第29話 タカと父親

「え、だからお前、俺の仕事手伝うかって言ったら、うんと言ったからだ。さっき言っただろう」

父親は、不思議そうにタカを見ていた。

「覚えてないんだけど」

「覚えてないって、何を」

「父さんの仕事がどうって話。それに来た方法もわからない」

「え、覚えてないって覚えてないのか。そうか、いやぁ、参ったなぁ」

父親が頭を掻いた。

「そうか、まぁお前も俺も酔ってたしなぁ」

続いた父親の言葉に、タカは思い当たることがあった。


「ってことはあの日、あの、ほら、俺が父さんと母さんと初めて飲んだ日」

「そうそう、ほらお前、進路悩んでるって言うからな。だったら、ちょっと大学休学してこっち来てみるかって誘ったんだが、そうかお前覚えてなかったか」

そうかそうかと繰り返す父親が、店をタカに任せっぱなしにして夏の始めから冬の今日まで帰ってこなかった小野屋の店長その人だ。店長なのに店をほったらかしにしてと、腹が立つには立つ。だが、酔って忘れていたのはタカだ。


 あれこれと悩んだり腹を立てていた気持ちの行き場が無くなったタカは、また餅を食べようと火鉢に目をやった。


「え」

餅がない。黄粉もない。海苔もない。大根おろしもしょうゆもない。

「いや、餅が冷めるとおもって」

相棒と手長足長と震々が揃ってしおらしくしているが、既に餅は跡形もない。

「誰か一人くらい止めなかったのかよ」

まぁ、誰も止めなかったから、餅が跡形もなく消え去っているのだが。

「まぁまぁ。また焼けばいいさ」

父親が大口を開けて笑った。


 餅を焼く香りは、客を集める効果があったらしい。竈門の神様の一声で、商店街の住民たちの餅つき大会が始まった。竈門の神様が蒸したもち米を、臼の付喪神と杵の付喪神が息を合わせて餅についていく。出来上がった餅は、手際よく千切られ丸められていく。湯気を立てる餅は、餅をつくりながら食べている住民たちの口に次々と消えていく。


「お祭りみたいだ」

「楽しいっすねぇ」

お兄ちゃんドラゴンも、餅に舌鼓を打っている。

「赤ちゃんには食べさせたらだめだよ。喉に詰まっちゃうからね」

「はい」

「これはお父さんとお母さんとお兄ちゃんのお餅だよ」

「はい」

タカは、重箱いっぱいに粉をまぶした餅を詰め込んだ。ずしりと重い重箱を重ねて風呂敷で包み、お兄ちゃんドラゴンの背にくくりつけてやる。

「ほら、これも持っておいき」

ろくろ首が瓶に詰めた黄粉を、風呂敷の隙間から突っ込んだ。

「ありがとう。行ってきます」

「おう。親父さんによろしくな」

「はい」

最近めっきり静かに着地するようになったお兄ちゃんドラゴンは、嬉しげに広場にむかって駆けていった。足音も随分と静かになった。成長が嬉しいが、あのドタドタはもう無いのかと思うと少し寂しい。


 夜の住民たちのために、猫又姐さんが炊きたての餅に粉をまぶしていく。他にも餅があるのに、何故か猫又姐さんが粉をまぶした餅に手を伸ばす欲張りもいる。欲張りな不届きものたちは、番傘の親分とビニール傘の相棒に頭を手をはたかれていた。


「ここは良いところだろ」

父親の言葉にタカはうなずいた。

「大学には休学届けを出してある。ま、しばらくこっちでのんびり悩め」

「うん」

今すぐ大学に戻らなくて良いと思うと、タカのどこかにあった焦る気持ちが静まっていく。


「父さんはどうするのさ」

「ん? お得意様にこちらの品物のお届けさ。烏天狗の酒に河童の米に、こちらの採れたての野菜に、待ち焦がれているお客さんたちは多いからなぁ。あっちじゃぁ手に入らないだろ? で、こっちにはあっちの世界の商品を持ってくると。先祖代々の仕事さ」

単身赴任で年がら年中家にいないただの万年厨二病親父だったはずの父親の口から語られるのは、世界を股にかけた壮大な話だ。


 目の前にいる父親の口から溢れる言葉の意味が、タカにはわかるがわからない。

「この後は? 」

「ん? だからお得意様めぐりさ」

「じゃ、あっちにいくの」

元いた機械世界のことをあっちといった自分に、タカはあまり驚かなかった。いつの間にか、この摩訶不思議な世界の日常が、タカの日常になっていた。あれほど行きたかった大学に通う意味を見いだせなくなったあの頃が、はるか昔のことのように思える。


「あぁ。本来ならお前も行ったり来たり出来るはずなんだが。どうやったら出来るんだろうなぁ。俺もどうやって出来るようになったんだか、よくわからんし。お袋、お前の祖母さんの仕事を手伝っている間に、出来るようになったからなぁ」

餅を齧りながら、父親はのんびりとしたものだ。

「母さんには、お前は元気だと言っとくが、お前を連れてあちらに行くと品物を運べないからなぁ」

「そうなんだ」

タカも餅を頬張った。

「よくわからんが、片方しか運べないらしいんだ。まぁ、俺もよくわかってないしなぁ。子供の頃は運べたんだが」


 父親の仕事は、荷物を運ぶことだ。厨二病の父だが、仕事に関しては真面目だ。そんな父が、荷物よりも酔っ払ったタカを優先して運んでくれたと思うと、ちょっと嬉しい。

「休学中にしてもらってるから、俺はいいんだけど。ちょっと頼みごとあるんだ」

「ん? 」

「保安官のジョーのこと知ってるよね」

「あぁ、若いのに大したもんだ。この街の治安は、保安官のジョーのお陰だからな」

「保安官のジョーがさ、家族に手紙を送りたいって言ってたんだ」

「あれ? ご両親は戦死だって聞いたぞ」

「弟さんと妹さんがいるんだってさ」

「なるほどな。国際郵便くらいいつでも送るぞ。住所が分かれば、郵便局に預けるだけだ」

父親が少し、タカには頼もしく見えた。


 ちょうど見回り中のジョーの姿が、通りの向こうに見えた。

「あら、ジョー。良いときに来てくれたわ。餅がつきたてよ」

「お、人が集まって良い匂いがすると思ったら、餅つきか」

「えぇ。ほら」

猫又姐さんが、ジョーに餅を勧めていた。


「ジョーさん」

「お、タカ。あ、小野屋の店長、お久しぶりですね」

「ちょっとしばらくぶりにこっちに戻ってきましてね。息子が世話になっていたそうで」

父親の言葉に、保安官のジョーが目を見開いた。

「え、息子? 」

あちこちから、驚きの声が聞こえてくる。


 保安官のジョーがタカの顔を覗き込んできた。

「俺、母親似なんです」

「あぁ、なるほど」

納得の響きがジョーの声に続く。


「あの、ジョーさん。手紙を送りたいって言ってたじゃないですか」

「そうだなぁ。甥も姪も大きくなっただろうから、手紙くらい読めるだろうしな」

「よければ私が投函しますよ。息子も世話になりましたし」

タカの父親が、商売用ではない笑顔を浮かべていた。


 その瞬間のジョーの顔を、タカはきっと一生忘れない。


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