転生悪女は推しのため一肌脱ぐことにした。

まえばる蒔乃

第1話

 縦巻きの金髪。豪華な煌びやかなドレス。令嬢向けの淡いピンクゴールドに塗られた馬車に精霊の加護を受けた白馬。窓に映るのは気の強そうな吊り目の美少女。

 

 私は恋愛小説『血塗られた貴族のロンド〜引き裂かれたポロネーズ〜』の悪女クリス・カリアスト公爵令嬢に転生したらしい。

 らしいというか、転生していた。14年間何をぼさっとしていたのだろう。


「メイドのアンナ!」

「はっはい!」

 

 同行させているメイドのアンナが御者の隣席から返事をする。


「今日はイセット女神歴3457年11月27日、ここはイセリアーナ広場の近くですわよね!?」

「はい、今日はこれから離宮で婚約者の第二王子殿下とお茶ですが」

「急用を思い出しましたの! すぐにイセリアーナ広場通り345番地まで向かって!すぐによ! 精霊馬ならダッシュで行けるでしょ!?」

「え、えええ?」


 アンナも御者も困惑するばかりで、話に全くついてこれていない。

 いや、もう、刻は一刻を争うのだ!

 今日は最推しの美少年の人生が崩壊する運命の日!


 私がここで記憶を思い出したのは神の思し召し、彼を助けろと神様が私に任せたのだ! やってやるぜですわ、神様!


 私は馬車が止まったと同時に馬車を出て、魔術で手綱を構成して馬車の馬(ロビンソンちゃん)に跨る。ロビンソンちゃんはいきなりの無体にヒヒーンと叫んだが、私が撫でると秒で穏やかになった。


「いくわよ! ロビンソン!」

「ヒヒーン!」

「あ、あああ、お嬢様ーッ!!!」


 私はそのまま角を曲がり裏路地を埋める木箱を飛び越え反社会組織のリンチを適当に魔術でぶっ飛ばし、マッチうりの少女に適切な児童保護施設のチラシを投げキッスで飛ばし、騎乗して5分でイセリアーナ広場通り345番地の近くまで到達した。


「どけどけどけ、ですわー!!!」


 私は手綱を掴みながら、右手に縄を具現化させ、唇に幻覚魔法を詠唱する。

 倉庫が立ち並ぶ路地裏、まさに私は金髪の美少年が髪を掴まれ、ずた袋に押し込まれそうになっているのを目撃した。私は叫んだ!


『縄よ蛇となり皆を束縛し、幻覚きのこの快楽を悪しき者らに与えよ!!!』


 縄がコブラに変質し、一気に人攫いを縛り上げ、そして彼らは突然倒れた。

 幻覚を見てぶつぶつと言いながらヘラヘラ笑っている。成功だ!!


 ずた袋の中から美少年を救出する。

 後ろの袋も開くと、中から両親と思しきボロボロの男女も出てきた。

 美少年は私を見て驚いた顔をしていた。


「お姉さん、一体……?」


 言葉より前に、私は彼をギュッと抱きしめる。


「大丈夫よ、もう私がいるからね。人殺しなんてしなくったって、お姉さんがちゃんとしたご飯とお家をあげる、アーサリス」

「なんで俺の名前を知ってるの?」


 美少年は11歳、金髪巻毛で、美しい紫の瞳をしている。最高に美少年だ。

 そりゃそうだ、アーサリスは原作小説では美貌の殺し屋だった。

 私は彼のキャラが好きだった。そもそもそれ以前に、こんなひどい人生の子を救えるのなら、私は救いたい。きっとそのために私は今日ここで前世の記憶を思い出したのだから。


「さ、行きましょう」


 私が彼の手を取り走ろうとすると、行手に黒服の男ーーを引き連れた怖そうな女が立ち塞がった。


「あんた何をやってんだい、その子はうちの男娼館で売るんだよ」

「お金なら払いますわ!確か3459000イセリアイェンでしたわよね!」

「な、なんで知っている……もしかして他の貸金屋」

「違いますわ! 私は単なる通りすがりの公爵令嬢!クリス・カリアストですわ!! ほら、これでも持ってお行きなさい!!!」


 私はスマホを探ろうとしてハッとする。しまった手ぶらだった。ペェペェ払いできない。記憶が戻ってすぐ、うっかり前世の感覚で飛び出してしまった。

 かといってクリスらしく「あとで従者が払いに伺いますはほほほ」みたいな話が通じる相手じゃない。


「ほら、何を持って行くんだい、アーサリスの代わりに。何もよこさないならこの子の両親は貴族の狩猟会・・・の庭に、」


 ーーかくなる上は!!!

