もうそれもいなくなった」

「おまえには、感謝しないとな。あいつには前々から腹が立ってたんだ。それに、先代のころから関係のあった人間を消したあとは、こっちに矛先が向くかもしれない……」

 すでに死んでいるからか、あいつ呼ばわりになっている。

「権力者ってのは、本当のクズだ」

「ずいぶん、辛辣だな」

「そいつらのおかげで、こっちは汚い仕事をさんざんやらされたんだ。おまえはいいよな。権力者に屈しなかったんだ」

「そのせいで、刑務所に入ったがな」

「ふざけるな。おまえが人を殺したのは、まちがいじゃないだろうが」

 そのとおりだ。その人殺しを逮捕したこの男も、なにもまちがっていない。たとえ、猿渡一族にはめられたのだとしても、実際に殺害した自分が悪い。

「おれも生まれ変わったら、おまえのようになりたいもんだ」

「どんな理由があれ、彼女を守ってくれたことには感謝する」

「それは、どうするつもりだ?」

 溝口は、ICレコーダーを見ていた。

「ほしいのか?」

「まさか。いまとなっては、おれには無用の長物だ。飼い犬は、新しい飼い主に従うだけさ」

 自虐する心はあるようだ。

「で、次の黒幕は、どんな人間なんだ? おまえのお友達なんだろう?」

 溝口は、猿渡のことはあまりよく知らないらしい。あくまでも、その父親の意に従っていただけなのだ。

「軽い神輿だ」

「なるほど。どうせ黒幕の黒幕は、おまえなんだろ?」

 渉は、そのことには返事をしなかった。

 べつのことを口にした。

「あ、そうそう。一つこれだけは言っておくぞ」

 溝口の顔に接近して、その胸倉をつかんだ。

「彼女の前では、おまえは立派な刑事のままでいろ! わかったな?」

 眼光に殺意をこめて、渉は告げた。

「おーこわい」

 手を放すと、溝口はおどけたように言った。

「そんなに彼女が大切なのか?」

「ある人間から言われた。あの女は、おれとこの世をつなぐ一本の糸なんだってよ」

 その人物が佐山であることは、飼い犬のこの男なら想像はつくだろう。

「その糸が切れたら、おまえは地獄へ真っ逆さまか」

「あいにく、地獄のほうが居心地はいいんだがな」

 車外へもどろうと、ドアに手をかけた。

「こっちサイドは片付いたようだが……」

 溝口がまだ話を続けたので、渉は留まることにした。

「あっちサイドは、まだのようだぞ」

 どうやら、もう一つの勢力の話をしようとしているようだ。

 倉田を使って関係者を抹殺していた黒幕側──猿渡一族と、逆に倉田を使って悪事を暴こうとしていた反対勢力が対立している構造だ。

 そして、その中間で踊らされていたのが、香坂であり、渉自身なのだ。

「それはわかってる」

 おそらく、いまこのレコーダーを欲しがっているのは、そっち側の人間だ。というより、倉田はそいつらの要望で証拠を残そうとした。

 が、その連中は力づくで奪うことはしない。

 なぜなら、そいつらの目的も、香坂と同じで、死刑囚である森元拓の冤罪を晴らすことだからだ。

「それを渡して終わり、なんて思ってないだろうな?」

「どういうことだ?」

「……ま、おれには関係のないことだし、おまえにも関係のないことだ。ほっとけばいい」

 その言い回しでは、ほうっておかないほうがいい──そのような進言に思えた。

「なにが言いたい?」

「まだ一人残ってるんだよ」

 本来、倉田が消すことになっていた人間だろうか?

 いや、もしいるとしたら、死刑囚である森元拓しかいない。しかし、濡れ衣を着せられただけの男を殺す意味がどこにある?

 重要な真実を知っているわけではないのだ。それに時間が経てば、いつかは死刑が執行される。

「その事件じゃない。もっとむかしだ」

 三五年前の国会議員刺殺事件……。

 だがそれについても、罪をかぶった沼崎正二は、倉田によって殺されている。

「だれのことだ?」

「実行犯がいるだろう?」

「実行犯?」

 たしにかに、そうだ。倉田のまえに、そういう汚い仕事を請け負っていた人間……。

「だれだ?」

「おれは、そいつの殺害も倉田から引き継ぐはずだった」

 黒幕がかわったために、それがキャンセルされたのだろう。

 当時は、昨夜死亡した猿渡の父親ではなく、その父──祖父が実権をにぎっていた。そのころから従っていた人間は、佐山しか知らない。実務をこなす大切な片腕である佐山が、殺人はやらないだろう。ほかはわからない。だが年齢的にいって、高木虎雄はそうなのだろうと想像はつく。しかし、その高木もいまはいない。

 では……?

「そうか、おまえが彼女に話してたな」

 高木虎雄は現在、中国の企業と深いつながりがある。

「ヒットマンに中国人を使うことは、むかしからよくあった。なにも不思議なことじゃないだろう」

 その企業は、たしか『華西』といったはずだ。

「いまでは、会長か……」

「すごい出世だな」

 日本で殺し屋をやって、稼いだ金をもとでに会社をおこした。ゾッとする話だ。

「そいつはいま、日本にいる」

 殺しを請け負った人間が言うのだから、たしかな情報だろう。

「高木が殺されたのに、その会長は、どうして帰らないんだ?」

「華西は、れっきとした一般企業だ。その都合だろ。今夜、経団連のパーティーがある。それに出席するためだ」

 いまでも裏社会の人間だったとしたら、すぐにでも出国しているはずだ。表側にいることが、その足枷となっている。

 中国は、米国との経済戦争のために、日本との関係が生命線となっている。企業の会長としては、日本の経済界とのつながりを絶たれることは、多少のリスクを負ってでも避けたい事態なのだ。

