第三章8 『はじめてのおつかい』

 少女が寝静まった夜、ファタリスは聳え立つ王城に隠れた満月を、自宅の屋根の上から眺めていた。


「……いくら暴虐非道のティグリス王子とはいえ、理由もなしに急に無関係な人を襲うような真似なんかするかな」


 そう独り呟き、その長髪を夜風に靡かせる。

 そして、彼女の普段からは想像もつかないような真剣な眼差しで王城を睨む。


「――ありえない。……けど、直接確かめた方が早そうだね」


* * * * * * * * * * * * *


「ふあぁ……おはよ〜、ミズカっち。早起きだね〜」


「……早起き……というか……」


 少女は壁に取り付けられた時計の針に目を移す。当然のように昼時を過ぎていたことには、もはや触れようという気が起きなかった。


「ん〜とまあ……そ〜ゆ〜わけで、ミズカっちには


「……どういうわけで……!?」


 あまりにも急な退去命令に、少女も思わず昨晩誓った『敬語』を忘れて指摘してしまった。

 だが、もし冗談でないとしたら少女は路頭に迷うことが確定するために、事実必死である。


「思ったよりいいツッコミするじゃ〜ん。大丈夫だよ〜、半分は冗談だから」


「……半分は本当なんですか……!?」


「うん。ちょっと『おつかい』してもらおうと思ってね〜」


 会話の途中、ファタリスは少女の手に一つの紙切れを握らせた。

 少女がその紙に軽く目を通している間に、ファタリスは傍らにあった例の巨大枕にしがみついていた。


「その紙に書いてあるもの買ってくるだけでいいから〜。お財布は玄関に……あるからぁ……よろしく〜……」


 いつか見た時と同じく、ファタリスは無責任な眠りについてしまった。この状態では、「すぴ〜」「すやぁ〜」以外の返事が来ないことを少女は知っている。


「……やるしか……ない……!」


 覚悟を決めた少女は玄関に向かい、聞いたとおりに置いてあった財布を手に取る。

 扉を開き、ファタリスから受け取った紙を再度じっと眺める。


 ――そして、項垂うなだれる。


「……無理むりむり……! ……王都のお店なんてどこに何があるか全然わかんないし……! ……それに……」


 玄関を出た直後はそれほど気にはならなかった。しかし、僅か数歩先に広がる賑やかな通りを見て、生気を失った。


「……この通りの中のお店から……買うものが売ってる店を探し出して……物を買う……それを、一人で……」


 物陰から顔を出して、静かに様子を伺う。その都度、不安が襲っては身体が冷える。

 今はレオニクスはいない。その重大な事実が、目の前に大きな壁として少女を阻む。


「……でも、やらなきゃ。……ファタリスさんにも……迷惑かけてられない……!」


 深呼吸のリズムに合わせ、覚悟を強める。

 ただ買い物をするだけ。常にフードを抑えておけば、突風が吹こうとも関係ない。

 心に言い聞かせ、準備を整える。


「……よし……今……!」


 獣人の少ないタイミングを見計らい、少女は大きな一歩を踏み出す。

 が、その矢先に――


「――そこで何をしている?」

「ひゃああああああああああああああっ!!!!」


 恐らく少女史上、最も大きな叫び声をあげただろう。

 全身が跳ね上がり、直後変な筋肉を使ったせいか身体が軋む。


「きゅ、急に大声を出すなっ!! 私を人攫いに仕立て上げるつもりか!!」


「……ご、ごめんなさいっ……! ……って……あなたは……」


 少女が慌てて振り返ると、赤髪の凛々しい女性が立っていた。

 見たことがある。確か名前は……


「……リビカ……さん?」


「ほう、覚えていたのか。お前は……ミズカ、だったか? さっきは驚かせて悪かったな」


 少女は申し訳なさそうに首を大きく横に振った。


「それで……再度聞くが、何をしているんだ?」


「……え、えっと……おつかいを頼まれたんですけど……その……私あんまり王都に詳しくなくて……」


「おつかい? レオにか? その紙、少し見せてみろ」


 リビカは少女に手渡された紙を眺めると、すぐに顔をしかめた。そして、頭を抱えたまま少女に紙を返却した。


「……少なくともレオが頼んだのではないということはわかった。メモがあまりにも雑すぎるし、多いし、とてもレオが買いそうな物に思えん。特に最後に書いてあった『超絶至高のふわふわ巨大枕』とかいうわけのわからない物……私でもどこに売ってるのか知らないぞ……」