 私は髪飾りを投げ渡す。次はペンダント、そして指輪、ストッキング。

 帯飾り、ドレスを体にジャストフィットにさせるために何本も刺している純金の針。ドレス、インナードレス、そして。


「さあ! ズロースも全部差し上げますわ!!!!」


 私は全裸ハイヒールで腕組みし、堂々と宣言した。


「この全身に纏う装束これでもまだ足りないというのなら、王家に対する冒涜となりますわ。なぜなら今日のドレスは第二王子殿下にいただいたドレス。平民の美少年一人とそのご両親を買い取るのに、これで足りないとでもお言い!?」


 ーー命はお金じゃねえ!!!! この貴族から目線がッ!!!!!

 と、前世の私の価値基準では叫びたくなるが、ここで人権の話をしている場合ではない。

 人権より、私の裸より、アーサリスの人生が一番だ。


 人攫いの女は呆気に取られていたが、その後あははと笑い始める。


「あはははッ……ふふ、その全裸で帰れるのならね?」

「帰れますわ。私はクリス・カリアストですもの!」


 美少年を庇い、私は堂々と言い放った。


「わたくし、どこをどう見られても恥ずかしくない生き方をしておりますので平気ですわ! さあ、私の身包みを持って早くお行きなさい、私の気が変わらぬうちに!!」


 彼らは私が身につけていたもの一切合切、ハイヒール以外を全て拾い上げて去っていく。私の後ろで、アーサリスとご両親が号泣して抱き合う。


「よかったですわ……」


 私は満たされた気持ちだった。

 アーサリスが泣きながら私に微笑む。


「ありがとう、全裸のお姉ちゃん!」


 アーサリスの言葉に、慌ててお父様が頭を下げさせる。

 奥様に対して義理堅いのだろう、お父様は目を顔全体が梅干し食べたあとみたいになるくらいキツくギュッとしていた。


「すみません、倅が失礼な口を聞いて」

「いえいえ、いいのですよ。みなさま悪辣領主に飢えさせられて一文なしで王都まで人買いに連れてこられてそこで競にかけられるところだったのでしょう?」

「まるで私たちの人生のあらすじを知っているかのようになんでもお見通しですね」

「いえいえ。私があなた方を使用人として雇います。今日からあなた方はカリアスト公爵家によく仕えるのですよ。私もよき主人となれるよう奮迅いたしますわ」


 アーサリスとご両親は深く頭を下げた。

 やつれてはいるもののお父様も超美形で、お母様もおっとりとした美少女顔だった。アーサリスは二人の最高の部分を全部引き継いでいるような美少年だった。


 危なかった。ここでうっかりアーサリスを奪われてしまわれては。

 アーサリスが原作で出てきた時のように、両親を失って瞳から輝きを失った、とてもかわいそうな美形殺し屋になるところだった。


 それから私は堂々と路地裏から表に出た。

 人々は私の姿を見て驚き、ある人は凝視し、ある人は顔を覆い、ある人は拝み。

 そして警察に任意同行を受けて公爵家に迎えにきてもらったのち、私はこっぴどくはーー怒られなかった。


 父は言った。


「よくやった。古来より民のため、正義のために全裸になる貴族女性は尊いものとされている。かつて夫の悪政を諌めるために全裸で馬に乗って町内一周した貴婦人もいたものだ。お前は公爵家の娘として良いことをした」


 母は言った。


「良い使用人を見つけてきましたわね。私も金髪美少年は大好きなので喜んでいますよ。あなたのお父様も若い頃は傾国と言われるほどの美貌の持ち主でウフフ」

「何をいっておるか、今のわしは嫌いか?」

「いやだわ、美少年の頃のあなたも可愛いし、今のあなたも最高に可愛いわ♡」

「ふふふ、髪がなくなっても同じことが言えるかな?」

「言えますとも、だって魂が金髪美少年ですから」

「ふふふ」

「うふふふふ」


 両親は仲良しだ。

 そして私は聖騎士団所属の兄にだけ「このバカ全裸妹!!!!!!」とどストレートに怒られたのだった。


◇◇◇


 ーー恋愛小説『血塗られた貴族のロンド〜引き裂かれたポロネーズ〜』。

 暗殺あり! 毒殺あり! 第一王子派と第二王子派に別れた、血塗られたギスギスの社交界! セクシーなシーン盛りだくさん!!

