沖本くんの顔

佐々井 サイジ

沖本くんの顔

 中二、中三と連続で同じクラスになった沖本くんのことが好きだった。笑うと目がなくなるのがかわいいし、クラスカースト中の下くらいの私でもみんなと同じように喋ってくれる。でもマスクのせいで目から下は見たことが無い。まあみんなマスクしたままだし、今さら外すのも恥ずかしいから気持ちはわかる。大事なのは顔じゃない。


 でも沖本くんは鼻から下を見せないようにかなり徹底していた。お茶を飲むときも顔を逸らすし、体育のときもずっとつけてた。さすがに体力テストの一五〇〇メートル走のときは外すのかと思ったけどずっとつけてて、終盤は頭がぐらぐら揺れながら走っていた。女子からは「沖本くん頑張れ!」と黄色い声援を送られていた。私もこっそり応援した。


 体育祭くらいから沖本くんは黒いマスクをつけ始めた。きっとおしゃれのつもりなんだと思うけど、私は白いマスクを着けている方が好みだった。でもクラス対抗全員リレーで私が走っているときに「船越さん頑張れ!」って黒いマスク越しに声援を送ってくれてめちゃくちゃ嬉しかった。体育祭からもっと沖本くんが好きになってしまった。受験なのに。


 ついに卒業するまで沖本くんの目から下を見ることはなかった。でもこの卒業アルバムには沖本くんの顔全体のわかる写真がある。結局、沖本くんと距離を縮めることはなかったけど、せめて卒アルで顔を把握して妄想する日々を送らせてもらおう。分厚い表紙を左手でめくった。心臓の動きが活発になる。


 三年八組は一番最後。一気に開けようとするけど、他のクラスの同級生の顔をつい見てしまい、なかなか到達しない。「こんな顔してたんだ」って思う人がいっぱいいる。学年一美人って言われていた笹原さんは、写真を見るとそこまでだった。橋本環奈レベルと思っていただけにハードルが高すぎた。


 とうとう八組のページを開ける。自分の顔より沖本くんを指でなぞりながら探す。視界は顔より先に『沖本』の文字を捉えた。そのすぐ上に写真がある。いったん写真を手で覆って深呼吸する。笹原さんみたいにハードルを上げすぎてはいけない。低く低く設定する。勢いよく手を離した。


え、こんな顔?


 かなりハードルを下げたつもりなのに、心が急速に冷却されていくのが止められない。思っていたのと違う。鼻の穴が上を向いているし、その横には大きなほくろがある。前歯が飛び出ていた。でも目から下を手で隠すと確かに沖本くんだった。彼は目だけがイケメンだった。いや、人は見た目じゃないよね。見た目じゃない。


 何度も自分自身に言い聞かせるけど、私の好意は冷却されたのちだんだんと萎んでいった。沖野くんの思い出がマスク姿からほくろの添えてある鼻の穴が上を向いて前歯が飛び出した顔にアップデートされていく。そのたびにきらきら輝いているフィルターがはがれていき、加工なしの思い出へとダウングレードしていく。


 どんな顔でも好きな気持ちは動じないはずだったのに。一瞬で覆されてしまった。私は沖本くんの内面を好きになっていたはずなのに。今でも沖本くんの内面は好きかな? 正直尊敬に変わっている。薄っぺらい尊敬になっている。今の私に好きな人はいない。そんな自分がたまらなく嫌い。


 沖本くんに対して失礼だとは思う。私だって他の人から「思ってた以上にブスじゃね?」って思われているはずなのに。人を悪く思う資格がない。百パーセント私が悪い。でも本音を言えば他の人も沖本くんが思ったより端正ではなく、がっかりしているはず。勝手に作り上げた理想像が壊れたのは私だけじゃないよね。


 関わったことのないイケメンの有本くんに視線を注いでしまう。吊り目に筋が通った鼻、薄い唇が不器用に笑みをつくっている。私は有本くんの内面なんか全然知らないのに、どくどくと鼓動が大きくなっていく。


 結局、見た目が大事なんだ。十五歳の今だけ? 大人になったら内面が勝つ日が来るの?


 でも女優とか女子アナって社長とかめっちゃ有名な会社で働く人と結婚してるから、内面じゃなくてお金になるんだろうな。それなら、内面を磨く意味はなかったりして。むなしい世の中だな、まったく。


 まあ私も同じように誰かに幻滅されたりしてるはずだから、何も言う資格はないよね。沖本くんは外見が整っていなくても中身が素晴らしいんだからそれで良いじゃない。勝手にがっかりして勝手に好意をなくしていってる私の中身が一番汚れてるんだ。沖本くんは私なんかと関わるべきじゃない。


 コロナって見た目の大切さを改めて気づかせるものだったんだ。最近、ニュースでルッキズム? やめましょうみたいなこと言ってたけど、みんなルッキズムだよね。かわいい人とかっこいい人がモテる。これはどの時代も変わらない事実だよね。そこを入り口にしてお金とか中身が来るんじゃない?


 沖本くんは自分の顔面偏差値をわかってて、顔を隠し続けたんだ。頑なに目から下を見せなかったのはそのためだったんだ。かわいそうな気がする。沖本くんは一切悪くないのに、実は肩身の狭い思いをしなきゃいけなかったんだ。


 もやもやした罪悪感を抱きながら、卒業アルバムを閉じた。鏡に映る私を眺めた。かわいくはないけど、特段ブスでもない。でも私もマスクで顔を隠せばマシに見られる方かもしれない。私も沖本くんと一緒だ。マスクなしで高校に行くことに抵抗感が芽生えてきた。もうずっとマスクしたまま三年間過ごしていこうかな。沖本くんみたいに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

沖本くんの顔 佐々井 サイジ @sasaisaiji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