第三章6 『予期せぬ再訪』
――先手はレオニクス。右手の刃がティグリスの首へと躊躇なく向かう。
「『
刃を難なく躱してみせたティグリスは、そのまま反撃の拳をレオニクスの胴を目掛けて叩き込む。
しかし、首を狙っていたと思われた刃が、突如踵を返し拳をいなす。ここまでの流れを全て見越して予め浮かせていたレオニクスの左足が廻転し、更なる反撃を生む。
「ハッ! その身のこなし……テメェ案外できるクチだな? だのにそんな布被りがって……気に入らねェ」
咄嗟に左腕で防御したティグリスには、一切の動揺は見られない。むしろ、一筋縄ではいかない相手との戦闘に昂っている様子だった。
若干の距離ができた今が、レオニクスが戦闘から離脱する絶好の機会だっただろう。しかし、少女の逃げる時間を稼ぐという最優先目的のため、ティグリスに向ける視線を一寸たりとも外さない。
「あ? もうテメェの攻撃ターンはもう終わりか? 言っとくが、オレはテメェを無視してあのニンゲンを追っかける気なンざねェよ」
ティグリスは転がっていた兵士の下半身をおもむろに掴みあげると、そのまま木々の奥へと投げ捨てる。
そして、下半身が地面に触れた瞬間だった。
――周囲の木々を道連れに、下半身は爆散した。
「これだけ『ジライソウ』が張り巡らされてるところを走り抜けンのは、流石に骨が折れそうだからな。ったく……面倒くせェ小細工しやがって」
ティグリスが会話で動揺を誘っているのを、レオニクスは見抜いていた。
しかし――
「ところで……それは間合いを保ってるつもりか?」
レオニクスがその言葉の意を汲み取る頃、既に時は遅かった。眼前に迫るティグリス。その腕がレオニクスの首へと伸びる。
「――くっ……!!」
「オレの『
肥大化し、虎模様が浮かび上がったティグリスの右足が種を明かしていた。
そして、今度は肥大化こそしないものの、同じ虎模様がレオニクスの首を掴む右腕に浮かび上がる。
「ニンゲンを匿ってたのは、やっぱ独占して喰うためか? それとも、交配して
怪力のあまり、レオニクスの意識が次第に霞んでいく。
そんな薄れる視界に、ティグリスの狂気のような笑みがはっきりと映る。
「まあ理由はなンだって構いやしねェ。久々に
ティグリスが最初から本気で戦っていれば、レオニクスはとっくの前に死んでいた。
その説を偽りだと疑えないほどに、圧倒的な力で締め付けられる。
だがしかし、この勝負の結末はレオニクスにとって二の次であった。
森を走る音は既に聞こえない。砂漠地帯を進む微かな振動が、獣人由来の超感覚で微量に感じ取れる。
「テメェがあのニンゲンを飼ってた理由と経緯は、拷問でもして本人から聞きだしゃ済む話だが……。チッ……! あのニンゲンはもう砂漠か……面倒くせェが、まァいい」
ティグリスの腕の力が増し、レオニクスの気道を完全に塞ぐ。
だが、レオニクス本人は苦しむ様子どころか、少女の状況に安堵した表情をフードの下に隠している。
「……じゃあな、劣等種。せいぜい次は優等種に生まれ変われるようにでも祈っとけ――」
鈍い音が一つ、小さな森に鳴り響いた。
その後、無数に仕掛けられた
* * * * * * * * * * * * *
少女の心に相反して、冷たい砂は容赦なくその細い足を侵食する。
森を抜けてしまえば、遠くで栄える王都がいとも容易く目に映る。
しかし、どれだけ必死に足を動かしても一向に辿り着けそうにない。少女の中の不安と焦燥は、確かに近づいているという事実を忘れさせる程に鬼気迫っていた。
――そんな少女の焦りに発破をかけるが如く、背後から盛大な爆音が耳を鳴らした。
「……レ……レオニクス……さん……!」
今しがた抜け出した森が、気づかぬ間に解体されている。
心労と疲労によって足が止まる。しかし、振り返ると同時に想起される、あの悍ましい狂気――
もし仮にレオニクスがティグリスに敗北したならば、少女はもう一刻たりとも足を止めることは許されない。
「……まだ……何もできてない……から……!」
ふと無意識にそんな言葉が紡がれる。かつての少女ではありえない言葉だと、何より少女自身が驚いている。
『諦念』――それがよく似合う少女のはずだった。
そうでない理由は、レオニクスの安否が定かでないというのも大きい。しかし、少女には
再度動き出した足は、不安を孕んでいた先刻のよりも僅かに軽くなっていた。
本来人間が生きることを許されないこの世界で、身を呈して自分を生かそうとしてくれる恩人がいたのだ。
ならばこそ……
「……はぁっ……はぁっ……着い……た……?」
もはや整いそうにもない呼吸は、この際無視をする。
既に日は落ち、賑わっていた王都はすっかり夜の街へと切り替わっていた。
獣人の数も昼に比べて格段に少ないためか、心なしか緊張が緩い。
「……そ、そうだ……紙……」
道中も強く握りすぎたせいで、手渡された紙は酷い有様だった。
広げてどうにか解読してみると、どうやら王都の簡易的な地図が示されているようだった。一本の曲がりくねった矢印が、王都の入口から目的地らしい大きな黒丸と結ばれている。
周囲の目印になる建物や、道を一つ一つ丁寧に描いてあるのがどうも気の回るレオニクスらしい。
走れる体力は既に底を尽きていたため、少女は今出せる限りの全速力で歩き始めた。
歩いている途中、少女は近道のできそうな通りを見かけた。しかし、『夜行性』らしい獣人達の鋭い眼差しが、裏路地の暗がりで煌々と光る。
……あの土壇場でここまで完璧な配慮ができるレオニクスには、一種の恐怖さえ覚えてしまう。
「……家……? レオニクスさんの……?」
恐らく辿り着いたと思われる目的地にあったのは、住居らしい建物だった。
レオニクスの走り書きにはその両隣まで記されているがゆえに、場所を間違えた可能性はかなり低い。
だがそうなると……
「……誰か……中に居る……?」
少女がそう直感したのは、目の前のその住宅の窓から光が漏れ出していたためであった。
ここをレオニクスの家であると仮定するなら、いるとしたら家族だろうか。何にせよ、尋ねてみるよりほかはない。
そして少女は固唾を飲み込み、取り付けられたノッカーで、玄関の扉を優しく叩く。
「………………」
十数秒は待ったが、返事はなかった。
念の為に再度叩く。今度は気持ち強めに。
「…………いない……?」
やはり応答がない。
少女の中で、人は住んでいないという仮説が半ば確定していた。
だがしかし、念には念を入れてもう一度だけ確かめようとした時だった――
「――あー、もお! 夕飯は玄関前に置いといてっていっっつも言って……って……ありゃ?」
少女がノッカーを引くと同時に、玄関の扉が勢いよく開いた。開くはずでなかった扉に押され、少女は思わず腰を抜かす。
「むむむ〜? 誰、きみ? 配達の人じゃなさそうだけど……」
少女を見つめていたのは、かの『耳』を備えた小柄な体格の女の子であった。
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