 田舎育ちの貧乏男爵令嬢ヒロインは不幸な生い立ちより悪女の道に目覚め、体を捧げる代わりに社交界で暗躍し、第二王子を籠絡、第一王子派との派閥争いを激化させる毒婦となっていくという物語だ。

 私クリスはヒロインと敵対する第二王子の婚約者の悪女という設定。

 色々あって最終的に、アーサリスに惨殺されるーーという流れだった。


 ちなみにレキサス第二王子殿下は黒髪青瞳のこれまた超美男子。泥沼派閥争いなんて似合わない明るく元気な幼馴染だ。


 私が死ぬのも人様を進んで不幸にするのも嫌だけど。

 それより怖いのは、大好きな家族やアーサリスとご両親が不幸になることだ!

 彼らを守れるなら、私はなんだってやれる。全裸にだって、なれる!


 というわけで。

 アーサリスとご両親は公爵家で雇用し、私用の別邸の使用人となった。

 両親は私にすでに別邸の采配を任せていた。

 原作ではその別邸で怪しい薬品を作ったりヒロインにエッチな人体実験をしたり、色々酷いことをやった末にアーサリスに殺されることになったのだけど。


 そう。

 原作時空では、私はヒロインにエッチな人体実験をするエッチな公爵令嬢という設定。ヒーローを取り合ったりは特にしない。

 そしてアーサリスは私の開発したエッチな薬を奪取するために遣わされた、裏社会に飼われた殺し屋だったのだ。


 私は原作時空に微塵とも触れないように、エッチなことは全く考えないようにした。前世はそういう原作・・・・・・を読んでいるだけにまあ……まあ、まーーーー多少はその、まあ、耳年増というか、そういうのはだーい好きだったけど、転生後のクリス・カリアストは清廉潔白。

 そもそも両親も兄も美しいので、目の保養は完璧すぎてもはや解脱したも同然なのだ。

 それにアーサリスがそばにいる。

 アーサリスは最強で絶対で最高の美少年だ。

 屋敷の使用人になり、使用人向けの学校に通いながら礼儀作法や未来の執事としての教育を施されるアーサリスは本当に美しく、最高に美しかった。

 ボロボロだった最初の姿も美しかったけど、今の美しさはさらなり。

 金髪は美しく波打って、勝気な美少女にすら見える美しい顔はさらに美しく、アメジストを埋め込んだドールアイのような瞳は、光の加減で金継ぎしたような繊細な金色を垣間見せる。

 肌も艶やかで、しなやかに伸びた手足は美しく、使用人学校に通う学ランに似たストイックな制服姿も最高だった。


 最初は言われるまま私の厚意を受け止めてくれていたアーサリスだったけれど。

 だんだん衣食住が満たされて学校にも通うようになって、己の置かれた状況を客観的に考えることが増えたのだろう。

 ある頃からアーサリスは私に怪訝そうな態度をとるようになった。

 アーサリスがすっかり学園生活に慣れて、私の従者としてそばにいることも増えるようになった頃だ。


「なんで俺を拾ったんですか。お嬢様、俺を拾う必要なかったでしょう」

「あなたを助けたいと思ったのよ。運命だわ」

「運命って」


 アーサリスは一瞬ぽかんとした後、皮肉を顔に浮かべる。


「……哀れな平民を拾ってやると何かいいことありますか」

「あなたを拾って良かったかどうかって? さいっこーよ。あなたは優秀だし、置かれた状況に甘んじるだけじゃなく、こうして疑問をぶつけてくれる。自分で考えてくれる。ご両親も人間的に尊敬できる人だし、そんなご両親の大切なご子息に教育のチャンスを与えられるなんて公爵令嬢でほんとよかったなって思うし、食べ物の好みも趣味もなかったあなたが本当はジャガイモのパンケーキが好きなこととか、ベリーのジャムが好きなこととか、恋愛小説読むのが結構好きなこととか、そういうところを見せてくれるようになったのが嬉しいし」