「……そんなのあったんですか……」


「だが、殆どは協力できそうだ。私もお前たちに少し要件がある。同行しよう」


「……えっ……い、いいんですか……?」


「ああ。問題ないが?」


 その言葉を聞いてからというもの、少女は隣を歩くリビカにレオニクスと同じ頼もしさを感じていた。

 無論、リビカは少女の正体を知らない。それ故に、完全な安心とまではいかなかったが、一人で怯え続ける事態に比べればよっぽど良い。


「実は今朝方、レオに届け物をするためにわざわざ森まで出向いていたんだが……目を疑ったぞ。なんせ森が荒地へと様変わりしていたんだからな」


「……それは……」


 買い物の途中、リビカにも事のあらましをかいつまんで話した。

 ファタリスと違い、リビカはすぐには受け入れられなかったようで、「なぜ襲われた?」「レオは生きているのか?」など、説明の度に何度も質問が返ってきた。

 しかし、全てを話した後はリビカも静かに聞き入れたようだった。

 少女が買い物を終えた後も、リビカは家まで荷物を運ぶのを手伝うと言い出した。親切心も当然あったのだろうが、大きな理由は何とか入手した『超絶至高のふわふわ巨大枕』が大きすぎたことだろう。

 玄関前に辿り着くまで、リビカは終始呆れていた。


「お疲れ〜、ミズカっち〜。おほぉ〜! これがあの伝説の巨大枕……」


 ご機嫌な様子で玄関から飛び出してきたファタリスを、巨大枕の背後から顔を出したリビカが凝視していた。

 それに気づいた様子のファタリスも、ぽかんとした表情でリビカを見つめていた。


「……こんな人買ってきてなんて頼んだっけ」

「――絞めるぞ」


 とても初対面とは思えない第一声を交わし合った二人だったが、搬入のために結局リビカを家にあげることになった。

 新しい巨大枕を手に入れて早々、ファタリスは盛大に飛びかかり、そのまま身動き一つ取らなくなった。相も変わらず、だらしない寝息を響かせながら。


「一応は客人の前だろう……よくもまあ堂々と眠れるものだ。レオも少しは知人を選んでいるだろうと思っていたんだがな……」


 隣で惰眠を貪るファタリスを、椅子に腰掛けて見下ろすリビカ。それに対して苦笑いで茶を濁す少女。

 その後、リビカは大きなため息を一つ吐くと、対面に座る少女に目線を移す。


「だがまあ……ちょうどいい。ミズカ、お前に一つ、尋ねたいことがあってな」


「……私に……ですか?」


 最初は単なる質問を想像した。もしくはレオニクスの所在についてより詳細なことを尋ねられるのかと。

 しかし、いざリビカが言葉を紡ぐと、少女の額に汗が滲み始めた。


「ああ。買い物をしている間もずっと疑問に感じていた。というより……私の中では半ばその答えが出ている。それでいてお前に尋ねるのは……言わば私の覚悟を決めるためだ」


 リビカの鋭く真剣な眼差しが、少女の全身に緊張という痺れを走らせる。

 何を聞かれるのか、少女はまだ見当がついていなかった。


「……ミズカ……お前、そのは室内でも外さないのだな?」


「……えっ……?」


 その時、少女はようやく錯覚していたことに気がついた。正体を絶対に明かさない。それは少女自身が最も心に留めていたこと。しかし、その強い警戒が裏目に出たのだ。


「買い物をしている時も……思えばレオと共にいた時も、常に握りしめていたな。そんなになものなのか」


「……そ、それは……えっと……」


 どうにか言い逃れようと思考を全開で回すが、脳にまで到達した焦りが正常な思考を許さない。

 ――なにか――なにか――なにか――なにか。

 何か、言わなければ――


「……いや、回りくどい聞き方はよそう。正直に答えてくれ、ミズカ」


「……ち、違います……私は……!」


 不安と焦燥が、少女の思考を埋め尽くす。

 そして、とどめを刺したのは敵対心――リビカの瞳が、既にを見る目へと変貌していたことだった。


「単刀直入に聞く。お前は――」

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