「まあ、むかしとったなんとかだ。きったはったの状況に追い込まれても、切り抜けられると楽観してるんだろ」

 一泊置いてから、溝口は続けた。

「まあ、日本にもおまえのようなバケモノがいるとは考えもしてないんじゃないか。で、どう動くつもりだ?」

「さあな」

「おまえには関係ないことだろうが、あの女もそう思うかどうか」

 渉もつられて、三崎京香と話し込んでいる香坂に眼がいった。

「この情報は、ありがたく頂戴しとく」

 渉は、ドアを開けた。

「だが、おれの言った忠告も忘れるなよ。彼女を失望させたら……おまえ、殺すぞ」

 静かに、そう告げた。

 溝口は、涼やかな顔をしたままだった。



「なんの話だったの?」

「たいした内容じゃない」

 香坂の問いかけに、渉はそうごまかした。

「そんなことよりも、これからのことだ」

「……そうね」

 聞かないほうがいい話だったと本能的に察知していたのかもしれない。香坂は気持ちを切り替えたように、三崎京香に眼を向けた。

「今日は面会できるはずだから、お父様が無実を主張しているか確認してください。裁判で有効とはいえないけど、証拠の音声データもあることを伝えて」

「はい……」

「わたしのほうから弁護士も紹介できるから」

 面会の開始時間に合わせて、三崎京香は拘置所内に入っていった。

「どうした? うかない顔だぞ」

「……再審請求は、開かずの扉よ」

 よく聞く言葉だった。

「圧力は、もうないんだ」

「黒幕がいなくなったとしても、それとはべつよ。決定的な証拠が出てきたとしても、認められる可能性は低いのよ……」

「倉田の残した証拠では弱いのか?」

「そうよ。そもそも、証拠能力もないわ。一度くだした決定を覆すということは、司法制度の崩壊を意味しているの」

「まちがったままにしておくほうが、よっぽどマズいと思うが」

「その言葉は、裁判所や法務大臣に言って」

「でもよ、森元拓の裁判自体が八百長だったんだ。裁判所も、検察も、警察も、もしかしたら弁護士もグルだったかもしれない」

「だからといって、同じことでしょう?」

「ちがうね。八百長をした連中は、権力に屈したんだ」

「だから、その黒幕がいなくなったからって!」

 むきになりかけている香坂を、渉は手で制した。

 彼女は、まだよくわかっていない。

 黒幕は、いなくなったのではない。新しくつけかえたのだ。

「安心しろ。いままで権力に屈してたやつらだ。これからも、権力に屈してもらうさ」

「? どういうこと?」

「それこそ、知らなくてもいいことさ。これから話はとんとん拍子に進んで、再審請求は通るだろう。そのときに、これも重要な証拠になるはずだ」

 渉は、ICレコーダーを香坂に返した。

「……あなたなら、本当に開かずの扉を開けられそうね」

「開かないというのなら、強引に開けるまでだ」

 渉はそこで、話題を変えた。

「森元拓のことは、いま言ったように、もう大丈夫だ」

「? なんだか、まだなにかあるような言い草ね」

 森元拓のことは──の部分から、そう読み取ったようだ。

「倉田をめぐる一連のことには、二つの勢力がからみあっていた。一方が黒幕で、そしてもう一方……」

 香坂の表情は、あいかわらず変わらないが、内心では揺れていることがわかる。

「その一方がだれであるのかは、もう知っているだろう?」

「……ええ」

「今夜、すべてのことに決着をつける」

「夜になにがあるの?」

 渉は答えず、携帯で時刻を確認した。

「とはいえ、まだまだ時間はあるな。もう必要ないと思うが、森元拓の無実を証明するダメ押しを用意しておくか」

「ダメ押し?」

「今回のことを仕組んだ人間は、ムダなことはなに一つしていない。すべては、つながっているんだ」

「……どういうこと?」

「あんたが最初に調査をしたのは、おれだった。おれを仲間に引き込むためだ」

 確実に首を突っ込ませるために、《長い舌ロングタン》をつかって、高木虎雄から依頼をうけさせた。それほど念入りに、すべてを計画していた。

「ほかには、倉田、沼崎──十七年前と、三五年前の事件に関係がある」

「……」

「ってことは、おれの次に……おれにとっては、はじめて調査することになった及川忠文も、関係があるとみるべきだ」

「及川……」

「そうだ。強盗致傷で懲役十六年。仮出所をしているから、事件をおこしたのは、十七年前ぐらいだろう?」

「……そういえば、資料にあった。及川は、東京都西部を縄張りにしている窃盗犯……」

「森元拓が犯人にされた三鷹の一家殺人に関係している……かもしれんな。もちろん、犯人ではない」

 犯人が倉田なのは、本人が告白しているのだ。

「たぶん、事件についてなにか知ってるんだろうな。目撃したとか……」

「……ありえるわね」

「倉田が証拠を残してくれなかったときのための保険だったのか……ま、それがあれば及川の証言は必要ないだろうが」

「でも、証拠としてこの音声データは、いろいろとマズい。ちゃんとしたものがあるなら、そのほうがいいわ」

「では、向かおうか」

 香坂はうなずいたが、まだなにかを言いたそうだった。表情がなくても、それぐらいわかる。

「ねえ、夜になにがあるの?」

「向かいながら話してやる」

「まだ京香さんが来てないわ」

「じゃあ、もどってくるまでに話してやる」

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