「いや恋愛小説読んでるのなんで知ってるんですか!?」


 アーサリスは真っ赤になって叫んだ。私は何をそんなことを今更、とばかりに腰に手を当ててやれやれとした。


「そりゃ知ってるわよ。あなたがこの間私を乱暴な商人から庇ってくれた時、私を安心させるためにかけてくれた言葉、『君を思うラブソングを』の5巻34ページ5行目のセリフだったし」

「……」


 みるみるアーサリスの顔が真っ赤になっていく。

 私はしまった、と思った。お前はデリカシーがない!!!と兄に怒られることはちょいちょいあったのだ。


「あっごめんなさい、こういうこと言わないほうがいいわよね!? ごめんなさい、いや、ああ、アーサリスが私の好きな本のセリフを言ってくれたのが嬉しくてつい……」

「ああいう男が好きなのかと思って……」

「は? 私は恋愛感情なんて解脱してますが?」

「じゃなんで恋愛小説読んでんですか」

「だってあの主人公、アーサリスに特徴が似てるじゃない。金髪で紫の瞳で、綺麗な顔なのにちょっとヤンチャで……」

「……」


 変なものを見るような目で、アーサリスが私を見る。

 そんな顔だってアーサリスはすっごく綺麗だ。


「本当に綺麗ね」

「……俺も、いい加減美少年って年じゃなくなって来たんですけど。そもそもお嬢様だって年上って言っても3歳しか違わないでしょう」

「それでも美少年は美少年だし、綺麗なのは綺麗よ。母も言っていたわ、お父様の髪がなくなっても、そこにいるのは美しい愛しい人に変わり無いって」

「…………あなただって綺麗なのに、ほんと……」

「私が綺麗! ありがとう! 私も同感だわ!」

「そこで謙遜とかしないところも含めていい性格してると思いますよ」

「アーサリスに褒められて、私嬉しいわ!」

「だぁから!そんな無邪気なニコニコ顔やめてください! お嬢様なんですから!勘違いされますよ!」

「勘違い?」

「……」


 アーサリスはそこでごほん、と咳払いする。


「……綺麗なんだから、もう少し普通のお嬢様すればいいじゃ無いですか。仕事人間になったり、使用人のこと構い倒したりしないで、結婚したり……綺麗な服を着て、花嫁修行したりとか」

「心配してくれてありがとう。でも大丈夫、私の婚約者、第二王子なんだけどあの人はあまりそういうの期待してこない人だから」

「……好きなんじゃないんですか? 婚約者なら……」

「うーん、人としては好きだけど、別に恋愛感情は……ないのよね。だって私解脱してるから」

「さっきから言ってますけど解脱ってなんですか、解脱って」

「全然煩悩がないって感じ? 無欲なのよ。きっとアーサリスがそばにいてくれるから、それだけで満たされるのね」


 私がウフフと笑うと、アーサリスはそれ以上何も言わなかった。


「とにかく、お嬢様が物好きで、俺たち家族を養ってくれていることはわかりました」

「養うだなんて。雇用関係よ〜」

「……絶対、俺は恩返しします。見ていてください」

「楽しみにしているわ。でも自分を大事にするのよ?」

「見ず知らずの平民を救うのに、全裸になったお嬢様に言われたくはないですよ」


 アーサリスは笑う。

 そんな彼の声は、しばらくして少しずつ掠れ始めた。


 ーー月日は流れ。

 使用人に召し上げて2年後の13歳で(私16歳)、目の高さがほとんど変わらなくなって。

 17歳(私20歳)になった頃には私の身長なんて軽々と追い越されてしまった。

 クリス・カリアストも167センチくらいあるので、あれれ、結構早い。

 でも私の兄も身長199センチくらいあるので、まあ男子としては普通なのだろう。


 ちなみにアーサリスの両親は元々とても腕の良い酪農家で、王国の乳牛コンテストで連続受賞していたような酪農家だった。

 その頃の知識と経験を活かし、ご両親は私が所有する製菓関連企業内で存分に力を発揮した。

 乳製品レシピの開発をしてクリス(チョコレートブランド)のミルクチョコレートの制作に携わってくれたり、とにかく色々だ。

 別邸にそのまま住み込んで24時間そこにいるわけじゃないので、元々の使用人たちとの軋轢とかそういうのもなかった。万々歳だ。


 今ちらっと年齢の話をしたけれど。

 アーサリスの御一家を召し上げてーー月日はあっという間に過ぎていった。


 そして私は今や21歳。

 この世界の貴族令嬢としては結構行き遅れと言われそうな年齢だった。

 しかしビジネスにアーサリス鑑賞にビジネスに社交界に慈善活動にビジネスにアーサリス鑑賞に家族での思い出作りに、色々と元気に邁進していたので、すっかり年齢のことなんて忘れていたのだ。


