第三章7 『勘違い』

「な〜るほどね〜ん。レオの奴……ま〜たわたしに面倒押し付けやがったな〜? ……便利屋かなんかだと勘違いしてんじゃないだろうな〜……まったく」


 少女がレオニクスの名前を出すと、彼女は何を察するまでもなく少女を中へ通した。

 対面時は相応に気を詰めていた少女だったが、彼女の醸し出す緩い雰囲気の方に気を取られているうちにそうでもなくなっていた。


「あ、そういえば名前まだ言ってなかったっけ〜? わたしはファタリス。よろしくね〜、ミズカ


「……あ、うん……よろしくね……?」


 容姿は小柄で、少女よりも身長は低い。恐らく百五十センチ程度だろう。

 腰まで伸びきった淡いエメラルドグリーンの髪が、くせ毛で所々だらしなく跳ねている。

 今までに知り合った獣人とは違う、紺色のおっとりとした垂れ目が、どことなく少女の緊張を削いでいた。

 

 そんなファタリスの放つ独特な空気感が、一瞬にして少女を包み込む。

 ファタリス自身の性格のせいもあるが、原因は何よりも……


「……あの……ところで……それは?」


「ん〜? どれのこと〜?」


「……その……ファタリスちゃんが埋まってる……」


 少女が指さしたのは、ファタリスをすっかり包み込んでしまった何かだった。ファタリスの使用用途的にも、少女の知る『人をダメにする』系のそれとよく酷似している。


「あ〜これね〜。これ、わたしのお気に入りの巨大枕〜。これに寝転がってるとね〜……すぐ……眠れてさぁ……」


 それ以降、ファタリスから返事がなかった。

 というよりは、何を問いかけても「すぴ〜」やら「すやぁ〜」やらという声しか返ってこなかった。

 少女が感じていた謎の空気感の正体はまさしくこれである。


「……まだ……話の途中だったんだけど……」


 気持ち良さそうに眠った相手を起こせるような豪胆さなど、少女は当然持ち合わせていない。迷った挙句、家屋の内装を軽く見回す程度のことしかできなかった。

 ファタリス一人が暮らしているにしては、部屋数や間取りに少し違和感を覚える。台所や部屋の隅の様子を見るに、どうにもファタリスは整理整頓は得意ではないらしい。それは今ぐっすり眠っているファタリスを見ても、半ば明らかではあるのだが……


「……レオニクスさん……大丈夫かな」


 その時、少女が何となく呟いたその一言に呼応してか、玄関の扉が叩かれた。

 合流したレオニクスかと一瞬安堵するも、少女は自分が客人であったことを冷静に思い出す。

 玄関前で立ち尽くし、扉が二度、三度と鳴る様子をただ呆然と眺めていた。


 やはりここは、ファタリスを起こすべきだろう。

 今度の起こそうとする理由は少女自身の都合ではない。むしろ、客人として最善の気遣いであるはずだ。

 などという余計な気苦労の末に、少女はファタリスの眠るリビングへと足を向ける。

 その瞬間、少女の横をが一瞬のうちに通り過ぎた――


「だーかーらー! 夕飯は玄関前に置いといてっていっつも言ってるじゃんっ!」


 既視感のある光景――ファタリスが既に玄関で応対し、その全く怖くない怒声を放っている。

 手品でも見せられたかのような気分で、少女はそのやり取りが終わるまで眺めていた。


「おほぉ〜、美味しそ〜! やはりわたしの目に狂いはなかった〜! あっ、ミズカっちも食べる〜?」


 応対を終えたファタリスは両手に袋を携えていた。

 そのうちの片方を突き出し、少女が手を差し出すのを待っている。


「……あっ……えと……い、いただきます……」


「じゃ、わたしはお先に〜」


 鼻唄を交えながら、何事もなかったかのように少女の隣を過ぎてリビングへと戻るファタリス。

 少女は終始呆気にとられながらも、遅れてリビングへと戻った。


「最近お財布が怪しくなってきたな……レオにせびるか」


 戻るやいなや、食事をこれでもかと言う程頬に詰めたファタリスが何かだらしないことを呟いていた。

 ファタリスの皿は既に半分が消失しており、その食い意地が目に見える。


「……あの……ファタリスちゃん。……これ、本当にいいの? ……というか……何で二つも……?」


「ふっふっふ……よく聞いてくれたねミズカっち。なぜ食事を事前に二つも頼んであったか……それは、今日ミズカっちが来ることをしていたからさ! 、ってやつ?」


 突拍子もない話だが、掴みどころのないファタリスの雰囲気が、それを可能だと信じ込ませる。

 ……確かレオニクスも言っていた。獣人には、本当にそういった能力が――


「ま、ほんとはわたしが二つ分食べようと思ってただけだけど〜」


 前言撤回である。

 一瞬鋭くなっていたファタリスの瞳が、また惰性に戻っている。


「あ〜でも別に気にしなくていーよん。それにレオのお友だちだし、今日は一泊させたげる。あ、でも、わたしの枕は絶対貸さないから。というより貸せないから。あの枕で寝られなかったらわたし死んじゃうから」


「……えと……うん。……色々ありがとう……」


 少女もファタリスの空気感にすっかり疲弊してしまい、本来ならば遠慮してしまうであろう提案をすんなり受け入れていた。


「てゆーか、いつまでも立ってると疲れるよ〜? ほれほれ〜、そこ座っていいからさ〜」


「……ああ、えと……失礼します……!」


 席を立ち上がったファタリスに背中を押され、着席を余儀なくされる。席に戻ったファタリスと少女は向かい合った。


「そんな畏まんなくたっていいのに〜。それよりも、あのレオが女の子を養うとはねぇ……一体どういう関係なのさ〜?」


「……そ、そんなのじゃないです! た、ただの助けてくださった恩人で……!」


 ファタリスが含みのある視線で少女を見る。少女もどうにか誤解も招かないように言葉を選ぶ。


「……と、というより……私なんかよりもファタリスちゃんの方がレオニクスさんのことよく知ってるんでしょ……!」


「え、わたし? ん〜まあそれはそうだけど〜。わたしはミズカっち違ってからね〜。レオだって、ちょっと前からわたしのことを扱いしだすようになってきたんだよ!? 酷いよね〜?」


 勢いで返答しそうになったが、少女の中で芽生えた別の感情がそれを許さなかった。

 先程まで感じていた羞恥を一瞬で払拭する衝撃が、少女の背筋を凍らせる。


「まだしか生きてないし、これからだし〜。あいやでも……レオと六年差って考えると割とか……」


「……にじゅう……ご……?」


「ん? そうだよ? こんな見た目だから、よく子供と勘違いされて困っちゃうよ〜ほんと。獣人は人によって歳の取り方の差が激しいとはいえ……わたしってばいつまでも姿が変わらなくて……」


 少女はファタリスとの会話の全てを一瞬にして振り返った。

 そして、静かに席を立ち上がり、ファタリスの傍らに正座する。


「はにゃ? どしたのミズカっち――」


 その後、九年の人生差のある御方に取った少女の行動は想像に難くなかった……

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