 その間に色々あった。

 兄が結婚したり、兄とアーサリスがたびたび激しい稽古をするようになったり(「あのバカ妹を守りたいならもっと打ち込まんかぁぁぁぁ!!」と叫ぶ声は聞こえた)


 アーサリスのご両親が関わった喫茶店のチェーン店が王国中で人気になって、オーナーの私に莫大なお金が入ったり。


 元々のストーリーは貴族社会に殺し屋や暗殺が入り乱れる恐ろしい話だったけれど、私が転生前の知識を使ってアーサリスの実家、故郷、領地、領地が入る区域、そして全国にわたって……とより良い治世になるように暗躍したりしているうちに。


 いつしか元々のストーリーと似ても似つかないハッピーで平和な国になっていた。


 みんな私を褒めた。悪女なんて誰も言わない。露出狂とはちょっと言われる。

 兄だけは頭を抱えながら

「お前の全裸の銅像が建てられていたぞ、そういうのは許可を出すな」と言っていたけれど。

 まあ全裸が観光資源になるなら、安いものだ。

 けれどアーサリスも最近は「絶対脱いだらだめですよ」と言うようになってきた。


 いや、私脱いだのはあの日だけなんだけど!

 風評被害!

 

 ーーそして。唐突に風の強い日、王宮の四阿に呼ばれた。

 レキサス第二王子殿下は言った。

 

「婚約破棄、でございますか」

「むしろまだしていなかったことに、僕自身が驚いているよ」

「はあ、確かに私も思います」

「まあ、見てて結構面白かったしね。きみも僕の婚約者だったから、周りから余計な婚約の話が来なくて過ごしやすかっただろ」

「あら、そこまで考えててくださったんですか?」

「それはそうだよ。僕は恋愛感情としては君にはまったくそそられないけれど、友人としては結構大好きの部類だからね」

「あらやだロマンスが始まりそうですわ」

「よく言うよ。今日だって君が『贈り物すべてお返しします!』とかいって全裸にならないように、わざわざ寒い日を選んだんだからね」

「でもそこの池、温泉ですよね。湯気立ってる」

「まあ、もし万が一、君が脱いだら風邪引かせるわけにもいかないし」

「優しいですね」

「今更気づいたのかい? 僕は最高に優しいよ」


 レキサス殿下は笑う。私も笑う。

 私たちは一緒に紅茶を飲んだ。


「まあ僕の都合ってことで別れる『婚約破棄』だから、君は自由に生きればいいよ」

「でもなんでまた、20歳になるまで待ってたんですか?」

「僕もモラトリアムしてたんだよ。魔術学園に通って、男爵令嬢と恋に落ちたり」

「あ、それもしかしてヒロイン」

「ヒロイン?」

「な、なんでもないです。そしてどうしたんですかその子とは」

「……卒業式に記念告白したら青ざめて、『いや、身分違いの恋とか私無理です』ってダッシュで逃げられてしまったんだ」

「身分弁えてるタイプの男爵令嬢ヒロインになりましたか〜」


 そういえば男爵ヒロインは、原作では貧乏のあまりに身売りしたり貴族の愛人になったりしながら、第二王子殿下に近づいていく設定だった。

 どうも話を聞いているとそういう毒婦っぽさはない。


「その子って幸せそうですか? ご両親はご健在?」

「幸せなリンゴ農家の娘だよ。いつもにこにこしてて控えめな感じのおとなしい子だよ」

「それはよかった……」


 私はふと気づく。


「てか浮気じゃないですか」

「……浮気というか」


 殿下は痛いところをつかれた、という顔をする。


「君は好ましい婚約者と思っているのに全く男心が反応しないから、もしかして僕女性は無理なタイプなんじゃないのかって不安になって」

「なるほど」

 

 私は頷きながら、ハッとした。

 そして後ろに控えているアーサリスをバッと背に隠す。


「アーサリスにもしや邪な目を!?!?!?!?!?」

「あはは、言うと思った。大丈夫アーサリスはタイプじゃないよ」

「アーサリスがタイプじゃない人間が、この世に存在すると!?」

「どっちでいて欲しいの、君」


 殿下は呆れた末、改めて恋する顔ではにかんで言った。


「でもいけた。女の子好きになれそう。ドキドキする感覚、僕にはないと思っていたから」

「それは割と、心の底からおめでとうございます」

「うん。恥じらいがあって、おとなしい女の子大好き。守ってあげたくなるような」

「殿下の前では9割9分の女が、全員恥じらいと大人しさを見せつけてくると思うので、……本物の恥じらいがあっておとなしい女の子見つけるの難しそうですよねえ」

「それ! それなんだよ! ほんと好みの子全然見つかんない」

「いやはやお疲れ様です」


 風が吹く。

 私と殿下はこんな感じで仲良しだし、今後も家族ぐるみで仲良しでいようね、という書面も親同士が交わしている、婚約破棄とはいえ穏便なものだった。

 

 ふと、殿下が遠い目をして私を見た。


「ねえ、クリス」

「はい」

「この国、18歳越えないと身分違いの婚約はできないだろ?」

「そうですけど、あんまり関係なくないですか?」


 私の言葉に、殿下は目を丸くしてーーそして大袈裟にあははははと笑う。

 あまりに声が大き過ぎて鳥が飛んでいった。


「だとよ、アーサリス。お前も苦労するな?」


 殿下が私の後ろを見やる。

 アーサリスは何も口にせず、ただ黙って頭を軽く下げる。


「私はただ、恩人であるクリスお嬢様の忠実な部下にございます」

「知ってんだぞ? 使用人学校首席で卒業したのも、その後魔術学園の夜間部騎士科で勉強してるのも、全部」

「だめ、ノー! ダメですわ!」


 何かを暴露しそうになっている殿下の前で、私は手をバツにする。


「アーサリスが隠していることは、私は聞かないつもりですの! それが主人としてのわきまえですわ!」


 そして婚約破棄のお茶会も無事に終了し、殿下と別れて馬車まで向かう。

 景色が綺麗なので少し歩きたいと思い、アーサリスを隣に侍らせて歩いた。


 季節は冬だ。

 雪が空からぱらりと落ちてくる。

 アーサリスがサッと黒いストールを私に被せてくれる。

 とても頼もしい男の人になったと思う。


 もふもふの黒いストイックなロングコートを纏ったアーサリスは、いつの間にかずいぶん大人っぽくなった。私が転ばないようにエスコートする手も大きくなって、声も低くなって、目の高さは全く違う。

 あの時は抱きしめたら腕の中に入りそうなくらい華奢で発育不良だったアーサリスが、今ではずいぶん立派になった。


「あなた、確かもうすぐ18歳よね」

「1月で18になります」

「そう。……今日までよく頑張って仕えてくれたわね、嬉しいわ」

「……ええ、ずっと18歳の誕生日を待ち侘びておりました」


 アーサリスは私を見下ろして、優しく目を細める。

 アーサリスの視線の熱に、あれ?と思う。

 なんだかワクワクするような、ドキドキするような、不整脈っぽい感覚になる。


「誕生日に欲しいものがあるんです」

「何かしら、いいわよ。今から準備しておくから、今のうちに教えてちょうだい」


 アーサリスは微笑んだ。


「準備は整ってます。外堀とか色々」

「? 私がプレゼントを渡す側なのに?」


 もらう側が「整ってます」と言うのは何かおかしいのではないだろうか。

 しかしながらアーサリスは、ただ意味深長に微笑むばかりだ。


「後はクリス様のご返答次第です」

「アーサリスが欲しいものならなんでもあげるわ。遠慮しなくていいからね」

「ほんとですか?」

「本当よ。出会い頭に全裸になれた私が、あげられないものが他にあると思っていて?」

「へー、楽しみだなあ」


 アーサリスは綺麗な顔で、思わせぶりに笑う。

 その笑顔はすっかり大人びたけれど、いつでもいつまでも可愛い私のアーサリスだ。


 ーー彼が本当に欲しいものを知った時、私がどうなったのかは秘密だ。

 守りたい人のために全裸になれる私でも、隠したいものはそりゃあちょっとは、ある。

 アーサリスにしか、教えてあげないもの。

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